- Amazon.co.jp ・本 (213ページ)
- / ISBN・EAN: 9784061496637
作品紹介・あらすじ
いかに学び、いかに師を乗りこえるか。柳田・折口の確執、棟方志功の師殺し、親鸞・道元等の情知渦巻く世界。
感想・レビュー・書評
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教師が言う、一度は学生に裏切られる――、と。
「俗にいうではないか。弟子は師を越えなければならぬ、しかし師は弟子をして簡単にその頭上を越えさせてはならぬ、と。換言すれば、教えることはやがて裏切られる、ということではないか。あるいは教えられることは必然的に裏切る道に通じている、ということではないか。師弟関係の解き難い問題がそこに胚胎していると思わないわけにはいかないのである。」
同じ境地、同じ考えに至ってほしい、到りたい師と弟子。しかし人間として、個々人の本質として、別のところに至ってしまう性。そのエゴの処理の仕方を種類分けしたような内容。
勿論多くは弟子が師と違ってしまったり、棟方志功のように仏陀やイエスを蔑にするような師殺しまでする弟子が多いが、中には内村鑑三の弟子、斉藤宗次郎のような師の臨終間際まで彼のことを崇拝し続ける者もいる。
この斉藤宗次郎さんが雨にも負けずのモデルだったとは、初めて知りました。「花巻を去って東京へ移るまでの十七年間、斉藤は毎日何回も花巻の町を疾走し、一日に四十キロに及ぶことさえあった。宮沢賢治の「雨ニモマケズ 風ニモマケズ 雪ニモ夏ノ暑サニマケヌ 丈夫ナカラダヲ持チ……」のモデルであると言われるように、風の日も、雨の日も、雪の日も、重い新聞紙を背負って、戸毎に配達しながら走り、十歩行っては感謝し、さらに十歩進んでは賛美し、木の下や小川のほとりにたたずんで祈りを捧げる彼の姿は、まことに気高いとも、勇壮とも、悲壮とも形容の言葉がなかった。彼の重い結核もこの斉藤には恐れをなしたか、いつかおさまってしまった。」敬虔とはこういう態度なのだなあと思い知らされた気がします。
駆け込み訴えという、日本の太宰治から見るユダ観という切り口は、多分日本独自のもので面白く読めた。師を分割し、名を馳せたペトロとアーナンダーに対する、師を不可分としたユダという構図は目新しかった。
愛の形って、エゴと相まって、複雑だけど面白い。ユダはイエスを本当に愛していて本当に純粋、純愛ゆえの裏切りっていう構図を最初に打ち立てた太宰治はやっぱりすごいなと思いました。詳細をみるコメント0件をすべて表示 -
[ 内容 ]
いかに学び、いかに師を乗りこえるか。
柳田・折口の確執、棟方志功の師殺し、親鸞・道元等の情知渦巻く世界。
[ 目次 ]
第1部 近代日本における師弟の姿(孤高の僧、藤井日達と私
弟子を持つの不幸―内村鑑三と斎藤宗次郎
父なるものへの回帰―夏目漱石と和辻哲郎
宿命のライヴァル―柳田国男と折口信夫
究極の「師殺し」―棟方志功と柳宗悦
師資不相承、ここに極まれり―正岡子規と高浜虚子)
第2部 鎌倉新仏教の師弟関係(師から離陸するために―親鸞と法然
日本に人なし―道元と明全・如浄
親鸞、弟子捨ての真意
道元が抱えた矛盾
師の人格をいかに相続するか
『歎異抄』にこだまする唯円の叫び声)
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[ 参考となる書評 ] -
古今東西の師弟関係の考察。著者の「想像」が多く、やや説得力に欠けるように思ったが、考えさせること多々あり。
著者プロフィール
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