- Amazon.co.jp ・本 (233ページ)
- / ISBN・EAN: 9784061495807
作品紹介・あらすじ
なぜ前近代の宗教建築は賞賛され、近代以降の教殿はいかがわしいまなざしで見られるのか。天理、大本、金光、PLなどの建築と都市を直視する。
感想・レビュー・書評
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宗教と建築には、洋の東西を問わず密接なかかわりがある。特に日本建築史などは、中世まではほとんど寺社建築の歴史といってもいい(モノが残っていないからだが)。西洋建築史も、ある意味では教会建築の変遷なのではないか(そちらの事情はよく知らない)。そもそも、建築ほど人間が自然に手を加える度合いの大きな活動はないかもしれない。そこに人間を超越する存在を扱う宗教が介在する可能性も、また大きいのかもしれない。だんだん何を言っているか分からなくなってきたので、本論へ入ろう。
著者が取り上げるのは、書名のとおり幕末期以降に登場する新宗教の建築である。特に、「ぢば(地場)」と呼ばれる聖地を中心とした宗教都市を形成した天理教が取り上げられる。神殿を中心に、「八町四方」の「おやさとやかた計画」が、天理市では今も続けられている。この他にも金光教や大本教、創価学会・PL・真光教、そしてオウム。さまざまな新宗教で、さまざまな宗教建築が形成されている。もう一つの近代日本建築史が本書では展開されている。
建築史の分野に限らず、新宗教に対する偏見が完全になくなったとはいえない。そんな状況で、新宗教に切り込んだ本書に敬意を表したい。詳細をみるコメント0件をすべて表示 -
新宗教の建築という視点が面白い。
「新宗教の建築へのまなざしには強い偏見がある。宗教学者の井上順孝が指摘するように、同じ宗教建築なのに、マスメディアで神社や寺院を紹介するときと、新宗教の建物を紹介するときの作法は違う。古建築ならば、古くからの由緒が説明され、美しく貴重な文化財であることが強調される。だが、新宗教の場合、建築費がいくらかかり、豪華さや巨大さがうさんくさそうに話題にされる」(19ページ) -
新宗教の建築物をモンド的に解説する本だと期待していたのだが、読んでみたらガチの建築論だった。
建築の用語で分からない部分が少なくなかったが、構造表現主義とかモダニズムなど建築様式を表現する言葉は勉強になった。
12年ほど積んでおいてやっと読み終わった。 -
[ 内容 ]
なぜ前近代の宗教建築は賞賛され、近代以降の教殿はいかがわしいまなざしで見られるのか。
天理、大本、金光、PLなどの建築と都市を直視する。
[ 目次 ]
1章 サティアンが投げかけるもの(「宗教」と「建築」 近代宗教へのまなざし)
2章 天理教の建築と都市(世界の中心「ぢば」 大正普請 ほか)
3章 金光教と大本教(金光教の思想と空間 金光教建築の様式 ほか)
4章 戦後の新宗教空間(黒住教の分散する霊地 創価学会と大石寺のモダニズム ほか)
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[ 関連図書 ]
[ 参考となる書評 ] -
富田林がPLを誘致したのは知らなかった。
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2001
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建築と宗教。建築が語る形。
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この視点で書かれた本の中では一番読みやすいと思います。といっても他に新興宗教と建築についての本を読んだことないんですけどね・・・