- 講談社 (1986年8月19日発売)
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Amazon.co.jp ・本 (204ページ) / ISBN・EAN: 9784061488243
作品紹介・あらすじ
他人の視線に怯える対人恐怖症。強迫観念や不安発作、不眠など、心身の不快や適応困難に悩む人は多い。こころに潜む不安や葛藤を“異物”として排除するのではなく、「あるがまま」に受け入れ、「目的本位」の行動をとることによって、すこやかな自己実現をめざす森田療法は、神経症からの解放のみならず、日常人のメンタル・ヘルスの実践法として有益なヒントを提供する。(講談社現代新書)
「あるがまま」を受け入れる――。
がんに冒された筆者が死の直前まで語り綴ることで生まれた
不朽のロングセラー。
90年前に日本で創始された心理療法の論理と実践法を
わかりやすく解説。
たとえば、苦手な上司と面接しなければならないとき、
自分の構想をよりよく披瀝しようと考える一方で、
あの上司は苦手だからなんとかその場を繕って
逃げていしまいたいという考えも浮かぶ。
誰にでもある「逃避欲求」を「あるがまま」にして、
「自己実現欲求」を止揚していこうとするところに、
西欧の精神療法とは異なった森田療法の特殊性がある。
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学校での人間関係、会社での問題の対処の仕方、
家族・社会とのかかわり、不安と劣等感、ノイローゼ、対人恐怖……。
本書は、現実的な生活のなかで起こってくる
さまざまな心理的事象に対処するために、
森田正馬が編みだした独自の理論と実践例をわかりやすく紹介し、
心の健康を保つためのヒントを提供、非常に役立つ内容となっている。
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【おもな内容】
はじめに――「森田療法」とは何か
1 森田療法の基礎理論
2 神経質(症)のメカニズム
3 神経質(症)の諸症状
4 神経質(症)の治し方
5 日常に生かす森田療法
おわりに――生と死を見つめて
みんなの感想まとめ
心の健康を保つための具体的なヒントが詰まった本書は、対人恐怖症や不安、自己肯定感の低さに悩む人々に向けた実践的な指導を提供します。「あるがまま」を受け入れ、自己実現に向けて行動することの重要性を説く森...
感想・レビュー・書評
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不安な気に陥りやすい自分にとって、非常に勉強になる本でした。
特に、
〝神経質(症)の人々は、ややもするとマイナスの欲望を否定し、プラスの欲望だけを求めようとする。しかも、その求め方は、現実を無視して宙に浮いた理想主義に走りやすい。人間は完全に安心のできる身体を持っていないし、誰にも彼にも理解されるという心地良い状況も存在しない。〟
という言葉が心に刺さりました。
不安になっても、そんな不安も受け入れなければならない。むしろ、不安を払拭しようとするのは非自然的であるんだと思わされました。
人間的であるとは(あるがまま)であることだというのを、忘れないようにしたいです。詳細をみるコメント0件をすべて表示 -
私は、臆病な人間で、不安で石橋をいつまでも叩き続けて渡れない。
けれど、人生は、選択しなければ前に進めないし、選択せずに逃避してしまったら、不安を避けることはできるが、目的は達成できずにタイムオーバーだ。
怖いけれど前に進む選択をすること。そうすることが大切なんだと教えてもらった。
これからも悩んだりしたときに読みたい。
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本書は末期ガンによる副作用で失明した筆者が、担当編集者への口述筆記で完成させたものですが、ガンの痛みや身体の不自由さを抱えながら、なぜそこまでして書き上げたかったのか。そこに、筆者自身が「森田療法」具現者としての生き証人足らんとした事実を知ることになります。筆者による「あとがき」で明らかにされる事実はまるで、重厚なミステリーの種明かしを聞かされる様な衝撃と感動が味わえます。
森田療法とは、神経療法の理論全体を指す言葉です。キーワードは「あるがままを生きる」。ここでの「あるがまま」とは、症例として現れる不安や苦痛をあるがままに受け入れながら、こうありたい自分像に向って(目的本位)行動し、自己実現を目指すことを目的とします。
対人恐怖症だった銀行員の話など具体的なケースが理解を助けます。
結局、神経症自体、当事者にとっては苦痛以外の何ものでもないが、実は苦悩や葛藤を通じて、「とらわれ」からの解放を経験することでより自由で豊かな人間形成を可能とする面にも注目するのが森田療法です。 -
自分の自己肯定感の低さや、あがり症について、なんとか乗り越える糸口はないものかとあれこれ探している中で、以前に「森田療法」という言葉を聞いたことを思い出しました。
森田療法での「あるがまま」という概念の真髄が解かれており、思いのほか勇気付けられました。
