- Amazon.co.jp ・本 (306ページ)
- / ISBN・EAN: 9784061496149
作品紹介・あらすじ
井戸に落ちそうになった子供を助けようとするのはなぜか-。誰にでもある経験を起点に、カント、ルソーや孟子を比較検証。洋の東西を軽々と超える、現代フランス哲学の俊秀の快著。
感想・レビュー・書評
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10日ほどまえ千葉雅也氏から勧められたフランソワ・ジュリアン『道徳を基礎づける』を読み始めたのだが、いったいなぜぼくはこれまでこの本を読んでいなかったのか・・・。カント、ルソー、ニーチェ、そして孟子の「憐れみ」の比較哲学。これ必読書じゃないか!(自分の不勉強に驚愕)
https://twitter.com/hazuma/status/889170050829230081詳細をみるコメント0件をすべて表示 -
面白かった。同じ問いへの回答として西洋の哲学者と孟子をできるだけ対応させようとしつつ、違いも浮き彫りにさせる。いくつかの論点。
・道徳的に振る舞わせるところのものは何か。ルソーは自己愛と憐れみにそれを基礎づけるが、それは自己愛の限界に囚われてしまう。カントは道徳と理性を一致させたが、それによって道徳に従うよう動機づけるものがなくなってしまう。孟子もルソーと同じように憐れみに基礎づけるが、孟子の場合は個人と社会という対立がそもそもないため、ルソーが直面する自己愛の限界という問題は避けられる。
・西洋の責任意識というのは弱い者の欠落・罪と結び付けられるが、中国の責任意識は強い者の過剰・過剰ゆえの愁いと結び付けられる。
・「道徳性の条件設定についての考察にはすべて、あるモデルが潜んでいる。それは、植物の発育のモデルである。それがモデルになるのは、植物の発育に対する経験が一般化できるからだ。草木を引っ張って、無理に発育させることはできないし、根もとの雑草を取らないで、放置しておくこともできない。」
・西洋は人間の道徳性を行為に結びつけて考え、行為の始まり・「なぜ」を問うようになった。中国は人間の道徳性を連続的なプロセスと考えたため、「なぜ」という始点の問題は生じず、「いかにして」ばかりが問われるようになった。
・「中国思想は、それ自体としての悪を認めず、困難を調整する理の内に、苦もなく吸収する。なるほど、中国思想は、神話や不安、そして問いかけから来る眩暈を免れている。アダムを必要としていないのである。だが、これではやはり困難を巧みにかわしているだけである。」
・徳と幸福の話も面白い。孟子はカント(力virtuに対する徳vertuの優先)とマキャベリ(徳に対する力の優先)を両立させようとしていた。孟子とマキャベリは、どちらも徳と力を一致させる点で共通しているが、マキャベリのように力が徳を事後的に正当化するという形で一致を説明するのではなく、力を持つからには始めから徳が備わっていたはずだ、と説明する。孟子の世界観には徳が敗れるということがない。だが、もし正義が破れたら? そこで限界を迎えるのだと言う。 -
【図書館本】実にむつかしい本であった。道徳って大切だけど、人それぞれ持っているもの違うし、それを外から取得するのか、内から取り出すんか。カント、ルソー、ニーチェという西洋哲学の巨人たちと、孟子という東洋哲学の人を対比しながら。東西を並べて考えるっていうのが新鮮でした。
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[ 内容 ]
井戸に落ちそうになった子供を助けようとするのはなぜか―。
誰にでもある経験を起点に、カント、ルソーや孟子を比較検証。
洋の東西を軽々と超える、現代フランス哲学の俊秀の快著。
[ 目次 ]
1 憐れみをめぐる問題
2 性と生について
3 他者への責任
4 意志と自由
5 幸福と道徳の関係
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[ 関連図書 ]
[ 参考となる書評 ] -
中国哲学が、どう西洋倫理思想を刺激できるか、可能性を示している。中国思想はジェノサイドにはとどかないという点が印象的。