歴史を学ぶということ (講談社現代新書)

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  • Amazon.co.jp ・本 (224ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784061498112

作品紹介・あらすじ

過去と向きあい、現在を俯瞰する。9.11後、世界は本当に変わったのか? 戦後の混乱期に渡米し、ハーバードで長年教鞭をとってきた歴史家は現代をどう見ているか。初めて明かされる研究者修行時代、そして思考遍歴。渾身の書き下ろし! (講談社現代新書)


9.11後、世界は本当に変わったのか? 戦後の混乱期に渡米し、ハーバードで長年教鞭をとってきた歴史家は現代をどう見ているか。初めて明かされる研究者修行時代、そして思考遍歴。渾身の書き下ろし!

感想・レビュー・書評

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    入江昭
    1934年、東京生まれ。成蹊高校卒業後、グルー基金奨学生として渡米。ハバフォード大学卒業後、ハーバード大学大学院歴史学部博士号(歴史学)取得。専攻は米国外交史、国際関係史。ハーバード大学名誉教授。1988年には日本人として初めてアメリカ歴史学会会長を務めた

    歴史を学ぶということ (講談社現代新書)
    by 入江昭
    「家」といっても正確には祖父母の家で、両親と私、そして妹の四人は、最初は豊島区、それからは杉並区に住んでいた。私が生まれたのは池袋の護国寺の近くだったが、しばらくして両親はアイヌ言語研究で著名な金田一京助博士から、杉並区 成 宗 にある一軒家を購入、一家で移り住んだ。(この家屋が売りに出たときの広告には、「座して富士を眺む」とあったことを、何度も父から聞かされた記憶がある。それほど当時の杉並区は都会というよりは郊外という感じだった。)  しかし当時同盟通信社の記者だった父(入江啓四郎) が一九三七年にジュネーヴ支局に赴任、さらに翌年にはパリ支局に転任し、母もその年(一九三八年) に渡仏したので、東京に残された私と妹とは、西大久保の祖父母に育てられることになる。祖父(塚本哲三) は予備校で国語や漢文の先生をしていた。国民学校一年生になったとき、両親はまだフランスにいたので、祖母に手を引かれて登校したことを覚えている。(そのころ教室で机を並べていた同級生とは、五十年以上たった一九九〇年代に再会することになる。)

    しかも父はまたしばらくして今度は南京支局に配置され、一九四五年五月までのほとんどを中国で過ごしたので、私たち兄妹は父母に育てられたとはいえず、むしろ幼少時代に祖父母から受けた影響のほうが計り知れないものがあった。私にとって幸せだったのは、祖父を通して小さいときから漢字を覚えるようになっていたこと、そして相撲愛好家の祖父によく国技館へ連れていかれたことである。案外力士の名前を通して、複雑な漢字に親近感を覚えるようになったのかもしれない。(在米生活が五十年を越えた今でも、日本に帰るたびに相撲を堪能している。)

    とくに私にとって刺激的だったのは、安藤英治先生の教える社会科で、高校一年生にアダム・スミス、フリードリッヒ・リスト、マックス・ヴェーバーなどの思想を教えてくれた。どこまで吸収できたかは疑問であるが、教科書以外にも知識の宝庫が山とあること、そしてその宝庫の扉はだれかに開いてもらうのではなく、自分たちで開くものなのだという姿勢を教えられたように思う。安藤先生の専門分野は社会思想史で、歴史学そのものではなかったが、先生が尊敬していた政治学者の丸山真男教授と同じように、ドグマ、とくに国家によって強制的に押しつけられる「史実」に対して、常に批判的な態度で接しておられた。

    しかしまた同時に、成蹊のすぐれた教育にもかかわらず、私たちは近代アジアや中国、とくに日中戦争について、ほとんど何も教わらなかったことも記録しておく必要がある。私の父は中国の古典を愛し、原典を中国語の発音で素読するのを日課としていた。中国の友人も多かった。しかし私は英語やドイツ語のほうに関心があり、中国語といえば漢文を返り点をつけて読む、といったことしかしなかった。近代中国史についても無知に近く、一九四九年の人民共和国誕生や一九五〇年の朝鮮戦争勃発にかんして、ほとんど予備知識を持っていなかった。このような出来事について、少しでも学ぶようになるのは、はるか後になってからだった。欧米にかんする基礎知識に比べて、東アジアについて若い世代がほとんど何も知らないという事実は、昨今にはじまったことではなさそうである。

    日本の受験準備で勉強していた数学の基礎があったため、数学の授業は比較的容易で、しかも英語を話さなくても黒板に数式を書いただけで私の考えを伝えることができたから、成績もよく、テストのたびに百点満点か、それに近い点数をとることができた。(学年の終わり近くにあった「フレッシュマン数学コンテスト」で私は一位になったが、日本における高校数学のレベルを考えると、それほど驚くほどのことでもなかった。)

