「意識」とは何だろうか―脳の来歴、知覚の錯誤 (講談社現代新書)

著者 :
  • 講談社
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レビュー : 31
  • Amazon.co.jp ・本 (262ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784061494398

作品紹介・あらすじ

「心」とは意識のことか。意識プラス無意識か。では意識とは何なのか。「錯誤」を手がかりに、脳・認知科学の最前線から「心の全体像」へ迫る快著。

感想・レビュー・書評

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  • だまし絵について私たちがだまされるのは、
    本当は正しい判断をしているからではないだろうか?
    という点をいろんな研究の内容から考えている本だった。
    後半は、意識と心と体は、それぞれにつながっているので、
    分離して考えるよりも統合して考えるべきもの、
    という話になっていた。
    このあたりの内容というのは、特に目新しい、という
    内容でもないので、この本を読んでも
    「結局、意識とか心とか、そういうものの存在は推測の
    範囲を現代でも脱していない」
    ということになっているようでもある。

  •  ヒトには、信じたいこと、望んでいることを確認したい欲求がある。人々の大半は、自分が平均以上に知能が高く、平均以上に公平であり、平均以下の偏見しかもたないと思っている。

     「誰でも自分が優れている(まともである)という証拠を欲しがっている、はじめからそういう証拠だけを探し、それに反する証拠に出会っても、無視するか、すぐに忘れる」また対話や討論の場面では、失敗を(また成功もある程度)目の前にいる他人に帰しがちな傾向がある。

     人は常に入手できる手がかり、特に目につきやすい手がかりに原因を帰してしまいがちだ。手がかりがあるとか、目立つとか言うときに、そこにはすでに動機要因が強くはたらいている。人は与えられたすべてをみてから動機をはたらかせて選ぶのではなく、動機の文脈に沿わないものは「最初から見えない」のである。

  • 脳科学をやるなら必読の書らしい。新書だけどほんわかした感じで読めます。

  • 非常に興味深い内容だが、ちょっと文章が難しい。

  • 森博嗣のWシリーズを読んでいると「生きているとはどういうことか」とか「考えるとはどういうことか」みたいなことを考えるようになる。

    なので、その系統の本を読んでみたけど難しかった

  • すごいの一言でレビューが終われるくらいすごい。

    156p
    全体を通してのことだが、
    認知とは、記憶とは「どうやら脳内だけで完結するものではない」という主張がこのページできれいにまとめられている。

    173p
    「痛みとは何か」という問いかけが深い。そしてぐっさりと奥まで刺さる。

    さかさメガネで明らかになる意識。
    読む前に死ななくてよかった。

  • 人の意識を理解しようとするとき、脳ー身体ー環境は切り離せない関係にある。
    脳の大部分は環境の一部だという議論も可能だし、逆に身体や環境は脳の一部だという議論も成り立つ関係にある。

    第一章には、認知バイアスについての人間特有の特性が分析されており、非常に興味深い。筆者は、ヒトが認知と動機が分離できずに、意思決定にバイアスを与えている点について、それが人工知能やコンピューターと違い、ヒトをヒトらしくする本質的な側面ではないかと考察している。

    220ページにこう書かれている
    「無意識」は「意識」に比べて科学の技がかかりやすい。もしそうだとすれば、従来の科学的方法では、意識の直接性、主観性に対してはまだ歯が立たないが、無意識的な過程には切り込めるのではないか。ここから逆に意識の本質を認知神経科学の角度から探求すること。この切り口から、意識そのものが浮き彫りになるかもしれません。
    →これは、「意識と脳」に書かれていたことと全く同じだ

    【用語メモ】
    個体発生 →発達
    系統発生 →進化

  • 大学1回生の時に、面白くて唯一出席し続けた一般教養科目の参考図書です。
    卒業以来かれこれだいぶ経ちましたが、改めて読んでみたら、難しいですね。

  • 意識を孤立した脳のなかの出来事としてとらえるのではなく、脳と身体と環境との密接なつながりのなかでとらえるべきだという考え方を示した本です。

    著者は、意識を孤立した脳の中の出来事とする立場では、錯誤や意志といったものを取り逃がしてしまうことを、具体的な事例を通して説明しています。さらに最終章では、向精神薬プロザックをめぐる議論を手がかりに、自由と倫理に関する重要な問題へと議論を進めています。

    かつて哲学者の大森荘蔵が、現象論的な「立ち現われ一元論」という立場から、「脳産教」の批判をおこなったことも思いあわされます。本書は現象論的な立場ではなく、どこまでも実証的な認知科学の立場から、「脳産教」の前提に含まれる問題を炙り出すとともに、倫理学的な問題への展望までおこなっています。

  • 意識とは何かについて、「錯誤」をキーワードに考察する。錯誤が起こっているときに脳は正しく働いており状況の方が普通でない。すなわち、「錯誤は正常な認知機能の反映である」と言える。

    脳が環境に適合するように自らを変え、その結果、知覚系と行動系が環境に対して完璧に適応的なものとなる。環境が突然激変したときには、過去に根ざしたこの知覚と行動の記憶の総体が「錯誤」をもたらす。

    脳は孤立した存在では無く、身体を支配し、逆に身体に支配される。
    身体は一方で脳の出先機関であるとともに、その基礎でもあり、脳にとっての環境の重要な一部を構成するのである。

    従って、脳だけを身体や環境と切り離して考えることは、科学の方法としては有力だが、一面的である事を認識する必要がある。また、脳の中を受け身で自動的、生理的な装置とより能動的で意図的な制御者とに分けることも間違いである。人工物(薬の類い)が身体と脳に侵入するのに伴い、逆に脳は限りなくからだと世界の方向にその触手を伸ばしながら観念のねじれと現実的な問題を発生させてくる。

    脳と身体の関係につき、「錯誤」幻視、幻肢、記憶の有り様、向精神薬といったトピックスを交えその本質を探ろうとする書籍である。

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プロフィール

カリフォルニア工科大学生物・生物工学学部教授

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