日本仏教の思想 (講談社現代新書)

著者 :
  • 講談社
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  • Amazon.co.jp ・本 (230ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784061492547

作品紹介・あらすじ

この世界は「空」か、「真実の姿」か。日本仏教は何を求め、伝来仏教の何を捨てたか。最澄、空海、法然、道元、日蓮ら知のスーパースターたちの思索を辿り、日本仏教の核心に迫る。

感想・レビュー・書評

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  • インドや中国では如来蔵思想は異端である(そもそも空の思想に反しているので仏教とさえ疑わしいと論議される)が日本では比較的自然に受け入れられ、重要な概念であるとされていることに興味を持った。そしてその発端は日本独特の霊性思想(万物にそれぞれ霊が備わっているというアニズム)と聖徳太子であったという。


    最初に仏教における重要な概念がいくつか説明され、それらの概念が各時代、各宗派でどのような解釈をされていたのかを知ることが出来る。

    大まかな日本仏教の概念把握と歴史を知るのに適した本だと思う。

  • 仏教史を教科書的にまとめられて読み応えがあった。

    平安以前はインド哲学、高度な数学から、世界を理解しようとした実践的な教え。
    鎌倉以降は阿弥陀信仰が反映され、実践的な要素が薄まり、江戸以降は国家運営の為のシステムに取り入れられ、葬式仏教と呼ばれる現代に至る。

  • 「諸法実相」という思想を中心にして、聖徳太子から現代に至るまでの日本仏教の流れをたどっている本です。

    「諸法実相」は、哲学的には「現象即実在」という考えに当たるものですが、著者は山川草木に至る森羅万象に霊を見る、日本古来のアニミスティックな信仰と合致するものだといい、如来蔵思想や本覚思想にその日本的な受容の特徴が見られることを指摘しています。そして、平安仏教においてはそうした仏教の日本的理解が深められていったのに対して、それ以降の日本仏教が、とくに空と実相の間に横たわる緊張が失われていったと論じられます。

    一方で著者は、能や茶道、俳諧に、仏教の日本的理解が果たした役割についても触れているのですが、全体的にはやや日本仏教に対する批判的なトーンが強いように感じました。

  • 日本の仏教史を教科書的に追う体裁となっているが、仏教における様々な思想をインド思想から説き起こしてくれるので、わかりやすかった。如来蔵思想、本覚思想あたりの認識が深まった気がする。

  • 日本仏教史を概観するのに適した本。
    紙幅の関係もあり、深いところまで説明しているわけではないが
    著者がもともとインド哲学を専攻し、仏教はある意味門外漢だった
    ことがいい方向に影響して、とてもわかりやすい本になっていると
    思う。

    とりあえず基本は抑えたので次に進もうと思う。
    しばらく仏教書強化月間が続きそうだ。

  • あたしはキリスト教の後ろについてる排気口あたりにつかまって、ちょっとのぞいてたひと。
    尤も、今弾ける唯一の曲は讃美歌一曲…笑
    けど、ちいさいころよく行かされたのは京都の寺
    日本史選択

    この本を読んだら、仏教のイメージがちょいと変わった。
    要するに、仏教は宗教というより哲学。
    そしてその性格は、日本に渡ってきてより強まった。
    かたちあるものを嫌い、内奥に迫り、ある意味とっても自由。チベットやらインドの仏教とかって全く違うからね!!
    ガイコクジンは、ニホンジンが無宗教なのを嫌がるようだけど、むしろ、DNAに組み込まれてるように、ほんといろーんななとこに根付いているんだと思った。キリスト教とは全く別のかてごりーに入る。