    それに比べて他の四科目は、毎週数百ページの本や論文を読まされたうえに、その内容について感想を述べたり書いたりしなければならなかったので、きつい仕事だった。私の日記には、毎日どのような本を読んだかが克明に記録されているが、同時に、夜何時に就寝したかも書いてある。それによると、ほとんど毎晩コース・アサインメント(宿題) を終えて寝るのが午前一時過ぎ、時には二時過ぎになっていたことがわかる。若かったので、数時間の睡眠でも何とかなったのかもしれない。

    しかしマッキャフリー先生にいわれたように、毎日少しでも読書をすることにした。当時の日記によれば、サマセット・モームの小説やミルの自伝などを読んだことがわかる。歴史といってもヨーロッパ史を中心に考えていたので、そのような書物がすべて参考になるような気がした。同時にこの夏には、社会学者リースマンの『孤独な群衆』を読んで、米国社会の一端を 垣間見るような印象を受けたことも覚えている。近代資本主義社会の大衆の行動様式、とくにコンフォーミティ(一致主義) への傾斜を分析したこの本は、広い意味での歴史書であり、社会学が歴史の理解に大変役に立つものであることを実感した。

    それまでヨーロッパ史しか勉強していなかった私にとって、米国史や東アジア史を専攻することは、ゼロから出発するに等しく、きつい仕事だった。しかしマッキャフリー先生から、歴史を学ぶとはどういうことなのか、どのようにすれば自分なりの論文を書くことができるのか、などについて徹底的にたたきこまれていたので、その点では不自由はなかった。

     どの本でも、著者がいわんとすることがひとつある(もちろん、それがなければ読む意味がない)。本を読むということは、このひとつのことを理解することであり、そのためには長時間をかけて一冊一冊丁寧に読む必要はないというのが先生の助言だった。これもまた、私が大学院の学生にいってきたことである。図書館に山ほどある研究書を、ひとつひとつ時間をかけて読むことは物理的に不可能である。とくに米国史などとなると、一冊に二時間かけて読んだとしても、一年に数百冊しか読めない。必要なのは、書籍のあいだの関連、すなわちある著作が特定の分野の研究にどのような貢献をしているかを見極めることである。

    歴史を学ぶということは、歴史学の動向を理解することでもある。極端にいえば、ヒストリオグラフィー(歴史研究、解釈) なくしてヒストリー(歴史) はありえない、ということにもなる。そうだからといって、過去を勝手に否定したり創造したりすることはできない。ハンドリン先生もゼミで繰り返し説かれたように、「過去を変えることはできない」のである。しかし過去についての解釈、ある出来事をどのように位置づけるのかというコンテキスト(前後関係) を提供するうえで、新しい貢献をすることはできる。歴史とは過去と現在との対話であるといわれるが、歴史家にとっては、歴史とは過去の位置づけである。そして常に新しい視角を追求しようとしている点で、過去と将来との対話であるともいえる。

    教師生活に入る機会は、意外なほど早く訪れた。博士号を得る前のことである。ハーヴァード大学歴史学部では、大学院で三年目に入ったものに、見習い教師としていろいろ教えさせ、それに対して報酬を払う制度がある。特定の教授の授業のコース・アシスタントとして試験の採点をしたり、あるいは卒業論文の指導をしたりする。歴史学専攻の学部の学生を対象に、少人数に分けてディスカッションをする「テュートリアル」を受け持つこともある。このようにいろいろな形で教えさせて、将来教師として巣立っていくときに備えての手助けをするわけである。

     第1部では、主として私がどのようにして歴史を勉強するようになったのか、いわば歴史との出会いについて回想的に描写してみた。第2部ではもう少し具体的に、歴史についての私なりの見方を、私が発表してきた著作や論文に触れながら簡単に記述してみたい。第3部のテーマである、現代の世界をどう見るかという問題を考えるうえでも、私が専門的に研究してきたことがその前提となっているからである。

    しかし同じことはすべての人にかんしてもいえることで、個々の人間がお互いと遭遇し、小さな輪を作っていく。そしてその輪が相互に重なり合いながら形成していくのが、地球社会、すなわち人類の歴史なのだといえないだろうか。もちろん、その過程でいざこざもあり、輪を作るかわりにそれを壊してしまうこともある。世界全体につながった輪は、まだ生まれていないし、近い将来にできあがるとも思われない。しかしそれにもかかわらず、人と人とがどのようにかかわりあってきたのか、その記録こそ、歴史なのだといえないだろうか。  もともと歴史とは、人間が織りなすものである。いかなる人間であろうと、他の人間からまったく孤立した存在ではありえない。(かりにあるとしても、そのような孤立した個人の生活をだれかが記録するか、あるいはその記録を読むかしないかぎり、歴史にはならないわけである。)

     人と人、社会と社会、あるいは社会を構成する家族、職場、結社などのお互いとの出会いとからみあいは、社会史の重要なテーマであり、経済史や文明史などもそのような枠組みで研究することができるであろう。いずれの場合にも、いつどこで、だれが(あるいはどのグループが)だれと出会い、その結果どのような結末になったかを調べるものだからである。私が専攻してきた外交史や国際関係史、あるいは現代世界史にかんしても、まったく同様である。

