カーニヴァル化する社会 (講談社現代新書)

著者 :
  • 講談社
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感想 : 109
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  • Amazon.co.jp ・本 (176ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784061497887

作品紹介・あらすじ

分断される自己イメージ、データベース化する人間関係…ネット世代の論客が解き明かす「僕たちの日常」。「ニート論議」「監視社会論議」の本質も明らかに。

感想・レビュー・書評

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  •  現代社会が、歴史性や本質的理由を欠いた突発的な「祝祭」によって動いているのではないかと指摘する本。

     「祝祭」の例は2002年のワールドカップの熱狂的盛り上がりや、2ちゃんねるでしばしば発生する、ある出来事が槍玉に挙げられ、そのスレッドに書き込みが急増する現象=「祭り」といったものである。

     その背景には、若者が雇用の流動化や教育カリキュラムの度重なる変更により十分なスキルや経験を積めず、フリーターや派遣社員にならざるを得ない雇用情勢や、「監視社会」が構築されつつあるいう要因がある

     また、著者は因果関係が曖昧なのにもかかわらず「携帯電話を持っている若者の方が非行に走りやすい」という「ケータイ・バッシング」が蔓延していることが指摘する。それには、人々が子どもの「非行」や「逸脱」の情報のインパクトの強さに引かれ、結果が無批判に受け入れられていることと関係があると思った。

     その例が、本書に挙げられている「ケータイ・バッシング」、「ゲーム脳」の他「少年犯罪が増加、凶悪化している」とか「フリーターやニートは甘えているだけだ」といった言説なのだと私は思った。

     以上のような現象が起こっている背景にあるのが、最終的に目指すべき目標や理念=大きな物語が失われつつあることだ。章同士の繋がりが弱く、抽象性が高めだったのもあるが、全体的に読みにくいという印象を受けた。

  • 一言。大変つまらない。読んだ人の多くが「よくわからなかった」と言うのもうなづける、基本的に論理がトビまくった本だ。

    若者の就労問題、監視社会の問題、ケータイでのコミュニケーションの問題・・・と全然異なる話をピョンピョン飛んでいき、その都度、ジークムント・バウマンだったり、アンソニー・ギデンズだったり、デイヴィッド・ライアンだったりの「話」を紹介、特に接着剤も使わずに「繋げる」=「くっついてる」(気持ちにさせる)という荒技を展開している。

    タイトルになっている「カーニバル化」について説明すると、ほとんどジークムント・バウマンそのまんま。バウマンによれば、近代は、共同体から個人を解放する時代だった。これが極限までいっちゃうと、個人が共同体に所属している必然は特になくなるから、「共同体へ所属するかしないか」自体が、個々人の選択になってしまう。個人は流動的になった伝統、共同体にその都度「あえて」所属するしかなくなるのであり、「一貫性を維持する」ことが難しくなる。その結果、共同体から共同性への転換が起こる。要するに、とにかく皆で繋がって一瞬だけでも盛り上がる=カーニバルというわけだ。

    で、2ちゃんねるのオフや祭り、ワールドカップや阪神優勝の盛り上がりはこのカーニバルなんじゃないかってのが著者の主張。一言でいうと「別に内容が正しいとか、自分の道徳心に適うからとかじゃなく、ネタとして盛り上がっている」ということになる。・・・って、本当にそれだけなんだよな。

    この話と、監視社会やケータイコミュニケーションの話が一体どうつながるわけ?と思うのもさもありなん。一応、「理屈」はコネてるけど、その理屈が飛びすぎでサッパリわかんない。他者とではなく、データベースと自分との間を往復する自己像になるのだあ!とか書いてあるけど、本を読んだ後も「なんで?」としか思わないし。なんでデータベースを必ず参照するんだよ。意味がわからない。

    監視社会についての議論の紹介も同様。監視社会は良いか/悪いかという議論であれば、「良い監視社会は良い」ということになってしまう。そこで、もう1次元深めた「善い社会に監視社会は貢献しない/邪魔になる」という議論があるが、これも著者によれば「何が善い社会か同意を得にくい」という問題があるため、監視社会を一概に悪いという理屈をつけるわけにはいかない(よいともいってないけど)という理屈らしい。って、善い/悪い、良い/悪いに踏み込んで議論してないんだし、物事は監視社会に限らず、その良い/悪い、善い/悪いのジャッジが難しいからこそ、判定が難しいのは当たり前だ。1章使って、一体何を言いたかったんだろう?と首をかしげた。

    頭でモデルを作って、そのモデルに合うように、個々の社会学者の言葉をちりばめて(それも非常に大きな話ばっか。再帰性の高まりだとか、個人化だとか、ギデンズやベックで聞く、例のあんな話です)、中間抜いて「結論として後期近代人はこんな自己を生きているのだあ」と言われて、それで納得するわけない。

    社会学者が、これだけ安易な若者論、時代論を平気でぶちまけてるあたり、ちょっと驚いた。他の著作では違うのかもしれないけど、本書は特に読む意味はないと思う。言葉の難易度もいい加減で、読者にどこまでの知識を求めてるのかもわからないし、説明もハショりにハショってるから、逆に参照している社会学者が何言ってるのかすら、よくわからなくなるくらいだ。とっとと、ギデンズ、ベック、ライアン、バウマンを読んだ方が、よっぽど理解が深まると思う。

    ・・・というような読後感だったので、著者にまったくうらみはないけれど、個人的な評価は★1個。ごめんなさい。他の本も読んでみる。

  • 反省的自己と再帰的自己の差異。

  • booklogのオススメででてきたので読んでみた。

    2005年の本であるため、今となってはよく目にする内容が書かれていた。

  • 特筆すべき感想はない。

  • 再読。

  • 38693

  • 社会

  • インターネットや世代間を題材にして書かれた作品。技術が進んだ現代社会の一面を捉えており考えさせられる内容。

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著者プロフィール

関西学院大学准教授。国際大学グローバル・コミュニケーション・センター客員研究員。専攻は理論社会学。ソーシャルメディアやIoT、VRなど、情報化社会の最新の事例研究と、政治哲学を中心とした理論的研究を架橋させながら、独自の社会理論を展開している。
著書に『カーニヴァル化する社会』(講談社、2005年)、『ウェブ社会のゆくえ─〈多孔化〉した現実のなかで』(NHK出版、2013年)、『未来を生きるスキル』(KADOKAWA、2019年)ほか多数。

「2022年 『グローバリゼーションとモビリティ』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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