- 本 ・本 (288ページ)
- / ISBN・EAN: 9784061495111
作品紹介・あらすじ
優生学はナチズムか。戦後日本の優生政策の内実とは。優生思想の歴史を再検討し、遺伝子技術時代の視座を示す。
感想・レビュー・書評
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◯旧優生保護法一時金支給法が可決された今、基礎から学びたい人におすすめの一冊。優生思想、優生学をその起こり?を世界史的な視点から丁寧に説明されている。その流れの中で、我が国における優生学の位置付けが見えてくる。大変分かりやすい。
◯優生学まではいかないものの、日々を生きる中で、例えば職場においては仕事に対する能力が絶対的な価値を持つことになるが、その能力を持たない者に対しては不要な人間であるかのように扱い、排除することは往々にしてありうる。
◯この辺りは生活のためであるので仕方ないとは思うものの、全く関係はないのだろうかと考えてしまう。
◯昨今のパワハラなどの議論の根底には、こういった人間が無意識に抱く整理する思考や清潔感があるのではないか。
◯そうした身近なことから考えに対しても、この本で語られている、未だくすぶり続ける優生的な思想に対する示唆はとても参考になる。
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・優生学というと、ナチスの民族浄化を即イメージし、劣ったものが殺される、というジェノサイドまでイメージがつながっていく。という人が大多数なんじゃないだろうか。私もまさにそうでした。
・日本でも96年まで優生保護法があった! ・優生学は、医学の発達により自然淘汰が行なわれず、弱いもの(医学がなければ死んでしまうように生まれついたもの)やその子孫が生き残ることで、人間という種の遺伝的性質が劣っていくことを危惧したことから始まる。 ・優生学は福祉国家の設立ということと密接に関わっている、という部分に一番驚いた。 ・命の強弱にどうやって線を引くのか、これは本来淘汰されるべきものだったなんて判断ができるのか。非常に考えさせられる一冊。良書。 -
優生学という学問を知っているだろうか?これは障害者や犯罪癖のある人間が増えるのを防ぐ(断種はその一手段)ことによって福祉のコストを浮かそうという学問である。
この優生学はナチズムに通じるということで忌み嫌われていた。ユダヤ人を強制的にガス室に追いやって生きる「自由」を奪った、けしからん、というロジックである。
もっとも第二次世界大戦後、優生学は日本をはじめ先進諸国で生き続けたという。そして近年優生学批判の枠組みを突き崩すような事態が出現した。
それが「レッセ・フェール優生学」である。「レッセ・フェール」とは「気の向くままに」という意味である。
例えば出生前診断における障害児の排除に見られるように、権力の強制ではなく、あくまで「自由」な意思(とは言ってもうまれる子供の意思ではなく、産む親の意思なのだが)によって強権的な優生政策を実施したのと同じ結果が生まれてしまうというものである。
別の言い方をすれば、人間は自らの能力を高めようと勉学に励み、あるいは体を鍛える。それは少しも責められることではない。さらには次の世代にもそのようにさせる。そのことと、自らと自らの子孫の遺伝子を改良するのとはどのような違いがあるのか、という問いに立たされているのである。
新書ではあるが本書が突きつけている問いは果てしなく重い。
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もはや古典かもしれないが、得るものが非常に多い。この本が出版されてから、「反省」の面で進展はあったか?健全な畏れの気持ちはさらに衰退していないか?
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- 優生学=ナチズム、アーリア人第一主義、ユダヤ人排斥 というような発想に安易に結びつきうるのが現代だが、そのような単純理解だと見落とすことが多い
- 国の政策として行われてきた断種、その他各種優生政策については、特に日本ではちゃんと顧みられていない、ということを認識することが大事
- 各国の断種法で、自己決定を前提とする建前はあったが、実際には本人に意思決定能力がないとみなしたり、あるいは施設から出る条件、公的補助を受ける条件とするなど、自己決定とは言えないような環境、強制に近い形で行われていた
- 現代においても、出生前診断と中絶、という観点で見ると、本人・カップルの自己決定を前提としているが、本当にそれが自己決定といえる環境なのか、という疑問が残り続ける
- もし障害児が生まれたらそだてられる環境なのか、医師などから誘導的な声掛けは本当にないのか・・・等々
- さらに、ゲノム解析や生物学の発展によって、遺伝子情報を活用した医療や健康維持のニーズは高まり続ける。その中で、優生思想に陥るリスクは常にある。どこがラインなのか、ということを考え続けることが必要になるのではないか
- 特に、自己決定が本当に自己決定としてなされるためにはなにが必要なのか、あるいは何がそれを阻害しているのか、ということは、優生施策に限らず多くの場面で、特に福祉の世界においては持っていなければいけない視点ではないかと思う。 -
子どもができれば親は安産を祈願する。生まれてくる子が健やかであることを希う。一方で、この願いは「健やかでない子」の否定を含意する。
無垢な願いに、残酷なジレンマが内在している。こうした倫理学的側面に興味があって手に取った。これはおそらく、優生学というより、優生思想というやつだろう。
戦中戦後と異なり、国家プロジェクトとしての優生学が展開されることは想像しにくい。だが、本書もやんわりと指摘するように個人主義と効率至上主義は草の根で優生学の背中を押しそうだ。欲望がある限りそうだ。
だって、健やかな子の誕生を願うことだって、欲望にほかならないのだから。 -
遺伝子は資源である。
どの国でも1970年をピークに優生なものを作ろうと言う取り組みがされてきた。
このような取り組みは善意でされていることが多いが、それは間違った想定外の結果を生む可能性がある。
福祉の負担を無くすというとても真っ当な取り組みであるが、そこにおける自分の力が及ばないところで何かされている、不確実な要素が多すぎると言う部分がタブーになっているのでは?とも思った。 -
しばらく読書から遠ざかっていたがようやく読了した。近代合理主義と優生学の結びつき、ヒトラー、ナチスの優生学との結びつきで圧倒的に負のイメージとなった「優生学」という言葉の歴史と5カ国・地域(イギリス、ドイツ、北欧、フランス、日本)の断種法や障がい者に生きる権利はないのか、つまり障がい者の生存権の提起がようやく1970年代に盛り上がってきて、日本では脳性まひ患者の団体「青い芝の会」の痛烈な批判によってわずか10年余でそれまでのんきに使われ、ハンセン病患者や、遺伝性とされた精神疾患を持つ人たちにかなりの強制力をもって断種が日本で行われそれは70年代まで北欧でも類似のケースが見られる、など、「優生学」の歴史の概観に非常に適切な書物である。
ドイツではやはりナチス・ドイツとヒトラーの痛烈な教訓からかアメリカ、日本、北欧ほどには進まず、そしてフランスでは本書で挙げられた地域でほぼ唯一断種を権力の強制で行ったことはないなど目からウロコである。イタリアの事例も欲しかったかもしれない。
類書が少ないようでやや古い(本書は2000年刊)にしても「優生学」史とこれからの生命科学の展望に常に批判的に取り組まなければならないという結尾は多くの人が本書を読み終えて納得するところだろうと思うので☆5つ(5点満点)、推奨書籍とする。)
著者プロフィール
米本昌平の作品