    そのような見方を、私は最初からはっきりと意識していたわけではない。しかし一九五〇年代後半から二十一世紀初頭にいたるまで、人類の歴史をいろいろな角度から学ぶうちに、人間同士の遭遇の過程を調べるためには、複眼的な視野をとる以外にない、という気持ちが強くなっていった。そして、後述するように、昨今私が強調しているトランスナショナリズム(国境を越えたつながり) という観点も、その流れの帰結点のひとつであるような気がする。

    私は「十九世紀の米国思想における東と西」というテーマで、一学期よりも幅広く、当時の米国の文学作品、歴史書、各種の雑誌記事などを読んで、論文にまとめてみることにした。外交史というよりは思想史に近い仕事だったが、実に楽しい研究でもあり、「東と西」という長い歴史を持つ命題にかんして、自分なりに理解することができた。このテーマについては、一九七〇年代末期に刊行されたサイードの『オリエンタリズム』が有名で、多大の影響力を持ってきたが、それよりも二十年以上前に、私もささやかながら同じような問題意識で東西文明論的な研究をしていたと自負している。

    私が論じようとしたのは、東と西というテーマにかんして、米国にはふたつの対照的な見方があるということだった。ひとつはこの両者をまったく異質ないし別個のものとしてとらえる見方、もうひとつは東西を歴史的に関連させて、近代西洋は東洋に比べて文明的にまさってはいるものの、東洋も西洋と同じ方向に向かって歩むことは可能だとするものである。前者の見方をとれば、東と西とは永久に別個のものとして存在し、そのあいだに交流とか本質的な相互影響関係とかはありえないということになるが、後者の論理に立てば、東と西とは相対的な現象であって、このふたつが結びつくことも可能だという考えに導かれる。

    そのような日本が、日清・日露戦争を経てアジア・太平洋の強国として出現したことに、アメリカ人はかつてないほどの衝撃を受け、日米関係は東洋と西洋との争いだとまで論ずるものも出てきた。それとは対照的に、辛亥革命以降、共和国として自己変貌をとげ、経済や文化の近代化を図る中国に対して、それまでの否定的なイメージに代わって、友好的な見方が影響力を持つようになり、米国は中国を積極的に支援すべきだと主張するものも現れる。そういった考えが政府の対外政策にも反映されるのが、ウィルソン大統領時代である。第一次大戦と同時期のことだ。中国のほうが日本よりも本格的な近代化をなしとげる可能性を持っている、という見方が広がり、アメリカ人の好意が日本から中国へと移っていった。

    このように見てくると、各国の歴史観や文明意識が、相互のイメージ形成のもととなっていることがわかるのではないか。私はこのような見方を提供した。幸いにして、この本は教科書として、あるいは教養書として、かなりの人々に読まれたようで、今でも、これを読んでいろいろ啓発されたといってくれるアメリカ人や中国人に出会う。私の著作が、国境を越えて何らかの形で相互理解、とくに過去の相互関係について、ある程度の認識の共有に貢献したのだとすれば、歴史家としてこれ以上の喜びはない。

    しかし文化の流れは決して一方通行的なものではなかった。諸外国の文化文物も米国に入ってきたし、ソ連の共産主義やイタリアのファシズムに影響を受ける米国の思想家もいたのである。

    そのような視角をさらに広げていくと、全世界は国と国との集合体ではなく、個人、宗教、社会、文化などのつながりによって形成されるものだ、という見方に到達する。そこからグローバルな視野が生まれ、現代世界の動きをとらえるひとつの座標軸もできあがっていく。

    多くの歴史学者と同じように、私は政府関係の仕事をした経験がない。完全に「在野」である。したがって国家機関の内情や政策決定過程にかんする情報にうとく、現代の外交や戦略を語る資格はまったくない。それにもかかわらず、時に「時事評論」的な発言もしてきたのは、歴史家として、現代史の理解に貢献するのがひとつの任務だと考えているからである。

    もっとも、新保守主義を標榜する学者、とくに歴史学者の数は限られている。米国の知識人の大部分は、思想的にはいわゆる中道リベラル派に近く、極右も極左もきわめて少ない。ただ七〇年代以降、米国の社会や政治が右傾化ないし保守化してきたので、中道派の立場自身、政治的だと考えられやすくなっているように思われる。  いずれにせよ、思想的には六〇年代的なリベラル志向が、現在でも米国知識人のあいだで影響力を保っているように見受けられる。そのために、大学や学界の雰囲気は依然として圧倒的にリベラルである。私が日ごろ接しているもののほとんどがリベラルかつ民主党支持者のようで、そのため、共和党(とくに保守派)や、その背後にある宗教右派と呼ばれる勢力との対照が際立っている。

