じぶん・この不思議な存在 (講談社現代新書)

著者 :
  • 講談社
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本棚登録 : 1600
レビュー : 141
  • Amazon.co.jp ・本 (180ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784061493155

作品紹介・あらすじ

わたしってだれ?じぶんってなに?じぶん固有のものをじぶんの内に求めることを疑い、他者との関係のなかにじぶんの姿を探る。

感想・レビュー・書評

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  • じぶんの独創性はどこから来るのか。
    じぶんを見ることは出来ない。
    じぶんの考えも人から与えられたもの。
    他人から見た自分、人格。

    哲学、
    記憶、存在学。

  • 「私とは何か?」という哲学の問題を、やさしい言葉で論じた本です。

    著者は、固有の「私」というものを自己のうちに求めても、何も得られないと主張します。われわれはこの世界に生まれたときから、さまざまな他者とのかかわりのなかに存在しています。そうした他者とのかかわりを通して、ありえたかもしれない自分のあらゆる可能性を捨てていくことで、固有の「じぶん」は成立するというのが、著者の考えです。

    著者は、R・D・レインの『自己と他者』から、ひとりの患者のエピソードを紹介します。彼は、看護婦に一杯のお茶を入れてもらって、「だれかがわたしに一杯のお茶を下さったなんて、これが生まれてはじめてです」と語りました。ただ「誰かのために何かをする」ということ、そしてそれ以上でも以下でもないということは、ふつう考えられているよりもずっと難しいことだと著者は述べます。誰かに何かを「してあげる」という意識が働くとき、相手は単なる行為の客体とされてしまい、他者は自己の内に取り込まれてしまうことになります。こうした関係に陥ることなく、他者を他者として遇し、自己もまた他者にとっての他者として遇されるような関係のなかで、はじめて自己と他者の双方が固有の存在になることができると著者はいいます。こうして著者は、自己の固有性とは「他者の他者」となることだと主張します。

    ところで、自己の固有性は、ともすれば社会のなかで固定化されてしまうこともあります。しかし著者は、そうした状況から外へと出る可能性をさぐろうとします。ここで著者は、われわれの社会から、固有名や戸籍、国籍といった制度をいっさい廃止して、「私」「今」「ここ」のような状況次第で意味内容を変化させることばだけを使って会話する社会を想像するR・バルトの議論を参照しています。そこでは、われわれは固定化された「私」という檻から解放されて自由になるのだろうかと著者は問い、しかしそこでの自己とはいったい何者なのかという問題に直面します。こうして問題がふり出しへともどったところで本書の議論は打ち切られ、読者をさらなる考察へと誘います。


  • ・“遠い遠いとこ、わたしが生まれたよりももっと遠いところ、そこではまだ可能がまだ可能のままであったところ” (哲学者,九鬼周造)

    つねに一定のだれかであるために、ありえた自分をつぎつぎと捨てていくこと、特定の文化や社会的なイメージに自分を合わせていく作業が必要となる。それが、じぶんになるということである。

    でも結局は、我々は自分を自分ではわからないし、顔は直接みることもできず、何をしたいかもわからず、自分は他人の中にしか存在しない。

    それを証明できないと、不安になるけども、実はそれは自由の喪失ではないかもしれない。だれかであることをやめることによって、誰にでもなれる自由がそこにあるということ。”自分がぼやけることの心地良さ” 。

    誰かと親密になる中で、その人の中の自分がぼやけることを畏れたり、どう思われるかを終始気にしているのはとても疲れてしまう。
    誰かが定義する私が、自分になってしまうからだ。でも、その”わたし”はわたしが自分に語って聞かせるストーリーで、同じ人生でも、語り方によって、解釈のあたえかたで物語は変わる。ほんとはなんにでもないから、なんにでもなれる、そう思うと少し心が軽くなりました。

  • 「アイデンティティの衣替え」という言葉が一番しっくりと腑に落ちた。「他者の他者」であるために、様々な他者に合わせて付け替えている面...。そのことによって自身の生を、存在を感じる感覚...。没個性的な自身を詰るのはもうやめよう。

  • 本書のテーマはシンプル。それは「わたしってだれ?」「じぶんってなに?」である。

    九〇年代に流行ったのが「自分探し」。探せばどこかに自分の個性が存在するという前提で、ひとつのブームになった。しかしそんなものが本当にあるのか。

    教育動向の影響もあって、私達は「じぶんらしく」あることばかりめざしてきたのがここ20年。

    しかし、「じぶんらしく」あらねばならないという強迫観念から自由になる方法について考えてみることも大切だと著者は指摘する。

    自分の中を探せばどこかに「じぶん」らしさがあるというのは、単なる幻想にすぎない。なぜなら、固有な個性を表すのが形容詞だから。それは真にオリジナルな個性を表現できないことを意味している。そして「じぶん」という名詞だって一般名詞にすぎない。。

