私・今・そして神 開闢の哲学 (講談社現代新書)

著者 :
  • 講談社
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感想 : 19
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  • Amazon.co.jp ・本 (232ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784061497450

作品紹介・あらすじ

私はなぜ「今ここにいる、この私」なのか。古来より数多くの哲学者が最大の関心を寄せてきた「神、私、今」の問題について、まったく独自の考察を展開。自分の言葉だけでとことん哲学する、永井均の新境地。(講談社現代新書)

感想・レビュー・書評

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  • 開闢の哲学というサブタイトルに惹かれたが,中身は永井哲学。問題意識は近いのだけれど,乗り切れないものがあるんだよねぇ。。。

  • 20150412朝日新聞、紹介

  • 発売からそれほど時間がたっていない
    2004年10月29日に、読み終えています。

    いま、また読み返しています。
    (2014年5月24日)

    読み終えました。
    (2014年7月26日)

  • 「私」と「今」とは同じものの別の名前なのではないかとさえ感じているーという文に、自分がこれまで筆者の助けを借りながら考えてきたことが端的に表されていると感じた。世界に向けて素朴で根本的な問いが真っ直ぐに問われているという印象。個人的には、哲学の王道を行く内容をキッチリ論じた本だと思う。文章も平易で、予備知識をほとんど必要としないところも素晴らしい。

  • 言い方をちょっとこねられると、すぐにわからんようになる。
    賢く生まれたかったよ。

  • >地球なんか全然なかったとしても、それが現実ならそれが現実ということである。
    >ウィトゲンシュタインは「独我論」の表明のしかたとして「何が見えていようと見ているのはつねに私だ」というような表現を案出したが、これは「何が起ころうとそれは起こるのはつねに現実世界だ」という(自明な!言明との類比で理解されるべきものなのだ。「何が起ころうとそれが起こるのはつねに今だ」も同じだ。
    >「私」も「今」も「現実」も決して複数化されない。それはどれも、本質的に他からを排除する本質のそれ(唯一本当の私、唯一本当の今、唯一本当の現実)というものがあって、どれもその概念の単なる一例ではないからだ。

  • 半分くらい一気に読んでから、久しぶりに続きを読もうと思ったら、急に理解できなくなった。うーん、自分の興味が他に移ってしまったのか、議論の出発点にさえ立てない。今は読む時じゃないのかなーと感じる。

  • 一部議論についていけないところがあった。
    図書館で借りて読んだので消化不良のままとりあえず通読した。
    その後、購入した。
    暇なときに読み返してみたいと思っている。
    内容は非常に面白いというか、永井均のこだわりがきらいじゃないというか、こういう問いは社会で暮らしていくためには何の役にもたたないだろうし、読んで教養が深まるというたぐいでもないとは思うが、だからこそ、本質的なのだと思う。

  • 非常に分かりやすく、今まで消化不良だった存在論が自分に近いものだと思える。自分の存在がある不思議。。

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著者プロフィール

1951年生まれ. 専攻, 哲学・倫理学. 慶應義塾大学大学院文学研究科博士課程単位所得. 現在, 日本大学文理学部教授.
著作に, 『〈私〉の存在の比類なさ』(勁草書房, のち講談社学術文庫),『転校生とブラックジャック──独在性をめぐるセミナー』(岩波書店, のち岩波現代文庫), 『倫理とは何か──猫のインサイトの挑戦』(産業図書, のちちくま学芸文庫), 『私・今・そして神──開闢の哲学』(講談社現代新書), 『西田幾多郎──〈絶対無〉とは何か』(NHK出版), 『なぜ意識は実在しないのか』(岩波書店), 『ウィトゲンシュタインの誤診──『青色本』を掘り崩す』(ナカニシヤ出版), 『哲学の密かな闘い』『哲学の賑やかな呟き』(ぷねうま舎), 『存在と時間──哲学探究1』(文藝春秋), 『世界の独在論的存在構造──哲学探究2』(春秋社)ほかがある.

「2022年 『独自成類的人間』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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