動物化するポストモダン オタクから見た日本社会 (講談社現代新書)

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  • 講談社
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  • Amazon.co.jp ・本 (200ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784061495753

作品紹介・あらすじ

オタクたちの消費行動の変化が社会に与える大きな影響とは?気鋭の批評家が鋭く論じる画期的な現代日本文化論。

感想・レビュー・書評

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  • “しかしポストモダンの人間は、「意味」への渇望を社交性を通しては満たすことができず、むしろ動物的な欲求に還元することで孤独に満たしている。そこではもはや、小さな物語と大きな非物語のあいだにいかなる繋がりもなく、世界全体はただ即物的に、だれの生にも意味を与えることなく漂っている。意味の動物性への還元、人間性の無意味化、そしてシミュラークルの水準での動物性とデータベースの水準での人間性の解離的な共存。(略)「ポストモダンでは超越性の観念が凋落するとして、ではそこで人間性はどうなってしまうのか」という疑問に対する、現時点での筆者の答えである。(p.140)”

     サブカルチャー論でよく名前を聞く本。
     筆者の主張をごく簡単にまとめれば、ポストモダンとは「大きな物語」の権威が失墜し、代わって「小さな物語」(シミュラークルの全面化)と「大きな非物語」(データベース)の二層構造が生じた時代だとする。オタクたちの消費活動は、ポストモダン化の進行に伴って「物語消費」から「データベース消費」に移行した。そして筆者は、彼らの行動様式を「動物」的、つまり、“間主体的な構造が消え、各人がそれぞれ欠乏-満足の回路を閉じてしまう状態(p.127)”にあると評する。

     以下、読んで思ったこと。

    ・巫女キャラなど日本的な意匠がマンガやアニメによく見られることを以て、オタク文化の日本への執着を読み取るのは流石に言い過ぎだ。況や、敗戦で一度失われた疑似的な日本の再建の欲望をや、である。それを言うなら、例えば西洋的な意匠や中華的な意匠も同じくらい広く受け入れられているのだから。オタク文化に散見される日本的意匠は、文字通り作品中で用いられた「意匠」の1つに過ぎず、それ以上の特別な意味はないと思う。

    ・僕が理解したところでは、「大きな物語」は有機的に概念が繋がっているのに対し、「大きな非物語」は無機的だというのが両者の差異なのだと思う。前者では階層構造があって、そこから道徳・価値が導かれる。一方後者ではすべてが等質的("超平面的(p.154)")なので、個々人が何か行動規範を選びとる必要がある。
     ただ、個別のアニメ作品に於いては「大きな物語」も「大きな非物語」もともに「設定」のことであると書いてあるのがややこしい(p.50には“「大きな物語」とは(略)「設定」や「世界観」を意味する”とあり、p.54には“データベース=設定”とある)。文脈から考えて、前者の「設定」とは作品世界についての設定であり、後者はキャラクターについての設定ということだろう。斎藤環は登場人物の行動原理を「トラウマ」で説明する近年の傾向を指摘したが(『社会学化する社会』)、後者の「小さな物語」と関連があるか?

    ・「データベース消費」におけるストーリーの偶然性に対する指摘はなるほどと思った。確かに、ノベルゲームのマルチエンド構造は、ストーリーが必然的なものではないという意識を反映していそうだ。また、本書と所謂「なろう」小説の関連について触れた他の方のレビューを読んだが、その通りだと思う。「小説家になろう」では、転生ものや追放ものなど新しいジャンルが開拓されると膨大な数の類似作が一気に投稿されるという。僕も何作かは読んでみたことがあるが、「ジャンル・世界観」+「ストーリー展開」+「主人公のキャラクター」+「ヒロインのキャラクター」+・・・のように構成要素を組み合わせて出来ている感じがした。もはや話の筋は類型的でいいようだ。これこそまさにシミュラークルの典型と言えるだろう。

    ・「大きな非物語」について読んだとき、最初に連想したのがマッチングアプリだった。そこでは、人間は性別や年齢、収入etc.の集合としてしか扱われない。他にも似たような例は挙げられるだろうが、このようなデータベース化は情報化社会の現れでもあるだろうから、単純にポストモダンに帰着させて良いものかはよく分からない。

     オタク文化とポストモダン論を関連付けて論じる試みは興味深く、時代の傾向をつかんでいると思う。本書で導入された種々の概念は今でも依然として有用だろう。しかし、全体的に少し説明不足という印象も受けた(この本をちゃんと読解できている自信はないけど)。アニメやマンガを読む時や、また普段の生活の中でも、慎重に吟味していきたいところである。