自分にはやはり、何もしないうちからあれこれと考え、恐れる傾向があるのですが、最終的には「怖いけど、やってみる」、やらないうちの恐怖は妄想、というシンプルなことに行き着くのだなあと思いました。
「逃避的な考えを認めたうえで、それを「あるがまま」にし、さまざまな葛藤をもったうえで、とにかく新しい行動に自分を賭けてみようと「目的本位の行動」をとるのである。この場合、結果は良い目が出るか悪い目が出るかわからない。しかし大切なのは自分がよいと思ったことに自分自身を投げ出し、行動をしてみることなのである。」
この言葉に尽きます。 -
ストレスマックスな日々。
こうあるべき!という思いが溢れかえり、だんだん年齢と共に許せないことが増えたような。もっとゆるみたい。なんでこんなに頑なになってきた?と感じたタイミングでこの本に出会いました。
すごいです。
後半では、筆者が残りの人生を賭けて書かれた気迫を感じる。
そんな貴方が命を賭けて書いてくださった本によって、時代を超えて、ここにひとりめちゃくちゃ救われた人ここにおります!と叫びたくなりました。泣きました。
とらわれ、はからい、大なり小なりどんな人にもある。
人生味わいつくしたい、愛に溢れた豊かな人生を生きたい。私もそんな「生への欲望」が強いです。
「生への欲望」が強くて、それでもいいんやな。その思いの扱い方をちょっと大事にしよう。そう思えただけで、スーッと肩の荷がおりました。
生への欲望が強いこと、現実の状況があるパターンで
うまくいかなくなったとき、もうまるっきり私はダメなんじゃないかと思い、まだ起こってもいないことを想像し、怖くて仕方がなくなる。その思いをなくしたくて、とにかく必死になり、とにかく誰でも何でも仕事を受けて容易な「ありがとう」を得ようとする。そして、ストレスが大きくなる。それ私の、パターンやなあ。笑えてきました。
私の人生、豊かに味わいたいんやな。そのために、
怖いけどまあ進もうか。
プールの水に、初めて顔つけたときの感じと似てる!
また悩んだら、必ず読み返そうと思います。
2024年、いまんとこNO1の出会い。
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有名な本なので読んでみた。さすが読み継がれるだけあって内容は難しいが、各章は短くシンプルにまとまっているので、このページ数なら読めるなとスルスルいけた。これは何度も読みたい。
今でいう不安症が主。強迫観念、対人恐怖症、不安障害、書痙、不眠神経症など。三章に症状と簡単なメカニズムと解決策。四章に具体的な治療法。
不安と欲求は誰にでもあり、どう対処しているかで不安症になるかどうかにわかれるとあったことから、この病気は誰にでも起こり得るので健康な人にも是非読んでほしいと思った。人間として確立して生きるためにも、周りの不安症への理解を深めるためにも。
「かくあるべし」が根底にあることで「かくある」とのズレが生じるほどに葛藤が生まれる。「かくあるべし」にとらわれてしまい現実から逃避している。そして不安は増大する。
生の欲望は生まれた時からみな持っているものだが、成長過程で各々変化する。赤ん坊の時は痛ければ泣く、楽しいなら笑う、というただの生き物としての生存のための行為を行う。この時期の病気も、感染症や外部からの損傷(切り傷等)といった動物と変わらないものであり、精神的な病気になることはない。精神的に病気になるのは、家庭での躾や暮らしと、外に出ることによる競争心の発達や規律などによる(学校が良い例である)。
性格は後で変わる。変わらないのであれば神経症が治ることはない。
不安は異物として取り除くのではなく本来存在すべきものであるので認める。例えば「話しかけられて嫌われたらどうしよう」という不安と「仲良くなりたい」という欲望は同時に生まれる。その時に不安をとるのではなく、不安を認め持ちつつも目的本意である欲望をとることが、あるがままである(と解釈した)。不安と欲望は両立する。誰しもが持っているものである。
自分に都合が悪いことを勝手な理由付けにして自分を正当化すると、自分をさらに苦しめ、他人にも迷惑をかける。これは合理化でありはからいである。
不安神経症の人は、生への欲望が強すぎるのである。事実をそのままの姿で認めること、自己否定的欲求をそのままにしながら自己実現的欲求を従い実行することがあるがままであり、人間が進歩し、豊かで自由に生きられる。 -
興味があったから買ったのに、途中興味を失ったりするフェーズがあってなかなか進まなかった。この本の内容が悪いのではなく、私が読書に集中できない期間があったっていうことです。
自分の大炎上した心を落ち着けるには、とても有効でした。適度な諦めと、心理的距離をとるのは、ずっと前から私が一番苦手にしていることなので、、、、 -
あるがまま。人としての自由な選択。
少し軽くなったような気がします。 -
普通に泣いた。
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難しそうに見えたけどとても読みやすかった。
何かにとらわれてしまった時の日常へのアプローチの仕方がわかりやすい。
何はともあれこの著者が素敵。 -
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良書。森田療法について書かれてある本を初めて読んだが、これは分かりやすい。というか、難しく文で書かれているとこもあるのだけれども、それがまた真理をついており、グッと心に響く。付箋を用意するか、メモ用紙を用意して読むことをお勧めする。
