新しいヘーゲル (講談社現代新書)

著者 :
  • 講談社
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本棚登録 : 411
感想 : 42
  • Amazon.co.jp ・本 (202ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784061493575

作品紹介・あらすじ

読めば本当のヘーゲルがわかる絶好の入門書。弁証法とはどんな思考法か。意識とは、歴史とは何か? 近代社会の自由と自立を求めて、道徳や宗教より「知」の優位を説いた思索を、平易な日本語で描ききる。(講談社現代新書)


読めば本当のヘーゲルがわかる絶好の入門書。弁証法とはどんな思考法か。意識とは、歴史とは何か? 近代社会の自由と自立を求めて、道徳や宗教より「知」の優位を説いた思索を、平易な日本語で描ききる。

感想・レビュー・書評

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  • よくまとまってるし、面白いと思う!

    けど、そもそものヘーゲル自身の哲学にどうしても興味がもてなかった、、、

    次にいこう!人生は限られてる

    ドイツ観念論とは、なんかうまく馴染めなかった

    かなりの部分が、下手くそな日本語訳の謎の言葉に辟易した、ということにもあり、そういう哲学研究の歴史に腹が立つが、そこのところがこの本の冒頭にあって嬉しかった

    そうそう、もう少し日本の権威主義的なドイツ観念論が漂白されていくとよいのになーと思う

  • この本を読むのは2回目。楽しく読めた。ルソー、ルター、カントの時代からどのようにヘーゲルに行き着いたか、それを受けてキルケゴール、ニーチェ、サルトル、マルクスはどう反応したかが2回目に読んでようやく理解できた(気がする)。もすこし、ヘーゲルとは付き合わねば。

  • 『精神現象学』などのヘーゲルの著作を、わかりやすい日本語に訳したことで知られる著者による、ヘーゲル哲学の入門書です。

    本書では、ヘーゲルは「近代」という時代の思想家として位置づけられています。教会の権威を否定して、神の前に立つ個人としての信仰者の姿を打ち出したルターの宗教改革に象徴されるように、個人の形成と自由な主体の確立が、「近代」という時代を特徴づけています。

    ヘーゲルは近代的な個人を、みずからの内の理性に絶対の信頼を寄せる者として理解しました。そうした個人は、現実の中で出会うさまざまな困難と格闘しつつ、否定をくぐり抜けて「絶対知」へと進んでいくたくましさをもっています。本書ではヘーゲルの『哲学史講義』や『歴史哲学講義』、『美学講義』などを題材に、理性がたくましく前に進んでいく姿がイメージ豊かに描かれています。

  • ヘーゲルはむずかしいか?そんなことはない!

    社会を矛盾と対立のるつぼととらえ、そのむこうに統一と秩序を見通した哲学者。壮大で華麗な思想の躍動を平易な日本語で説きつくす。

  • 期待していた「新しい」ヘーゲルがどうも良くわからなかったというか、絶対精神とか弁証法とかのメジャーなところに斬新な批判をしていくように勝手に想像していたのだけど、全体的にヘーゲルを賞賛して終わってしまった感がある。

    ただ6章「ヘーゲル以降」はなかなかおもしろく読めた。特にキルケゴールやフロイトを交えて不安という「感情」をキルケゴールがどう取り扱って、ヘーゲル以降はどうなっていくのかについてのくだりはおもしろい。

  • ヘーゲルの入門書。タイトルの「新しい」の意は、やたら韜晦な感じがするヘーゲル像の刷新を図る、ぐらいのものだろう。その方法論は、新たなヘーゲル解釈を打ち出す、とかではなくて、平易な言葉でヘーゲルの思想を辿る、というもの。実際、かなり気楽に読める。

    著者は「あとがき」で、「この小著でヘーゲルを論じつくすことなどとうてい無理だが、その壮大な体系がどういう問題意識と構想のもとになりたっているかを大づかみにはできるよう工夫したつもりである」と書いているが、その狙いは十分達せられていると思う。良くも悪くも「浅く、広く」といった感じだ。入門書としては申し分ないが、やはり本書を足掛かりにヘーゲル自身の著作に挑んでいくことが大事なのだろう。

