動物化するポストモダン オタクから見た日本社会 (講談社現代新書)

Kindle版

β運用中です。
もし違うアイテムのリンクの場合はヘルプセンターへお問い合わせください

  • 講談社 (2001年11月20日発売)
3.61
  • (226)
  • (424)
  • (573)
  • (45)
  • (20)
本棚登録 : 5123
感想 : 369
サイトに貼り付ける

本ページはアフィリエイトプログラムによる収益を得ています

Amazon.co.jp ・本 (200ページ) / ISBN・EAN: 9784061495753

作品紹介・あらすじ

気鋭の批評家による画期的な現代日本文化論! オタク系文化のいまの担い手は1980年前後生まれ第三世代。物語消費からデータベース消費へ。「動物化」したオタクが文化状況を劇的に変える。


哲学の本でもなく、社会学の本でもなく、文化研究でもなく、サブカル評論でもなく、社会評論でもなく。
浅田彰と宮台真司と大塚英志と岡田斗司夫とフラットに並べて論じ、
サブカルチャーとハイカルチャーを行き来するはじめての書として、
2000年代以降の批評の方向を決定づけた歴史的論考。

また本書で語られているデータベース消費、解離的な人間といった分析は、
本が出てから十数年を経過した今日では、さらに有効性をもったキーワードとなっている。
これは、2001年当時は、本書のサブタイトルである「オタクから見た日本社会」であったものが、
いまでは「オタク」という言葉をつける必要がなくなっていることを意味している。

2000年代を代表する重要論考であるのと同時に、
2010年代も引き続き参照され続ける射程の長い批評書。

みんなの感想まとめ

現代日本文化の深層を探る本書は、オタク文化の変遷や「データベース消費」という新たな視点を通じて、私たちの社会における人間関係や価値観の変化を鋭く描き出しています。著者は、サブカルチャーとハイカルチャー...

感想・レビュー・書評

並び替え
表示形式
表示件数
絞り込み
  • 三宅香帆さんのYouTubeから

    本書は「批評」とはいかなるものかという文脈の中で紹介された一冊で、三宅香帆さんが影響を受けた批評家として名前を挙げられた東浩紀さんの代表作とのことだったように思う

    2001年に発刊され、当時の西郷隆盛違うわ!テクニカルな間違え方すな!隆盛(りゅうせい)を誇ったオタク文化についての論評である
    そして今読んでもぜんぜん古さを感じないという評価をよく耳にするが、いやめちゃくちゃ古いやないかい!っていう
    懐かしさしか感じないわ!っていうね

    待て
    待て待て
    分かってます
    そういう表面的なことじゃなくてね
    出てくる作品がうわー懐かしーっていうような表面的な話じゃなくてね

    筆者が定義する「データベース消費」ってのがすごいよく分かって、納得感しかなかったです
    中身は本書を読むか、字面から想像して下さい
    まぁ、ど真ん中世代やからな
    オタク文化ど真ん中世代やからな

    そして肝心の「批評」ですよ

    AIに聞いてみた
    〜批評(ひひょう)とは、文学、芸術、映画、あるいはアイデアなどの対象について、その是非、善悪、美醜を論じ、洞察ある判断を下して価値を決める行為です。単なる感想や非難とは異なり、根拠に基づいた論理的分析により、新しい見方や問いを提示する知的活動です。〜

    なるほど〜
    そういうことなら本書はすんばらしい「批評」でした

    東浩紀さん他のも読んでみよ!

    • ultraman719さん
      ツンで始まる仲良しさんの文字あります!
      ツンで始まる仲良しさんの文字あります!
      2026/03/16
    • ともちんさん
      ツンで始まる仲良しさん?
      ツンで始まる仲良しさん?
      2026/03/16
    • ひまわりめろんさん
      「ツンツルテン」やな
      「ツンツルテン」やな
      2026/03/16
  • “しかしポストモダンの人間は、「意味」への渇望を社交性を通しては満たすことができず、むしろ動物的な欲求に還元することで孤独に満たしている。そこではもはや、小さな物語と大きな非物語のあいだにいかなる繋がりもなく、世界全体はただ即物的に、だれの生にも意味を与えることなく漂っている。意味の動物性への還元、人間性の無意味化、そしてシミュラークルの水準での動物性とデータベースの水準での人間性の解離的な共存。(略)「ポストモダンでは超越性の観念が凋落するとして、ではそこで人間性はどうなってしまうのか」という疑問に対する、現時点での筆者の答えである。(p.140)”