    余談だが、二〇〇四年の大統領選挙で民主党候補が勝利をおさめた州、いわゆる「ブルー・ステイト」(カリフォルニア、ニューヨーク、ペンシルヴァニア、マサチューセッツなど。ブルーは民主党のシンボルカラー) は、私の米国生活のほとんどすべてを過ごしてきたところであり、その点では私の知っている米国は、民主党的、リベラルの影響の強い米国だということになる。

    とくに歴史家の場合、自分たちの国の都合の良いように過去を解釈することは戒めなければならない。米国にも日本にも中国にも、愛国主義的な歴史を妄信し、それ以外の解釈は「非国民的」だとして非難する勢力がある。そのような勢力に屈しないためにも、国境を越えて学問の自由を守る連帯意識と組織を強めていきたいものである。

    以上は現代の世界についての一般論であるが、もう少し具体的に、とくに日本の読者の関心が高いと思われる三つの問題について、私の見方を提供してみたい。ひとつ目は日本と近隣諸国とのあいだの歴史認識問題(本節)、ふたつ目はアジア地域秩序の形成について(3節)、そして三つ目は米国および国際社会全体にとって、二〇〇一年九月十一日の同時多発テロ事件がどこまで世界を変えたのかという問題(4節) である。

    まず歴史認識問題であるが、最近の日本外交では、中国や韓国とのあいだの関係が、この問題のために非常にこじれているように見える。もともと外交という、主権国家が各々の国益を追求する舞台で、歴史認識といういわば学問的・抽象的な関心事が問題とされるのは珍しく、それだけ現代の日本の置かれた状況が異様であることを物語っているかのようである。

    国家や宗教などによって強制された歴史ではなく、自発的な資料の発掘を通して、事実を明らかにする。それはどの国の歴史学者にも共通する姿勢である、少なくとも共通する姿勢であるべきで、明らかな御用学者でもないかぎり、政府のいうなりに勝手に過去を変えることはできない。どの国の学者が見てもまったく同じ過去が存在しているのであり、それを紐解くために、世界の歴史学者が国境を越えて共同の研究をすることが可能になるし、またきわめて望ましいことでもある。  真理はひとつしかない。そしてその真理を追求するための学問には国境はない。これが歴史学の出発点であり、私の信念でもあることは、すでに第1部と第2部でも触れたとおりである。

    したがって、人によって、あるいは国によって、歴史理解に相違のあるのは驚くにあたらない。たとえば日本の朝鮮支配という史実について、植民地化した日本と植民地化された韓国の人々ないし政府とのあいだに、対照的な見方があるのは不思議ではない。中国を侵略した日本と、侵略された中国との場合も同様である。  もっともこのような過去について、日本でも解釈はただひとつではなく、歴史家や一般市民のあいだにさまざまな歴史認識があることは、各種の歴史教科書を見れば明らかである。過去の日本帝国主義に対して批判的なもの、自己弁護的なもの、あるいは帝国主義的侵略政策と見ることに抵抗するものなど、いろいろと異なった見方がある。  これらの違いは、根本的には、過去と現在とを結びつけるにあたっての相違である。過去に対して批判的な姿勢を見せる人たちの大部分は、終戦後の日本の平和主義や民主化を歓迎しているようであり、その分だけ過去と現在との区別を明確にしようとしている。反対に、過去に対して弁解的ないし肯定的な見方をするものの中には、現代の日本に対して批判的なものが少なくない。あるいは、現代の日本のアイデンティティを確立するためにも、諸外国の意向にとらわれずに、日本人が自主的な態度で過去を解釈すべきだとする意見もある。要するに、現在の社会や政治への姿勢が、過去の認識に影響を与えているのである。同じことは中国や韓国における歴史理解についてもいえるであろう。

     政治的にはどうか。現在の米国政治は、しばらく前と比べるとたしかに保守的な様相を見せている。共和党保守派が政権を維持し、議会でも優勢である。しかしこの傾向はテロ事件後にはじまったものではなく、すでに民主党のクリントン政権の時期に、共和党の保守派が議会で影響力を増していたのである。  ブッシュ政権はいわゆるネオコン(新保守派) に支持されているといわれるが、ネオコンという現象自体、最近になって発生したものではない。その源泉は一九七〇年代にまでさかのぼるのである(冷戦からデタントへの移行に抵抗し、軍事力でソ連勢力と対抗しようとした動きで、国内的には六〇年代的なリベラリズムへの反動という面もあった)。この流れは、レーガン大統領時代(八〇年代) に政権内でも影響力を持つようになる。八年続いた九〇年代のクリントン大統領時代には、ネオコンは政権の中枢から離れてはいたが、議会、マスコミその他のルートを通じて、米国の世論に浸透していった。

    このような傾向があるため、米国の社会や政治からリベラル派が消えた、あるいは影響力を失ってきたという印象を受ける。たしかに、保守派の台頭と反比例するかのように、リベラルの勢力は衰退している。リベラル派は一九三〇年代のニューディール時期に勢いをつけ、その後六〇年代まで、米国政治の中心的な思想や人材を提供していた。そのあいだに力を減衰させた保守派が、七〇年代に入って勢いを取り戻したのと同じように、リベラル派もまた影響を持つようになるのだろうか。米国政治や世論は周期的に右から左、そして左から右へと振り子のように動くといわれるが、近い将来にリベラリズムの出番はあるのだろうか。

