- Amazon.co.jp ・本 (222ページ)
- / ISBN・EAN: 9784061456679
作品紹介・あらすじ
永遠に伝えたいマザー・テレサ。心にひびく愛のことば。
マザー・テレサは語りかける。力強くシンプルな言葉で、微笑みを絶やすことなく。一片のパンも、ひとかけらの愛もなく、飢え、死んでゆく人びと。生まれる前に愛をはぎとられ、死んでゆく多くの胎児たち。マザーは、この世界にみちみちている貧しさと心の飢えに、身を挺して愛を注ぎこむ、現代の聖母マリアである。自身の祈りの言葉を織りまぜつつ、母と子、学生を中心に、全世代の人びとに生命の尊さを訴えた来日講演録。英文原文付載、10ポ活字使用。
傷つくまで愛せよ――私たちは傷つくまで愛さねばなりません。
あるヒンズー教徒の4歳の子どもが、マザー・テレサは自分の子どもたちに与える砂糖を切らしていることを聞きました。カルカッタで一時砂糖がなくて困ったことがあったのです。その子どもは、これを聞くと両親に話しました。「3日間、お砂糖を食べないよ。ぼくのお砂糖をマザー・テレサにあげるの。」この幼い子どもは大きな愛で愛したのです。なぜなら傷つくまで愛したからです。そして、この子は私にどのように愛するかも教えてくれました。いくら与えたかではなく、与えることにどれだけの愛を注いだか、であると。――本文より
感想・レビュー・書評
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心に沁みわたる。人間としての根本に持っておきたい考え方。行動はまねできなくても。この本だったか忘れたが、マザーテレサは寄付金を(有難がる様子なく)まるで野菜を収穫するようにホイホイ持っていくという話が大好き。寄付は寄付をする側が有難がるもの!受ける側ではない!
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【要約】
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【ノート】
・新書がベスト -
よくも悪くも、このひとは宗教家だと思ふ。
真実を知りながらも、あへてそれを巧みに隱し通し、訴へかける。宗教とはさういふものだ。真実はひとを救ふかもしれない。だが、それはそれぞれが血を吐いて手に入れなければまるで意味がない。他人から与へられるものが真実なのではない。それを知つてゐるからこそ、彼女はその点を沈黙する。
生命とは、存在とは、ひとが創るものでもなければ奪へるものでもない。存在はいつでも先天的に在つてしまふのだ。それはやはり神の御業でなければなんだといふのだらうか。ゆえに彼女は堕胎に激しく抵抗する。ひとがひとの生命を自ら手を下して奪ふことは、存在はもとから不可思議なものであるといふことを忘れさせてしまふ。
さういふ意味で、望まれない生命などない。存在するといふことは、ひとではない不可思議なご縁にによつて望まれてゐるはずだ、それが宗教家たる彼女の知りえたことである。ひとに望まれないといふなら、わたしがそのひとの存在を望まう。いつの世も、ひとから望まれない苦しみがなくならないといふなら、その苦しみをわたしがかわつて引き受けやう。彼女はさうして行動する。打ち捨てられたひとならその手をとり、、育てられないならもらひとる。ひとりでは決してできないから、彼女はそれを組織立てる。ひとの心をつかむスピーチは彼女の天分だ。
しかし、彼女にとつて”傷附く”とはなんであつたのだらうか。彼女はスピーチで訴える。「傷つくまで愛する」といふことを。語訳かと思つてゐたが、英語をみても「until you hurt」だが、キリストの愛、彼女の愛とは、「たとへ傷附いたとしても愛せずにはゐられない」かういふものではないか。右頬を打たれたとしても、左頬を差し出ずにはゐられない、そのことではないか。他人には傷附くことを求めず、自分が傷附くことをよしとすることが、果たして同じ生命ある存在として「平等にわかちあふ」ことなのか。この点を彼女は語らない。
彼女は何か知つたからこそ、それを実行できた。彼女の慈善事業といふ表面的な行動ではなく、さうした彼女の真実を知りたい。どれほど彼女は苦しみぬいて、このことを知つたのだらうか。真実にきづいた時、彼女はそれを胸にひとりしまひこみ、「神の愛」だと声にした。後は、自らの天分の才であるスピーチで信じるひとを増やしていけばいい。自分の苦しみ痛みに泣き叫ぶことを放棄し、ひとに小さなところからできることを始めるやうに力強く訴えた。彼女はさうして自ら十字架を背負う道を選んだと感じてゐる。 -
(2014.11.04読了)(2007.10.22購入)
【ノーベル平和賞】1979年
1982年4月に来日した際の講演・記者会見を収録したものです。最初の講演「愛のはじまり」については、英語原文も収録してあります。