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自分がお客さんと話したり、人前で話すと顔汗が止まらないメカニズムがよくわかった。
人には「かくあるべし」と言う強迫観念と、「かくある」と言う等身大の自分自身のギャップが過大になると「自分はダメな奴だ」と思ってしまう。
ギャップが大きくなると、その緊張による精神交互作用のメカニズム(自分の場合発汗)が過剰になり、本来すべきこと(お客さんや聴講者に物事を伝えること)をそっちのけにして精神交互作用ばかり気にして負のスパイラルに陥り、その場から逃避する行動に出てしまう。
これを解消するためには、自分自身の2面性を知り、精神交互作用が自分特有のことではない「あるがまま」であると理解することが重要となる。
2面性とは、「プレゼンをうまくこなして伝えるべきことを伝えたい」と言うことと、「もし汗かいて変な目で見られたらどうしよう」と言うことである。そして、前者の方が重要であることを心から理解することが必要不可欠である。
また、汗をかくことが普通のこととして受け入れ、前者のことに没頭すれば、人間が一方に注意を向けるならば、必ずもう一方の注意は不鮮明になると言う「注意の法則」から、負のスパイラルを何時の間にか断ち切ることができる。
このことをある程度理解し、何度も「あるがまま」になれるように実践することが重要である。
実際にできるようになるかまだわからないが、ここまで細かい説明を読んだことはなかった。
今後実践してみて少しずつ改善できるように努力したい。
以上備忘録。 -
冒頭の文章が著者によって記されていないことに違和を覚え、ともかく文章に勧められるままに終章へと移る。そこで著者が死に際しながらも、自らの自由のためにこの著書を口述筆記でつづっていることを知り、なんともいえない気分になる。著者は意図してはいないのかもしれないが、著者は本著に命を賭けたわけである。命を賭けたと言っても、非情にわかりやすい文体で森田療法とは何か?あるいは著者自身は森田療法をいかにして捉えているか?といったことがつづられているためにそこに強烈な生への意志のようなものは感じられはしない。感じられはしないが、死に際しながらも敢えてこのような入門書のようなものをつづっているあたりがなんとも言えない気分になるのである。
森田療法とはフロイトがまだ生存している頃から日本に存在した療法であり、フロイト的な精神分析と対立しながら存在していたようだ。現在的にフロイトの名はきいてもそれほど森田療法を広くきかないことから治療者被治療者を除いては、それほどメジャーでないことはわかる。だが、その「ありのまま」という根本概念のようなものは日本人には馴染みやすいだろう。日本人で老荘思想を批判する人はあまりいないように思うのでその言葉自体に反発する人はいないだろう。だが、老荘思想がある種の悟りのような境地に至っているのに対して、森田療法における「ありのまま」はそれとは少し性格が異なる。すなわち、「俗的」なのである。俗的である自分がそれでいいじゃないか、というありのままなのである。森田療法では「生への欲望」は二種存在していると考える。一つは「自己実現的な欲望」であり、もう一つは「心気症的な欲望」である。前者は自分の理想像のようなもので、もう一つはあれこれ言い訳をしてそこから逃れるような心理作用である。我々はいつだって、そういう相反する欲望の間に晒されていて、そのどちらかを選択するのが自分でそれこそが「自由」だと著者は森田療法を解釈しているようである。自由であるためには、初めから選択肢を片方に決定しているのではなくて常にどちらかで迷いながらその場その場でどちらかを決定すればよいと言うのである。心気症的な欲望があるのは自然なことであるのでそれを否定しても自分を追い詰めるだけである。それならばそちらはそのままにしておいて、自己実現を目指そうとするのが著者的実践的森田療法なのである。とはいえ、これもある意味で所詮アプローチの域を出ないとも思われる。初めから二つの欲望があり、と限定してしまっており、このアプローチによれば自分が選択して結果として人を避けて生活しており、それで本人がいたく満足している場合はどうなるのか?と言われるとよくわからなくなる。無論、ここでいかにして自活しているのか?となりなにかしらで生活費を稼いでいるとしたならばそれが自己実現と言えてしまうのかもしれないのだけれど。また、被治療者の回復後の台詞には少々違和を覚えるようなものもある。無論以前より改善していることは間違いないのだが、それまでの自分を無駄だと言い切ったり、尽くすことが大切だと言っていたり、別の選択肢をしていた場合の自分を切り捨てたりするわけで、それは違うと思うのだけれど。それが無駄でないから今のあなたがいるはずだ、今まで迷惑をかけたからと言って尽くすことが第一義ではない、他人のためを考えながらも自分のために生きればそれが尽くしていることになりうる、別の選択をした自分だってなにかしらの切欠を経て盛りなおしているだろう、と考えるべきなのでは?と個人的には思うのであるがどうだろう?