    今日、世界には二百を越える主権国家、そして六つほどの地域共同体が存在しているが、国際非政府団体(INGO) の数は四万を下らず、多国籍企業も九万以上ある。現代の国際秩序は、このようなものすべてによって形成されている、あるいは形成されなければならないのである。

     しかしそのような国の政治や文化が、どこまで西洋化していくかは疑わしい。十八世紀以降の啓蒙主義思想(自由、人権、民主主義など) が、どこまでアジア諸国に浸透していくのだろうか。またかりに浸透するにしても、それがどこまで各国の家庭制度、宗教、教育、あるいは社会の慣習などを変えていくことになるのか、一概にはいえない。  どの国、どの社会集団であっても、それぞれの歴史の産物であり、過去の遺産を引き継いで存在している。そのような歴史や遺産が文明なのであり、それはグローバル化によっても抹殺されることはない。

    もっとも、グローバル化がトランスナショナリズム(国境を越えたつながり) を助長すれば、やがては文明間の境界も低くなって、いわばトランスカルチュラル(文化の領域を超えた流れ) な動きの作り出す世界が誕生するかもしれない。それが現実となるためには、地球が完全にひとつの共同体となり、人々がどこにでも自由に移り住み、異人種間の交流や結婚が一般化し、国のみならず宗教や文明のアイデンティティすら弱くなっていかなければならない。かりにそのような時がくるとしても、それは遠い将来のことで、少なくとも二十一世紀には、グローバル化は多文明、多国家、多人種などとともに並列した現象として存在し続けるであろう。

    歴史を学ぶということの楽しさや重要性を示してくる書物は数多い。しかし本書を通読した読者は気づかれたと思うが、私自身の著作を除くと、この本の中で触れている書物の例はごくわずかである。とくに若いとき(大学時代) に読んだ本としては、 モーム の小説(具体的には『 人間の絆』)、 ミル の『 ミル自伝』、ならびに リースマン の『 孤独な群衆』だけである。しかも、この三冊はいずれも専門の歴史家によって書かれたものではない。モームは小説家、ミルは政治思想家、リースマンは社会学者である。しかしながら、そのいずれの著作にも歴史が出てくるし、過去をどう見るかについて大きな示唆を与えてくれる。私自身大学在学中の夏休みを利用してこれらの本を読み、大変触発された思い出がある。

    歴史を学ぶにあたっては、歴史学者の本だけに頼る必要はない。むしろ専門家以外の書物を通して、過去についてのいろいろな見方に触れるのも、歴史理解にとって重要なことである。

    とくに若い読者の中には、これからもっと歴史の本を読んでみたいと思う人たちもいるであろう。その手助けとして、適当な参考書のリストを作ることも考えたが、数万、数十万とある本の中から数冊だけ選ぶのは至難の業である。もっともいわゆる歴史書の中には平凡で教科書的な通史や、年表を並べたにすぎないような無意味な著作もある。歴史は年譜とは違う。主だった(とされる)できごとを編年的に羅列するだけでは、もちろん歴史にはならない。年表や「歴史上の人物」を暗記したからといって、過去を理解したことにはならないのである。

    私が毎年、大学院生の必読書ないし参考書として掲げる本のリストは、国際関係史や米国外交史にかぎられているが、それでも七百冊以上になる。そのほとんどすべてが英語で書かれている。もちろんその一方、日本語で出版された歴史書も、日本人の執筆によるものであっても、外国の本の翻訳であっても、多数存在しており、歴史を学ぶための手引きとして役立つものは少なくない。

    そのような多くの歴史書から、数冊だけを取り上げて推薦することにはためらいがある。むしろ私は、すでに古典となっている歴史書(ないし歴史関係の書物)を多少取り上げてみたい。すでに古典となっているということは、それだけ多くの読者に感銘を与え、愛され、語り継がれてきたからにほかならない。そのような著者の声に耳を傾けながら、ある時代、ある世界、ある個人などについて、著者が何を伝えようとしているのか、長年にわたって読者に訴えるものがあるのはなぜなのか、などについて考えることが、とりもなおさず歴史と出会うことなのであり、歴史をさらに深く学ぶきっかけともなるのではないだろうか。

    たとえば ギボン の『 ローマ帝国衰亡史』は十八世紀に書かれた本であるが、古代ローマ帝国がキリスト教の布教やゲルマン民族などの「野蛮人」の侵入によって、しだいに衰退していった様子が描かれている。たんに年代的な史実を追うだけではなく、ある時代にある民族がどのような生活をしていたのか、その生活が帝国の政治的解体によってどのように変わっていったのかなどについて、著者の解釈がはっきりと示されている。…

