カーニヴァル化する社会 (講談社現代新書)

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  • 講談社
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  • Amazon.co.jp ・本 (176ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784061497887

感想・レビュー・書評

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  • 答えを急がない、一方の見方に立たない、という徹底した態度に平伏。もっと早く読んでおけばよかったなと思うほどでしたが、今読むご縁だったのだと思い大事にしたいですん。

    一人のひとの中にかように多様な価値観があったら、それはそれだけで希望なんじゃまいか。とも思った。

    あと、こんなに噛み砕いてもらってるのにまだわからないところがあって、ときどき落ちる。。。というのが何処だったのか、今後はそいうのを書き出して置こうと思いました。

    自分と違うからわからないのか、使ってある言葉や文脈が(あるいはその使い方が)違うからわからないのか、みたいのをちと明確にしたら、良いかなと。

  • この本で言われていることは、この2011年においても実感、納得できることばかり。1章から3章で語られている社会状況の変化が、日本で「カーニヴァル」が発生するベースを醸成してきたとチャーリーは言っている、そこは正しいと思う、その流れは近年加速しているのではないか。そこには世界の均質化、フラット化がものすごい勢いで広がっていることもあると思う。アメリカで金融緩和が行われたら、即オーストラリアのマーケットにお金が流れこむ、政策・経済が急激にグローバル化したことにより、市民社会の思想伝播もまたありえない速度で行われた。その結果が、中東で起こっている独裁政権に対する運動なのかなと。あれをカーニヴァルと呼ぶ事に対して異論があると思うけれども、チャーリーがp.139にて書いている「カーニヴァルそれ自体にサステイナビリティを欠いている」という点で一致を見ているかなと思う。カーニヴァルでは蜂起し、破壊することはできても、創造、安定することは難しそうだ。担い手は同一でも、手段は異なる必要があるのだろう。日本でもそろそろ政治的な意味を持つカーニヴァル(=デモ)が起こってもいいような気がするけど・・・あ、心ある若者は物理的行動にでなくともいい武器を手にしていることを十分に知っているのであった。

  • 鈴木謙介の本は好きだな。扱う内容が興味の対象ど真ん中ってのがあるのかな。社会と個人のあり方や私とはなんなのかを社会学の枠組みを使って考えるのが僕にはたまらないです。

  • 筆者・Charlieのブログはいつも難しい文章なので覚悟はしていたが、書かれていることの全体像をまだうまく理解できていない。
    しかし、紹介されている個々の事例からの解釈は私にとって頷けるものが多かったし、最後の方に示される筆者の危惧もわかるような気がする。(ただこの共感があっているのかは自信がない)

    この、その場その場の事情はわかるけど全体の一貫性や方向性がいまいち見えない…っていう感覚はまさにこの本が問題としているところだよね、と思ったり。

  • 今の社会と若者の自分の認識の仕方について。昨今の色んな惨事が「感動」を生み出すための「祭り」としてとらえられているというのはなんとなくなるほどと思った。

  • データに対する「証明と反証」のクリア絵師は、その行為自体が、
    データの正しさとは無関係の「情報戦」となってしまう。
    情報戦の勝敗を決めるのは、データを受容する側が、「なんとなくそう思う」
    程度のこと。すなわち「社会的事象」に対する「データ」による証明は、
    内容の水準とは別に「なんとなく好感が持てるという極めて曖昧な
    感情の発生数を争うことになる。データが蓄積され、リスクの算定に
    用いられれば用いられるほど、そのデータを選ぶリスクは
    「個」に起算する。
    つまり「自己責任」論となり、問題をどのように解決したらよいか?という、
    本質的な議論を封じ込めてしまうことになる。

    言い換えると「個人の幸せは、個人で決めよ」ということになる。
    様々な幸せの形があるが、「私自身はこの幸せを選ぶ」というように
    自分自身がどうしてその状態を「幸せ」を選択したという、
    反省的言及を持ち続けることが人間本来の姿であるが、
    データ(情報)蓄積により、「幸せかどうか」を判断する基準が、
    蓄積された重合的データに問い合わせ疑心暗鬼になる。
    すなわち「データベースに蓄積されたありもしないファジーな幸せ」像に
    振り回され、閉塞感を産み出し、他者の攻撃に走るようになる。

    ⇒関連
    エーリッヒ・フロム「生きると言うこと」

  • たまたま聴いたラジオのパーソナリティーが
    何やってる人なんだろう?と気になったので
    プロフ見たらこの本の著者だった。
    へぇ~。

  • 香芝なし

  • 07/07

  • [ 内容 ]
    分断される自己イメージ、データベース化する人間関係…ネット世代の論客が解き明かす「僕たちの日常」。
    「ニート論議」「監視社会論議」の本質も明らかに。

    [ 目次 ]
    第1章 「やりたいこと」しかしたくない―液状化する労働観(フリーターやニートだけが問題なのか 「やりたいこと」という貧困 ハイ・テンションな自己啓発)
    第2章 ずっと自分を見張っていたい―情報社会における監視(「監視国家」か「監視社会」かデータが監視されるということ データベースとの往復運動)
    第3章 「圏外」を逃れて―自分中毒としての携帯電話(携帯電話と再帰的近代 「自己への嗜癖」とデータベース)
    終章 カーニヴァル化するモダニティ(カーニヴァル化と再帰性 革命か、宿命か―カーニヴァルの時代を生きる)

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著者プロフィール

関西学院大学准教授。国際大学グローバル・コミュニケーション・センター客員研究員。専攻は理論社会学。ソーシャルメディアやIoT、VRなど、情報化社会の最新の事例研究と、政治哲学を中心とした理論的研究を架橋させながら、独自の社会理論を展開している。
著書に『カーニヴァル化する社会』(講談社、2005年)、『ウェブ社会のゆくえ─〈多孔化〉した現実のなかで』(NHK出版、2013年)、『未来を生きるスキル』(KADOKAWA、2019年)ほか多数。

「2022年 『グローバリゼーションとモビリティ』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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