マザー・テレサは、1910年8月26日にユーゴスラビアに生まれました。名前は、アグネス・ゴンジャ・ボヤジュといいます。テレサは、洗礼名です。インドのカルカッタで活動しています。1979年にノーベル平和賞を受賞しました。1997年9月5日に亡くなっています。享年87歳。
講演で述べていることは、堕胎を止めさせてください、ということが一つです。
経済的理由、あやまちでの妊娠、いずれの場合も、生むように説得して産ませて下さい。育てられないのであれば、マザー・テレサが主催している団体で引き取ります。引き取った後は、養子縁組をして、育ててもらいます。堕胎は、法律でも禁止するようにお願いします。
二つ目は、人にかまってもらえず、心の飢えている方の話を聞いてやってください、ということです。自分は、生まれてくる価値がなかったのではないか? と思いつつ一人で死んでゆくのではなく、生まれてきてよかったんだと思いながら死なせてあげたい、ということです。
おもにこの二つでしょう。
【目次】
1 愛のはじまり
東京・暁星学園 「生命の尊厳を考える国際会議」特別講演会
2 神の生命にふれる
東京・暁星学園 「マザー・テレサ記者会見」
3 若い人びとへ―祈りと愛と奉仕と
東京・上智大学 講演
4 お互いのなかに神の顔を
東京ヒルトンホテル 国会議員との朝食会
5 愛の運び手―長崎・平和のための祈り
長崎 記者会見
6 なんじ殺すなかれ―医師・看護師・学生たちへ
長崎大学医学部 講演
7 分かたれぬ愛
長崎カトリックセンター 「修道女のための講話」
8 子ども・美しい贈り物―母たちへ
福岡市民会館 「母親との集い」
9 マザー・テレサと愛を語ろう
東京グランドホテル 「マザー・テレサと愛を語ろう」
マザー・テレサとの出会い P・ミルワード
Keynote Address of Mother Teresa
マザー・テレサ年譜
●分かち合えば(13頁)
ある人が尋ねました。「いったいいつ、貧しい人びとの貧困はやむのですか?」私は、あなたと私が分かちはじめたその時に、と答えました。
●清い心(22頁)
私たちは、神のところに行けるように清い心が必要です。
では清い心がもてるためにはどんなことをすればいいのでしょうか。それはお互いに愛しあうことです。愛の行いです。
どのようにして愛の行動ができるでしょうか。祈りです。祈りは私たちの力です。
●精神的な飢え(50頁)
望まれない、愛されない、大切にされない、忘れられたと感じ、誰もほほえみかけてくれず、誰も手を握ってくれない。このような人びとは誰からも見捨てられているのです。それゆえ、このような精神的な飢え、精神的な貧困は取り除くのがより難しいのです。
●裸とは(63頁)
裸とは、ただ一枚も衣服がないゆえではなく、人間の威厳や尊厳を失っているということです。
●マスコミへ(86頁)
お書きになるときは、いつもなにか美しいこと、なにかひとびとの心を高めるような記事、なにか人びとが相互に愛しあうための助けとなるような記事を書いてください。
☆関連図書(既読)
「武器より一冊の本をください」ヴィヴィアナ・マッツァ著・横山千里訳、金の星社、2013.11.
「ぼくたちはなぜ、学校へ行くのか。」石井光太著、ポプラ社、2013.11.
「リゴベルタの村」工藤律子著、浜田桂子絵、講談社、1994.03.25
「私は逃げない ある女性弁護士のイスラム革命」シリン・エバディ著・竹林卓訳、ランダムハウス講談社、2007.09.12
「キング牧師とマルコムX」上坂昇著、講談社現代新書、1994.12.20
「キング牧師」辻内鏡人・中條献著、岩波ジュニア新書、1993.06.21
(2014年11月7日・記)
(本の表紙より)
永遠に伝えたいマザー・テレサ。心にひびく愛のことば。
マザー・テレサは語りかける。力強くシンプルな言葉で、微笑みを絶やすことなく。一片のパンも、ひとかけらの愛もなく、飢え、死んでゆく人びと。生まれる前に愛をはぎとられ、死んでゆく多くの胎児たち。マザーは、この世界にみちみちている貧しさと心の飢えに、身を挺して愛を注ぎこむ、現代の聖母マリアである。自身の祈りの言葉を織りまぜつつ、母と子、学生を中心に、全世代の人びとに生命の尊さを訴えた来日講演録。英文原文付載、10ポ活字使用。 -
「神様」がどうしても関わってくる分、一般的な日本人には一見理解し難い考え方も含まれてくるが、よく読んでみると、深い愛に包まれた言葉なのだと理解できる。
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マザーテレサの来日した際の講演録ですが、マザー・テレサの偉大さが分かるような気がした一冊のように思います。
例えばこういう主張があります。
「マザー・テレサが行なっていたような活動は大切だが、それだけでは、インドを真に救うことは出来ない。