     サブカルチャー論でよく名前を聞く本。
     筆者の主張をごく簡単にまとめれば、ポストモダンとは「大きな物語」の権威が失墜し、代わって「小さな物語」(シミュラークルの全面化)と「大きな非物語」(データベース)の二層構造が生じた時代だとする。オタクたちの消費活動は、ポストモダン化の進行に伴って「物語消費」から「データベース消費」に移行した。そして筆者は、彼らの行動様式を「動物」的、つまり、“間主体的な構造が消え、各人がそれぞれ欠乏-満足の回路を閉じてしまう状態(p.127)”にあると評する。

     以下、読んで思ったこと。

    ・巫女キャラなど日本的な意匠がマンガやアニメによく見られることを以て、オタク文化の日本への執着を読み取るのは流石に深読みのし過ぎだ。況や、敗戦で一度失われた疑似的な日本の再建の欲望をや、である。それを言うなら、例えば西洋的な意匠や中華的な意匠も同じくらい広く受け入れられているのだから。オタク文化に散見される日本的意匠は、文字通り作品中で用いられた「意匠」の1つに過ぎず、それ以上の特別な意味はないと思う。

    ・僕が理解したところでは、「大きな物語」は有機的に概念が繋がっているのに対し、「大きな非物語」は無機的だというのが両者の差異なのだと思う。前者では階層構造があって、そこから道徳・価値が導かれる。一方後者ではすべてが等質的("超平面的(p.154)")なので、個々人が何か行動規範を選びとる必要がある。
     ただ、個別のアニメ作品に於いては「大きな物語」も「大きな非物語」もともに「設定」のことであると書いてあるのがややこしい(p.50には“「大きな物語」とは(略)「設定」や「世界観」を意味する”とあり、p.54には“データベース=設定”とある)。文脈から考えて、前者の「設定」とは作品世界についての設定であり、後者はキャラクターについての設定ということだろう。斎藤環は登場人物の行動原理を「トラウマ」で説明する近年の傾向を指摘したが(『社会学化する社会』)、後者の「小さな物語」と関連があるか?

    ・「データベース消費」におけるストーリーの偶然性に対する指摘はなるほどと思った。確かに、ノベルゲームのマルチエンド構造は、ストーリーが必然的なものではないという意識を反映していそうだ。また、本書と所謂「なろう」小説の関連について触れた他の方のレビューを読んだが、その通りだと思う。「小説家になろう」では、転生ものや追放ものなど新しいジャンルが開拓されると膨大な数の類似作が一気に投稿されるという。僕も何作かは読んでみたことがあるが、「ジャンル・世界観」+「ストーリー展開」+「主人公のキャラクター」+「ヒロインのキャラクター」+・・・のように構成要素を組み合わせて出来ている感じがした。もはや話の筋は類型的でいいようだ。これこそまさにシミュラークルの典型と言えるだろう。

    ・「大きな非物語」について読んだとき、最初に連想したのがマッチングアプリだった。そこでは、人間は性別や年齢、収入etc.の集合としてしか扱われない。他にも似たような例は挙げられるだろうが、このようなデータベース化は情報化社会の現れでもあるだろうから、単純にポストモダンに帰着させて良いものかはよく分からない。

     オタク文化とポストモダン論を関連付けて論じる試みは興味深く、時代の傾向をつかんでいると思う。本書で導入された種々の概念は今でも依然として有用だろう。しかし、全体的に少し説明不足という印象も受けた(この本をちゃんと読解できている自信はないけど)。アニメやマンガを読む時や、また普段の生活の中でも、慎重に吟味していきたいところである。

  •  1980年生まれの私だが、エヴァンゲリオンはみたものの、そこから先に映画芸術の方にのめり込んでしまい、オタク的文化にはまったく踏み込まなかった。
     しかし、エヴァンゲリオンについての市場化について持っていた困惑は、本書を読むことでかなり解消された。
     少しでも批評的な視点を持ちたいので、次は母性のディストピアに行きやす。完全に三宅香帆路線や。ちょっとオタク路線から離れたいなという気持ちもあるが笑

  • オタクたちは自分の好む萌え要素や自分の好む演出を単純に求めている。そうした個別の事柄に対する自分の意見や主張(好み)は、他人と共有されることなく、自分の欲求を孤独に満たすものでしかない。彼らは情報交換や作品評価については掲示板やオフ会で積極的に他人とつながるが、それは親族や地域共同体のような現実に基盤をもつものではなく、ある作品(情報)への関心だけで支えられている表面的なもの。自分にとって有益な情報が得られなければ、他人とのかかわりから離れてしまう。いまや、生きる意味や欲求は人間関係の中で生まれるものではなくなり、他人とのかかわりなしに、ひとりで孤独に満たされるようになっている。