疑問をあれこれとつづってしまったけれど、森田療法の位置づけや性格、特徴なども面白い。まず大まかに強迫観念症(対人恐怖症)と不安神経症の二つにわける。強迫観念症は対人恐怖症を例にとればわかりやすく、ある種の被害妄想である。不安神経症は悪循環的な不安発作(汗をかいたらどうしようと考え発汗作用が増していくなど)を伴うものが含まれている。一般的に対人恐怖症は厳格な家庭に育てられた人に多くて、不安神経症は過保護な家庭で育てられ場合に起こるようだ。どちらも、「とらわれ」「はからう」ことによって症状が悪化していく内向的な人物が陥りやすい症例とされ、これが森田療法の担当領域である。これに対してヒステリーは厳格な家庭で育った外向的な人に生じやすいようだ。また近年増加しているのは境界性生涯であり、これは自己内省的なある種の生真面目な人間が減少しつつあることを指し示しているようである。また、「ある」ということに対して、世界と自己との対立的なハイデガー的「世界―内―存在」としての現存在と異なり、森田療法は現象=世界をそのままにして受け容れる「ある」であるとされる。これは西欧的心理療法である現象対決型に対しての現象受容型とも言い換えられている。最後に一つ言及しておくならば、具体的な森田療法は行動療法としての性格を持ちうるが、不安を序列化し小さな不安から解決していく行動療法に対して、森田療法はとかくありのまま受け容れるという「ありのまま」が強調されている。 -
不安、劣等、葛藤をあるががままに受け入れ目的本位の行動をとる。これから先の人生をかけ挑戦しようと思う。やはり東洋思想は素晴らしい。
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私は人の目や思惑が気になるあまり、仕事や趣味の活動に出かけるのが億劫になり、逃げ出したりしたことがよくある。
著者が勧めている「『目的本位』の行動」は、このような私に大変役立っている。
実例も豊富にあり、非常に分かりやすく、しかも誠実な本である。 -
神経症で悩んでいる者にとっては手厳しい部分もあるが、良薬は口に苦しという言葉がピタリとくる書。少し我慢して読み、効いてくる内容だと思う。
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493.9-I-
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神経質・不安症的になるたびに、思い出す一冊。
とても良い。 -
ネガティブ思考、劣等感を言い訳にして自分に嘘をついてやりたいことから逃げて生きてきた自覚があるので本書の内容は非常に突き刺さりました。これからでも遅くはないので自分の弱さ、醜さをありのまま受け入れ、本当は自分が進みたかった道を選べる勇気を持てるように頑張っていきたいです。
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人間は良い面と悪い面どちらも持っているからこそ人間らしいといえるのだなと学びました。
今までは良い面ばかりを大切にし、悪い面を無いものとしていました。しかし、それは自然の摂理に反することであり、自分で自分を追い詰めている行為だと気付かされました。
著者の大変濃い実体験には衝撃を受けました。幼少時期、思春期、現に今も逃避を試みようとすることが多かったと書かれていましたが、死に直面した場面であっても、逃避よりも人間の尊厳を優先に行動していた著者はとても強い方だと感じました。
あるがままの自分を大切に認め、受け入れつつ、人間の尊厳として自己目的を達成できるような行動をしていきたいです。
著者プロフィール
岩井寛の作品
