- Amazon.co.jp ・本 (224ページ)
- / ISBN・EAN: 9784061498112
作品紹介・あらすじ
軍国少年として終戦を迎え、高校卒業後、渡米-シカゴ大学、ハーヴァード大学で長年教鞭をとってきた歴史家は、いかにして歴史と出会ったか?過去と向きあい、現在を俯瞰する。
感想・レビュー・書評
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アメリカで活躍する主に国際関係史が専門の歴史家の回想と、歴史を学ぼうとする人へのメッセージ。
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日本出身者として初めてアメリカ歴史学会会長も務めた、現ハーバード大学名誉教授(専門は米国外交史)の入江昭氏が、「日本や米国で私が受けた教育、長い間教師をつとめてきた米国の大学の雰囲気、学問に対する私の姿勢、専門分野での研究に従事する過程で形成された私の歴史認識などに触れながら、現在の世界を私がどう理解しているかを、とくに若い世代の人たちに伝えるのも、無意味なことではなかろうと思って」記したものである。
著者は歴史家としての信条の原点を、小学5年生で迎えた終戦直後の歴史の授業において、「「史実」というものは戦争の結果如何で書き換えられうるものだ、と身をもって実感したこと」という。
そして、高校卒業後に米国に渡って以来現在に亘り研究を続ける歴史(学)の目的を、過去に起こった事実を解明することと、解明された事実を現在において意味づけることであり、歴史(認識)とは過去と現在の対話なのだと語る。すなわち、過去に起こった事実(真理)は一つしかなく、過去そのものを変えることはできないのであり、それは歴史学の出発点であるが、その事実をどのように理解するのかは、だれが、いつ、どこで過去を理解しようとしているのかによって変わり得るものであり、よって、多くの種類の歴史認識ができるのは当然のことなのだという。英国の歴史家E.H.カーが、今や歴史学の古典と言われる『歴史とは何か』で述べていることが、わかりやすく述べられている。
そして著者は、現在の世界の状況を踏まえて、自らの問題意識を「文明間の対話の可能性」であるといい、文明の違いやナショナリズムの障壁を越えて、「各国個別の歴史解釈をするのではなく、地球レベルで国際的な歴史観が育成されるべき」であると主張する。
米国で活躍する歴史学者・国際政治学者の歴史哲学が、わかりやすく説かれている。
(2007年6月了) -
友人から薦められて読んでみた。
徹底して歴史を学び続ける著者。日本人としてハーヴァード大学の教授に。歴史との出会いは、人との出会いでもあった。
歴史家にとっての歴史とは、「過去の位置付け」であり、「過去と将来との対話」でもあるという。学問に徹した人だから言える深い言葉が並ぶ。
「トランスナショナル」=国境を越えた=という視野についての言及も興味深い。インターナショナルが「国家間」という意味を持っているの対して、トランスナショナルには、「国家の枠組みとは別個の流れ」という響きがあるという。国境を越えた世界史を研究するというアプローチに期待を膨らませる著者。
そんな視点から、「歴史認識問題」についても鋭い見方を提示している。著者は、過去に起こったことの解釈が様々であったとしても、特定の解釈をすべての人に押し付けてはいけないと強調している。そして、経済、交通、通信、その他の面で世界がつながりあってきている現在、歴史認識だけが、グローバル化する前の状態に置いておくのは矛盾であり、困難になっていくと著者は考えを述べている。
未来をどのようにしていきたいのか、という意志が、現在をどのように見て、過去を解釈してくのかということにつながるのかもしれない。国境を超えて同じ気持ちで、これからのことを考えていく人々のつながりが広がっていくことが大切なのだろう。 -
入江昭の自叙伝的な性格の本。
やっぱり世界の「入江」と呼ばれるだけの人はあると思う。
世界に目を向けないと。 -
歴史学というものを考えるにあたっては溪内譲『現代史を学ぶ』岩波新書の方が断然良い。あまり中身がない。
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意識があがる
もっと頑張りたくなる
人との出会いに感謝できます -
著者は戦前に生まれ軍国主義的な少年時代を過ごし、その後アメリカ留学を経てそのままアメリカの大学の教授になった人物。本人の人生を振り返りつつ、歴史研究の意味や、過去と現在といったものの捉え方についての考えが述べてある。
3部構成だが、1部が自伝的内容。2,3部が本人の歴史観についての記述になっている。
著者の半生、すなわち著者が歴史を専門に研究するようになり、それから現在に至るまでの経緯は正に激動の時代を生きてきた人物という印象を受けた。こういう自分史じみたものはともすれば美化されがちだったりするものだが、著者の文章は非常に洗練された、いい意味でクールかつ公平を期したものとなっているので読んでいて不快に感じることはなかった。エキサイティングな学者人生だなと思う。
単身アメリカに渡り、言葉も不自由な中で素晴らしい師に出会い…という経験を通して著者は「出会い」という要素の大切さを主張する。それは弟子を厳しくも大切に育てる(らしい)著者の人間観でもあり、「文明間の対話」を重視する歴史観にも繋がっているのだろうと考えさせられた。自分自身の経験をきちんと消化しているのでしょうね。
ただ、「歴史を学ぶということ」というタイトルそのものについての知見はあんまり見当たらないように感じた。あるいは、あっても目新しくない。「歴史とは何か」みたいな(深い?)問いについての視座を期待しているとちょっとハズレかもしれない。
総じて、前半部は良く出来た、歴史学者の自伝という位置付けが妥当ではないかと。後半部は本人の歴史観、現在についての知見が述べられていて歴史(外交史とか)を学んでいる人には参考になるのではと思われる。
私自身は歴史については門外漢なのだが、自伝部は非常に面白かった。歴史・歴史学者について関心がある人、あるいはこれから学んでみようかなと思っている若い人は読んでみるとなかなか熱いものを感じられるかもしれない。あと、全体的に文章がよろしいです。きちんと教育を受けるとこういう読みやすい文章が書けるのかな。 -
[ 内容 ]
軍国少年として終戦を迎え、高校卒業後、渡米―シカゴ大学、ハーヴァード大学で長年教鞭をとってきた歴史家は、いかにして歴史と出会ったか?
過去と向きあい、現在を俯瞰する。
[ 目次 ]
第1部 歴史と出会う(一九四五年八月;一九三〇年代と戦時中の生い立ち;戦後の歴史教育 ほか)
第2部 歴史研究の軌跡(出会いの蓄積としての歴史;私の歴史研究)
第3部 過去と現在とのつながり(学問と政治;歴史認識問題の根底にあるもの;地域共同体のゆくえ ほか)
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[ 関連図書 ]
[ 参考となる書評 ] -
現代史学を専攻しておきながら、恥ずかしながら、今まで入江昭氏の著作を読んだことが無かった。
本書は、アメリカ留学にはじまる入江氏の研究人生を中心に追っている。
語学のハンディキャップを乗り越えて、日夜研究に没頭していた姿は、今の文系大学生には見られない姿なのかもしれない。
後半は、入江氏の研究の概要をかいつまんで説明している。
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