自由はどこまで可能か=リバタリアニズム入門 (講談社現代新書)

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  • Amazon.co.jp ・本 (224ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784061495425

作品紹介・あらすじ

裁判は民営化できる、国債は廃止、課税は最小限に、婚姻制度に法は不要-国家の存在意義を問い直し、真に自由な社会を構想する。

感想・レビュー・書評

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  • サンデルの講義を通じてリバタリアニズムが自分の考え方にかなり近いのではないかと感じ、もっとよく知りたいと思って本書を手にとった。
    序盤ではリバタリアンの代表的な分類や立ち位置を示し、続いて様々なケーススタディにおけるリバタリアンな考え方を対立意見と共に提示する。最後にリバタリアニズムに対する批判や疑問を取り上げる、という構成。

    すべてを完全に理解できたとは言えないかもしれないけれど、以下感想。
    思っていたより、非常にラディカルな思想に感じられた。筆者の理想とするリバタリアンな世界は現状から見ればほとんど無政府状態であり、本当にそんなにうまくいくのか?と疑念も禁じえない。世の人々の人間性を幾分過大評価しているきらいが有ると思う。
    それでもやはり自己所有権のテーゼに基づく自由は尊重されるべきだという私の信念は変わらない。もう少し深く勉強したい。

    根拠から理論的に導かれる主張(例えば自己所有権のテーゼに端を発する経済的自由)と帰結主義的な考えに支えられた主張(課税して所得を再分配したほうがみんな幸せ)の相克にどう対処していいのかが分からない。
    経済的自由の制限の正当性に関しては、自分が(本書の分類における)リベラルなのかリバタリアンなのかに関わる大きな問題なので、今後の宿題にしたい。

  • 学術的価値は高いのだろうが、フレンドリーな本では無かった。「リバタリアンの世界をちょっと覗いてやろう」といった軽い動機で本書を手にとるような読者(俺のこと)に用はなさそうだ。最終章でやっと著者の立ち位置が鮮明に見えてくるが、リバタリアンに限らず、ある種の極端な立場は、世論の支持を受けることが困難であり、かといって世論との妥協点を見出そうとする行為は、その主張の活力を削ぐことにもつながってしまう。よってリバタリアンとしては、現実主義路線には陥らず、我が道を突っ走るという結論のようだが、自由についての価値の再編が起きている(ように思える)昨今においては、その結論が受け入れられることは難しいであろう。リバタリアン的制度に関する批判に対し、起きている弊害の原因は制度自体にではなく、制度の不徹底にある、と言っているようではダメだろう。

  • 一橋大学教授によるリバタリアニズムについての本。入門書となっているが、学術的に多角的角度から自由について詳しく説明している。経済に関連する、市場原理主義や新自由主義、資本主義的考え方には賛同できるが、政治、特に安全保障関連で、全体主義、国家主義、民族主義を完全否定し、個人の自由と人権を最重要視する考え方には、賛同できない。個人の自由を重視すれば、秩序や治安の維持が困難となるし、一体感や団結なくして国家の繁栄はありえないと考えるからである。著者の考え方では安定した社会はできないと思われる。
    「他人の人身や自由を侵害する自由は、自由と呼ばれない」p40
    「権利のインフレ」p43
    「リバタリアニズムは、政治の領域を狭く限定しようとする傾向がある」p104
    「自由市場はすべての当事者の暮らし向きをよくするとはいえ、万人が等しい利益を受けることは保証しない。むしろ、それぞれ異なった人々が自由に行動する限り、彼らの経済的な境遇に差が生ずるのは当然のことである」p121
    「所得と富の不平等は、市場経済の本質的特徴である」p122
    「かりにある社会の中で貧富の差が拡大するとしても、それが貧しい人々がいっそう貧しくなることによるものではなく、彼らが豊かになる程度が相対的に豊かな人々がいっそう豊かになる程度よりも小さいことによるならば、その変化は改善である」p123
    「人権は国家主権に優先する」p130
    「人が自分から推進したわけでもない国家の行動に、同一化するいわれはない」p131
    「政治思想におけるリバタリアニズムの大きな特徴の一つは、国家への人々の心情的・規範的同一化に徹底して反対するという個人主義的要素にある」p131
    「今日の政治学者・評論家の多くは、政治の現状を批判しながら、民主主義や福祉の充実や地方自治の名の下に、政治権力の一層の拡張を事実上提唱しているが、彼らもまた自由の敵である」p134
    「世界国家が存在しない以上、それぞれの国家がその領土内の人々の自由と生活を保障するという制度には十分な理由がある」p138
    「ハイエクは個々人の自由以上に全体的な「法の支配」に関心を持っている」p187
    「途上国が資源にも労働力にも恵まれているのにその国民が貧しい生活を強いられているのは、多くの場合その政府に問題がある」p193