  • ポストモダンを「オタク文化」の観点から論じた本書は、以前から関心があった。長らく「積ん読」になっていた本書だが、期待にたがわぬ内容だった。ポストモダンという思想が支配した90年代以降は、文化的に「オタク」が席巻した時代でもあったが、オタクの指向も時代と共に様変わりした。その変化の様子をつぶさに観察し、分析し、ポストモダンという時流を物差しにして論じて見せた本書は、近代を超えた「今」に対するテーゼとして読まれるべき一冊であると思う。
    ポストモダン時代の論客として、大塚英志や宮台真司らの著作も(比較的理解しやすそうなものを選り好みして)読んでみたが、東浩紀の文章は、深いところにある思想を、身近な例を駆使して我々が理解可能な表層に浮かび上がらせ、結果として思想の一端を可視化してくれるという意味で、ポストモダン論者の第一人者だと考えている。
    タイトルにある「動物化する」とはどういうことか。それは本書を読めば容易に理解できる。別のところでも書いたけれども、インターネットを介した仮想空間でのコミュニケーションが主流となった現在、リアルな社会は形を失い、全体を貫く社会的、文化的一貫性は失われつつあり、少なくとも曖昧化あるいは希薄化を辿っていることは疑いない事実である(ことが本書を読むとよく分かる)。本書の中で、戦後のテロ事件として名高い連合赤軍とオウム真理教を比較分析している箇所がある。両者の違いは、「何を信じるか」という点におけるわずかな違いであると結論づけられているが、ポストモダン時代を生きる人間が「動物化」したこととこの「わずかな違い」は密接に関連しているような気がしてならない。本書を読んで、そのことを強く感じた。
    「ゆとり世代」などと揶揄される、現代を生きる世代は「欲がない」と評されたりもする。この「欲」の内容を掘り下げると、「動物化」した人たちとは何か、ということも見えてくる。戦後の復興と成長を目指して、貪欲におのが「欲望」に向かって邁進した世代から見れば、現代の人びとは「無欲」に映るのかもしれない。だが、貪欲な欲望が生み出したバブル神話がはじけ、またソ連崩壊による世界的な体制の大きな変化を経た現代、「動物化」することは、現代の生きる知恵の一つだったのではないだろうか。

  • (2024/08/20 2h)

    旧版の表紙で読んだものだから、バーコードを読み取ってオシャレな表紙に驚いた。

    オタクの文化から紐解くポストモダン。
    哲学門外漢でも読みやすく、かつ豊富な資料群に楽しく読了。

  • オタクの出現を【大きな物語】が失われた後の【ポストモダン】で捉えている。
    出版から20年以上が経ち、【オタク】という言葉の使われ方も意味合いも変化しつつあるがそれでもその本質は変わっていない。今でも読むべき名著。

  • 一般にライトノベルはキャラが立っていることがとにかく重要と言われているので、私にはラノベは面白くないだろうなと思って手を出していない。食わず嫌いと言われても仕方ないが、物語が二次的であるような小説に興味が持てないからだ。

    なぜラノベが発展しているのか、この本を読んでちょっと納得できた。もう物語が不要で、萌え要素があればいいというひとたちが出てきているらしい。それが本当で、主流になっていくのだとしたら、わたしが面白いと思うようなコンテンツが新規に生まれることは少なくなっていくだろう。自分が旧世代の人間であることを確認してしまった。

  • 國分功一郎『暇と退屈の倫理学』の注でも紹介されている本書。初版は2001年なので、もはや23年前の本になるが、今年は東浩紀氏の本をたくさん読んでみたいと思っているので、彼の思考を辿る意味でも読んでみることに。

    本書はオタク分析からアプローチしているので、サブカルチャーやアニメ、プログラミングなどオタクの世界の読み解きについていくのは正直大変。
    したがって、一度全体を読んでから哲学的な考察を拾いながら振り返った。

    『暇と退屈の倫理学』でも「動物になること」はキーワードとして出てきているが、改めて「動物化とはどういう状態か」に注目。

    本書はアレクサンドル・コジェーブの考え方を参考にしていて、どうやら動物は欲求しか持たないのに対し、人間は欲望を持つらしい。

    どういうことか。

    欲望は羨望や嫉妬などのように他者の欲望を欲望する。つまり欲望は他者を必要とする。つまり関係を必要とする。

    それに対して、欲求は自らの欠乏さえ満たせればよいから孤独に生きられる。動物はただ単に自分の食欲を満たして生きている。確かにそうかもしれない。

    つまり、ポストモダンの人間は、自分の欠乏を満たしながら孤独に生きているということ。東氏は嘆きや憂いというよりも冷静にその時代性を俯瞰しているよう感じた。

    人間はつながりを生むが、欲望は消えることがなく自然と調和できない。
    動物は欲求を満たせばいいから自然と調和するけど、孤独。

    果たして、人間がいいのか、動物がいいのか?
    そして、今の自分は人間か動物か?