    この本よりスケールは小さいが、オランダの歴史家 ホイジンガ による『 中世の秋』も、ある時代から次の時代へと移っていく転換期を、克明に描写している。十四世紀から十五世紀にかけてのヨーロッパ(とくにフランスとオランダ)において、それまで支配的だったカトリック教会や封建地主の権力が衰え、社会の基盤が不安定になった時に、人々がどのように対応したのかについて、文化…

    そして、中世との決別を決定的にしたのが、十五世紀から十六世紀にかけてのルネッサンス時代に生まれた新しい人間観や政治感覚であるという見方を提供し、読者の歴史観にも多大な影響を与えてきたのが、十九世紀スイスの美術史家 ブルクハルト の『 イタリア・ルネサンスの文化』である。十九世紀中葉に出版されて以来、中世から近代への移行を理解するうえで不可欠な歴史書だとされてきた。ブルクハルトの解釈には批判的な専門家も少なくないが、国家中心的な歴史研究が盛んだった十九世紀に、このように広範囲の地域(といってもヨーロッパにかぎられていたが)における歴史の推移を、新しい人間意識や社会関係といった現象に焦点をあてて説明した業績は大きい。やはり当時(近代初期) における地中海の世界を、相互的に…

    近代、すなわち十八世紀以降の歴史にかんしては、古典的な名著の数も多くなるが、日本の読者にとっては、 福沢諭吉 の『 文明論之概略』からはじめるのもひとつの方法であろう。福沢は職業的学者ではなかったものの、当時西欧で普及していた歴史観を敏感に取り入れ、開国後の日本もその枠組みで理解しようとした点で、今日グローバル化時代の世界と日本を考えるにあたっても、すぐれた入門書となりうるものである。この本は近代日本思想史におけるテキストとして、すなわち一次資料として…

    これが書かれたのは一八七〇年代であったが、その四十年ほど前に執筆された トクヴィル の『 アメリカの民主政治』も刺激に満ちた歴史本である。まだ二十代の若さで渡米したフランスの貴族が、アメリカで何を見たのか、そして見たものをどのように位置づけたのか、などは興味深い問題であるが、この本の全体をつらぬくものは、近代社会の政治的社会的動向についての洞察である。世界…

    あるいはまた、近代化のもたらす悲劇や絶対主義への潜在的傾向を、文学的に取り扱った ドストエフスキー の『 カラマーゾフの兄弟』も、十九世紀後半の世界史を理解するうえでまたとない入門書だといえる。四人の兄弟が近代化の波の押し寄せる社会にあって、家族、信仰、罪悪などの問題について四者四様の対応をする。そのような枠組みをとおして他の国の歴史を見直すことも、知的に刺激のある作業である。

    二十世紀に入ると、国家主義やナショナリズムの立場から執筆された歴史書が非常に多くなる。欧米ではもとより、日本、中国、トルコなど、遅れて近代化した国や、植民地の経験を経て新興国家となったアジア・アフリカの諸国などでは、自国中心の歴史が主流となり、教科書などもこの傾向を反映していた。そのような風潮に対し、個人としての人間の尊厳を主張した文学作品も、それなりの歴史的役割をはたしていたといえる。日本の例でいえば、夏目漱石や永井荷風の小説をあげることができる。(本書でも触れた 永井荷風 の『 あめりか物語』は、著者の渡米記録でもあるが、二十世紀初頭の米国政治や西洋文明の行方について、二十代の若者が書いたとは思えないほどの洞察を提示している。)

    一方、歴史学者の中で世界史の分野を開拓し、あるいは国境を越えた視野を唱導するものの数はかぎられていたが、古典と呼ばれるにふさわしい歴史書はこの部類のものである。世界史ではイギリスの歴史家 トインビー の『 歴史の研究』が有名であるが、原書で十二巻もあってなかなかとっつきにくい。

    むしろ、彼の感化を受けたアメリカ(出生はカナダ) の学者 マクニール の『 世界史』のほうが手ごろな読み物である。人類が地球に現れてからの数百万年をたどる大作であるが、近代や現代に比重を置くことをせず、過去数千年にわたって、いろいろな文明や民族がどのように出会い、歴史を変えていったのかを叙述している。

    近・現代史をトランスナショナルな視野でとらえようとする作品の中には、 レーニン の『 帝国主義』や ファノン の『 地に呪われたる者』がある。前者はロシアの革命家、後者はカリブ海に浮かぶフランス領マルティニク島出身の歴史家であるが、両者とも十九世紀以降の一大現象である帝国主義を、世界全体の経済や文化の流れと関連させて説明している。多分にイデオロギー的であり、そのために拒絶反応を示す読者もいるが、新鮮な見方で歴史を紐解くとはどういうことなのかを知るためにも、不可欠な書籍である。

    二十世紀前半の歴史の恥部ともいえる全体主義、専制主義についても、多くの優秀な研究書がある。二十世紀の行方を測るためにも、そのような著作に触れるのは重要である。 アーレント の『 全体主義の起原』、 丸山真男 の『 現代政治の思想と行動』、 エーリッヒ・フロム の『 自由からの逃走』などはとくに有名であるが、いずれも十九世紀以来、一部の学者や小説家が指摘してきた問題、すなわち近代における大衆が伝統的なコミュニティ(家族、村落、教会など) から離脱した結果、相互のつながりを失い、唯一絶対の…

