戦争を記憶する 広島・ホロコーストと現在 (講談社現代新書)

著者 :
  • 講談社
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  • Amazon.co.jp ・本 (208ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784061495401

作品紹介・あらすじ

絶対平和を願う広島と、絶対悪に立ち向かう責任を問うホロコーストの違いとは何か。なぜ反戦思想が生まれ、一方で、なぜいまナショナリズムが台頭するのか。戦争を語ることの本質を、真摯に問い直す。

感想・レビュー・書評

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  • 2001年刊。著者は東京大学大学院法学政治学研究科教授。

    「歴史とは如何に語られ、後世に伝えられていくか」「その中で戦争という事象の持つ人々への影響力はいかなるものか」
    さらに「その際、戦争をテーマにした博物館や映画・小説等はいかなる役割を果たすか」。
     例えば、原爆投下の持つ意味合いは、日本人と米国人、或いは日本が武力支配下においた各地の人々(シンガポール人を忘れるべからず)により違う。
     何故かような違いが国毎で生まれ、あるいは国内でも、例えば西尾某のような中世史国内情勢を無視した歴史書が一部の支持を集めるのか。


     本書は、このような各国・各地域の歴史認識に依拠した民衆意識の違いを踏まえないと、現在の国際政治、国家間の関係を上手く説明できなくなったという問題意識に支えられている。その問題は、おそらく、世界各地で、大衆民主主義=民意の反映が政治的正当性を担保する体制が広がったからだろう。
     そして、歴史事象の中では、戦争の記憶が民衆に与える影響力が強いことを踏まえ、本書は社会思想の戦後展開を述べつつ、戦争記憶がもたらす社会通念やイデオロギーの相対化(他国の眼差しの理解に通じる)の必要性をうたう。
     端的に好著である。

     内容以外に、考え方に関しても、余りに腑に落ちすぎる叙述が多すぎる。
     特に「他説を批判するだけ、論駁するだけの叙述は自説を正当化することにはならない。他説も自説も間違っている可能性を排斥しないからだ」という主旨の記述は至極納得である。
     しかも、積極証拠のない限り、本来は当該命題を認定することはできないのだ。こういう至極当然のことが、現実には行われていない実情に暗然とする思いである。

  • 戦争があったのは事実で、
    その戦争で亡くなった人がいるのも事実。
    人権侵害が行われたこともあったし、
    大量破壊兵器が作られ、使われたこともあった。

    それはいいとして。
    この事実をどう記憶するのか、ということについては、
    時代・地域によって様々だということを、この本は教えてくれる。

    戦争観ほど、相対化されてしかるべきものはないと思う。
    同じ事実を受け止めて、違う捉え方をしていい。
    どのように受け止めたところで、
    所詮は戦争という真理の一側面を、さらに断片的に知ったにすぎないからだ。
    しかし、政治的な動きはそれを許さない。
    特定の戦争観を礎にして共同体を作ることだってあるだろう。
    特定の戦争観を盾に国際社会でのポジションを獲得することもあるだろう。
    国際社会の要請に応える中で、国の在り方を議論しなくてはならないこともある。
    その時代・地域で、要請される政治的行動の中で、"戦争観"は統一されていく。

    今日も、靖国に行く行かない、いい悪いの議論(というか罵り合い)が始まる。
    「戦争を記憶する」ことによって私達に何をさせたいのか。
    「戦争を記憶する」ことを、なぜしなくてはならないのか。
    そもそも、
    「戦争を記憶する」ことは何なのか。

    ぜひ、お手に取ってほしい。

  • 後半になると少しずつ作者の考えが出てきますが、戦争観がどのように形成されていったかという経緯についてのまとめがほとんどでした。戯曲や小説、映画などの作品名や抜粋があるので、とても興味深く読み進めることが出来ました。

    ワシントン博物館やホロコースト博物館、チャンギ博物館など初めて知る博物館が多く、当たり前ですが他の国にもこのような博物館が存在するのだと再認識しました。
    戦争といえば原爆の印象が強いので、日本が侵略戦争を行なっていたこと、被害者意識ばかりだという点については今後知るべきだと思いました。

    アメリカの原爆展示について、生存されている当時の関係者が物申した件にしても戦争を知らない世代だけの方が平和に近付けるのではと考えてしまいます。恐らく今後武器を手放す日が来たとして、再び武器を手に取る日も来ると思います。平和に慣れた時、恐怖を忘れた時、自他国に関係なくそこに暮らす一人ひとりの人間について考えることを忘れ欲深く暴力で解決する。反省と忘却の繰り返しだろうなと感じました。

    過去の出来事について現代の人間が責任は取らなくても、未来の人間のために忘れず確認することは必要だと思います。今ウクライナに対する侵略戦争が行われています。反戦思考を持っていますが、今回の件で侵略戦争に対しては戦わざるを得ないのかなと考えてしまいます。早くウクライナに対する侵略戦争が終わり、過去になる前に責任を持って失われた人々の暮らしが取り戻せる環境を支援して欲しいと切に願います。

