新しいヘーゲル (講談社現代新書)

著者 :
  • 講談社
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レビュー : 38
  • Amazon.co.jp ・本 (202ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784061493575

感想・レビュー・書評

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  • ヘーゲルの入門書。タイトルの「新しい」の意は、やたら韜晦な感じがするヘーゲル像の刷新を図る、ぐらいのものだろう。その方法論は、新たなヘーゲル解釈を打ち出す、とかではなくて、平易な言葉でヘーゲルの思想を辿る、というもの。実際、かなり気楽に読める。

    著者は「あとがき」で、「この小著でヘーゲルを論じつくすことなどとうてい無理だが、その壮大な体系がどういう問題意識と構想のもとになりたっているかを大づかみにはできるよう工夫したつもりである」と書いているが、その狙いは十分達せられていると思う。良くも悪くも「浅く、広く」といった感じだ。入門書としては申し分ないが、やはり本書を足掛かりにヘーゲル自身の著作に挑んでいくことが大事なのだろう。

  • やしいく読みやすい平易な言葉で書くのだと、はじめに書かれてたのに。西洋哲学を何か立派なものとして拝み奉る為に、分かりにくい言葉を使っていると、これまでのヘーゲルに対する日本での扱いを否定的にはじめにではかかれていたのに。本論に入ると、とっても哲学してました。その中でも、印象に残ったところ(理解できたところ?)を書いておく。
    思考の旅は知への旅である。歴史の中に脈々と流れる知にたどり着く旅であると。その思考の旅が行き着く先に、歴史の大河がありそこに至って絶対知を会得するとともに、歴史の知である学問が現れる。
    ルターの宗教革命は、神と聖書というよりどころを残しはしたが、そのルターが行ったことが、人を思考の、精神的な独立した個人として浮き立たせることになった。近代哲学は、そのルターが残した神と聖書すらも否定し、自己の精神にとことん向き合う方向に至ったがヘーゲルは、ルター派であり、言及し評価することにはやぶさかではなかったが、一線を画した。
    そして、ヘーゲルを否定する形で、キルケゴールの不安を基底とした哲学が、マルクスの資本論が生まれていく。
    僕は弁証法とは何かを知りたくてこの本を読んだが、違う知識を得たようだ。楽しかった。

  • 2015/1/26

  • カントより後代の哲学者でありながら、思索を突き詰めることで理性批判に達したカントに対して、理性にもっと大きな希望と期待を寄せた哲学者ヘーゲル。

    ギリシャ芸術とプロテスタントに傾倒し、知と個に対する揺らぎ無き信念を持ち続けたその思想は、確かに当時代的で楽観的なインテリの雰囲気も感じられる。その後の近現代思想家達の批判の対象となったことも止むを得ないのかもしれない。

    それでも「理性と知こそが現実である」という意見には、現代の人間も殆ど失いつつある、知性への自信を取り戻させてくれるような魅力を感じずにはいられない。時代が繰り返すのであれば、もしかしてもう一度、そんな理性と知の時代が来るのかもしれない、という期待を感じずにはいられない。

    そんな風に思いました。

    この本自体についても非常にわかりやすく無駄なく綺麗にまとめられていて読みやすくて好感が持てました。

  • 20120303Amazonマーケットプレイス

  • 長谷川宏著「新しいヘーゲル」講談社現代新書(1997)

    *「理性とはおのれば全存在をつらぬいている、という意識の確信である!」
    *普通は、種が芽を出す。というところをヘーゲルはあえて、「種が否定されて芽となる」と「種の否定が芽である」とか、持って回った言い方をする。否定の動きをぜひとも強調したいのだ。その対立や変化が運動の原動力となると考えるのが弁証法の基本だからだ。
    *何もない無や空虚におわる懐疑主義には、そこから先への前進は望み得ず、なにか新しいものが外からやってくるのを待ち構えて、それを相も変わらず空虚な深淵へと放り投げるほかはない。が、本当の経験のうちにとらえる結果は、否定的なものとはいっても、その否定が限定的なものであり、その否定からただちに新しい形が発生する。つまり、否定のうちにつぎの段階への移行がおこなわれるのであって、こうして、さまざまな意識の形態を1つ1つ丁寧にたどっていく知の旅がおのずと進行するのである。
    *ヘーゲルは、近代的な個の自由と自立を確立する上で、知の動きこそがもっとも基本的な要因をなすと考え、個の自由と自立をめざす「意識」の旅を自立した知への旅として描いてみせた。旅の終点をなす、「絶対知」が、高度な抽象性と対形成を備えた学問に直結するかに見えて、その実、近代社会に広く行き渡る知と思考を鈍化したものであるとすれば、「絶対知」への旅は、学問にたずさわる学者や知識人だけにとどまらず、近代社会に生きる一般市民が個として自由と自立を獲得していくために必要なものであるとした。
    *「確信」という心のありさま、心の動きをそんなにも重視する。そして、確信の輪を広げ、その内容を深めていくことをもって、意識の旅の根本的な推進力とする。確信とは、個人が己にかえって、なにごとかを自分で自分に確かめるところに成り立つものであるし、一度得られた確信についても、これを維持するのか革変するのかを最終的に自分個人で判断することによって決めるしかない、精神の営みである。
    *自己意識が理性になるとともに、これまでの他なる存在との否定的な関係が肯定的な関係へと転化する。これまでの自己意識は自分の自立と自由だけに関心をもち、自分の価値を否定するかに見える世界や地震の肉体を犠牲にして、自分だけを救い、維持しようとしていたが、自分の存在に自身をもつ理性は、世界に対してゆったりとして構え、世界の存在を容認することができる。というのも、理性的意識は、自分が物として存在することを確信し、現実の一切が自分と別のものではないということを確信しているのだから。世界がゆるぎなくあることが、意識自身の真実と現在をなすのであって、世界の中での経験がそのまま自己の経験であるのを意識は確信している。
    *自他のうちにある非理性や反理性との戦いの中で、はじめて強靭な理性の光が輝く。挫折や敗北を通してこそ、知と思考に厚みと広がりが備わるのである。
    *デカルトは、「われ思う、ゆえにわれあり」という自我宣伝を哲学の第一原理として上で世界全体の精神(思考するもの)が物体(延び広がるもの)によって構成されていると考えた。一方で、ベーコンは観察と経験に基づく帰納法を心理認識の原則として掲げ、学問の全体を記憶に基づく歴史、想像力に基づく芸術、理性に基づく哲学の3つに大きく分類した。このように世界の全体に向き合おうとする姿勢は、デカルトにもベーコンにも確実に認められるし、後続の哲学者たちにも受け継がれている。そして、その姿勢を徹底的につらぬき、比類を絶した壮大な体系を築き上げたのがヘーゲルである。「現実的なものは理性的である!」

  • [ 内容 ]
    社会を矛盾と対立のるつぼととらえ、そのむこうに統一と秩序を見通した哲学者。
    壮大で華麗な思考の躍動を平易な日本語で説きつくす。

    [ 目次 ]
    第1章 ヘーゲルはむずかしいか?―弁証法入門
    第2章 『精神現象学』―魂の遍歴
    第3章 世界の全体像―論理・自然・精神
    第4章 人類の叡知―芸術と宗教と学問と
    第5章 近代とはどういう時代か―日本と西洋
    第6章 ヘーゲル以後

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著者プロフィール

1940年生まれ。東京大学卒業。著書「ヘーゲルの歴史意識」「格闘する理性」他。訳書フッサール「経験と判断」ハーバーマス「イデオロギーとしての科学と技術」他。

「2019年 『美術の物語』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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