中国の大盗賊・完全版 (講談社現代新書)

著者 :
  • 講談社
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  • Amazon.co.jp ・本 (336ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784061497467

作品紹介・あらすじ

昔、中国に「盗賊」というものがいた。いつでもいたし、どこにでもいた。日本のどろぼうとはちょっとちがう。中国の「盗賊」はかならず集団である。これが力をたのんで村や町を襲い、食料や金や女を奪う。へんぴな田舎のほうでコソコソやっているようなのは、めんどうだから当局もほうっておく。ところがそのうちに大きくなって、都市を一つ占拠して居坐ったりすると、なかなか手がつけられなくなる。さらに大きくなって、一地方、日本のいくつかの県をあわせたくらいの地域を支配したなんてのは史上いくらでも例がある。しまいには国都を狙い、天下を狙う。実際に天下を取ってしまったというのも、また例にとぼしくないのである。幻の原稿150枚を完全復元。共産党の中国とは盗賊王朝である。劉邦から毛沢東まで伝説の完全版がよみがえる。

感想・レビュー・書評

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  • 目から鱗が落ちる
    それも 何枚も
    ときには
    「あっ そうだったのだ!」
    と つい声に出てしまう

    高島俊男さんの
    中国モノを手に取るたびに
    つくづく思ってしまうことです

    ずいぶん前に
    「中国の大盗賊」(1989年発行版)
    を 読んでいた記憶がかすかに残っていて
    その時に
    「あとがき」に(本書では)ずいぶん割愛しましたよ
    ということが書かれてあったのを
    すっかり失念していました

    それで、今一度
    この「完全版」を手にしたのですが

    いゃあ これが
    もう 面白く 興味深く
    古代の中国の歴史上に登場する
    有名盗賊たちを再確認するとともに

    前書では すっかり骨抜きになってしまっていた
    第五章「これぞハワメツケ最後の盗賊皇帝ー毛沢東」
    の章の抜群に面白いこと

    その当時(1989年当時)の諸事情の編集が「物足りない状況に」させてしまったわけでしょうが…

    本書のあとがきに
    前書を読んだ未知の読者から
    「もとの原稿を見たい」という依頼があれば
    その「もとの原稿」を(資料がつまった)ダンボールごと
    送られた高島さん、
    そして、そのダンボールをちゃんと
    送り返してこられた読者の方、それも何人もの方たち、
    それらの存在が本書につながっていることを思うと
    なにやら感慨深いものを感じてしまいます。

  • 面白かった。

    盗賊と言っても鼠小僧ではなくて、ならず者の武装集団。
    劉邦、朱元璋、李自成、洪秀全から、毛沢東まで(笑

    ムッチャ判る。

    で、自分らの判るエリアでやっとった奴らが、全アジアから世界まで視野に入れ出したことも。

    こいつら、あかんて。仲間に入れたら。

  • 著者は中国共産党に対してご立腹の様子。その時々のイデオロギーに合うように史実を改変・ねつ造した学者が権威を持てるし、そのせいで真実が失われてしまうのだから当然至極。「完全版」で毛沢東の章が復活して何より。

  • 中国にはコソ泥はいないらしい。いるのは群れをなして襲ってくる盗賊。
    広大な中国の国土に、耕作に適した土地はそう広くはないのだそうだ。
    だから、農村に人が余る。仕事のない人があふれる。
    そうするとどうなるか。
    気が弱い人たちは乞食になり(こちらも集団)、血の気の多いのは盗賊になる。
    だから、いつの時代も中国には盗賊がどこにでもいたのだそうだ。

    ちなみに盗賊は正義や悪とは無縁である。
    国や地方のお金で武装しているのが官軍、民間の武装勢力が盗賊なんだって。
    やってることは変わらないらしい。
    だから盗賊から皇帝になった人もいる。
    略奪する官軍より、金持ちから奪ったものをふるまってくれる盗賊の方が民衆の支持を得たこともままあるそうだ。

    この本で紹介されている盗賊は
    陳勝・劉邦(漢の高祖)
    朱元璋(明の太祖)
    李自成(明を滅ぼし順王朝をつくるが、40日で清に北京を追われる)
    洪秀全(太平天国の乱を起こした人)
    毛沢東(ご存知の)