  • 真性のリバタリアンと新保守主義が異なる立場であることがわかった。ただ、その考え方に全く共感できず挫折。リバタリアニズムで社会が良くなる気がしない。

  • 個人の自由を無限に求めて「小さな政府」論を唱え、市場放任主義を採ろうとすると、貧富の格差が拡大する。格差社会では、富めるものは政治に頼らなくなり、貧しいものは政治に不信を抱くようになる。その結果、民衆の連帯感は薄れ、政治的無関心に陥り、官僚主義が跋扈し、国民の自由や人権は再び危険にさらされることとなる。
    (自由至上主義者は、市場放任主義すなわち格差拡大というストーリーは単なる俗説に過ぎないと斥けるが、その根拠は必ずしも明らかではない。)

    ……上記は俺が本書を読む前に、自由至上主義(=リバタリアニズム)についてもっていたイメージである。

    リバタリアニズムの中にも右から左まで(アナキズムから最小限の福祉を認める立場まで)いろいろあるということはわかったが、上述の俺が事前にもっていたイメージはやはり基本的には間違ってはいなかったと思う。
    リバタリアニズムは経済格差を容認し、国民の政治参加を軽視する。
    それは以下に引用する2つの文章によく表れている。

    “経済的不平等は社会内部の連帯感を損なう、と言われるかもしれない。だが、リバタリアンはそもそも相互に人間性を認め合うという、礼儀正しい尊重以上の濃い連帯感が社会全体の中に存在しなければならないとは考えない。濃い連帯感は共同体の内部で求めるべきである。経済的に豊かな人と貧しい人の間ではライフスタイルが異なるために連帯感が生じにくいかもしれないが、そのことは、異なった宗教の信者や異なった地方の住民の間で連帯感が存在しにくいのと同様、問題ではない。”(p.124)

    “(政治参加)の強制は個人的自由に対する全面的な侵害である。それはちょうど音楽好きの人々――(中略)――が、音楽のない生活は貧しい生活だという理由で、政府は音楽の振興を国家的目的として、すべての国民に音楽活動への積極的な参加を呼びかけなければならない、と主張するようなものである”(p.128)

    ただ、自己所有権に関する議論などはかなり納得できた。相続税(ないしは相続財産の没収)を是認するというリバタリアンが言いそうにないことも、著者の主張と首尾一貫していて面白かった。

    諸手を挙げてリバタリアニズムに賛同することはできないが、アンチテーゼとして常に意識しておくべき思想だ。

  • とあるところで勧められたので、読んでみました。
    リバタリアニズムの本をまともに読んだのは、これが初めて。
    自由や平等を尊重する、という点では、一定程度理解できる部分もあるものの、少なくともこの本からは、リバタリアニズムは何だかとってもご都合主義な主張のように思えました。

    日本で、リバタリアニズムに近い政治が行われたのは、2000年代から2010年代にかけて、という認識なのですが、この本が出た2001年は、そういった政治の前。
    この20年の日本の政治や社会を見てもなお、著者(や他のリバタリアン)が同じ主張をするのかどうかが気になりました。

    それにしても、法哲学に関するいろんな主張(主義)は、どれも極端な部分が多い印象があります。
    おそらくは、それぞれの前提に基づいて徹底的に突き詰めようとしている結果だとは思いますけど、自分には「やりすぎ」に思える部分が多いです。
    ただ、その「やりすぎ」が発生するがゆえに、また新たな主張(主義)が生まれ、議論が豊かになるのだろう、とは思っています。
    とはいえ、やりすぎな部分は、正直いって、読むのがしんどい…。

  • 自分のことを自分で決定できる自由を最上位の価値とするリバタリアニズムについて説明する本。

    自分の身体、身体から生み出したモノについて自分で自由にできる権利を起点に、世の中で必要と思われている制度、政府の仕事について悉く不要と論じてゆく。平等や相続、アイデアなど無形物の所有権など、論点が分かれるところは、それぞれの主張を説明した上で著者の考えを最後に述べており、中立性には欠けるものの、それだけ著者が真剣にリバタリアニズムを信じていることだろう。

