- Amazon.co.jp ・本 (238ページ)
- / ISBN・EAN: 9784061490765
作品紹介・あらすじ
19世紀半ば、パリに産声をあげた、世界初のデパート「ボン・マルシェ」。衝動買いを誘うウィンドウ・ディスプレイ。演奏会、バーゲンなど集客戦術。からへと、消費のキイワードを一変させた天才商人、ブシコーとその夫人の足跡を追う。
感想・レビュー・書評
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19世紀の半ば、フランス・パリに世界最初のデパート
「ボン・マルシェ」を開店した
アリスティッド・ブシコー
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%9C%E3%83%B3%E3%83%BB%E3%83%9E%E3%83%AB%E3%82%B7%E3%82%A7%E7%99%BE%E8%B2%A8%E5%BA%97
https://nakaeshogo.com/boucicaut/詳細をみるコメント0件をすべて表示 -
設計部M野さん推薦の本。
「デパートとは顧客を教育するためのもの」、という発想がすごい。 -
欲望は教育される。
きっかけは素朴な疑問だった。
「デパートはいつ誕生したのか?」
その解答がこの本だ。
1852年、アリスティッド・ブシコーはフランスで「ボン・マルシェ」という
世界初のデパートを誕生させた。
日本は黒船来航の前年だ。
パリにウインドーショッピングが広がってきた時代。
ブシコーは「ボン・マルシェ」の共同経営者となる。
そこに誕生したのは「欲望喚起装置」としてのデパートの発明だった。
薄利多売、バーゲンセールの発明、大売り出しの発明。
中でも白の博覧会と呼ぶべきテーマセールは
俗にいうニッパチの閑散期を埋める独創的なアイデアだった。
デパート中が白のアイテムで埋め尽くされたという。
今のデパートが行っている祭事やビジネスモデルのほとんどが
そこに生まれていることに驚く。
ブシコーは壮大な新館を建設し
スペクタクルとしてのデパートを完成する。
何かを買わなくても訪れたくなる
豪華絢爛たる場所にデパートはなっていった。
さらにブシコーは「教育装置」としてのデパートを発明する。
ライフスタイルを提案する中で商品を売っていく。
フランスで一般的な「ヴァカンス」も
上流階級のそのライフスタイルを
中産階級にまで広げたのが
「ボン・マルシェ」だったのだ。
さらにキリスト教の手帳である「アジャンダ」を模して
ボン・マルシェ「アジャンダ」を生み出し
そこに年間の催事を掲載していく。
人々の欲望は教育によって、喚起されていく。
さらに「従業員の教育装置」としてのデパートを発明する。
従業員の地位を高め、ふるまいを優雅にし
ホワイトカラー化、ブルジョア化していく。
これはデパートのポジションを高め
情報発信装置としてのデパートの価値を高めていく。
さらに従業員自らが新たなライフスタイルの伝道者となっていく。
現在、デパートのPR販促広告活動で行われているほとんどが
この段階で発明されていることに驚く。
そして、ブシコーは「ボン・マルシェ」というデパートを通じて
モノにあふれたデパートのような日常への欲望を社会全般に蔓延させていく。
モノにあふれ、モノを求め、モノを幸せの価値基準とする物語は
「ボン・マルシェ」から世界中に広がっていった。
そして、2011年。
日本のデパートはかつての輝きを失っている。
新たなデパートの発明が求められている。
その形は郊外化・大型化が進む
ショッピングモールが担い始めているのかもしれない。
そのキーワードはデパートが担ってきた優美で美しい大きな物語から
週末のショッピングにまつわる小さな物語への転換なのだと思う。
その象徴が、有楽町西武からルミネへの変遷かもしれない。
しかし。かつてのデパートがつくりだしてきた
伝統的なスノッブでブルジョアでリッチな物語の
行く末もより高度な形であるのではと思う。 -
私が生まれる前の話だが両親はデパート勤めだったようで、今度、息子が就職するのだけど、父が亡くなった年にデパートに入るのが決まったってのは、なんだか出来過ぎな話だな。
そういう訳で、この本のさわりみたいな記事が夕刊に載っていたので買ってみた。
19世紀半ばにデパートのスキームと商売上の戦略を作り出したのが、本書で紹介される天才商人ブシコーとその夫人。大のデパート好きと思しき仏文学者の筆者が本人の楽しみのために書いたって感じの筆の滑りようで、19世紀半ばにパリに産声をあげた世界初のデパート〈ボン・マルシェ〉における集客戦術や今となっては当たり前の取組みに初めて日の目を見せたブシコー夫妻の着想と実行力について、ゾラの「ボヌール・デ・ダム百貨店」の創作ノートなどから積み上げる。
筆者が言うように、かつて子どもにとっては“デパートへ行く”というのは遊園地に行くとかと殆ど同義語で、屋上の遊園地や大食堂のお子様ランチの記憶は消えることが無い。買い物の記憶はあまり残ってないのだけれど、デパートの包装紙で包まれた商品を持って歩くささやかな幸福感や優越感は確かにあったような。屋号に籠められたブランドへの誇りが作り出す消費と非日常の世界、私らの子どもの頃はそれがデパートだったよね。
そんなデパートの存在感が薄くなったこの頃。昨日の朝刊にも名古屋の松坂屋が閉店するという記事が載っていたが、そうしたデパート不況の時代に、そこへ就職する意気や良し、店長目指して人生を切り開けと思う、親である。 -
デパートが好きだ。<br>
きれいで、いろんなものがたくさんある。嬉しくなる。でも、デパートっていつからあるんだろうか。そもそもデパートと他のお店のちがいってなんだろうか。<br>
その謎を解き明かすには、十九世紀半ばのパリまでさかのぼらなくてはいけない。そこには「プシコー夫妻」という天才抜きには語れない物語があったのだ。<br>
プシコー夫妻は自分の店にさまざまな販売戦略を展開していく。「バーゲン」「ディスプレイ」「高級商品」…。今日では常識となったそれらは、全てプシコー夫妻が考えついたもの。しかもそれは単に「ものを売るための作戦」だったんじゃない。二人が生み出したデパートとは、客の買い物心理を根底からくつがえす、近代の怪物だったということが明らかになってくる。<br>
幅広い読者層に応えることのできる好著と言えるだろう。(けー) -
世界史の中でデパートの登場はふれられることがあるが、デパートを通して当時の中流以上の人々の生活史を知ることができて興味深かった。
印象に残ったのは、従業員へは福利厚生を充実させるだけでなく、教養講座が開かれていたことや、お客さんへの販売以外のコーナーの充実である。万引き裁判の記録が残っているのも地味におもしろかった。