    要するに、異民族に襲われるわけではなくして王朝が変わった時、政権を奪取した人を大盗賊と呼ぶということらしい。

    この本を読むまで全く知らなかったこれらのことを、するする読みながら理解できるのだから高島俊男の本は素晴らしい。
    一生ついていきます。

  • 本屋で見つけてからずっと興味があったモノをやっと読破。意外と古い本だった事に少々驚いた。著者の高島敏男さんという方は今まで存じ上げていなかったが、時に非常に軽い文体になりならがも、しっかりとした知識に支えられた本である事がよくわかった。他の本もぜひ読んで見たい。それにしてもどのストーリーも中国らしく、登場人物の数が多く、相関関係がすっと入ってこない・・。中国の盗賊とはなんぞやという一貫したテーマで書かれており、非常にわかりやすかった。またところどころに現代の中国人に感じる行動様式等が見受けられて非常に興味深かった。

    以下、興味深かった所の抜粋。

    P.167 (李自成の章にて)
    次に宣伝工作を活発にやりだした。「我々は人民の困苦を救うための正義の軍隊である。共に力をあわせて罪悪に満ちた明王朝を妥当しよう」というような意味のことを、古典の用語をいっぱいちりばめた華麗な文章に作り、宣伝ビラにして、各所に貼り出したり配布したりした。こうした宣伝ビラは知識自むけである。庶民はそんなもの読めもせず、わかりもしない。

    P.168
    これより三百年後、李自成の故郷である陜北の地を毛沢東が占領した時にも、民衆工作に歌を使った。有名なのは例の東方紅である。
    双方に共通するのは、救世主の名前を売り込もうとしていることだ。何百年たっても、中国の大盗賊のやることに大した進歩はない。

    P.200 (洪秀全の章にて)
    王慶成という、太平天国研究のトップリーダーが、人民共和国建国以来の研究史を振り返って述べている。

    すなわち「労働者階級(共産党)のみが農民を解放できるという真理」を証明すること、「プロレタリアート(共産党)の政治闘争に参考資料を提供すること」が彼らの太平天国研究の目的なのである。なおここで「科学的」ということを言っているが、それは靴に合わせて足を切るようにマルクス主義の理論に合わせて中国の歴史を切る、ということでわれわれの考える「科学的」とは全然意味が違う。

    P.205
    ふつうの庶民の家でも、子供に勉強をさせて、その子が科挙に合格すれば、たちまち支配階級に乗り移れる。その意味では、昔のヨーロッパや日本などよりも、平等でチャンスの多い社会であった。
    ただ子供に勉強をさせるというのは大変にお金がかかる。特に従来書物を読む人間が1人もいない一族のばあいは、かならず学校へ行かせるなり家庭教師をやとうなりしないといけないから、いっそうお金がかかる。
    そこで一族のなかで向上心と指導力のある男が、一族の子供たちのなかで比較的かしこそうなのに目をつけてその子に科挙を受けさせる計画を立てる。他の一族全員は、歯をくいしばって働き、爪に火ををもす切り詰めた生活をして、1人の男の子の弁級にすべての希望を托する。十何年もしくは何十年の辛苦ののち、うまく行ってその子ないしその子の子が合格して官僚になれば、その地位と声望と収入とはもちろんその子一人のものではなく、一族全員の長期にわたる努力の果実なのであるから、当然全員が享受する。わるい言いかたをすれば、みんなでたかる、その結果、一族の他の人々の子や孫も、小さい頃から勉強ができるようになる。

    P.224
    いったい中国の歴史は王朝交代の歴史であるが、新しい勝者が天下を取ると、前の王朝の宮殿に火をつけて景気良く焼いてしまい、新しく自分の宮殿を作る。秦の始皇帝が立てた阿房宮を楚の項羽が焼いた時は、三ヶ月のあいだ燃えつづけた、というのは有名な話である。我々日本人はケチだから、「なんともったいない、そんな立派な建物があるのならありがたく使わせてもらえばいいのに」と思うが、中国人は太っ腹だからそうは考えない。天下を取ったということは全中国の富を手中にしたということなのだから、宮殿くらいはいくらでも建てられるし、新しい宮殿を作ってこそ「こんどはオレが中国の王になったんだぞ」ということを天下に示すことができるわけだ。

    P.256(毛沢東の章にて、王希哲について)
    王希哲は広州の若い知識人で、文化大革命中に「李一哲の大字報」という壁新聞を貼り出し、「林彪体系」を批判するという形を借りてその実は中国共産党の体質を批判した。

    P.258(王希哲によれば)
    過去の盗賊首領たちのゴールは天下を取って帝王となることだった。毛沢東もまさしくこの通りであったが、帝王になってからプラスのこと(経済の繁栄、政治の民主に向かう方向付等)が一切ない。それはマルクス主義の革命ではなく、ただの農民革命である。

