「知」のソフトウェア (講談社現代新書)

著者 :
  • 講談社
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レビュー : 111
  • Amazon.co.jp ・本 (236ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784061457225

感想・レビュー・書評

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  • 『「知のソフトェア」』
    立花隆

    ……だから私がこれから書くことも、個人的体験から得た個人的見識、私的なメモたらざるをえない。(p8)

    読書論を含む、いわゆるhow to本は全てそうであるというのは当たり前過ぎて忘れがち。第一に留めておきたい

    最初に速読を求めてはならない。速読は結果である。むしろ精神集中訓練に役に立つのは、きわめつきに難解な文章の意味をいくら時間がかかってもよいから徹底的に考え抜きながら読むことである。(p15)

    膨大な資料を読んできた著者の言葉だから重い。速読と精読が両立している。同じ側の認識であるのだ。

    さて、インプットには二つの種類がある。アウトプットの目的が先行していて、その目的をみたすためのインプットであることがハッキリしている場合とである。〈アウトプット先行型〉と〈インプット先行型〉といってもよいだろうし、〈知的生産型〉と〈知的生活型〉といってもよいだろう。前者においては、インプットは手段である。後者においては、インプットそれ自体が目的である。(p16-17)

    長く引用したが、なるほど自分はどちらだろうか? 読書論を中心に読んでいることは確実だが、ノート術のようなものも興味がある。

    この二つのタイプのインプットをくらべると、目的先行型のほうが、無目的型よりはるかに倍率が高い。(p18)

    著者はその差は10倍といっている。アウトプットの大切さは他の書物でも言われている。アウトプットありきのインプットでいたい。

    ……自分の残り時間をインプットとアウトプットの間でどう分配すべきかということをまず考えなければならない。アウトプットへの分配を多くすると、インプットへの分配がどんどん少なくなり両者の比は低下する。すなわちアウトプットの質が低下する。(p22)

    アウトプットには時間が大変かかる。それを認識し、逆算し行動しなければならない。大切なこと!

    実をいえば、私も若いときには、梅棹忠夫の“知的生産の技術“の京大式カードとか、川喜田二郎の“KJ法“とか、それに類したもろもろの知的プロセスの技術論をそれなりに読んでは影響を受けたのである。なるほどと思い、そいうことを多少は試してみた。しかし、カード作成はほんの数日もつづかなかった。時間がかかりすぎるので、バカらしくなってすぐにやめてしまったのである。(p150)

    京大式は挫折。時間がかかりすぎるのを実感。KJ法は未試行。一種の慰めとして引用しておく。

    ……まるで何もなしで書くというのは、私の場合、普通ではない。普通は簡単なメモを事前に作る。メモには二つの目的がある、一つは手持ちの材料の心覚え。もう一つは、閃きの心覚えである。前者は事前に作り、後者は随時書きとめる。(p174)

    メモについて。やはり即座に記録できるメモは有効的だろう。この章はもう少し詳しく解読したい。

  • いわゆる「知的生産術」の本。文章を書いたり、情報を整理したりすることに最近興味が出てきたので読んでみた。

    最初の方は、チューブファイルを使った切抜きの整理など、やや時代がかった方法論が展開されている。しかし、Evernoteなどを使って情報を整理するにしても、情報を整理するための原理原則は通用するだろう。情報の整理は自己目的化しやすいので警戒すること。自分だけのために整理すること、など。

    他にも、東京に散在する各分野の専門書店の探し方。大型書店の巡回の仕方なども書かれている。しかし、この辺りは流石にAmazonが出てきた今、大きく方法論が新陳代謝しているだろう。

    文章の書き方も書いてあったが、いい文章というのは文章読本などを読んで上手くなった試しは聞いたことがない、いい文章を楽しんで読めるかどうかでしかない、ということらしい。自分は、文章読本も買ってしまったが、一応読み比べてみたい。

  • P.1984/3/20?

  • 今から30年以上も前のためそのままでは応用できない箇所も多いが、それでも色々なヒントを得ることができる。いまだに版を重ねていることにうなずけた。筆者の『田中角栄研究』がコピー機によって可能になったとの指摘は、技術革新がジャーナリズムに与えた影響の一例として興味深い。

    印象的なのは、入門書は1冊を3回読むよりも、3冊を1回読む方が3倍役に立つとの指摘である。世の中には1冊を3回(以上)読む方を勧める人も多いが、立花氏曰く、これだと狭い視野しかもてない、とのこと。どちらが良いかはにわかに判断がつかないが、たしかに立花氏の作品のスタイルは、3冊を1回読んでくるなかで作られてきた感じがする。

  • 知的アウトプットのためのインプットの考え方や具体的方法論、知的アウトプットをする際の材料の準備手法やアウトプットをサポートするツールの利用法等が紹介されている。30年以上前の著書のため、具体的方法はかなり古いものもあるが、考え方のエッセンスは現在のツールにも充分応用可能。インプットとアウトプットの間のアウトプットの準備段階(頭の中の発酵)、見えない材料(無意識に蓄積された膨大な既存の知識や体験の総体)の重要性が強調されている。

  • 知的情報のインプット&アウトプットの方法論を語った本。

  • 知的情報のインプット&アウトプットの方法論を語った本。
    新聞・雑誌・書籍・官庁情報の収集および整理の手法、インタビューの心得、アウトプットの注意点など、盛りだくさん。ただし、インプットとアウトプットの間については、各人の頭のなかで無意識に行なわれるため一般的な方法論は存在しないとして、説明は少なめである。潜在意識をうまく使うテクニックは存在すると思うが、著者はきっと先天的に能力を持っているのだろう。
    初版が1984年なので現在では当てはまらない内容も含まれているが、著者の主張は概ね同意できるものだった。