  • ポストモダンを「オタク文化」の観点から論じた本書は、以前から関心があった。長らく「積ん読」になっていた本書だが、期待にたがわぬ内容だった。ポストモダンという思想が支配した90年代以降は、文化的に「オタク」が席巻した時代でもあったが、オタクの指向も時代と共に様変わりした。その変化の様子をつぶさに観察し、分析し、ポストモダンという時流を物差しにして論じて見せた本書は、近代を超えた「今」に対するテーゼとして読まれるべき一冊であると思う。
    ポストモダン時代の論客として、大塚英志や宮台真司らの著作も(比較的理解しやすそうなものを選り好みして)読んでみたが、東浩紀の文章は、深いところにある思想を、身近な例を駆使して我々が理解可能な表層に浮かび上がらせ、結果として思想の一端を可視化してくれるという意味で、ポストモダン論者の第一人者だと考えている。
    タイトルにある「動物化する」とはどういうことか。それは本書を読めば容易に理解できる。別のところでも書いたけれども、インターネットを介した仮想空間でのコミュニケーションが主流となった現在、リアルな社会は形を失い、全体を貫く社会的、文化的一貫性は失われつつあり、少なくとも曖昧化あるいは希薄化を辿っていることは疑いない事実である(ことが本書を読むとよく分かる)。本書の中で、戦後のテロ事件として名高い連合赤軍とオウム真理教を比較分析している箇所がある。両者の違いは、「何を信じるか」という点におけるわずかな違いであると結論づけられているが、ポストモダン時代を生きる人間が「動物化」したこととこの「わずかな違い」は密接に関連しているような気がしてならない。本書を読んで、そのことを強く感じた。
    「ゆとり世代」などと揶揄される、現代を生きる世代は「欲がない」と評されたりもする。この「欲」の内容を掘り下げると、「動物化」した人たちとは何か、ということも見えてくる。戦後の復興と成長を目指して、貪欲におのが「欲望」に向かって邁進した世代から見れば、現代の人びとは「無欲」に映るのかもしれない。だが、貪欲な欲望が生み出したバブル神話がはじけ、またソ連崩壊による世界的な体制の大きな変化を経た現代、「動物化」することは、現代の生きる知恵の一つだったのではないだろうか。

  • 一般にライトノベルはキャラが立っていることがとにかく重要と言われているので、私にはラノベは面白くないだろうなと思って手を出していない。食わず嫌いと言われても仕方ないが、物語が二次的であるような小説に興味が持てないからだ。

    なぜラノベが発展しているのか、この本を読んでちょっと納得できた。もう物語が不要で、萌え要素があればいいというひとたちが出てきているらしい。それが本当で、主流になっていくのだとしたら、わたしが面白いと思うようなコンテンツが新規に生まれることは少なくなっていくだろう。自分が旧世代の人間であることを確認してしまった。

  • 現代思想専門だった東浩紀だけにポストモダンの行方をシミュラークル、データベースという切り口でオタク文化を分析するその手腕はまさにオタクたちの待っていた人だろう。

    オタクのコミュニケーションが自発的なものであり、いつでも離脱可能だという指摘は現在のネット社会を予見していてさすが東浩紀だと舌を捲かざるを得ない。

    新世紀エヴァンゲリオンという無限にシミュラークルを作りだす装置のからくりをいま読み返してみて2001年の段階で看破していたことも彼が白眉である証拠だろう。

    しかし第三章においての解離性人格障害をシミュラークルとデータベースで説明するというのはあまりに稚拙すぎる。
    この章はなくてもよかっただろうと思う。

    現在の東の活動はオタク文化分析のフィールドからかなり離れてしまったしおそらくもうそれほどオタクという現象に魅力を感じなくなっているのだろう。

    確かに東の分析から現在のオタク文化が進展して考察するに値するものであるとは思えない。

    これから本書を読む人は2013年の時点においてはそれほど目新しいことは書いていないことを自覚しつつ再確認するという程度にとどめておくべきであろう。

    現代思想という言葉が風化しつつある現代日本においてはもはや本書は役割を終えた感はあるがここから西欧のポストモダニズムへの興味が少しでも湧いてくるならばそれだけで本書を読んだ価値はあるかもしれない。