    あくまで入門書のため、全て分かったことにはならないものの、リバタリアニズムは性善説過ぎ、人が何でも我欲で悪用する現実の中では、リバタリアニズムを実現すると多くの人が不幸になると感じた。

  • 「自由」を至高とするリバタリアニズム入門書。
    著者と私(左翼)は考え方は異なる。
    しかし非常に論理的な書き方をしてあるおかげで、相手の考えを理性的に検討することができる。
    「国家による強制」を悪しきものとみなす考え方には共感できるところもあるなと思った。

  • 【自分用の覚書として記載したため、一部批判的な内容となっています。】

    ・メモ1
    ハリスの臓器移植くじの話は非常に興味深い。人々がこの平等政策に反対するのは、自己の身体を強制提供するのは自己所有権を侵害するためだという。リバタリアニズムの考え方は、自己の身体を所有する権利を基点として自由権を捉えるようだ。この自己所有権は、キーワードとして本書で都度登場している。自由主義と平等主義の衝突点は、究極には自己所有権に行き着くのだろう。
    ・メモ2
    ハイエク批判は非常に興味深かった。

    ・個人的な感想1
    本書は、べき論とである論や存在・当為関係が、十分には整理されていないように思える。なぜ(国家からの)自由に価値を見出すべきだと著者が思ったか、については書かれている。しかし、その自由の実践が、なぜ・どのようにして全ての問題を半ば自動的に解決するのかということの因果メカニズムや、そのための具体的方策が、残念ながら十分には検証・提示されていない。そういう意味では、理論一辺倒の極度の演繹主義ともいえるマルクス・レーニン主義と似たものを感じた。
    端的に言えば、著者の提案が著者の理念から理論的に導出されるのは確かだが、それを実践するのはムリではないか、アナーキーな無秩序に陥るだけではないか、と思えることが多々ある。本書の主張には、(ある観点からすれば)理念的に正しいことは現実の政策に移せば必ず成功する、という無批判的な論理飛躍が常に付きまとっている。
    ピンポイントな例だが、民族別議席配分などの多元文化主義への批判があった。この著者がどれほど権力分有の政治学に詳しいのか不明だが、何か代替案があるわけではなかった。
    著者が訴えるものは、「自由であるべきだ」というドグマから素朴に導き出された、現政策への批判だ。民族別議席配分は、あらゆる制限のなかで編み出された苦し紛れの手法であり、決して最善策とは言えないものの、特定の地域においては辛うじて紛争発生を予防してきたシステムである。多元文化主義を解消すれば、ただちに神の見えざる手があらゆる問題が解決する(または、何も問題が起こらない)わけではないし、専門家が日夜追求するなかで、代替案がそう簡単に見つかれば苦労はない。(この話は多元文化主義批判に留まらず、多くの現状批判に対して当てはまる。筆者も、こういった実現不可能性への批判を想定済みのようだ。)
    ・・・と、色々書いてきたが、著者からすれば、具体的な方策を考えるのは著者の仕事ではない、ということなのだろう。
    あくまで、東側諸国のメルクマールとなってきたマルクス・レーニン主義と同様、諸制度(または「無」制度)の核とすべき理論を打ち立てることが目的であるように思える。その理論は、例えば100年後のある地域では、実践可能な理論となっていることはあり得る。ただし、それは世界政府の理想と同様、現代のわれわれにとって、何かの役に立つものではない。著者が訴える提案は、実態に基づいた立案ではなく、あくまで先験的なテーゼに基づいた教条だからだ。

    ・個人的な感想2
    色々言ってしまったが、一部の自由化・制度解消(婚姻制度批判など)の主張は、尤もだと私個人として感じた(が、それらを実践することはやはり困難である以上、有力な代替案なき主張はあまり価値を持たないように思えた)。
    また、元々私はリバタリアニズムを体系的に勉強するために本書を読んだ。その意味で、当初の読書目標をよく達成できた気がしており、著者へ大いに感謝している。

  • 世の中いろいろな考えがあるとつくづく思う。

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著者プロフィール

一橋大学名誉教授

「2023年 『法と哲学 第9号』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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