    おわりに、二十世紀から今日にいたるまでの国際関係についての参考書を多少挙げてみたい。山ほどある戦争起源論、あるいは戦時史、戦略史の類を除くと、戦争と平和とのつながりを突っ込んで分析した研究書は意外に少ない。一九四九年に出版された、イギリスの作家 オーウェル による『 1984年』という小説の中に、専制国家のスローガンのひとつとして「戦争は平和であり、平和は戦争なのだ」という言葉が出てくるが、実際に戦争が戦われている時でも戦後の世界を模索し、平和な時代にあっても次の戦争を計画するという状態は、十九世紀から今日にいたるまで続いてきた。そのような状態を理解するためには、文学作品が最適な入門書となるかもしれない。  オーウェル自身、一九三〇年代の…

    しかし戦争と平和を描いた文学作品の最高峰は、依然として トルストイ の『 戦争と平和』であろう。ナポレオン戦争を描いたこの小説は、戦争という地政学的現象と個々の人々の運命とのかかわりを有機的にとらえた大作として、…

    二十世紀の戦争をトルストイのような手法でとらえた作品は少なくない。「古典」と呼ぶにふさわしいかどうかは別として、最近出版された戦争小説の中で私が特に印象づけられたのは、第一次大戦を描いた セバスティアン・フォークス の『 よみがえる鳥の歌』と、第二次大戦前夜と戦時・戦後をつらぬく流れを追った イアン・マキューアン の『 贖罪』である。いずれもイギリスの若い世代の書いたものであるが、戦争を直接体験した作家による小説(たとえば第一次大戦についての…

    一年少し前、私がハーヴァード大学の教師として最後の年を迎えようとしていたころ、講談社の川治豊成氏から手紙を受け取り、私が歴史というものをどのように考え、またどのようにして歴史を見る眼を養ってきたのかについて、とくに若い読者を念頭に置いて書いてほしいと依頼された。

    このような形で私の家族の歴史にまで触れたものを書くのは、はじめての経験である。生い立ちの記憶が祖父母の代までさかのぼる私ではあるが、今では二人の孫娘と歴史(らしきもの)を話しあう年になった。本書でも述べたように、歴史と向かいあうということは、現在の時点で過去と未来とを結びつけようとすることではなかろうか。今の若い人たちも、自分たちの将来を考えるにあたって、同時に過去をも見つめてほしいと思う。オスカー・ワイルドが戯曲『ウィンダミア卿夫人の扇』の中で劇中人物にいわせているように、「将来に向かって生きようとするものは、過去に向かっても生きなければならない」のである。

  • アメリカで活躍する主に国際関係史が専門の歴史家の回想と、歴史を学ぼうとする人へのメッセージ。

  • 日本出身者として初めてアメリカ歴史学会会長も務めた、現ハーバード大学名誉教授(専門は米国外交史)の入江昭氏が、「日本や米国で私が受けた教育、長い間教師をつとめてきた米国の大学の雰囲気、学問に対する私の姿勢、専門分野での研究に従事する過程で形成された私の歴史認識などに触れながら、現在の世界を私がどう理解しているかを、とくに若い世代の人たちに伝えるのも、無意味なことではなかろうと思って」記したものである。
    著者は歴史家としての信条の原点を、小学5年生で迎えた終戦直後の歴史の授業において、「「史実」というものは戦争の結果如何で書き換えられうるものだ、と身をもって実感したこと」という。
    そして、高校卒業後に米国に渡って以来現在に亘り研究を続ける歴史(学)の目的を、過去に起こった事実を解明することと、解明された事実を現在において意味づけることであり、歴史(認識)とは過去と現在の対話なのだと語る。すなわち、過去に起こった事実(真理)は一つしかなく、過去そのものを変えることはできないのであり、それは歴史学の出発点であるが、その事実をどのように理解するのかは、だれが、いつ、どこで過去を理解しようとしているのかによって変わり得るものであり、よって、多くの種類の歴史認識ができるのは当然のことなのだという。英国の歴史家E.H.カーが、今や歴史学の古典と言われる『歴史とは何か』で述べていることが、わかりやすく述べられている。
    そして著者は、現在の世界の状況を踏まえて、自らの問題意識を「文明間の対話の可能性」であるといい、文明の違いやナショナリズムの障壁を越えて、「各国個別の歴史解釈をするのではなく、地球レベルで国際的な歴史観が育成されるべき」であると主張する。
    米国で活躍する歴史学者・国際政治学者の歴史哲学が、わかりやすく説かれている。
    (2007年6月了)