  • 2001年出版の本だが、北朝鮮のミサイルの脅威の中で
    暮らす今に響くことが多い。

    戦後の歴史論争は今も続いている。

  • 著者:藤原帰一(1956-) 国際政治学、比較政治学、フィリピン政治研究
    カバーイラスト:板野公一
    著者写真提供:国際交流基金アジアセンター

    メモ:参考文献が面白い。青木保『「日本文化論」の変容』や、小林よしのり『ゴーマニズム宣言』なども並んでいる。



    【目次】
    はじめに [003-010]
    目次 [011-014]

    第一章 2つの博物館――広島とホロコースト 015
    広島とホロコースト/戦争をどう考えるか/反戦の倫理・正戦の倫理/武力行使のパラドックス/戦争を語り伝えるという行為/戦争観はどう変わってきたか/記憶の出会うとき/一九五〇年代平和運動と広島の記憶/ユダヤ社会の変化とホロコーストの記憶/記憶の政治性

    第二章 歴史と記憶の間 041
    歴史とは記憶だろうか/記憶は歴史になるだろうか/何を記憶として語るのか/有意義な過去としての戦争/記憶に頼る歴史/公的な記憶と私的な記憶/それぞれの物語

    第三章 正しい戦争――アメリカ社会と戦争 057
    1 エノラ・ゲイの展示をめぐって 059
    兵器の博物館/原爆展と論争/正戦か、反戦か/老人とB29
    2 ヨーロッパの戦争観・アメリカの戦争観 067
    正戦と反戦の間/ヨーロッパ古典外交の起源/国家の社会としての国際関係/アメリカと戦争/南北戦争の記憶
    3 二つの世界大戦とアメリカ 077
    第一次世界大戦の記憶/「三人の兵隊」がみたもの/戦争反対から正義の戦争へ/ニューディールと「戦争と福祉の国家」/大戦後の戦争認識/キューブリックの描いた戦争/スピルバーグの転換点/アメリカの反戦・反軍思想/デモクラシーと戦争/ベトナム戦争と映画表現

    第四章 日本の反戦 103
    1 反戦思想の起源 104
    ユーゴ空爆への反対/敗戦の受け止め方/大文字の政治からの解放/生き残った者/昭和館に展示されたもの/兵士の戦争経験・銃後の戦争経験/被害者としての国民
    2 広島における正戦と反戦 123
    原爆投下の認識/広島はどう語られたのか/国民的経験としての広島/加害者という視点
    3 広島をなぜ語るのか 134
    反核運動は「左」か/平和運動と現実主義/ヒロシマと広島の間

    第五章 国民の物語 143
    1 ナショナリズムとは何か 144
    普遍主義のなかの国民意識/「国民意識」の落とし穴/戦争と国民意識
    2 ナショナリズムとしての戦後民主主義 154
    日本国憲法とその意味づけ/護憲ナショナリズム/戦後啓蒙の意味/啓蒙の限界/物語の復活/戦争と物語/戦争責任の「国民化」/国民の責任・国民の構築
    3 シンガポールへ 180
    国民歴史博物館/シンガポールの物語/中国人の記憶/それぞれの死者へ

    おわりに(二〇〇一年一月 藤原帰一) [197-199]
    参考文献 [200-204 (i-v)]

  •  筆者はまず、広島の原爆博物館とワシントンのホロコースト博物館を対比させ、共に疑う余地のない災禍を扱いながら、前者は反戦、後者は正戦の倫理を伝えると指摘する。戦争は後世にはそれ自体というより個人の記憶の集合体やナショナリズムや特定の思想等と結びつけて語られるというのが、書名にもあるとおり本書全体を通じて述べられていることだろう。
     筆者は、「進歩的文化人」による硬直した「護憲ナショナリズム」にも、2001年の本書出版当時にはまだ話題であった「つくる会」の教科書の双方に批判的で、戦争の「(唯一絶対の)正しい記憶」も「国民の物語」化も突き放す。その上で、末尾に、被害者・加害者の別や国籍に関わらない、死者への静かな追悼としての戦争の記憶の可能性を提起している。
     とは言え、自分自身が戦争に行くか否かに関わらず戦地の情報が身近に伝えられ、戦争に関する言論が多くの国でかなりの部分自由な現在、日本に限らず、筆者のいう静かな追悼は難しいのだろう。本書出版の半年後に起きた9.11テロとそれに続く対テロ戦と対イラク戦の記憶を、筆者ならどう見るのだろうか。

  • 課題図書

  • 友人に薦められて読んでみた。
    広島とワシントン。平和記念資料館とホロコースト記念博物館。
    2つの博物館と底に流れる戦争に対する考え方、またそれがどのような歴史を経て形成されたのか。

  • 感想を書くのが非常にはばかられる本で
    それぞれの場所での戦争の感じ方の
    違い、そしてその後処理に関しての相違…

    こう思うと本当に戦争は罪深い代物ですね。
    罪深い、罪深すぎる。
    でも、これは絶対に必要悪とはいいたくありません。

    確かに人は欲に弱い、弱い生き物です。
    だけれども、この欲だけはどうがんばっても
    おかしいのです。

    必要悪では決してないです。
    もう二度としてはいけないのです。

  • ゼミの課題で読んだけど面白いとおもう!わりと読みやすいし要点まとめやすそうなのでありがたい♡ がんばろ〜 読み終わったらまた更新します。

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著者プロフィール

東京大学社会科学研究所教授

「2012年 『「こころ」とのつきあい方』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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