    自分の中を探しても「じぶん」は見当たらないし、単なるフィクションだ。

    だとすれば、どこにその契機を見出せばよいのか。
    著者は、「他者の他者であること」に注目する。

    「他者にとって意味のある他者たりえているかが、わたしたちがじぶんというものを感じられるかどうかを決めるというわけだ。母親に「この子とはそりが合いません」と言わせたら勝ちである。母親はいよいよ子どもを別の存在として認めたのだから。逆に、風邪で数日学校を休んだ後、学校に戻っても何の話題にもされなかった子どもは不幸である。他者のなかにじぶんがなにか意味のある場所を占めていないことを思い知らされたのだから。ときには恨まれ、気色わるがられたっていい。他人にとってひとりの確実な他者たりうるのであれば」。(146項)


    著者の文体は、専門書においてもエッセイのような柔軟さがあるが本書も非常に読みやすい「考える」本。できれば、中学生、高校生のうちに読んでおきたい一書。

    「自分探し」の落とし穴か抜け出すヒントが沢山ありますよ。

  • 自分とは何者か?を語ること、定義することって今までも本当に難しいと思ってましたが、その難しい問題をとことん色んな角度から考察して突き詰めようとする試み。
    とてもいい思考の練習になりました。

    私って何?自分らしさって?とアイデンティティに悩んでいる人は読んでみるといいですよ。著者がとことんその悩みについて付き合ってくれます。

    そしてきっと、ちょっと気持ちが楽になって、家族や友人や会社や社会の人間関係の中にまた笑顔で戻って行けるのではないかなと思います。

    最後に、個人的に「お〜!」と思った箇所を一つだけ引用。

    “ちなみにドイツ語では、「ある」ということを「それがあたえる」( es gibt)と表現する。”

  • むちゃくちゃ面白かった。でも難しいテーマだから半分くらいは消化できてなくて、もう一度読んで、自分の中に落とし込んでいきたい。
    いまのこのコロナの状況だったり、SNSの誹謗中傷の件だったりに通じる内容だと思った。1人では生きていけない、という考えに懐疑的だったけれど、初めて少し納得できたかもしれない。

  • 自分とは何かという、自分探しの本。
    普段考えることがないので新鮮で面白い本だった。
    また、高校生以上向けに書かれた本であるため、比較的読みやすかった。

    <メモ>
    自分とはなにか。
    本来自分は見えない。
    #物理。鏡は虚像

    誰かとは社会によって形成される
    #環境要因により

    規則正しいで自分を作ると規則が乱れたときに自分を失う
    例)老後のおじいさん。規則:仕事
    →不規則、無規則を楽しむ
    #人生9回裏説
    https://www.com-support-co.jp/blog/7358

    私たちは私たちでない人を知ることを通してでしか、自分自身をしりえない
    が、問いを自分の内部へ向ける

    じぶんの存在を自分でないものから隔離する
    「サランラップシティ」
    清潔シンドローム

    不確定、不可解であること
    アイデンティティは単一ではない

    自他は相互補完

    「おしゃれ」は自分をまなざす他人の視線をこそ飾る

    自分とは、、
    問いに答えはない
    あるとすれば、誰かある他者にとっての、他社の一人ありえるという、そうしたありかたのなかに、ひとはかろうじてじぶんの存在を見出すことができるだけだ。

  • 自分も「わたしは誰」と考えてしまうことがある(特に20歳前後のころ多かった)が、それは基本的に無駄だということが改めてわかった。「この特徴、能力があるから自分」というのは、(この本で色々な角度からみたように)基本的にあり得ないが、他の人との関係性の中から得られたものやストーリーは、自分だけのものである。

    また、自分らしく生きねばならないという強迫観念から自由になり、その場その場、また、会う人との関係性により自分のあり方を変えていくことは、柔軟に生きる上で必要なことだとわかった。

    全体的にくどいし、難しかった。少し飛躍しているのではないかという考え方もあった。また最後の「死にものとしてのわたし」という表現がよくわからなかった。

  • ずっともやもやしていた自分という存在という哲学的な疑問に付き合ってくれた。

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著者プロフィール

1949年京都生まれ。お寺と花街の近くに生まれ、丸刈りの修行僧たちと、艶やかな身なりをした舞妓さんたちとに身近に接し、華麗と質素が反転する様を感じながら育つ。大学に入り、哲学の《二重性》や《両義性》に引き込まれ、哲学の道へ。医療や介護、教育の現場に哲学の思考をつなぐ「臨床哲学」を提唱・探求する、二枚腰で考える哲学者。2007~2011年大阪大学総長。2015~2019年京都市立芸術大学理事長・学長を歴任。せんだいメディアテーク館長、サントリー文化財団副理事長。朝日新聞「折々のことば」執筆者。
おもな著書に、『モードの迷宮』(ちくま学芸文庫、サントリー学芸賞)、『「聴く」ことの力』(ちくま学芸文庫、桑原武夫学芸賞)、『「ぐずぐず」の理由』(角川選書、読売文学賞)、『くじけそうな時の臨床哲学クリニック』
(ちくま学芸文庫)、『岐路の前にいる君たちに』(朝日出版社)。

「2020年 『二枚腰のすすめ 鷲田清一の人生案内』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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