欲ばり過ぎるニッポンの教育 (講談社現代新書)

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  • Amazon.co.jp ・本 (256ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784061498662

感想・レビュー・書評

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  • フィンランドはテストによる競争をやめて学力世界一になった、という議論を最近聞かないなあと思っていたら、こういう事実に基づく本が出ていたのだ。小中学校ではアクティブラーニングで遊ばせ、その中でも学力を維持できる者のみ、高校に進学させ、絶対評価の進級テストで選別していく。こうした冷徹な教育文化が学力世界一を支えている。しかし、フィンランド信仰は文科省に残り、日本では「高等学校基礎学力テスト」というフィンランド的な教育政策が始まる。合格出来ない高校生が続出した時、やさしい日本の学校文化はどう対応するのだろう。

  • 日本の教育を国際比較した本。日本の教育は一つの完成品である。ただ、時代の要望と合わなくなっただけ。変えなくても大丈夫だけど、変えたいとのこと。不安があるから。

     日本の教育は’’学問としての誇りを捨てて人材訓練場’’になるべきか。そこが論点なのかなと思った。
    でも、日本はまだまだ経済力があるからそんなに勤労意欲高くいかなくてもいいのになぁ…。

     2006年のこの本から日本の教育はどれだけ変われているだろうか。2012年のPISAの結果は、①数学的リテラシー:日本7位(フィンランド12位)②読解力:日本4位(フィンランド6位)③科学的リテラシー:4位(フィンランド5位)、とりあえずPISAでは勝てるようになった。日本人らしい学習能力ww
     やっぱりPISA用の勉強が功を奏したんだろうww
    ___
    p75  ゆとりvs詰め込み
     詰め込み教育では考える力や批判力はつかない。人格が硬直化する。なんていう懸念のもと始まったゆとり教育。ふたを開ければ、ゆとり世代より詰め込み世代のほうが能力高いという事実!!
     これは、、、勉強量と人間力は相関性薄いのか?たぶんゆとりを持ったのが悪いのではなくて、指導が甘くなったからなんだろうな。ゆとり教育の批判はお門違いで、あまい教育の方だけを批判すべきなのである。

    p108  教育問題と社会問題
     日本では、子供のほとんどが18歳まで学校に行っている。その結果、少年犯罪はすべて教育問題にカテゴリできる。もし、義務教育後の就学率が5,6割だったら、未就学者の犯罪などは社会問題にカテゴリされる。日本の青少年の犯罪が少ない理由の一つ。
     この仕組みは、未成年を守る、また直に法で裁くことの緩衝材になる。今になって、この仕組みが良いのか悪いのかってことになっているが、日本の特色としてこのまま残した方がいいと思う。

    p116  社会問題のコスト
     上記の続き。未成年の社会問題を教育問題にして丸く治められるから、日本の社会問題へのコストダウンが成されている。つまり学校にしわ寄せがいっているということ。そんなこともあって、かつては学校も問題解決者としての権限を認められていた。
     しかし、時代が変わり、権利意識の高まりとともに学校の権威を引きずり落とそうという意識が高まった。これは必然的なことなんだろうが、今の学校の先生は本当にしわ寄せを正面から受け止めなければならず、つらい。つらい。。

    p128 教育の国際競争って何(フィンランドの新聞)
     日本がフィンランドの教育を意識するのはPISAで負けたから。一方フィンランドはPISAの結果をほとんど意識していないようである。勝者の余裕というわけでなく、教育の国際競争を理解できないようである。
     スポーツとか企業活動では競争はある。しかし教育は他者に勝つより、自分がどこに到達できたかが大事であるという認識だから、教育に競争が関連することが意味不明のようである。
     確かに、能力開発はそうである。日本に限らず資本主義を短絡に考えているところは、教育もスポーツ感覚で競争することが大事になっている。(韓国も中国も)
     まぁ、この考え方があるから日本はこれだけの経済大国なんだろうが、悪いところも明らかである。

    p149  学歴社会は本当にあるか
     日本は学歴社会である。といまだに言われ続けているが、実際どうなの??仕事には能力適性があるし、学歴選別はそれほど否定されるほどのことでもないと思う。つーかあれも時代の産物で、今はどうなの??そんな悪いものもぅないんじゃないの?これだけ言われているのに無くなるものでないなら、必要なものなんではないのか!?

