ヨーロッパ「近代」の終焉 (講談社現代新書)

著者 :
  • 講談社
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  • Amazon.co.jp ・本 (254ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784061490888

作品紹介・あらすじ

「近代」の旗標の下、世界史をリードしてきたヨーロッパに起きている大変動。東欧市民革命、ソ連の消滅、EC統合…。合理主義、ヒューマニズム、科学への信頼など、「近代」を支えた価値のゆらぎと行き詰まりの中で、ヨーロッパはどこに向かうのか?歴史の読み直しを通して新たな座標軸をさぐる。

感想・レビュー・書評

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  • 「近代」とはなにか?という定義づけから始まり、その終焉という「限界」について歴史の事実から紐解く内容。

    ヨーロッパを西欧と定義づけて進める記載もある点から、ありがちなステレオタイプな内容ではなく、しっかりした内容で安心して読み進めることができた。

    1992年という東欧の社会主義国の敗北が明らかになって行き、かつ西欧の限界も見えてきた中で書かれた本で、「当時なにが見えてきていたのか」といった感じか。

    イギリスと大陸諸国との関係、移民問題から旧植民地との関係や白人優位主義まで、かなり盛り沢山な問題を取り上げているので、俯瞰するにはよい一冊だった。

  • 現代を理解するためにその支配的な思想の成り立ちを理解することは役立つ。少なくともこの本が書かれた頃まではヨーロッパ近代の文明・思想が自由の価値を介して世界を支配していたことは疑いが無いと思われる。
    本書はそのヨーロッパ、そして近代というものの特徴を歴史、社会、人間、世界像から明らかにしようと試みる。同時に、現代を見通すに及び近代の終焉によって従来の準拠枠が役立たなくなっていることを示唆している。
    第一章は中世と呼ばれる時期を後から規定し切り分けようとする進歩史観・文明史観の成り立ちを説明している。
    グローバリゼーションやボーダレス化を突き進んだ先に新たな混沌が生じている現代の行く末を本書によってのみ把握することはできないが、これらの一貫した問題意識をベースとして類書に進み近代論を読み深めていけば、現代の輪郭を多面的に理解することができるのではないか。

  • 合理主義は一見すると良いように聞こえるかもしれないが、その内容は理性を絶対視し、それ以外の「無駄」なものを排除するといったものである。 近代ヨーロッパは合理主義を異常な程に重用したため、理性が狂気に変わっていってしまったのだ。

  • ヨーロッパに起こった「近代」という時代の性格を、歴史像、社会像、人間像、世界像という四つの側面に分けて、包括的に論じている本です。

    「近代」という時代は、なによりも暗黒の「中世」からの解放の時代と考えられてきました。そこには、近代は中世より優れた時代であり、人類がより進歩したという価値観が含まれています。そうした価値観のなかには、「近代」という時代に特有の、歴史や社会、さらに人間と世界についての見方が含まれています。たとえば、近代的市民や近代的合理性といったものがそれにあたります。本書では、そうした近代特有の価値観の形成過程を紹介し、さらにそれらがもつかたよりについて考察をおこなっています。

    ところで、"Children should be seen, but not heard."という英語のことわざについて、本書では「子供は見るものであって、その言葉に耳をかすものではない」(135頁)と書かれていますが、これは「子どもは人前で話してはならず、おとなしくしているべきだ」というのが正しい意味だったように思うのですが、どうなのでしょうか。

  • この本が書かれた1992年、ヨーロッパ近代の「終焉」を謳うことはそれなりにリアリティがあったのだろう、と思う。ソ連も崩壊し、ドイツも統一された。ポストモダン思想がいっそう流行した。

    しかしそれから25年ほど経った2017年の現在、ヨーロッパ「近代」は終焉していたのだろうか。ポストモダンも結局訪れないまま、「近代」は続いているように思われる。

    だとすれば本書は1992年らしい本、といえるのかもしれない。ただ、この本は安直にポストモダンに希望を見出しているわけではない。単に「近代は終焉した」と言っているだけである。じゃあ次はどうなるんだ、というと「ファジー理論」に期待を寄せているようだが、そこまで確信的というわけでもなさそうである。そのへんのやや慎重な姿勢に現時点で読むと好感を持つが、同時代的には歯切れの悪さと受け止められたかもしれない。

  • 新書文庫

  • やや物足りない。ヨーロッパ近代史の成り立ちと諸外国に与えたその影響を、背景の説明を中心になぞった様な本。

    最も印象に残ったくだりを記載する。
    「…本来自由であるはずの自己を拘束している正常者のほうが、むしろ異常なのではないかということになってくる。かえって、自己の自由に忠実で、約束事から解放されている異常者とされている人間のほうが、人間の本来の姿を現しているのでないかとも考えられる。正常と異常という区分けが役に立たなくなるのだ。
    〜中略〜
    異常者と考えられていた人々の無拘束な精神状態の中にかえって自然な精神の状態を見るという逆説」
    納得!

  • 高校の課題。それなりに面白かったが当時の自分には難しかった

  • 20150426

  • 学問、研究というのは純粋に理論的なものであるから研究者の自由な個性によって無拘束になされるものだと思われがちだが、実はそうではない。とりわけ学問体系が分割、整備され研究機関などの公認組織が制度として確立する近代になってからは、学問、研究が社会的な高速を受けることが多くなった。

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著者プロフィール

1950年生。英国文化研究家。翻訳家。静岡県立大学国際関係学部、日本大学芸術学部、国際ファッション専門職大学で教鞭を執る。日英協会、ウマ科学会、日本スポーツ社会学会、日本文藝家協会各会員。日本中央競馬会委員会委員、(公財)ジャパンスタッドブックインターナショナル評議員。著書:『記号としてのイギリス』(共著、南雲堂)、『ヨーロッパ「近代」の終焉』(講談社)、『ダービー卿のイギリス』(PHP研究所、JRA馬事文化賞受賞)、『競馬の文化誌』(松柏社)、『近代文化の終焉』、『イギリス文化と近代競馬』(以上、彩流社)、『誘惑するイギリス』(共著、大修館書店)、『イギリス文化事典』(共著、丸善出版)など。訳書:『同性愛の社会史』(共訳、彩流社)、『倫敦路地裏犯科帳』(東洋書林)、『英国競馬事典』(競馬国際交流協会)、『エルトゥールル号の海難』(共訳)『チビ犬ポンペイの冒険』(共訳、以上、彩流社)、『イギリスの競馬サークル』(小鳥遊書房)など。

「2024年 『近代イギリスの文化と文明を歩く』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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