カーニヴァル化する社会 (講談社現代新書)

著者 :
  • 講談社
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本棚登録 : 983
レビュー : 107
  • Amazon.co.jp ・本 (176ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784061497887

感想・レビュー・書評

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  • 反省的自己と再帰的自己の差異。

  • 再読。

  • 記念すべきチャーリーの第一冊目。170ページほどの厚さしかないのに、内容は結構ねじ暮れて小難しく、読みごたえがあった。カーニヴァルという言葉を使うので、昨今の空虚な盛り上がりに情熱を傾けている人々の世代を言っているのかと平たく考えてしまいましたが、現れる結果としてはそういう部分もあるけど、もっと人間の時代真理の深い部分をしっかりとつかんでいる奴でした。「反省的自己」と「再帰的自己」というあたり、そこからのアイデンティティの説明までがかなりしっくりいきました。ただカーニヴァルという表現の意図するとことはわかるけど、ニュアンスとしてもう少しうまい表現があるとありがたいと勝手に考えたりします。

    よかったです。商業的に考えれば、この一冊の内容を引き延ばして、新書だったら3~4冊ぐらい書けそうなんだけどそうしないところはチャーリーの誠実さなんだろうなと思います。

    17.4.18

  • 古書店で見かけて購入。
    10年後まで続いているテーマがたくさん。発売時に「カーニヴァル化」ってタイトルがなんか狙ってる感じがして、手を伸ばすのをやめてしまったことを後悔。

  • 2ちゃんねるを中心とした「祭り」という現象から、現代社会をとらえている。
    ちょっと話題があちこち発散するが、かねがねおかしいと感じる世の中の色んなことの解説の多くが納得出来る。
    少し感覚がずれていると感じる部分は著者との年齢差が原因か?(同業者だが、著者はまだ20代後半)

  • 独特の漢文調で読みづらい部分も多々あったが、何とか読み切った。
    いわゆる「社会学の文章」という印象は、『希望難民御一行様』と似ている。
    大量の引用文、精神性の分析、データの活用など。
    内容についても、独自性は高いと思う。興味深い記述もいくつかあったので、整理しておきたい。

  • なんとなく違和感を感じていたネタとベタ使い分けがよくわかった。
    けど、実生活でこの違いを見分ける、空気を読むのは難しいと感じた。

  • 第1章では就活に顕著な「躁鬱状態」が語られている。
    「自分のやりたいことはこれだ!」という一瞬の躁状態(ハイテンションな自己啓発)と、そんなものは実は存在しないという鬱。
    自分だってそうだった気がする。無理にどこかに自分をねじ込もうとしていた時期もあった。周りでもそうだった。時が来たら直面してしまう躁鬱。ハイテンションな自己啓発は、まさにカーニヴァル。

    第2章では僕の好きなパノプティコンの話から始まり、現代社会の「監視」がパノプティコンのそれと違うということが語られている。即ち、(ここからは僕の解釈、そして僕の感覚)パノプティコンにおける監視は「自分は看守に見られているかもしれない」という理由から罪人が脱走を図れないという種類のものであったのに対し、現代における監視はAmazonで自分の好きなジャンルの本が勝手に出てくるような、データベースによるものであり、そこと人々が対話をするという種類のものであるという。人々はデータベースに現れた自分のようなものを「自分」と定義付け、そこに自分を見る。
    少し話が脇道にそれるが、村上春樹の『鏡』という短編小説を僕はここで思い出す。この小説の中では、主人公が鏡と向かい合い、鏡があたかも本当の「自分」で、本来の自分が鏡の中の「自分」に動かされているような錯覚を受けるという話なのだ。まさにそういう感覚が、そしてその鏡の「自分」になろうとする衝動をこれまた「ハイテンション状態」と作者は定義づける。

    第3章では、個人が社会性を失う様を論じる。本来、人間は社会の中で自分を客観視しながら「自分」を確立していくものであったのだが、社会を分断してしまい、自分を社会の中に若者が位置付けなくなったと。
    具体例で言えば携帯のアドレス帳でありSNSの友人リスト。これは社会そのものではなく、その社会と「繋がりうる可能性」の過ぎない。
    社会との分断。まさにそうである。

    第4章では、第1~3章の論をまとめて「カーニヴァル化する社会」とはなんぞやというところを論じる。


    非常に読みやすい、それでいて僕の頭が弱いのかところどころ読みづらい本であった。最初の就活の下りやデータベースとの会話はものすごくよく理解できた。まさに自分に起こっている状況であったから。しかし第3章からjひっかかってきた。

    結局浅く言えば、「リアルなコミュニケーションをしなくてもネットやケータイを通して『繋がる』ことができるようになった若者は、自分というものを探しながら躁鬱状態を繰り返している。自分という人間が起こす現象や自分という人間に起こる感情に非常にヴィヴィッドになり、躁鬱を繰り返す。
    そんな若者の感情の向かう先にW杯があり、いわゆるネット上の『祭り』がある。そんな『祭り』起こす若者たちは内面的には幸せだが外面的には搾取される対象である、これからどんどん二極化が進んて行く」
    というような論調だったと思う(僕が間違っていなければ)。

    結局、リアルな対話を繰り返し、自分を過度に意識しないということが重要なんだろうな。しかし一方でセルフブランディングは絶対に大事。ネットでヘンなアピールをするということがブランディングではないということを留意する必要があるな。

  • 「やりたいこと」という蜃気楼に、躁状態のまま向かい続けるわたし。それに興味を喪えば燃え尽きるが、また新たな蜃気楼を見つけ出して追いかけはじめるわたし。その、際限のない繰り返し。感性の次元で湧き立ち、ある時突然それが冷める。それを繰り返す日常を、筆者は「カーニヴァル」のようだという。元ネタは、バウマンだったらしい。

    途中、「データベース的対人関係」のくだりでSNSについて言及がある。この当時からすればSNSのシステムもだいぶ多様化し、携帯のアドレス帳と同じように「つながっている」感覚を担保するだけのものではなくなってきた。そこには、「○○というつながり」という分別や、「重要な友達」「限定公開」「ブロック」という選別の機能が欲望されるようになり、それがシステムとして制度化された。ともあれ、データベースの中の人間関係が、生身の人間関係をある程度(というより、かなり)飲み込んで支えているという指摘は、今も強い示唆を持つ。

    もう一度、というか今度こそ、社会学にしっかりと取り組んでみたいという気持ちを思い起こさせた。

  • 答えを急がない、一方の見方に立たない、という徹底した態度に平伏。もっと早く読んでおけばよかったなと思うほどでしたが、今読むご縁だったのだと思い大事にしたいですん。

    一人のひとの中にかように多様な価値観があったら、それはそれだけで希望なんじゃまいか。とも思った。

    あと、こんなに噛み砕いてもらってるのにまだわからないところがあって、ときどき落ちる。。。というのが何処だったのか、今後はそいうのを書き出して置こうと思いました。

    自分と違うからわからないのか、使ってある言葉や文脈が(あるいはその使い方が)違うからわからないのか、みたいのをちと明確にしたら、良いかなと。

著者プロフィール

1976年生まれ、福岡県出身。関西学院大学先端社会研究所所長、社会学部准教授。国際大学グローバル・コミュニケーション・センター客員研究員。専攻は理論社会学。著書に『カーニヴァル化する社会』(講談社現代新書)、『SQ“かかわり”の知能指数』(ディスカヴァー・トゥエンティワン)、『ウェブ社会のゆくえ<多孔化>した現実のなかで』(NHKブックス)ほか多数。

「2019年 『未来を生きるスキル』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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