  • まぁ、当のオタクたちはそんな難しいこと考えてないし考える必要もないのだけど、歴史の積み重ねで今が在る以上、考察の余地があって、ある程度の傾向は読みとれる。

    データベース化した深層世界(大きな非物語)から、消費者はそれぞれ好きかってに読みとって解釈しシュミラークル(小さな物語)を形成する。

    たくさんの神話とかがマジで信じられていた時代はけっこう昔に終わっていて、「生きる意味とか価値」が色々な理由をつけて語られるようになった。

    正直、多分みんな「生きる事」に意味とか価値ってないってことに無意識的には気付いている。だからこそ自殺とか後を絶たないわけで。

    そうなったときに人間は動物化(欲求のみに生きる)する。これがアメリカ型消費社会。

    「欲望」って動物的な「欲求」とはまた違って、「欲望されることを欲望する」性質がある。つまりみんなはみんなに嫉妬されたいわけだ。

    全然整理してまとめられてないけどこのようなことをかいてあって、心にのこった。


    うーん・・・多様性を受容できないと、今の世の中生きていくのはけっこうしんどいのかもしれないな。

  • 東さんが自分の中でトレンドになりつつあるので、初期の代表作を手に取る。90年代のオタクの閉塞的な空気と何となくネガティブな印象とポストモダン的な社会を結びつけて論じられている。人間関係の希薄さがとやかく騒がれてた時代の雰囲気をおおよそマッチしてるかな。

    2023年のオタクはどうなのか、結構オタクの障壁はだいぶ優しくなって日本人の大部分がオタク的要素は持ち合わせているのではないでしょうか。しかし、90年代とは違いもっとライトな日常生活に溶け込んだ印象を受けます。昨今の小さい物語消費への動物的消費傾向は続いていると思うし、インターネットやSNSによる拡散効果でその餌食となる人数が昔に比べてはるかに多いように感じる。あとは、データーベース構造からのシュミラークルなんてものは、今はYouTube台頭の時代もあってそういった作品群が溢れかえっている。そこには〈萌え要素〉の流用による動物的消費の過剰摂取が見て取れる。

    筆者の主張は現代加速している面と、より広範な人々が対象になっていてもはや気にもしないレベルに浸透しているのでは、そこには少なからず危惧すべき点があるのではと悶々としちゃう。

    擬似社会でのいつでも降りられる関係性における社会性をオタクは築いており、本来の社会的な営みには参加していないといった主旨があるかと受け取ったが、それこそツイッターやらLINEやらの似非社会であったものが本当の社会生活で大きなウェイトを占めはじめて久しいし、この点では次のステージに移行してる感もある。

    少し前の作品ですが、だからこそ当時の社会のあり方、現代のあり方を比べながら読み進めてみると今読んでも中々刺激的だなと。

  • 49しかしこのような
    本物と偽物の区別がつかなくなってしまう
    ビックリマンチョコの773人目のキャラは世界観に従って整合性をもち作り出される。
    →ファッション 60'sの、本物の、当時物の軍パンと、当時を感じることができる当時のカルチャー的世界観に整合性を持った現代の中で作られた軍パン、(二次的なもの?)その区別は?本物と偽物の区別はつく?
    →土着のものと切り離されたもの?にも繋がる?

    52
    ツリー 映画を見てその深層に近づく。大きな物語に近づく
    ポスト いくらでもパチモンが。見る側のリテラシーを高める必要?大きな物語、伝統文化宗教政治などと切り離されてる→グローバル化

    73オタク系作品に頻繁に
    リミックスの潮流、引用、サンプリングとの違い、→渋谷系と秋葉系の違い、dj

    82そこから様々な要素
    バラエティならスイダウもそう?て思ったけどあれはエンタメアーカイブから組み合わせたりもしてるけど、それよりもメタのイメージ?

    85複製技術時代における芸術作品
    オリジナリティの感覚は儀式の一回性によって根拠付けられる
    →nftは?オリジナリティの感覚

    99ポスト歴史の人間は、その形式を内容から切り離しつづけなければならない。しかしそれはもはや、内容を行動によって変質させるためではなく、純粋な形式としての自己を、なんらかの内容として捉えた自己および他者に対立させるためである
    →70年台のカウンターカルチャーをファッションアイテムという形式として、そのムーブメントの内容と切り放して消費する。→三島由紀夫の人間主義的な成果によって〜の部分?

