デカルト=哲学のすすめ (講談社現代新書)

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  • 講談社
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  • Amazon.co.jp ・本 (214ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784061493254

感想・レビュー・書評

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  • デカルトの思想を読み解きつつ、著者自身の倫理学的考察が展開されている本です。

    著者は、デカルトの懐疑について考察をおこなうにあたって、「飢えた子どもの前で文学は無力か」というサルトルの問いかけを参照しています。この問いかけに対して著者は、精神的生活を完全に世俗的生活から切り離して純化させておらず、精神的生活の価値を計量可能なものと考えているから、こうした議論が生じたのではないかといいます。そして、精神的生活を世俗的な計量可能な価値から切り離すことで、どのような悲惨な生であっても、それが「生」であるかぎりで肯定することのできる「倫理」の可能性を見いだそうとしています。

    さらに著者は、「私」の存在の原因の探求にもとづいて神の存在証明をおこなうデカルトの議論の解釈へと議論を進めます。ここで著者は、デカルトの自然科学的世界観である渦動説を参照し、「宇宙の観念の原因は、世界の流れに埋め込まれている限りでの私の内にあるはずがない」ということから、「共通善」という倫理的な原則を引き出そうと試みています。

    われわれはだれもが「死にゆく者」であり、死にゆく者として「私」は存在しています。そして、このような「私」として存在していることの根拠は、「私」自身のうちに求めることはできません。死にゆく「私」の生は、「無限なるもの」によって与えられた恩寵であると著者はいい、デカルトの神をこうした「無限なるもの」に読み替えることで、神によってあたえられた「私」の生を、最高の喜び、最高の幸福として肯定する道を切り開こうと試みています。

    デカルトの議論のうちに、ニーチェやドゥルーズの世界観につながる洞察を読みとり、カントのような義務倫理学を乗り超える可能性を切り開こうとする著者の意図が前面に押し出されている本ですが、おもしろく読むことができました。

  • 「近代哲学の歴史とは、デカルトが到達した高みから滑り落ちた歴史」という高らかなデカルト賛美が冒頭から始まる。その後はデカルトへの著者の熱い想いのオンパレードで、デカルト好きにはたまらない内容。ただし、著者独特の解釈も多々見られるので、これを鵜呑みにせずに類著も読んだほうがいいだろう。独我論と多様性って排他的ではないだろうし、各々の自由を認める事の可能性が開けているのではないかと思っているのだが、この辺は引き続き考えていきたい。

  • デカルトの思想に興味を持った。
    しかし、著者の文章がどうも合わなかった。

  • すべての事柄を俎上に載せて「思い込み」を「根こそぎ」にする態度というのは、古代ギリシア以来の哲学の基本姿勢で、その姿勢がカントや数々の現代思想家よりも徹底しているのがデカルトである、と著者は説いているのだろう。著者はデカルトの著作をたどりながら、デカルトが語ろうとしたことを読者に伝えようとする熱意のあまり、その論がデカルトのものであるのか、著者独自のものであるのかわかりづらくなっているところがある。またややナルシスティックな物言いになっていると感じた。

  • 配置場所:摂枚新書
    請求記号:135.2||K
    資料ID:59601666

  • 真実の認識としては、「私は存在する、実在する」「私は思惟する事物である」「「神は実在する」「世界は無制限である」そして善の認識としては「神は最高善である」「精神的生活が人間の最高善である」をこの著者は「死にゆく私は生きている」「宇宙は実在する」「思惟する私に世界が開かれている」「死にゆく私の生を支えるものは最高に善である」「世俗的生活から離れることが私の幸福かつ喜びである」と置き換えています。確かに宗教のない日本人に説明するにはこの方が分かりやすいということなのでしょう。最初は難しかったですが、私にとっては「哲学者の神」「最高善と共通善」になると、非常に興味深くなりました。「第3省察」で神の実在を2つの仕方で証明する。第1は私がもつ神の観念の原因は、神以外にはあり得ないから。第2は神の観念を持つ私の存在の原因は、神以外に有りえないから。という説明です。またデカルトがカトリック信者として聖体拝受について説明を試みたり、世俗的な慈善団体の会員になっていたと思われるなどの説明は、普通の人としてのデカルトを感じさせてくれる面白い経験でした。デカルトの神がカントやパスカルの神と異なり、「人格性がない」ということについての説明は非常に明快でした。

  • 【メモ】

    ● デカルトが言いたいことは、疑わしい思想を真実であるかのように見なせということではない。そうではなくて、いかなる思想を行動の根拠にするにせよ、いかなる行動を選択するにせよ、自らが決然として選択したということだけが、まさにそれだけが、行動に価値を与えることができるということである。

    ● 祈りの絆は、死者を通して神に触れることを媒介とする絆であるから、世俗的な生者の共同性から、丁寧に区別される必要がある。

    ●最高の宗教とは、超越者に触れた場所から反転して、超越者がこの世を眺めるような仕方でこの世を認識し直す宗教である。

    ● デカルトの見地からは、いかなる犯罪であっても、それは個人的被害の寄せ集めであって、全員が影響を受けるような共通悪ではない。とすれば、共通悪が存在するかのように装って、共通悪なるものを減少させると称している権力は、全く無用であることが分かってくる(略)公共善の典型とされる外交・防衛・警察は、共通悪というフィクションの上に築かれた無用の権力であって、共通善の保証のために立ち上げられた公共善にはなってはいないのである。

  • デカルトについて筆者のおもうことを述べている。
    頑張って読んだが、難しくって何を言っているのかよくわからない。
    デカルトは長髪で髭が立派な人である、ということくらいしか。

    筆者はデカルトが好きで、それ以外の哲学者が嫌いなのでしょうか。

  • [ 内容 ]
    カントやヘーゲルが哲学を完成したのではない。
    近代哲学とはデカルトの到達した高みからすべり落ちる歴史だった。
    戦争、宗教、あるいは病いなど今日的課題に答えうる「哲学の王道」を読み直す。

    [ 目次 ]
    序章 思想を捨てる
    第1章 離脱道徳―精神的生活と世俗的生活
    第2章 懐疑―世俗的生活からの脱落
    第3章 死にゆく者の独我論
    第4章 哲学者の神
    第5章 最高善と共通善―宗教の可能性
    第6章 賢者の現存―善く生きること
    終章 魂の不死、私の死

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  • 学生時代、レポート用に買ったんだったような気がする。。@センプラの本屋

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著者プロフィール

小泉義之(こいずみ・よしゆき)立命館大学大学院先端綜合学術研究科教授(哲学・倫理学)

「2016年 『反東京オリンピック宣言』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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