日本語の森を歩いて (講談社現代新書)

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感想 : 10
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  • Amazon.co.jp ・本 (200ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784061498006

作品紹介・あらすじ

「行ってきます」「痛っ!」「助けて!」なにげない普通の日本語の背後に深い働きが見える。二つの言語を合わせ鏡に、夫・小林康夫との対話からうまれた日←→仏往復言語学。

感想・レビュー・書評

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  • なるほどそういうことかもしれない という発見が面白かった

    何気なく使われた言葉を、立ち止まって観察してみるとその人の意図やコンテクストがより見えてくる。何気なすぎてスルーしてたけどこんなに豊かな背景があるんだなぁ、と気付けたのが楽しかった。

    以下は印象に残った例2つのメモ

    例①
    〇〇し、△△した。 
    〇〇して、△△した。
    →「て」が入るだけで意思性が高くなる(非偶然的)

    例②
    〇〇だ
    〇〇だよ
    〇〇だな
    〇〇だね
    →語尾の変化だけでニュアンスが全く変わる。(「よ」は発話者と共発話者との間に何らかの対立関係がある。必ずしも敵対の対立ではない。「な」は改めて自身に言い聞かせているニュアンス。「ね」は内容の共感や再確認のニュアンス。)

  • フランスのアントワーヌ・キュリオリの「発話操作理論の言語学」に基づくフランス語から見た日本語学。

    この言語学の特徴は人間の言語は人間が話し、語るという行為=出来事(発話)を中心にして形成されるさまざまな関係の網だと考える。

    生きた現象の現れである言表は発話者とその相手の共発話者が発話される時、発話時を前提とする。(発話状況)
    言表はなんらかの命題あるいは事を言表する。(述定関係)
    発話とは発話状況と述定関係の間のさまざまな関係によって結ぶこと。「事」と「時」が発話時としての現在と結び付けられることによって「時間」として理解されるようになる。

    フランス語の方がすべての要素を述定関係に繰り込む傾向が強く、日本語の方が発話空間へのレフェランスが多い。

    「僕はウナギだ」構文において「僕はウナギを食べる(注文する)」と述定関係を完全に言わなくても発話状況に依存して充分コミュニケーション可能な訳だ。

  • 文学

  • フランス語を鏡に、日本語を見るとどうなるのか、という本。
    詳しく言えば、「発話操作理論」という言語学上の立場からの分析とのこと。
    「発話操作理論」とは、言葉を使う人が、その言葉によってさまざまなものを関連付けるしかたを分析すること、とでも言ったらよいのだろうか。

    「に」と「で」の違い、「て」の機能、「お湯を沸かす」「行って来ます」という表現の不思議などが扱われている。
    日本語の世界しか知らない私には、「それが不思議なことなんだ」とわかって新鮮。
    フランス語が分かったら、更に深く理解できるのだろう。

    非専門家に向けた書き方になっている、らしいが・・・
    それでもやはり「述定関係」など、馴染みのない言葉が出てくるのは仕方がないだろうか。

  • 授業の理解を深める為に。
    日本語をフランス語から考えてくって面白い。

  • [ 内容 ]
    「行ってきます」「痛っ!」「助けて!」なにげない普通の日本語の背後に深い働きが見える。
    二つの言語を合わせ鏡に、夫・小林康夫との対話からうまれた日←→仏往復言語学。

    [ 目次 ]
    奥のほうへ進んでください
    玄関先で失礼します
    表参道で降りる
    先生に本をもらった
    行ってきます
    助けて!
    お湯を沸かして
    捻挫は治った
    よくまあいらっしゃいました
    よく言うよ〔ほか〕

    [ POP ]


    [ おすすめ度 ]

    ☆☆☆☆☆☆☆ おすすめ度
    ☆☆☆☆☆☆☆ 文章
    ☆☆☆☆☆☆☆ ストーリー
    ☆☆☆☆☆☆☆ メッセージ性
    ☆☆☆☆☆☆☆ 冒険性
    ☆☆☆☆☆☆☆ 読後の個人的な満足度
    共感度(空振り三振・一部・参った!)
    読書の速度(時間がかかった・普通・一気に読んだ)

    [ 関連図書 ]


    [ 参考となる書評 ]

  • 以前、新聞で紹介されていて興味を持っていた本。ようやく読むことができた。
    フランス語を母語とする著者ドルヌ氏が書いた原稿を、日本語を母語とする共著者小林氏が訳して言語学の専門家でない日本人にわかりやすくまとめた本。外国語としての日本語という視点を保ちながらも、母語としての日本語という視点も併せ持っており、日本語を母語とする人も、日本語という「森」を母語としても外国語としても難なく眺めることができた。何とも不思議な体験だった。
    内容は結構専門的だ。学術論文レベルではないが、一般向けというには難しすぎるように感じた。
    文章は平易だし例文も自然だし専門用語を極力避けているし専門用語を使ってもわかりやすく説明している。そういう意味では一般向けだが、それでも日本語学の「ルール」にのっとって話が進められているので「ルール」を知らないと、ついて行くのが少々大変だった。
    だが、その苦労をしても得るものが大きい本である。
    「単語のもっと核の部分を理解しなさい」そう言われたことがある。でも、どうやって理解すればいいのか、核の部分とは何か、それが私にはよくわからなかった。が、この本を読んで手がかりを少し得られたように思う。
    著者は個々の言語に特有の文法規則を考えるのではなく、「日本語に特有の言語現象を観察することを通じて、そこにどんな一般化可能な関係操作が働いているかを考えようとする」のが目的だと述べていた。
    これが私には新鮮だった。と同時に、これまでもやもやしていたものに道筋が見えてきたように思った。
    私は単語を一つ一つ個別に、その単語独自の「核」があると思いこんでいたのだが、そうではない。単語は単独で存在するのではなく、それを話す人がいて聞く人がいて使われる状況があって初めて意味をなす、という。
    言われてみれば当たり前なのだが、外国語に向かうとき「単語の理解」を意識しすぎるあまり、その言語をとりまく状況に頭をめぐらせるのを忘れてしまっていた。
    明日から早速この視点を持ち込んで外国語に向かっていこう。

  • 二つの言語を比較するっておもしろい。

  • フランス語がわからないのでピンと来ない部分があって残念。でも面白かった。

  • 2005.9.25 朝日新聞、書籍広告より。水ではなく「お湯をわかす」のはなぜ?「よく来たね」の「よく」は何が良いの?「ねぇ、貸して」の「ねぇ」って何?「行ってきます」「痛っ!」「助けて!」何でもない日本語をよく見ると背後に未知なる規則性が見えてくる・・・と。ちょっと読んでみたくなった。

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