- Amazon.co.jp ・本 (238ページ)
- / ISBN・EAN: 9784061490086
作品紹介・あらすじ
「天国」を夢みた毛沢東最後の挑戦、文革。彼の若き使徒、紅衛兵たちの反逆。破壊と挫折の日々を、人々はどう闘い、傷つき、死に、生きのびたのか?そして、下放先の大自然の中で得た、魂の新生…。『黄色い大地』を撮った中国映画の旗手が、みずからの体験を、鮮烈な感覚でつづる、動乱期を生きた少年たちの、死と成長の記録。
感想・レビュー・書評
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Ctenolepisma villosaさん登録ありがとうございます登録ありがとうございます2020/09/06
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幼少時代の記憶は、それなりに想像しながら読めたが、文化大革命に巻き込まれていく最中の記憶は、壮絶すぎて軽々しく感想なんてものは書けない。普通の人なら、思い出したくもない、語りたくもない記憶になってしまうのではなかろうか。
しかし、彼は映画という手法を用いて「さらば我が愛、覇王別姫」を撮った。なぜあのような映画が撮れたのかが、この本を読んでようやくわかったような気がした。壮絶な体験があったからこそなのだろう。
監督にはまだまだ映画を撮って欲しい。しかし、残念ながら今の世の中では政治批判的主題のものは望めそうにない。近年日本で公開された夢枕獏原作「空海」(中国では「妖猫伝」)はスケールの大きなエンターテイメント作であった。この本を読んで改めて思う。本当に彼の撮りたかったものだったのだろうかと。 -
新書を読みながら目を潤ませるなんて
そうそうある経験ではない。
1頁1頁としっかりと向き合うと、
ページをめくる前に何度も読み返してしまう。
けして不幸の羅列ではなくて
そこには心がずきずき痛むほどの苦しい経験に
向き合った著者の姿がある。
中国を知らない人にはこういう本を読んでほしい。
そして考えてほしい。
世の中で言われている中国・中国人の姿が
本当に正しい理解かどうか。
どこが正しくてどこが違うか。
自分はどういう風に捕らえるか。 -
著者の陳凱歌の映画『子供たちの王様』を見て、いまいち内容が分からなかったので、読んだ。中国で起きた文化大革命の著者自身の回想記である。おおまかな時代の流れが分からずとも、回想記として十分面白いが、文化大革命について、詳しく分かった方が、もっと楽しめたように思う。
映画『子供たちの王様』のラストでは、山が野焼きされている映像で終わる。中学3年生の国語教師と生徒との物語が、どうして野焼きで終わるのかがいまいち理解できなかった。
最終章「青山ー野焼き、そして、新生」が、映画の主人公と同じく、著者が国営農場の生産隊で働いた経験を語る章になっている。山の原生林を伐採し、ゴムの木を植えるのが仕事だった。その際に行ったのが野焼きだった。
本全体の中でも、野焼きとその後に残った不毛な山の描写は、細かな部分まで極めて詳細だった。一瞬にして、長い年月をかけて作られた森が、跡形もなくなってしまう野焼きの光景は、それだけ著者にとって映像的な衝撃があったのだと感じた。映画のラストは、土地に根ざした歴史が壊される、象徴的な映像だったのだと思う。
本の中では、著者自身だけでなく、中学時代の三人の友人たちが、どういった人生を送ったかも紹介される。親が共産党の幹部階級の子の多い名門中学校でありながら、文化大革命を通してその友人たちの歩んだ人生は、明るいものではなかった。
中国の歴史そのものを知るというより、歴史の激動期を生きた人たちが、肌で感じた空気感を感じたい人に読んでもらいたい。 -
文革の途方もない愚かさに驚かされる。
価値の転倒を徹底的に行う。ツァラトストラのいうまさにおしまいの人間たち。強いものは間違っているという発想。弱者と貧者のルサンチマンと破壊のカタルシスだけで暴走したのだと思う。
毛沢東は農村こそ美しいといって、青年を農村に送り込む。それは青年にとって暗黒だったのだが、実際にはそこで再生する。自然の営みの長い時間感覚、美しさに触れて再生していく。結果的には毛沢東に自然のよさを本当に教えられるという皮肉な形になっている。
文章はやはり甘い。今時ではない。現代の文章はドライなものが主流なので、ウエットなところが引っかかる。 -
未だに続く凄まじい文革、
敬愛する陳凱歌監督が紅衛兵だったというタイトルに魅かれて読み始めたが、恐怖が駆り立てる行動に震撼した。今COVID-19で右往左往しているの状況はまさに、この恐怖しかない。
文革とは恐怖を前提にした愚かな大衆運動だが、その恐怖に簡単に突き動かされるのが怖い。『ワイルドスワン』よりマイルドな描かれた方に思うが、後半の雲南省の描写が詩的、読んでいて美しい風景を映画で観ているような映像描写が素晴らしい。 -
生まれて 青年になる時は 紅衛兵の時代だった。
大躍進運動の失敗によって
毛沢東は 窮地に追い込まれていた。
しかし、中国の体制に対する信頼はまだあった。
毛沢東が 少年たちをたちつけて
権威を 叩き潰した。
紅衛兵にも 階級があった。
そして、毛沢東が 紅衛兵の役割が終ったら、
さっさと 農村に送り込んだ。
下放をさせた。
陳凱歌は、雲南省で 青春の意味を理解する。
文章は とても うまいが
翻訳者が その文章のよさを充分に表現しえていない。 -
では、何が彼らを駆り立てたのだろう。それは恐怖だ。
人が人である限り、集団から完全に抜け出すことはできない。文明の発展とは、社会における個体の配列と組み合わせを、より理想に近づけることにすぎにない。人の群れから排除される恐怖は、人類の根源的な恐怖だ。いまだにこのような恐怖が深刻だからこそ、中国ではそれがもっとも根源的な恐怖となってしまう。
一人ひとりの利益や権利が国家を通してのみ実現される制度とは、要するに、個人のすべてが国家の恩恵としか見なされないということだ。就職や住居、移動や教育、そして出産から結婚にいたるまでのすべてに、国家が決定権を持っている。そのような社会で恩恵を放棄することは、生存そのものを放棄するに等しい。つまり、何が何でもこの社会に残る以外に選択の余地はないのである。
選択肢が一つしかないとなれば、それはもはや選択ではない。砂鉄が磁石に吸いつく現象を、選択された結果と言わない。砂鉄は自分の価値を失い、磁石にくっつくことで、はじめて砂鉄になれるのだ。磁石から離れれば、ただの砂にすぎない。だから、磁石の上に残ることが、唯一の願いとなる。唯一の恐怖は、磁石から落ちることだ。そこで、磁石がどちらへ揺れようと、砂鉄はそれにくっついて踊ることになる。物質なら、それは砂鉄というが、人間ならば、それは愚かな群衆である。
文革とは、恐怖を前提にした愚かな大衆の運動だった。(108~109頁)
集団から自分の力で離脱する自殺という行為は、集団への反逆を意味し、恐怖の超克、ひいては大衆の超克と同じことになる。従って、人々が安住する意識を動揺させるような自殺行為は、極めてグロテスクなものとなるのだ。(141頁) -
毛沢東時代の中国は悲惨
その時に歪んだ教育を受けさせられた若者が今は中国のトップにいる
毛沢東より日本を批判する方が簡単だ -
いつか必ず読む
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