    P.259
    毛沢東の伝記の面白さは、共産党が人民を解放したの民衆が立ち上がったのという与太話ではなく、朱元璋や李自成もケチなコソ泥に見えるほどの大盗賊が、中国を無茶苦茶にひっかきまわすという、一般中国人にとっては迷惑千万の歴史がおもしろいのである。

    P.260
    二十世紀というのは、世界の多くの地域で近代的な仕組みがだんだんにでき、自由だとか人権だとか民主主義だとかいう考えかたが、無意識のうちにも、また多少なりとも、人々の頭に浸透してくる時代なのであるが、中国という所だけはそんな歴史の進展からポッカリ取り残されて、とんでもない暴れ者が現れたらずいぶん思いのままにひっかきまわせる、五百年前、千年前と変わりのない社会なのだった、だからこそ毛沢東が暴れられたのだ、ということである。

    P.262
    スターリンは毛沢東のことを「マーガリン・マルクス主義」と言っていたそうだ。バターのふりをしているが、実はバターでじゃない、ということである。

    P.279
    ソ連から派遣されたオットー・ブラウンというドイツ人の革命家が、中国へ来てみると苦力もルンペンも乞食もみんな「労働者」だ、とあきれている。マルクス主義の本場であるドイツで労働者といれば、れっきとした大工場で働く近代的な組織労働者である。だからブラウンが慨嘆するのももっともなのだが、中国にはブラウンの頭にあるような労働者なんぞいいなかったのである。

    P.282〜
    マルクスが考えた革命というのは、資本主義が高度に発達した国で、大きな企業がたくさんでき、そこで働く大量の産業労働者が生まれ、それが組織されて、資本家の権力を倒してみずからの権力を打ち立てる、というものである。革命が行われるのはもちろん、大企業・大工場の集まる大都市である。

    毛沢東の革命とは、どこからどこまで全部反対である。だが革命に成功したということ自体が、その道の正しさを反駁の余地なく証明している。

    だから毛沢東が中国独自の革命をやらなければならぬと考えたことは全く正しい。

    毛沢東の井岡山の道は、マルクスの考えた革命とは少しも似ていないが、そのかわり、中国の歴史上の盗賊たちの道にそっくりそのままである。それを中国では「マルクス主義の原理を中国の条件に創造的に適用した」という。

    P.290
    昔から詩がよくできるのは、「馬上」と「枕上」と「厠上」の三上だという。

    P.294(第二次世界大戦後に)
    国民党も共産党も「日本とまじめに戦ったのはこちらだけで、あちらはひたすら戦力の温存につとめていた」と主張し合ったが、つまりはどちらもあとのことを考えて力の出し惜しみをしたのである。そして、結果として、毛沢東のほうがうまく立ちまわったこともたしかである。

    P.295〜
    第二次世界大戦後の中国に無能政府ができ、国中の人々がてんでばらばらに勝手なことをしていたとしたら、中国はすくなくとも現在よりよほどましな状態になっていたに違いない。

    中国の戦争直後のころと現在をくらべて、少しはよくなっているのは共産党のおかげだという人があるが、あのころと比べればどこの国だってすこしはましになっているに決まっている。中国ではむしろ、共産党が回復のジャマをしてきた。

    P.298
    大躍進とは、数億の人間を、体力の限界まで、あるいは限界を超えて無茶苦茶に働かせ、国の経済力を一挙にひっぱりあげようとしたものである。一日に十日分働いたら一年で十年の経済成長がはたせる、というような計算だった。

    P.306〜
    共産党中国のことを「アトモドリ帝国」と言っている。

    第一に国民の自由がまるっきり剥奪された。言論や出版の自由のみならず、人の移動、職の選択の自由も奪われた。

    中国人は、てんでばらばらが好きな人たちである。好きなことに没頭すると、俄然能力を発揮する。

    その自由を縛ってしまったことは、個々の中国人にとって不幸であるのみならず、国の力が伸びないから国全体にとっても不幸である。

    もう一つ、マルクス主義という国家哲学を強制し、国民のものを考える能力を奪ってしまったということである。

    そもそも中国には、マルクス主義は全然合っていなかったのだ、という意見が、文化大革命失敗以後、中国の若い人や海外の中国人からよく聞かれるようになったが、やはりわたし(著者)は、中国自体にマルクス主義を受け入れる素地があったと思う。それは経典の必要性である。

