- Amazon.co.jp ・本 (199ページ)
- / ISBN・EAN: 9784061493742
作品紹介・あらすじ
見せて隠して人目を引く。誘惑しつつ自分を作るふしぎな遊戯、ファッションの本質を軽やかに考察。
感想・レビュー・書評
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人はなぜおしゃれをするのか?異性を誘惑するためだ。
三島由紀夫 『美徳のよろめき』
「その日が来てみると、節子は久々に、身じまいと化粧との、目的のある新鮮な楽しみにおぼれた。
下着に凝っていたので、絹の焦げ茶のスリップを着る。そのスリップの縁は、沈んだうすい冬空のような青で染めたレースで縁取ってある。その上から薄茶のシース・ドレスを着る。常用の香水、ジャン・パトウのジョイをつける」
著者はいう「身じまいと化粧」は、「目的のある楽しみ」である。
「あたえる」に値する身体はおんなのものだからだ。「わたしをあなたの好きなようにしていいわ。」「わたしをどうぞ。」こういうのは、女であって、男ではない。
「男性にたいする女性の関係は、承諾(イエス)と拒絶(ノー)につきる」ジンメル
女のコケットリーは、「イエスとノーを同時にいうこと」だ。イエスといいながら拒み、ノーといいながらさしだすこと。承諾しながら拒絶し、拒絶しながら承諾すること。
「イエスとノーのあやうい遊戯・ゲーム」
未決定の状態こそ彼女の権利のあかしだからである。
コケットリーとは、「決断を引き延ばす技法」である、時をかせぐ技法である。
ジンメルは言う「コケットリーは、未決定性を快楽にかえる形式である」
ココ・シャネルはいう「わたしは新しいものを創造したわけではないわ。まず、自分自身に服を合わせ、わたしはこの服を着たいかしら?と考えて、着たくないと思ったら着ないだけのことなの。
女は、愛される以外に幸福ではありえないわ。愛されるということ、必要なのはそれだけ。愛されない女は、無にひとしい。女は愛されるためにだけ生きているのだもの。年齢は、関係ない。
若くても、歳とっていても、母親であっても、愛人であっても、いい。とにかく女は愛されるために生きているの。愛されない女は一切駄目ね」
愛されるために、ファッションはある。
たっぷりとした身体をおおうその服は、けっしてなかの裸体を想像させたりしない。
「かくす」ことが「見せる」以上に「見せる」ことである。
ファッションとは、着衣によって自分を隠しつつ、隠すことによって自分を見せる技法なのである。
「去年の服では、恋もできない」「今年の服」をきたいと思うのは、とりのこされたくないからなのである。昨日のテイストでもなく、明日のテイストでもない。まさに「今日のテイスト」。それがトレンドというものである。このトレンドは絶えず変化していく。変化するからこそ、今日のテイストは2度とかえらぬ今日が「個性的なかがやき」を発揮するのである。
今日のかがやきははかなく、明日になると薄れてしまう。このテイストは、魅力的なのである。
モードを追うということは、この「時の魅力」をともに肯定するということ、それに共振して、自分もまた「現在」というときの鼓動にこころ揺さぶることだ。
私たちは、<現在>のときめきをともにしたいから、何らかのスタンスでブランドを気にして、
モードの波にのっていく。できるだけ個性的でありたいと願いながら、モードを追って、結局同じ装いになる。同じメイク、同じ顔になる。個性的になろうとして、没個性になる。こうして私たちは、誰に強制されたわけでもないのに、自ら流行に染まってしまうのだ。
シーズンごとの流行色やデザインや材質を決定するのはパリコレである。
いかなるデザイナーもブランドも、<現在>という時の魅力をつくることは不可能だから。
何が流行するかわからない偶発性があればこそ、なにかが流行したとき、そのインパクトは大きい。
モードとは、「期限のない出現と消滅」なのだ。
モードは進歩しない。ただ変化するだけだ。つかまえたと思ったらもう消えていく、
それが、<現在>。私たちは、限りなく無にひとしいこんな時のかがやきに、敏感になびく不思議な生き物なのである。
ボードレールはいう「現在が表現されたのを見てわれわれのあじわう快楽は、現在が身にまとう美からくるだけではなく、それが現在であるという本質的な特性からもきている」
なぜ化粧をするのか? 身体は第1の衣服だからだ。
「衣服の向こう側に裸体という実質を想定してはならない。衣服を脱いでも、あらわれてくるのは、
もう一つの別の衣服なのである」
ボードリヤールはいう「化粧とは顔を廃棄すること、よりいっそう美しい眼で眼を廃棄することであり、よりいっそう目立つ唇で唇を消去することである。誘惑とは、弱くなるということである。誘惑とは、弱点をもつことである。われわれが誘惑するのは、自分たちの弱さによってであり、力や強力な記号によってではない。誘惑においてわれわれが働かせるのはこの弱さであり、それが誘惑に力をあたえている。
男たちを悩ますのは透き通っていることだ。肌の下、服の下にあるのに、その存在が透けて見えるもの。いわば、言葉ひとつも語らずに、けれども呼びかけてくるもの。
今日という時代をまとって、ファッションは活きてくる。本書はファッションを追いかける心理がうまく表現されている。コロナ禍で、女性たちの目の表現がより上手くなったなぁと感じる。剥き出しになればなるほど、そこに美しさをまとうのだ。見られることで、美しくなる。ファッションは奥深いものがある。詳細をみるコメント0件をすべて表示 -
[ 内容 ]
見せて隠して人目を引く。
誘惑しつつ自分を作るふしぎな遊戯、ファッションの本質を軽やかに考察。
[ 目次 ]
1 女は誘惑する?(おしゃれ、何のために?;誘惑するのは女;コケットリー ほか)
2 「隠すこと」と「見せること」(隠すこと・見せること;脚を見せる;脚を秘める ほか)
3 『現在』にときめきたい(「きょ年の服では、恋もできない」;モードは『現在』;同一化願望と差異化願望 ほか)
4 ファッションは終わりのない遊戯(ファッションの軽薄さ;服が女をつくる?;ファッションは『変身ゲーム』 ほか)
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[ 参考となる書評 ] -
091012
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ダークな色の洋服を女性が着るようになったのはシャネル以降。それまでは女性が黒を着るのは喪服くらいだった。
著者プロフィール
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