吾輩は猫である (下) (講談社青い鳥文庫)

  • 講談社 (1985年10月1日発売)
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  • 本 ・本 (364ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784061471832

感想・レビュー・書評

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  • 吾輩は猫である(下) (講談社青い鳥文庫 (69‐3))

  • かような社会風刺、文明風刺、さらには一方的な女性観を披露しようとするなら、いかに豪儀な著者であれ直々に語れば角が立とうというものだ。さりとて友人、教え子、ましてや女房の口を借りるわけにもいかず、猫たる吾輩に御鉢が回ってきたわけである。当初は吾輩の秀でた観察眼を通じて、いかにも奇妙な人間の生態を論じる任だけを負う算段であった。この国がそれまでの排他的精神を脱して急速な舶来かぶれに陥った当時の風潮にあって、古来従前たる生きようを保つならば主人のごとく偏屈な不徳漢たる人物像ができあがるのである。よってそれにまつわる人物も大同小異にて、とりあえず時流に乗って暮らす実業家の金田なる者は対極に据えられることとなる。双方人間なれば依然愚者に違いないが、あえて軍配を上げるなら吾輩は金田より主人に分があろうと考える。ところで、吾輩の語りが余りに人気を博し、長々と続きを語るに至ったのには正直参った。当然にして人間観察記だけでは持ちこたえられぬから、おのずと新たな噺種を要求されるも、所詮は飼い猫である。世間狭くして限界がある。そこでついに、吾輩は若干二歳にして古今東西の文化文芸に通じ、さらには哲学論を解する知恵を授けられた。主人とその胡乱な仲間内の不可解で無意味な談判を解説する使命を果たすためである。さらにそこでも結着させてもらえず、ついには人間の心の内を読むという通念を大いに超絶した能力まで与えられてしまう。そもそも猫が人間の言葉で語る時点で常道を失っておるのだから、この際どこまでもという著者の身勝手な解釈である。それに応え、吾輩は可能な限りの協和を果たした。しかるに、長く曳いた幕を降ろすに事を欠き、あろうことか吾輩はとんだ最期を迎えるに至ったのである。世は移ろい、しばらく天上界から呑気に人間を眺め続けてきた。どうしたものか、吾輩はこれまで随分と有名を維持しておるようだ。とはいえ、語りの始まりに限っては大方に知れている様であるが、結末を知る者が幾人おるのかとなれば甚だ疑問だ。そうであるから、多くは著者を大した愛猫家だなどと評価する始末である。それでもと思うならば、仕舞いまで読み通してみるがよい。ここで著者に憤っても詮無いのだが、見上げた評価もなくはない。将来において、個人の価値観が高ぶることによる社会的な弊害なり、女性の躍進による離婚の闇雲な増加なりを1世紀前に見事言い当てておるのである。

  • 熊本などを舞台とした作品です。

  • 下巻は難しかった。
    哲学的内容が多くなっていて正直しんどかった。

  • 8月読了

  • 小学生の時に頂いた本

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著者プロフィール

1867(慶応3)年、江戸牛込馬場下(現在の新宿区喜久井町)にて誕生。帝国大学英文科卒。松山中学、五高等で英語を教え、英国に留学。帰国後、一高、東大で教鞭をとる。1905(明治38)年、『吾輩は猫である』を発表。翌年、『坊っちゃん』『草枕』など次々と話題作を発表。1907年、新聞社に入社して創作に専念。『三四郎』『それから』『行人』『こころ』等、日本文学史に輝く数々の傑作を著した。最後の大作『明暗』執筆中に胃潰瘍が悪化し永眠。享年50。

「2021年 『夏目漱石大活字本シリーズ』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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