  •  ヘーゲル初心者としては、前半から中盤にかけては参考になった。ただ、ヘーゲルの思想全体の見通しをこれ一冊で得るのは難しいと感じる。内容についての判断は保留。

  •  ヘーゲル「精神現象学」にトライするための前段として購入。著者は言わずと知れたヘーゲル研究の泰斗。本書は著者が「精神現象学」を訳出する前年に出版されている(ただし僕が読もうと考えているのは熊野純一のちくま学芸文庫版。やはり時点が新しいのと、なんと言っても嵩張らないサイズであるが大きい)。内容は非常に平易で読みやすく、今となってはややストレートにすぎる議論もあるが、単純に面白くて思わず一気読み。精神現象学はもう別に読まなくてもいいかも、とすら思ったほど(いかんいかん)。 
     まず著者が主張するのは、ヘーゲルの難解さはヘーゲル自身の著作にあるのではなく、特に日本の研究者に救いがたく根差す教養主義、つまり難解さを過度に崇拝する性向にあるという。そしてこの難解さは、「調和した全体」を美徳とする日本人はヘーゲル弁証法の「正反合」の「合」にばかり着目するあまり、ヘーゲルの強調点が個と個が対立する「反」にあることを理解できないためであるとする。

     続く第1章では主著「精神現象学」の概略が語られる。先述の「反」、すなわち否定と対立そして矛盾の概念は、諸問題に真剣に向き合う若きヘーゲルの「意識」が「ヴィルヘルム・マイスターの修行時代」の主人公よろしく、否定のうちに積極的な意義を見出しつつ、生存の枠を超え出つつ生を拡充し「絶対知」の獲得を目指す姿勢に由来するものであることが語られる。この「絶対知」が曖昧でわかりにくいが、著者によればそれは人類の長い歴史の中での個々の精神の労苦の結晶であり、それはヘーゲル自身の経験により生じた意識そのものであったという。つまり自身の精神を完成形とみなす不遜さに満ちているわけだが、このことも韜晦趣味を持つ日本人がヘーゲルを受け入れにくい一つの理由であるとしている。それはともかく、絶対知とは近代の社会矛盾と対峙する個人の日常的な知であり、近代的な個の自由と自立の根本となる力を指しているらしい。この近代的な個とは、伝統的西洋の「神」の前に立たない裸の「わたし」だという。無論ここでデカルトに言及があるが、デカルトとの比較ではむしろヘーゲルはそのように「裸」でなければ向き合えない社会の方にフォーカスしているように思える。そしてそのような裸のわたしが外的な現実と確信を持って向き合ううち、外部のさまざまな非理性や反理性に対峙することになり、知と思考に厚みを持たせる強靭な理性を獲得するというのだ。

     第2章はヘーゲルの「理性」への信頼について。ヘーゲルの理性は、ここでも個の内側に止まらない拡張性を得て外部の現実へと浸み出していく。形而上学世界を理解しようとする理性の独断に歯止めをかけるべきと説くカントの「超越論的弁証法」とは対照的に、ヘーゲルは外部世界を理性への信頼のもとに経験し、かつそれを「否定」することでその枠から逸脱しようとする。ここから当時の自然科学の発達とも相俟って、外部世界すなわち「自然」を内なる「精神」やその創造物である「芸術」の下位に存置し、知に基づくヘーゲルの自然観が生じてくることになる。自然がそのままでは発揮できない理念性を、人間が介入することでリアライズさせようというのだ。

