欲ばり過ぎるニッポンの教育 (講談社現代新書)

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感想 : 43
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  • Amazon.co.jp ・本 (256ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784061498662

感想・レビュー・書評

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  • 教育改革っつても予算とか時間とか色々限られてるんだから、取捨選択が大事だよね。

    ↑が本書の要約。有意義な事は本当にこれしか言っていない。お金よりも時間を損した気分になれる一冊。
    こんな簡単なことを説明するのに新書一冊を要してしまうという事が、教育問題をめぐる議論がいかに低レベルであるかを如実に物語っている。

    苅谷剛彦は割と信用できる人なんだけど、インタビュアー(共著者)が端的に言うとDQNなので…。残念。


    100円。

  • 学校が背負う問題が増えすぎてるんだな。
    フィンランドの教育との違いがよくわかった。

  • 衝撃的な1冊。

    さすが刈谷先生って感じ。

  • 安心を買う教育。
    全部、全部を教育に詰め込んでいくことを批判している本。そして、昨今の総合的な学習への姿勢に疑問符を投げかけている。

    日本では教育の問題がよくとりあげられる、学校の崩壊や、人間性の話など、本来の学習とは関係のない所も問題にされつつある。
    日本では、若年層の起こす問題を学校が背負う形で機能してきたと筆者は書いている。つまるところ、もし学校がないならば、こうした問題が起こらないわけではなく、それら若年層の起こす問題のコストを学校以外の社会のどこかで負担していくことになるわけだ(それは警察だったり、地域社会であったり、本来責任を追うべき家庭なのかも知れない)。

    教育は魔法のランプではないと筆者は言う。今行われている教育改革は、何らの元手を持たずに、現状の貧困な教育資本の中で行われようとしている。おそらくそれは破綻をきたすことだろう。

    子供たちの多様性を教育において認めること、才能を伸ばしてあげること、大いに結構。ただし、それは現状の教育の軸から何かを捨ててでないと実施できない。
    子供もまた、平凡に暗記教育を行うという勉強スタンスから逸脱する以上は、選択の結果としての責任を背負わざるえなくなる。それが意識されていないと、結果的に選択どころか、ただの放任であり、勉強した者と、してない者との差が開いていくという事態を招く危険性が高くなる。

    自ら学ぶ力 とは聞こえはいいが、実情は怪しいものだと、この本を読んで感じた。

  • やれ「自ら学ぶ力」だ小学校から英語を教えるだと騒いで、金も時間も人員も増やそうとしないのは虫が良すぎる、教育は魔法じゃないのだ、ということ。それにしても日本政府がこれほど教育に予算を渋っているとは知らなかった。

  • とりあえず、日本は情報に翻弄されすぎている。物事にはできることとできないことがある。取捨選択をせずにあれもこれもってやっていたら崩壊するに決まっているじゃないか。
    学校教育をファーストフードに例えたのは秀逸だと思った。

  • 対談形式でニッポンの教育について書かれています。

    いや〜いち×2首肯しながら読んでしまいました(笑)私の考える教育論(と言ってはおこがましいですが)となんらかわらない主張がされてて、ひたすら納得。

  • 様々なところで、様々な人が議論を交わし、発言している日本の教育問題。不満を述べ、希望を語るだけでなく、日本の教育は「何ができて何ができないのか」を見極めることも大切では。

  • 日本の教育の現状及び問題性、その打開策が書かれている本。対話形式なので読みやすかった。英語教育、総合学習、公立と私学の話などについて触れられていた。PISA学力調査第1位であるフィンランドを例に挙げながら日本の教育がいかに欲張りであるかを浮き彫りにしている。
    教育について知りたかったり考えたかったりしたら読んでみたらいいように思う。

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著者プロフィール

オックスフォード大学教授

「2023年 『新・教育の社会学』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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