    経典とは、時と所をけて、この世のありとあらゆる事物、人間が遭遇するありとあらゆる現象に、正しい解釈を与え、さらに指針を与えてくれる、永遠の真理の書である。

    いかに新しい事態や現象に出くわしても、その問題意識を持って経典を読み返せば正しい解釈と指針が得られる、という絶対万能の書が経典である。一九世紀後半の危機の時機ににわかに「公羊学」が盛行したのはよい例である。二〇世紀になって儒教が権威を失うと、中国人の心に空白が生まれ、そこを埋めたのがマルクス主義である。儒教は否定されたが、真理を記した書物によりどころをもとめる習性は、急になくならなかったわけである。

  • 中国の歴代の王朝、及び現在の共産党政権は、いずれも盗賊が前政権を倒して打ち立てたもの。
    本書から得られる中国のキーワードは、下剋上、弱肉強食、何でもありの油断できない社会、正直者がバカを見る社会、と言ったところ。現代中国の特徴である、したたかさ、抜け目なさ、或いは公共心の欠場等の歴史的背景が理解できたように思う。

  •  本書で指すのは「盗賊」と言っても武装集団。陳勝・呉広から毛沢東まで、成功したものも失敗したものも含め、庶民出身の様々な「盗賊」を描いている。成功者には後付けらしい伝説ができるとか、指導者本人は粗野でもある程度の規模になると知識人を引き込み思想を構築するとか、各「盗賊」にはある程度の共通点もある。
     この流れの中で語られる毛沢東も、共産主義の革命家というより過去のあまたの「盗賊」の一形態に過ぎないという気がする。まさにそれこそ筆者の言いたいことだろうが。また筆者は、現在の中国の革命史観による歴史の解釈(例:太平天国は農民革命)や、本書の元版刊行の1989年当時に日本の一部にあったかかる社会主義中国への理想を、本書の随所で皮肉ってもいる。

  • これまで中国の歴史に対して、思っていたことを高橋先生が見事に整理してくれたという印象。

    先生の中国に対する見方は、全く同感です。特に毛沢東や周恩来に対する評価は実に的確。

    中国支配層は、秦に始まり、北朝諸国・隋・唐・元・清など、ずっと異民族に支配され、異民族を同化してきた歴史なので、もし日本の大陸の植民地化政策に成功したら、中国が倭朝になって、今頃、日本も支配層にある代わりに、日本列島も中国の一部になっていたかもしれない。

  • どの盗賊も盗賊皇帝も面白い。劉邦、朱元璋の天下取り。中でも毛沢東が一番メチャクチャやっている。インテリで盗賊で好戦的で、国民だったら迷惑すぎる。

  • 中国の盗賊の代表として、陳勝・劉邦、朱元璋、李自成、洪秀全、および毛沢東を紹介。ユーモラスな語り口で読みやすく、理解しやすい。

    中国における盗賊とは、仕事にあぶれたならず者の武装集団のことで、中央・地方の政府が組織したものは「官軍」、そうでないものは「盗賊」とされた。頭脳としての知識人や情報網を持つ商人などを取り込みしだいに大きくなり、ついには天下を狙う集団も現れる。

    面白いのは毛沢東で、先に紹介された陳勝・劉邦、朱元璋、李自成、洪秀全を「農民の革命戦争」として定義し、正義の行いとみなしている。本来のマルクス主義は都市の工場労働者を革命の主導者としているが、共産党は農村のあぶれ者を動員しているし、詩作に秀でた毛沢東は、マルクス主義者ではなく中国の伝統的知識人であった(マルクス主義の根幹を、「造反有理(上の者をやっつけるのはいいことだ)」の一語にまとめてしまった)。中国共産党は伝統的な盗賊集団と見たほうが理解しやすい。

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著者プロフィール

高島 俊男(たかしま・としお):1937年生れ、兵庫県相生市出身。東京大学大学院修了。中国文学専攻。『本が好き、悪口言うのはもっと好き』で第11回講談社エッセイ賞受賞。長年にわたり「週刊文春」で「お言葉ですが…」を連載。主な著書に『中国の大盗賊・完全版』『漢字雑談』『漢字と日本語』(講談社現代新書)、『お言葉ですが…』シリーズ(文春文庫、連合出版)、『水滸伝の世界』『三国志きらめく群像』『漱石の夏やすみ』『水滸伝と日本人』『しくじった皇帝たち』(ちくま文庫)等がある。2021年、没。

「2023年 『「最後の」お言葉ですが・・・』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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