  • まず初めに仏教思想(あるいはインド哲学)においては西洋哲学と張り合えるだけの哲学観が実は存在しているということかもしれない。無論、その深みにおいて負けてしまっているかもしれないが、しかし、確かに世界観が屹然としているといことがまず大事かもしれない。そしてそれは日本における仏教にも言えることで時代を上る旅に、大衆化世俗化されていく中で本来の仏教的哲学観が失われていってしまったということが現代の仏教=深く考えずにただあるがままを受け容れて経を唱える、あるいは修行するといった流れを作り出してしまっているらしい。著者によれば日本における仏教思想のピークは平安時代となっている。平安時代の後期にはすでに衰退し、その衰退を乗り換え更に「如来像思想=つまり誰もが仏となりうる」という思想が本物であるならば、今のように高名な僧のみが仏となりうるという仕組みは違うであろうと法然を初めとする鎌倉仏教を発展させた人物たちがあれこれ宗派を作り出すが、結果としてそれは日本仏教の中身を空疎化させていってしまうこととなる。それは室町、江戸と続いていき、明治に復活の兆しを示すものの、廃仏毀釈なども起こり、第二次大戦の頃にはまるで無力なモノと成り果ててしまっていたというのが著者の述べる日本仏教史の概略である。ちなみに仏教における著者がかかげる哲学観は、「空」と「実相」である。つまり、「空=何もない=無」か、「実相=あるがままに実在している」といった具合か?更にこの中間に実存がある。つまり、実相の裏側にそれでも存在している基体=有法といったものである。この有法というのはパソコンで言うOSでありハードであろう。で、その上に実在している諸現象=諸法はソフトというわけである。だから、この世界に花というハードがあるとすれば、そこに花という属性(花であるということ、色、香り……)がつくことで花は花として知覚されているといった具合だろうか?で、空や実相であるというのは諸法のことでありつまり諸現象がということであるからして、その裏側にあるハードについて述べるというのは、冠とがいう物自体やヘーゲルの絶対知覚、西田の純粋視覚などとかかわってくることになるだろう。つまり、物自体を絶対知覚や純粋知覚によって視る、といった具合である。ともかくしてこの相反するはずの、「空」と「実相」をいかにして理解するか?というのが一つの課題となっていたようだ。「空」は唯名論に対応するし(つまりプラトンのいうイデア的なもの=有法的)、「実相」は唯物論的であると言えよう。実際にこの二つの哲学観を弁証法的に止揚することが本質的な課題のはずだがそれはかなりの困難を極め、日本ではそれが融和されるにとどまってしまった。だがそれは日本人的な気質と合致するので、ある意味日本の土着的発展とも言えるが、そのことが西洋哲学的な絶え間ない哲学観の追求を封じてしまったとも言える。それは天皇崇拝にも当たるだろうし、内容もなのにただ崇拝しているだけという、崇拝者にとってはかなり強固なものでありながら、実は内容がないものとなりかねないのである。これは各宗教の原理主義にも該当するけれど。ただ、日本で重視されたのはやはり実相である。日本人はありのままに物事を受け容れるし、日本古来の感覚で言えば、梅の花が咲いていてこの梅の花が実在するかどうか?などとは考えないし、自分の認識も疑いはしない。ただ、香りや、咲き誇りをありのままに愛でるのが日本人的感性であろう。そしてここにアニミズム的世界観も加わる。だが、その世界観は世界を根底からつくるというよりは受け容れるという意味での世界観である。本著を読み、仏教を通しての西洋哲学理解、あるいは西洋哲学を通しての仏教理解の有用性に気づきを得たものの、現代の日本仏教の骨組みの薄さもやはり物悲しいものがある。世界認識から無縁すぎる日本人を作り出している責の一端は仏教にありそうだからである。

  • [ 内容 ]
    この世界は「空」か、「真実の姿」か。
    日本仏教は何を求め、伝来仏教の何を捨てたか。
    最澄、空海、法然、道元、日蓮ら知のスーパースターたちの思索を辿り、日本仏教の核心に迫る。

    [ 目次 ]
    プロローグ アニミズムの風土の中へ
    第1章 人も自然も仏性をもつ―日本仏教のキーワード
    第2章 日本仏教の誕生
    第3章 日本仏教史の巨人、最澄と空海
    第4章 民衆の中へ―鎌倉仏教という展開
    第5章 世俗化する室町仏教
    第6章 国民皆仏教徒―江戸幕府の統制
    第7章 再び世界の構造を求めて
    エピローグ 仏教に何を期待するか

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    [ 参考となる書評 ]

  • 仏教の歴史がわかりやすく書いてあります。
    まだ空海のとこしか読んでないですが。

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著者プロフィール

国立民族学博物館名誉教授。
愛知県名古屋市生まれ。東海高等学校を経て、1964年名古屋大学文学部インド哲学専攻卒。1967年同大学院博士課程中退、1970年ハーバード大学大学院インド学科博士課程単位取得退学。
1975年The structure of the world in Udayana's realismにより同大学Ph.D、1985年「中論の思想」で名古屋大学文学博士。
名古屋大学、総合研究大学院大学、国立民族学博物館、愛知学院大学教授を歴任。
比較宗教学、インド宗教思想史、仏教学、主として仏教、ヒンドゥー教をその原典に立ち返って解釈する仕事を行っている。
『はじめてのインド哲学』(講談社)、『弥勒の来た道』(NHK出版)『仏教原論 ブッディスト・セオロジー完全版』(KADOKAWA)、『ブッダをたずねて 仏教二五〇〇年の歴史』(集英社)他著書多数。

「2021年 『仏教史 第2巻 仏教の展開』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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