インドを真に救うのは自分たちの国の未来が見える人たちである。
愛を支えるためには知恵が必要であり、
そちらの方がもっと大きな愛だ。」と。
このような主張も、よく言われてきたもので、また一理ある意見であると思います。
しかしマザーの考えはこのような「どちらの愛が優れたものであるか」的な観点とはまた違った、より人間にとって根源的な宗教的な視点からの愛をもって語られます。
マザーは「ある程度の社会改革も必要ではないか」という質問に
「私たちはもっとも貧しい人びとのために働いています。
福祉のためになにかを始める前に、その人びとがまず、自立できるようにしてあげなければなりません。そしてその人びとが自分で立てるようになったら、私もみなさまといっしょに、改善や発展などの喜びをもたらすことができるようになるでしょう。」と。
「みなさまができることは私にはできないかもしれませんし、私がやっていることはみなさんにおできにならないかもしれません。
でもいっしょになってやれば、何千何万の人びとを自立させることができ、もっとよい生活ができるように助けられると思います。」
そして「私たちが知らなければいけないもっとも大切なことはイエズスとその愛の教えなのです。
そのまことの愛というものは、分かち合うことを自分で会得したときはじめてもたらされます。」と。
私たちはたんなる数ではない。
貧しさは物質的なものだけでなく、精神的な貧しさ、つまり愛されないという貧しさがある。
人間というものは神が、神の形に似せてより大きなもの、つまり愛し愛されるために創られた。
すべての人が銘々に、なにか自分だけにしかない、美しいものを持っている。
キリスト教に詳しくない日本人に対しても、
「自分の心を見る、そうすれば美しい本性がみえます」「あなたがたは生命の存在を知っておられます」、
と「神」や「愛」を文化や宗教の枠を超えてすべての人に普遍的に見い出していることが分かります。 -
マザーテレサが来日した時の講演集をまとめたもの。マザーの生きざまをシンプルに伝えており、メッセージが力強く響いてくる。クリスチャンではない日本人を対象にしているが、神の愛や隣人への奉仕といったキリスト教の教えを普通に伝えている。中絶を根絶しようというメッセージは、多分ほとんどの日本人にはなかなか理解されにくいと思うが、それこそがマザーが日本人に伝えたかった最大のことのひとつだったのだろうと、不肖クリスチャンの自分は思った。
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またまた講談社現代新書化されたバージョンをよみました。
マザーテレサってよく聞くけど、カトリックだし、よく知らなかったので、異色ですが読んでみようと思ったの。
マザーテレサが来日したとき、いろんなところ(主に長崎。原爆資料館をみたり、安土桃山時代とかにキリシタンが殉教した地を訪れたり、修道会や長崎大学医学部だったり、後は東京で記者や国会議員にむけたり)で講演をした、内容がかかれています。
よく出てきたワード・フレーズ
イエスズ
貧しい人々(のために自らも貧しさを知るためのつつましい暮らし)
祈り
愛
道端でたおれている人をつれてくる(有名な、「死を待つ人々の家」とかに。カルカッタでは四万二千人を拾い上げたんだって!)
未婚の母(妊娠中絶はだめ!「お互い同士の愛ゆえに行う実際の自己抑制」)
みたいな話を4セットぐらい、ほうぼうでしているのが書いてあるので頭に入ります。
結局ねー、日本人には難しいのですよ理解が。
キリスト教の学校に行ってたし、キリスト教の考え方とか知識は少しはわかるんだけど、
「お互い愛し合うためには、祈ることが必要」みたいな、単純にはつなげない部分も多いのです。
「神に祈る」をなんと置き換えたらよいのか、っていうのが難しい。主の祈り、はまだ唱えることができそうだけど、暗唱文としてでしかなく、愛する手段には使えなそうなんだもん。
講演後の質疑でも何度も、「日本人には理解しにくい面もあると思うのですがどうお考えですか」みたいな質問が出てるけど、無宗教でも神の存在はわかるはずだ、とか、根本的には答えになっていないことが多い。
しかしこの人自体には非常に興味をそそられるし、非常に尊敬する。道端の貧しい人を助け上げ、そこに神性を見るというのだから。
確かにまるでキリストの生まれかわりのようである。
初心を忘れない。
修道女である彼女が母親への講演でのべたこと
P136「~私たちが母親であるということ、やさしい愛をもっていつくしむことができる、ということを感謝しましょう。それができるからこそ、神は母親に子どもを委ねられるのです。母親こそが愛し、世話をし、やさしくいつくしみをもって子どもを育てるにふさわしい人なのです。」
マザー・テレサの作品






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