- Amazon.co.jp ・本 (231ページ)
- / ISBN・EAN: 9784061497917
感想・レビュー・書評
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『限りなく透明に近いブルー』
心理描写は排し、主人公で語り手のリュウは無人格なカメラの役割(仲俣)
同時にガイド的
P.112
P.160 日本語のペラさ
→これで語りもそのままなのが舞城・福永
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舞城王太郎のとこだけ読みたかったので。
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近代小説家の孤独から始まり、さまざまな小説家を取り上げて彼らの文学との向き合い方を汲み取っていく。
個人的に、大学の講義で講師に来てくれた福永信さんが取り上げられていたのが嬉しかった。福永信ほど小説とは?を考えて変わった文章を書いている人はいないだろうと思うから。
全ての作家の作品を読んでから、またこの本を読みたいと思い、購入した。 -
保坂、水村はなるべく早く読んでみないと。
舞城、阿部はあまり読まなくて良い?
ダブル村上は、やっぱ鉄板ですわな。
…そんな感じ。全体的にちょっとハードルが高くて、いまひとつ理解し切れん論調も、そこそこありました。 -
どうやっても反感が出てきてしまう文体は置いておくとすると、村上春樹と阿部/舞城あたりの読み方が興味深かった。納得はできていないけど。文芸批評に根拠とか求めるのは違いそうだが、それにしても論が暴力的すぎてどうも入ってこなかった。
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現代小説がどういうものかを書いている…のだと思う。引用がとても多くて、ちょっと読みにくい。
2014/11/16 -
結論から言えばよくわからない内容の本だったと思う。村上龍、保坂和志、村上春樹、阿部和重、舞城王太郎、いしいしんじ、水村美苗などの作品を題材に現代小説、エンターテイメント小説についての考察が述べられている本である。特にこれと言った結論があるわけでもなく、小説の見方が延々と述べられているような印象を受けた。個々の見方はそれぞれ面白く、また題材として取り上げられている小説も興味深いので読んでみたくなる。
この本で述べられている考察の中で最も印象に残ったのは、『日本語は「ペラい」』という解説の部分。この本の冒頭に、小説独特の内省や描写がかったるい、そのかったるさを消去した上で、なお存在させるスキルがエンターテイメント小説に求められる。という、主張が述べられている。そのかったるさを形作るの原因の一つが日本語の「ペラさ」であると考える事が出来る。日本語は恐ろしく表層的なので、一つの言葉をたくさんの助詞や助動詞などでトートロジカルに修飾することになる。例えば、「感謝する」を「心から、本当に、大変厚く、感謝申し上げます」と表現するように。これがかったるさに繋がる一因と考える事が出来る。内省のかったるさは少し異なる側面もあるとは思われるが、文章を作る上で、日本語の「ペラさ」ゆえのかったるさに気をつけると言うのは、いろいろと意識してみるのが面白いのではないかと感じた。 -
現代作家の作品について論じとられます。
余り心に残らなかったので、☆少なめです。 -
[ 内容 ]
ブンガクはこう読め!
村上龍の描写力、保坂和志の孤独、『海辺のカフカ』の新しさ、舞城王太郎の全能感―文字界をリードする作家たちの成功と失敗を、気鋭の批評家が抉り出す、異色の文学入門誕生!
[ 目次 ]
プロローグ 純文学の「エンタテイメント化」について
1章 村上龍はいかに「描写」するか―ガイドの「足」としての文学
2章 保坂和志の描く共同性と「ロープ」
3章 村上春樹と純粋なメランコリー
4章 暴力と物語領域―村上春樹・阿部和重
5章 神の狂ったロジック―舞城王太郎・いしいしんじ・水村美苗
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