  • 友人から薦められて読んでみた。

    徹底して歴史を学び続ける著者。日本人としてハーヴァード大学の教授に。歴史との出会いは、人との出会いでもあった。


    歴史家にとっての歴史とは、「過去の位置付け」であり、「過去と将来との対話」でもあるという。学問に徹した人だから言える深い言葉が並ぶ。

    「トランスナショナル」=国境を越えた=という視野についての言及も興味深い。インターナショナルが「国家間」という意味を持っているの対して、トランスナショナルには、「国家の枠組みとは別個の流れ」という響きがあるという。国境を越えた世界史を研究するというアプローチに期待を膨らませる著者。

    そんな視点から、「歴史認識問題」についても鋭い見方を提示している。著者は、過去に起こったことの解釈が様々であったとしても、特定の解釈をすべての人に押し付けてはいけないと強調している。そして、経済、交通、通信、その他の面で世界がつながりあってきている現在、歴史認識だけが、グローバル化する前の状態に置いておくのは矛盾であり、困難になっていくと著者は考えを述べている。

    未来をどのようにしていきたいのか、という意志が、現在をどのように見て、過去を解釈してくのかということにつながるのかもしれない。国境を超えて同じ気持ちで、これからのことを考えていく人々のつながりが広がっていくことが大切なのだろう。

  • 入江昭の自叙伝的な性格の本。
    やっぱり世界の「入江」と呼ばれるだけの人はあると思う。

    世界に目を向けないと。

  • 歴史学というものを考えるにあたっては溪内譲『現代史を学ぶ』岩波新書の方が断然良い。あまり中身がない。

  • 意識があがる
    もっと頑張りたくなる
    人との出会いに感謝できます

  • 著者は戦前に生まれ軍国主義的な少年時代を過ごし、その後アメリカ留学を経てそのままアメリカの大学の教授になった人物。本人の人生を振り返りつつ、歴史研究の意味や、過去と現在といったものの捉え方についての考えが述べてある。

    3部構成だが、1部が自伝的内容。2,3部が本人の歴史観についての記述になっている。

    著者の半生、すなわち著者が歴史を専門に研究するようになり、それから現在に至るまでの経緯は正に激動の時代を生きてきた人物という印象を受けた。こういう自分史じみたものはともすれば美化されがちだったりするものだが、著者の文章は非常に洗練された、いい意味でクールかつ公平を期したものとなっているので読んでいて不快に感じることはなかった。エキサイティングな学者人生だなと思う。

    単身アメリカに渡り、言葉も不自由な中で素晴らしい師に出会い…という経験を通して著者は「出会い」という要素の大切さを主張する。それは弟子を厳しくも大切に育てる(らしい)著者の人間観でもあり、「文明間の対話」を重視する歴史観にも繋がっているのだろうと考えさせられた。自分自身の経験をきちんと消化しているのでしょうね。

    ただ、「歴史を学ぶということ」というタイトルそのものについての知見はあんまり見当たらないように感じた。あるいは、あっても目新しくない。「歴史とは何か」みたいな(深い?)問いについての視座を期待しているとちょっとハズレかもしれない。

    総じて、前半部は良く出来た、歴史学者の自伝という位置付けが妥当ではないかと。後半部は本人の歴史観、現在についての知見が述べられていて歴史(外交史とか)を学んでいる人には参考になるのではと思われる。
    私自身は歴史については門外漢なのだが、自伝部は非常に面白かった。歴史・歴史学者について関心がある人、あるいはこれから学んでみようかなと思っている若い人は読んでみるとなかなか熱いものを感じられるかもしれない。あと、全体的に文章がよろしいです。きちんと教育を受けるとこういう読みやすい文章が書けるのかな。

  •  本書で、1970年代以降、世界は国家という枠組みだけで捉えることはできなくなった、と述べている。
     多くの人が、冷戦の終焉による多極化、911による見えない敵との戦いにより、世界の形は大きく変わったと述べるが、それに注目しすぎている点も否めない。
     1970年代に世界はインターナショナル・リレーションズではなくトランスナショナル・リレーションズへと変貌していったからだと入江さんは述べている。
     では、なぜ1970年代に入って世界はグローバル化してきたのか自分で調べてみたい。

     また、文明の多様性と歴史認識の共有。この2つは、グローバル化が進む中で世界の課題になるだろう。

  • [ 内容 ]
    軍国少年として終戦を迎え、高校卒業後、渡米―シカゴ大学、ハーヴァード大学で長年教鞭をとってきた歴史家は、いかにして歴史と出会ったか?
    過去と向きあい、現在を俯瞰する。

    [ 目次 ]
    第1部 歴史と出会う(一九四五年八月;一九三〇年代と戦時中の生い立ち;戦後の歴史教育 ほか)
    第2部 歴史研究の軌跡(出会いの蓄積としての歴史;私の歴史研究)
    第3部 過去と現在とのつながり(学問と政治;歴史認識問題の根底にあるもの;地域共同体のゆくえ ほか)

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著者プロフィール

ハーバード大学名誉教授

「2017年 『西洋の論じた日中・太平洋戦争 同時代英語文献復刻シリーズ  第2回配本:戦中期編 全6巻』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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