     第3章では、前章で触れられた芸術との関わりが中心に扱われる。個と社会が美しく調和した理想郷としてヘーゲルが抱いていたのは古代ギリシャ社会だが、そこでは芸術は常に共同体精神の影響下にあった。個人の内面と共同体精神の調和の表現こそが芸術の本質であり、制限なしの自由な芸術というものをヘーゲルは認めない。本家のギリシャ都市国家が崩壊したのちも、ロマン芸術として個人の内面精神において体現されなければならない理想であり続けた。それは結局は日常的現実に拡散していく芸術の枠内では捉えきれないものであったが、その代替となるのがキリスト教であり、そこで内面に還っていった精神は、真理(神)と調和し一体化しようとするという。
     ここで面白いと思ったのは、神との調和において、ヘーゲルは外部からの強制を認めずプロ・プロテスタント的なスタンスをとるのだ。芸術一般では自由を認めず宗教では認めるというのは二重基準のような気もするが、とにかくヘーゲルは宗教に基づく自由の希求を保障する概念として、いきなり法と正義などといった社会的・現実的なツールを要請するのである。この宗教的内面から世俗的リアルへの一足飛びの転換は、ある意味でプロ倫的な世俗的禁欲の発生を別の側面から記述したものと言えなくはないが、いずれにせよヘーゲルは宗教にも哲学的な理性を求め、かくして芸術・宗教・哲学は理性の名の下に統合されることになる。

     第4章はやや論調が変わって日欧の比較文化論から入る。お手本をありがたがる近代以降の日本に比し、西洋の近代化はそもそもそのようなお手本が存しない、いや存在してはならないような冒険や開拓の精神を要請するものだった。度重なる社会構造の変動に見舞われ、西欧社会は純粋な内面の運動=精神活動に依拠せざるを得なかった。しかも、社会の激変に対し外部の新たな権威を持ち出すのではなく、ルターの宗教改革よろしく、権威を脱ぎ捨てた裸の内面に向き合い、そこに神への信仰を見出しつつかつての権威そのものの解体を目指してきた。つまりキリスト教ですら内面精神性の発揮にとって軛であり、西欧近代にとっては乗り越えるべき対象だった。ここから思考が宗教を代替し、外部世界に開かれた精神性を要求する啓蒙思想が表出したというわけだ。
     
     最終章はヘーゲル以降の哲学史を概観する。ここではやはり、主にヘーゲルは克服すべき対象である。ヘーゲルが精神性に劣るとして切り捨てた感情に真実性を見たキルケゴール。現実世界の矛盾を超克すべく、ヘーゲルの方法論を発展させ実証分析へと向かったマルクス。理性から出発したヘーゲルとは逆に、無意識の領域に本質を見たフロイト。反近代の立場から西洋的近代化の原動力となった概念に異議を唱えたハイデガー、メルロ=ポンティ、レヴィ=ストロース。
     しかし、なんと言ってもヘーゲルが称揚した西洋近代に打撃を与えたのはナチズムだと著者は指摘する。これは重い。どうしてこのような異形の怪物が、理性と個人の内部精神を重んじてきたはずの西洋から生じてしまったのか。発刊後20年以上経ってもいまだ確たる答えの出ない難問だ。

  • ヘーゲルセレクションを読んでも全く理解できなかったので購入。
    弁証法とヘーゲルの思想に底流するものを理解するには非常に良い本。適当に正反合とかをしたり顔で使う前に、まずはこれを読むと良い。
    ビジネスでアウフヘーベンとかそういう系の語を安易に使う前に、ぜひ読んでおきたい本。

  • 名著である。難解な哲学の中でも難解と言われるヘーゲル哲学を理解できる形で提出されている。
    『現実的なものが理性的であり、理性的なものが現実的である。』
    ヘーゲルの哲学は、社会や現実、生活世界に開かれており、その現実との格闘において、精神は成長していく。

    ますます、ヘーゲル哲学に興味を抱いた。

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著者プロフィール

1940年生まれ。東京大学卒業。著書「ヘーゲルの歴史意識」「格闘する理性」他。訳書フッサール「経験と判断」ハーバーマス「イデオロギーとしての科学と技術」他。

「2019年 『美術の物語』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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