    考えさせられる一冊です。

  • 図書館でたまたま見つけたので読了。
    日本に深く根付くオタク文化とそれに伴う消費活動の推移やポストモダン的な文化社会の変化を解説していてサブカルチャーが好きな身としては面白かった。「オタク君こういうのが好きなんでしょ〜?」という言葉がタグ付けされた文化の要素的なものばかりを愛してしまっているオタク君たちに当てはまっているなと読んでいて思った。
    ただなんとなく尻すぼみというか着地点を見失っていた気がする。

  • 東さんが自分の中でトレンドになりつつあるので、初期の代表作を手に取る。90年代のオタクの閉塞的な空気と何となくネガティブな印象とポストモダン的な社会を結びつけて論じられている。人間関係の希薄さがとやかく騒がれてた時代の雰囲気をおおよそマッチしてるかな。

    2023年のオタクはどうなのか、結構オタクの障壁はだいぶ優しくなって日本人の大部分がオタク的要素は持ち合わせているのではないでしょうか。しかし、90年代とは違いもっとライトな日常生活に溶け込んだ印象を受けます。昨今の小さい物語消費への動物的消費傾向は続いていると思うし、インターネットやSNSによる拡散効果でその餌食となる人数が昔に比べてはるかに多いように感じる。あとは、データーベース構造からのシュミラークルなんてものは、今はYouTube台頭の時代もあってそういった作品群が溢れかえっている。そこには〈萌え要素〉の流用による動物的消費の過剰摂取が見て取れる。

    筆者の主張は現代加速している面と、より広範な人々が対象になっていてもはや気にもしないレベルに浸透しているのでは、そこには少なからず危惧すべき点があるのではと悶々としちゃう。

    擬似社会でのいつでも降りられる関係性における社会性をオタクは築いており、本来の社会的な営みには参加していないといった主旨があるかと受け取ったが、それこそツイッターやらLINEやらの似非社会であったものが本当の社会生活で大きなウェイトを占めはじめて久しいし、この点では次のステージに移行してる感もある。

    少し前の作品ですが、だからこそ当時の社会のあり方、現代のあり方を比べながら読み進めてみると今読んでも中々刺激的だなと。

  • 現代思想専門だった東浩紀だけにポストモダンの行方をシミュラークル、データベースという切り口でオタク文化を分析するその手腕はまさにオタクたちの待っていた人だろう。

    オタクのコミュニケーションが自発的なものであり、いつでも離脱可能だという指摘は現在のネット社会を予見していてさすが東浩紀だと舌を捲かざるを得ない。

    新世紀エヴァンゲリオンという無限にシミュラークルを作りだす装置のからくりをいま読み返してみて2001年の段階で看破していたことも彼が白眉である証拠だろう。

    しかし第三章においての解離性人格障害をシミュラークルとデータベースで説明するというのはあまりに稚拙すぎる。
    この章はなくてもよかっただろうと思う。

    現在の東の活動はオタク文化分析のフィールドからかなり離れてしまったしおそらくもうそれほどオタクという現象に魅力を感じなくなっているのだろう。

    確かに東の分析から現在のオタク文化が進展して考察するに値するものであるとは思えない。

    これから本書を読む人は2013年の時点においてはそれほど目新しいことは書いていないことを自覚しつつ再確認するという程度にとどめておくべきであろう。

    現代思想という言葉が風化しつつある現代日本においてはもはや本書は役割を終えた感はあるがここから西欧のポストモダニズムへの興味が少しでも湧いてくるならばそれだけで本書を読んだ価値はあるかもしれない。

