カーニヴァル化する社会 (講談社現代新書)

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  • 講談社
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本棚登録 : 983
レビュー : 107
  • Amazon.co.jp ・本 (176ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784061497887

感想・レビュー・書評

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  •  現代社会が、歴史性や本質的理由を欠いた突発的な「祝祭」によって動いているのではないかと指摘する本。

     「祝祭」の例は2002年のワールドカップの熱狂的盛り上がりや、2ちゃんねるでしばしば発生する、ある出来事が槍玉に挙げられ、そのスレッドに書き込みが急増する現象=「祭り」といったものである。

     その背景には、若者が雇用の流動化や教育カリキュラムの度重なる変更により十分なスキルや経験を積めず、フリーターや派遣社員にならざるを得ない雇用情勢や、「監視社会」が構築されつつあるいう要因がある

     また、著者は因果関係が曖昧なのにもかかわらず「携帯電話を持っている若者の方が非行に走りやすい」という「ケータイ・バッシング」が蔓延していることが指摘する。それには、人々が子どもの「非行」や「逸脱」の情報のインパクトの強さに引かれ、結果が無批判に受け入れられていることと関係があると思った。

     その例が、本書に挙げられている「ケータイ・バッシング」、「ゲーム脳」の他「少年犯罪が増加、凶悪化している」とか「フリーターやニートは甘えているだけだ」といった言説なのだと私は思った。

     以上のような現象が起こっている背景にあるのが、最終的に目指すべき目標や理念=大きな物語が失われつつあることだ。章同士の繋がりが弱く、抽象性が高めだったのもあるが、全体的に読みにくいという印象を受けた。

  • インターネットや世代間を題材にして書かれた作品。技術が進んだ現代社会の一面を捉えており考えさせられる内容。

  • フリーターやニートなどの若年層の労働問題、監視社会論、ネット上のコミュニケーションの問題を取り上げ、バウマンの言う「カーニヴァル型の近代」に向かう動向を読み取ろうとしています。

    労働問題、監視社会論、ネット上のコミュニケーションの問題と、いずれも大きなテーマについての著者自身の見方が示されているのですが、やや密度の濃い議論を詰め込みすぎのように感じました。

    いちおう本書の結論は、ギデンズの言う「再帰的近代」が進み、あらゆるものごとが自己にとっての選択の対象となることで、さまざまな社会関係の中で自己に割り振られた「役割」を統合する「反省的な自我」が失われ、そのつどデータベースに問い合わせをおこなうことでアド・ホックな「自己」を作り上げるような振舞いが広く見られるようになったというもので、バウマンの「カーニヴァル」の概念を借りることで、そうした再帰的な自己のあり方を可能にしているメカニズムを解明しようとしていると、言うことができるように思います。

  • 2005-6年頃に話題になった本だと思いますが、2012年現在の今のほうが、本書の指摘する下記の傾向は、より強まっているように感じます。

    -----抜粋-----

    いわば「共同体」から「共同性」への転換だ。すなわち、ある種の構造を維持していくことではなく、共同性――<繋がりうること>の証左を見いだすこと――をフックにした、瞬発的な盛り上がりこそが、人々の集団への帰属感の源泉となっているのである。
    このような瞬発的な盛り上がりこそが、ここでいう「カーニヴァル」にあたる。
    (略)
    そのもっとも大規模だった例は、おそらく2002年のサッカー・ワールドカップになるだろう。
    (略)
    コミュニケーションのための「ネタ」に堕している
    (略)
    始まる前から「感動をありがとう」がコピーになっていた2004年のオリンピックにせよ、問題は、日本という国への帰属感ではなく、感動のネタとしての「オリンピック」であり「日本」だったわけだ。

    -----抜粋-----

  • カーニヴァル化する社会というのは、ジークムント・バウマンの「カーニヴァル型近代」から援用した考えのようです。

    ハイ・テンションな自己啓発や、監視社会化の議論をおさえつつ、
    カーニヴァル化する社会とは何かに迫ります。



    カーニヴァル化する社会という考え方、視点はおもしろいと思います。

    祭りというより、カーニヴァル。
    内容を伴うというより、一瞬の熱狂に人が集い、夢中になり、そしてそれは消費されていく。

    ただただ熱狂によるつながりや生の実感を求めていくというものでしょう。



    現実を直視するのではなく、ハイ・テンションな自己啓発によって、ハイになった思考で動き、
    現実に直面してはテンションが下がって。

    リキッドな社会ゆえのつながり方、楽しみ方ともいえるし、
    あらゆる人間の部分が道具化、外在化されていってしまうがゆえの、感情や内面重視の傾向ともいえるかもしれません。



    感動の消費、など、現在もカーニヴァル化の中にあるのかもしれない、と思いました。

    “しかしながら、バウマンも指摘するとおり、蓄積や一貫性を維持することが困難な後期近代においては、共同体への感情は、アドホックな、個人的な選択の帰結から生じるもの以外ではあり得なくなる。そうした点を踏まえて彼が考えるのは、いわば「共同体」から「共同性」への転換だ。すなわち、ある種の構造を維持していくことではなく、共同性-<繋がり得ること>の証左を見いだすこと-をフックにした、瞬発的な盛り上がりこそが、人々の集団への帰属感の源泉となっているのである。”

  • 読みやすく書いてくれているとはいえ、さすがに難しかったー。

    専門家がわかりやすく一般市民向けに書いてくれている書籍の内容くらいは、しっかり理解できる頭になりたい。

    社会学系の本をもっと読んでいけば、社会学者独特の言い回しがスッと入ってくるのだろうか。

    この本は2005年に書かれているが、社会のカーニヴァル化はますます進んできているなぁという印象。

    本に乗ってる著者の写真が、ヤンキーっぽくて、今のチャーリーの印象と違って笑った。

  • 事例は面白いが、全体的に読みづらい。
    データベース化によって社会の輪郭が変化していっていうのは面白い。あと5年でより変わって行きそう。

  • 8年前にかかれた内容がまさに現在進行形で起こっているのを考えると、非常に鋭い視点を持っていると思う。文章として散らかっている感じがして読みにくい感じはする。

  • 面白いけれど、私の知識不足なのでしょうか途中わかりにくかったです。とりあえず読み終えましたが、読みかけてた別の本で知識を補ってからまた再チャレンジしたい。

  • 祭りだ〜

    地域共同体への帰属意識も薄れ、伝統に従うこともなく、一貫性の維持が困難な現代。個人の選択は場当たり的になりつつある。従来の共同体に代わって「繋がり」による瞬発的、暴発的な一時的な盛り上がり(祭り、カーニヴァル)が集団への帰属感となりつつある。カーニヴァル化が政治・経済に与える悪影響として、おもしろくなくなると祭りは放棄されてしまうことがある。

    本書が執筆された2005年に比べTwitterやFacebookが一般化してきた2013年の現在、この傾向はより顕著になっている気がする。

著者プロフィール

1976年生まれ、福岡県出身。関西学院大学先端社会研究所所長、社会学部准教授。国際大学グローバル・コミュニケーション・センター客員研究員。専攻は理論社会学。著書に『カーニヴァル化する社会』(講談社現代新書)、『SQ“かかわり”の知能指数』(ディスカヴァー・トゥエンティワン)、『ウェブ社会のゆくえ<多孔化>した現実のなかで』(NHKブックス)ほか多数。

「2019年 『未来を生きるスキル』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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