  • 当たり前のことを再認識させられた

    必要な情報が何か、何をアウトプットするために読むのか
    そしてその情報だけ抜き取ればいい

    全部読む必要はない

    必要な情報だけ読めばいい

    当たり前のことだけどすごく本を読みたくなった

  • ○大脳の使い方の一般論は成立しない。
    ○本を読もうとするときに、自分が死ぬまでに読める残り何冊の一冊たるに値する本であるかどうかを頭の中で吟味してから読むべきである。目の前に読もうと思っている本が何冊かあれば、読むべきプライオリティの高い順に読んでいくべきである。
    ○トライするなら、難解な書がよい。しかし、難解な書であればなんでもよいというものでもない。定評がある古典的名著で、難解な世評の高いものがよい。こういう訓練は若いうちにやっておくべきである。年をとってからは効果も薄いし、時間のムダになるからやめておいたほうがよい。
    ○自分が何を必要としているのかを明確にしておくことである。
    ○時間は可能な限り、インプットとアウトプットにさくべきである。保存しておいても、自分がもう一度インプットし直す見込みのない情報は保存しておく意味がない。未来のアウトプットに役立つことはないと思われる情報もまた保存しておく意味がない。
    ○よき入門書は、第一に読みやすくわかりやすいこと。第二に、その世界の全体像が適確に伝えられていること。第三に、基礎概念、基礎的方法論などがきちんと整理されて提示されていること、第四に、さらに中級、上級に進むためには、どう学んでいけばよいか、何を読めばいいかが示されていることなどである。入門書は一冊だけにせず何冊かかった方がよい。
    ○一冊の入門書を三回繰り返して読むよりも、三冊の入門書を一回ずつ読んだ方が三倍は役に立つ。
    ○どんな領域でも、プロとアマの間には軽々には越えられない山や谷がある。プロをバカにしてはいけない。
    ○情報は権力である。情報はそれ自体が力を持ち、また情報は力をもつものに流れる。逆に、権力は情報を集め、集めた情報は権力維持に活用される。
    ○官僚から情報を引き出すためには、二点を相手に納得させなければならない。第一に、その情報が存在しており、それが相手の手元にあることをこちらは知っているのだということ。第二に、その情報を秘密にしておくべき理由は何もなく、公開されて当然であるということ。
    ○自分の関心をひくものがあったら、出典を頼りに必ずオリジナルを入手すべきである。
    ○人にものを問うということを、あまり安易に考えてはいけない。人にものを問うときには、必ず、そのことにおいて自分も問われているのである。質問を投げ返されたときに、「問うことは問われること」という二重構造がはっきりと表に出てくる。
    ○質問するには、一に準備、二に想像力である。準備はいくらしてもしすぎるということはない。
    ○論理の欠落をきにするあまり、話を理詰めにしすぎることもよくない。日常言語の世界においては、論理的厳密さで論理を追うなどというバカげたことをする必要はない。
    ○論理学の初歩はかじっておいたほうがよい。特に詭弁論法とか、誤謬推理を学ぶがよい。数学を学ぶことは、必要条件と充分条件を常におさえながら推理推論を進めていく習慣を作るのに役立つ。
    ○わからないことはわからないといってその場で聞くのがよい。
    ○こいつは語るに足るやつだと相手に思わせることである。
    ○文章を書きながら、何度も何度もしつこいくらいに自分の頭の中で繰り返して読み直してみることだ。要は自分で読み直してみて、いい文章として読めるかどうかである。
    ○資料の中に時間の流れがあったら、必ずそれを視覚化してながめてみるという習慣をつける。年表を作る。一つは年表は均一な時間軸の上に作れ。二つは一つの年表に異質なものを詰め込むな。
    ○取材が進行するにつれて、チャートは何度も描きかえられてゆく。ものを書くというのは、たえざる仮説検証かていである。よい仮説をたてるためにも、それを事実で検証する上でもチャートは実に役立つ。
    ○上手に書かれた非良心的記事(これはかなり多い)であれば、まるでそれを書いた記者が第一次情報を持っているかのように見せかけて書かれているのが普通である。
    ○推理面での誤りは、「前提の置き方」「論理展開」「結論の導き方」の三つの段階のどこででも起きうるが、圧倒的に多いのは、「前提の置き方」においてであるということは覚えておく価値がある。

  • 村山涼一
    そのスタンスは、「人間の頭というのは、相当キャパシティがあるから、
    本当の〆切りが迫ってこないと、ついつい無駄な遊びをしてしまうもの
    である。だから自分で自分に意識的にプレッシャーをかけていくとよい
    (『立花隆のすべて』、文藝春秋)」というもの。

    それを実践するエピソードとして、「大学卒業後、週刊誌記者の経験の
    ある立花さんは、若い編集者よりずっと雑誌の校了と締め切りの関係に
    精通している。(中略)私も、秘書の必須心得として、締め切りのからく
    りについて延々講義を受けたことがある(『立花隆秘書日記』、ポプラ
    社)」とかつての秘書が述べている。

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著者プロフィール

1940年生まれ。東京大学文学部仏文科卒業後、文藝春秋入社。66年退社し、東京大学文学部哲学科に学士入学。その後ジャーナリストとして活躍。
74年、『文藝春秋』誌に「田中角栄研究 その金脈と人脈」を発表。79年『日本共産党の研究』で第1回講談社ノンフィクション賞受賞。83年、第31回菊池寛賞、98年第1回司馬遼太郎賞を受賞。
著書に『中核vs革マル』『宇宙からの帰還』『「知」のソフトウェア』『サル学の現在』『臨死体験』『ぼくはこんな本を読んできた』『天皇と東大』など多数。

「2020年 『自分史の書き方』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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