  • まぁ、当のオタクたちはそんな難しいこと考えてないし考える必要もないのだけど、歴史の積み重ねで今が在る以上、考察の余地があって、ある程度の傾向は読みとれる。

    データベース化した深層世界(大きな非物語)から、消費者はそれぞれ好きかってに読みとって解釈しシュミラークル(小さな物語)を形成する。

    たくさんの神話とかがマジで信じられていた時代はけっこう昔に終わっていて、「生きる意味とか価値」が色々な理由をつけて語られるようになった。

    正直、多分みんな「生きる事」に意味とか価値ってないってことに無意識的には気付いている。だからこそ自殺とか後を絶たないわけで。

    そうなったときに人間は動物化(欲求のみに生きる)する。これがアメリカ型消費社会。

    「欲望」って動物的な「欲求」とはまた違って、「欲望されることを欲望する」性質がある。つまりみんなはみんなに嫉妬されたいわけだ。

    全然整理してまとめられてないけどこのようなことをかいてあって、心にのこった。


    うーん・・・多様性を受容できないと、今の世の中生きていくのはけっこうしんどいのかもしれないな。

  • タイトルかっこ良い。読み終わるとタイトルの意味がわかる。「ポストモダン」とは近代以降の価値観を指す言葉であること、「動物化する」は、人間と動物を主に消費という概念で対比した言葉であること。ものすごく噛み砕いて言えば「メタ」論で、コンテンツを消費する時にどこまで折り込み済みの事情まで楽しんでいるか、「サンプリング」感覚をどこまで許容できるか、という話と思って読んだ。
    人間が動物化したからといって、世界を憂いたり、作品を卑下したりしないスタンスが心地よい。

  • オタクから見た日本社会論。
    2001年の出版であるが、今からみても、古くない。
    具体例に出てくる、ガンダムとエヴァンゲリオンの違いなど面白い。

  • 読解力が足りなく、内容を半分も理解できていない。
    ベストセラーになるほどこの本は評価されているため、また改めて読みたい。

  • 高校生の時、現代文の評論で読んで印象的だったのを思い出して読んだ
    2000年代初頭の文章でありながら、今の世界にも指摘できる部分がたくさんあると思う
    「ポストモダン」という思想のジャンルが、今の自分を支える物語になっているようにも感じる
    今の世界の行き場のなさ、大きな物語の喪失を、成長とともに実感してきた世代として、その解説が、説明が、世界を読み解き、生き方を考えるための一種の支えになっている

  • 内容として事前知識が無いので読み進めるのには時間がかかったけど、なんとか読めた。オタク文化について詳しく考察していたような気はする。自分自身も動物化しているなあと思いつつ、次の本も読みたい

  • おもしろかった
    国民というアイデンティティ
    理解しきれなかった部分があるので近いうちに再読したい

  •  知人から面白い本だと紹介され本書を手に取りました。哲学史のテキストならまだしも哲学書には壁を感じており、壁を乗り越える意味も込めて読みました。
     著者はオタク系文化はポストモダンの社会構造をよく反映しているとしており、ポストモダンの考え方を現代(当時)のオタク文化に当てはめることで分析を試みています。そこではオタクたちがコンテンツを鑑賞する方法を「データベース消費」と命名し、その枠組みをもとにオタクのみならず現代の日本人の思考方法そのものをも分析しています。最終的にはコジェーヴが定義した人間と動物の差異に基づいてオタクたちの行動が「動物化」していることを指摘し、書名の伏線が回収されます。
     本書は論の運び方が(納得できるかどうかはさておき)非常に明快で内容を理解しやすく、整理された論説文の書き方になっています。具体例があまりにオタクオタクしており、その点も私には理解しやすい点です。また本書では思想家や評論家の論旨がしばしば引用されますが、そのたびに内容を咀嚼して本書の論の構成に位置付けて説明されており丁寧です。
     本書で解剖されてしまった行動様式は一匹のオタクとしての私にも実感を持って理解できる部分が多く、自分の考え方の根源を考えるよい機会になりました。また、あまり詳細を知らなかったポストモダンに関しても少し知ることができ、現代思想の理解を深めるよい機会となりました。

全300件中 1 - 20件を表示

この本が好きな人におすすめの本

著者プロフィール

1971年、東京生まれ。批評家・作家。東京大学大学院博士課程修了。博士(学術)。ゲンロン創業者。著書に『存在論的、郵便的』(第21回サントリー学芸賞)、『動物化するポストモダン』、『クォンタム・ファミリーズ』(第23回三島由紀夫賞)、『一般意志2.0』、『弱いつながり』(紀伊國屋じんぶん大賞2015)、『観光客の哲学』(第71回毎日出版文化賞)、『ゲンロン戦記』、『訂正可能性の哲学』、『訂正する力』など。

「2025年 『平和と愚かさ』 で使われていた紹介文から引用しています。」

東浩紀の作品

  • 話題の本に出会えて、蔵書管理を手軽にできる!ブクログのアプリ AppStoreからダウンロード GooglePlayで手に入れよう
ツイートする
×