- Amazon.co.jp ・本 (212ページ)
- / ISBN・EAN: 9784061488557
作品紹介・あらすじ
形式主義の文化にあっては、人間的な訴えは「叫び」となる。袋小路から脱出するには-ラカンは、大文字のを提案した。「みかけ」や「かたち」という想像的場所を対象化する重要な機能をもっている。欲望と欲動、鏡像段階など現代に甦ったフロイト思想を生きた現実を材料に考える力作。
感想・レビュー・書評
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著者は弘文堂3巻本『エクリ』の訳者のひとり。筋金入りのラカン派である。
あなたの前にいるわたしとは、あなたにとってのあなたである。
二人の関係を規定するのは心理よりも言語構造である。
ここから、ややこしいテーゼが導き出される。
人間の欲望は〈他者〉の欲望である。
無意識とは〈他者〉からの話である。
人間は自分の発したメッセージをさかさまの形で〈他者〉から受け取る。
ある有名な精神科医がラカンなんてのは一部の文学趣味者のもので、治療には何の役にもたたぬ、とおっしゃっていたが、いかがなものか。
日本という土壌で精神分析にどう取り組むかという本質的議論にさいして、森田療法との比較検討は面白いもので、次はそっちをかじってみよう。詳細をみるコメント0件をすべて表示 -
確かに、英語で This is a pen.
も日本語にすれば「これはペンだ。」「これはペンです。」「ペンだよ。」なんどいろいろ言い方あるよね。
これが「相手を慮る」という日本の特性なのか。
むず過ぎワロタ。(死語)
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漱石の『道草』などを題材にとりあげ、フロイトに始まる精神分析のなかで作られてきた、意識と無意識、欲望と衝動、想像界と象徴界といった対立概念を自由に変奏していくことで、その基本的な発想をわかりやすく示している本です。
また、森田正馬や森有正の議論を参照して、日本社会で自分と相手とのあいだに成り立つ「二項関係」についても考察をおこない、第三項を起点にして言語的ないし社会的秩序の形成を論じる精神分析の基本的な枠組みからの偏差を論じている議論も、興味深く読みました。 -
う〜ん・・・
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