    105オタクのスノビズムは、江戸文化の形式主義なら延長線上にらあると同時に、またこの世界的ならシニシズムの流れのひとつの現れであった
    →ギイブルタンの形式主義、ファッション写真は基本的に形式主義=個人の趣味嗜好、記号を実質から切り離してフィルム内に収めたもの?

    ・YouTuberとか凄いポストモダンのエンタメって感じ。作家の神話性はもはや無い。過去のエンタメアーカイブから自由に組み合わせているのが今のYouTuber

    158過視的=スパーフラットなシミュラークルの世界の表層に対して働くこの欲望を今度は過視的という言葉で捉えてみよう
    見えないものをどこまでもみえるようにしようとし、しかもその試みが止まることがない泥沼状態。
    →インスタとかモロそう。ストーリーでみんなの生活を見る。比較はお薬。ゼンリーとか始めちゃって。

    169 彼らは身体を別の人格と共有し、ときに記憶の一部まで共有しながらも、それぞれ別のアイデンティティをもち、別の人生を歩んでいるのだと強く主張している
    →インスタなどの傾向。自分の理想の暮らしを映してあたかも自分はそういう風な暮らしをしていると他者に知らしめたい

    ・近年でイラスト自動生成をAIがやったり、データアーカイブからの横滑りすらAIが自動でやるようになっている。作家の神話性はさらに失われているように感じる。

    ・いなたさ→グランジの本質
    生活に根づくファッションみたいなこと
    文化の中で生活している人間の"生活感"を取り入れてたい、気取らない、いなたさ。汗としみ。

    スマホのストーリーとか写真ってある種そういういなたさ、とは切り離されてしまうっているように思う。

    フィルムの本質っていなたさなのでは?
    生活感、素朴な、垢抜けないみたいな要素ってまさにフィルムだなーと思う。
    Photoshopでペラペラになってしまうことのない証拠としての強度

  •  「動物化」という言葉を見て、狂暴になることだと思ったのだが、そうではなかった。「動物化」するとは動物のように環境と調和して生きていくことを意味するのだそうだ。オタクが過度な欲望を抱かず動物としての基本的な欲求の充足で満足する様を指摘しているのだが、最早オタクに限らず多くの人に当てはまるような気がする。
     欲望の充足に期待を抱かせた「大きな物語」を失った我々が生きる時代とはどういう時代なのか、そのことをオタク文化を通して明らかにしてくれるのが本書なのだろう。
     「うる星やつら」、「ビックリマンチョコ」には郷愁を覚えたが、90年代オタク文化は興味も関心もなかった。最早「萌え」も過去のものとなってしまったのだが、現代のオタク文化はどういう状況になっているのだろうか?

  • 東浩紀の思想を象徴するかのような一冊。大きな物語から、小分けにしてソフト販売していくというような発送は、非常によく分かる。世のコンテンツは、機能・仕様と共に、その物語が付随する。例えば、誰が、どれだけ苦労して作ったか。作品そのものと同じ位、そうした背景が重視される。しかし、本著はもう少しコンパクトな内容にできたのかな、と思う。

  • 「オタク」から世界の流れを読み解く1冊。
    キーワードは「大きな物語」「大きな非物語」「二層構造」「動物化」

    データベース(大きな非物語)を参照して無数のシュミラークルが生成される。シュミラークルの中にはオリジナルも含まれる。大きな物語と大きな非物語の違いは、それを見る主体によって解釈が異なるということである。大きな物語が「見る主体」を規定し、その一方で大きな非物語は表象(小さな物語)をつくるのみである。
    大きな非物語と表象からなるポストモダンはオタクカルチャーのみではなく、世界をも形作る。ポストモダンの流れ自体は20世紀初頭から始まり、ソ連崩壊(日本では地下鉄サリン事件)を契機にポストモダンが本格的に始まる。インターネットと共にポストモダンの時代が訪れた。私はこのポストモダンがポストトゥルースと深く関係していると思う。

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著者プロフィール

1971年東京生まれ。批評家・作家。東京大学大学院博士課程修了。博士(学術)。株式会社ゲンロン創業者。著書に『存在論的、郵便的』(第21回サントリー学芸賞)、『動物化するポストモダン』、『クォンタム・ファミリーズ』(第23回三島由紀夫賞)、『一般意志2.0』、『弱いつながり』(紀伊國屋じんぶん大賞2015)、『観光客の哲学』(第71回毎日出版文化賞)、『ゲンロン戦記』、『訂正可能性の哲学』など。

「2023年 『ゲンロン15』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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