    p186  日本の絶対評価
     絶対評価は到達度評価である。言わば、「壁」である。個人が評価基準に達しなかったら残酷なまでに評価するものである。けれど、日本の絶対評価は人情が絡んでいる。日本人のいいところなんだか、悪いとこなんだか、本質を見誤っている。
     でも、元フィンランド人から見ると日本のほうが良いとのことだそう。

    p194  教育の真髄(プレッシャーが必要)
     子供たちが大人になって必要な能力を身につけるようにするのが教育である。では大人に必要な能力とは何か。はっきり言えばプレッシャーへの耐性力、これさえあれば何とかなる。昔からある教育ではこれを伸ばしてきた。子供たちを高いストレスに曝すことで。体罰にしろ、詰め込み教育にしろ。
     しかし、それは…倫理的に矛盾がある…。最近の教育では確かに子供へのプレッシャーは軽減された。けれど、ゆとり世代という骨抜き人材が育ってばかりとの批判もある。
     これは教育における永遠に解決不可能な問題の一つである。このさじ加減をどうするか。甘口・辛口の論議を皆深く考えずに話さないほうが良い。
     とりあえず、プレッシャーをかけたほうが良い人材ができるというのは事実。

    p233  この本の本題
     ここから先にすべて纏められている。再読の際はココだけ読んでもいい。

    ____

     問題の根源は少子化と東京一極集中の弊害にまとめられてしまう。少子化で人材育成のプレッシャーがある、だから人格より技術を伸ばすことが求められる。人口が東京をはじめ都市集中するから、求める教育像から多様性が失われる。都市で必要な資本主義的な教育を全国的に求めるようになる。
     あーあ。

  • 対談になっているので、とても読みやすい。
    小学校での英語教育批判にはなるほどなーと思った。
    既に小学校に英語教育は導入されているが、これ以上増えたら…。

    日本の教育はポジティブリスト主義(やりたいことをすべてリストアップする)になってきている。たとえば小学校で英語を必修化した場合、時間やエネルギーの制約もあるため、他のことができなくなってしまう、いろんな制約がある中で、リストにどんどん足したって、必ず何かはみ出る。必ずはみ出すものがあるのに、はみ出すものを何にするかという議論をしないまま、英語を入れたほうがいいと言う議論には反対だ。意識調査をするときに「英語を入れるかわりに国語の時間が減りますが、それでも英語を入れることに賛成ですか?」と聞けば過半数が賛成をするかはわからないだろう(pp.44-48)。

    時間があるときにゆっくり読みたい。

    (まっちー)

  • 多分ほかのレビューを書かれている方とは少し違う目線で。

    私がこの本を読むに至ったきっかけは、大学受験で教育関連の小論文を書くことになったことでした。異なる形で教育に携わる二人の違った視点からの意見など、考えさせられるものが多かったです。

    苅谷さんの本は教育系小論文を課されている方なら一度は読んだことがあるかもしれませんが、他の本に比べてこの本は苅谷さんと増田さんの対談形式で書かれているので、中身自体もとてもわかりやすいです。日本の教育問題に幅広く触れているので、教育学部・教員養成課程などを志望している方には良い参考書のひとつになるのではないでしょうか。

  • 「ゆとり教育」より、教育に「ゆとり」を。
    「子どもの無限の可能性」が生む親の不安。
    時間は有限だから、何か(英語)を入れれば、何か(国語)がはみ出す。

    理想を追求するには高度な技術を要し、その準備のために費用と時間がかかることを認識すべき。
    ★教育という「魔法の杖」、教育改革という「魔法のランプ」、教育論という「魔法の呪文」。(苅谷「教育改革を語る前に」079頁以下)

    日本は社会全体で担うべき様々な負担を学校に背負わせ過ぎている~フィンランドの教育との比較から観えてくるもの。

    学習資本主義社会。過去に習得した知識や技術よりも、学習能力が人的資本形成の中核になる。生涯にわたって学び続けることが求められ、学び方を知っている人、学ぶ喜びを感じられる人が、これからの「知識社会」を生き抜くことができる。(苅谷233,239頁)

  • [ 内容 ]
    「教育改革」を語る前にフィンランドの教育を解剖してみると「格差」など日本の問題点が見えてくる。

    [ 目次 ]
    第1部 東京で教育の問題点を探る(親の不安はどこから来るのか;完璧な子育てはない;日本は学校に依存することで近代社会をつくってきた)
    第2部 オックスフォードで分かり合えたこと(フィンランド型の教育を日本で実践できるか;なぜ日本人は右往左往するのか;絶対評価と相対評価)

    [ POP ]


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    読書の速度(時間がかかった・普通・一気に読んだ)

    [ 関連図書 ]


    [ 参考となる書評 ]

  • 教師の負担をもっと減らすべき。

  • 父推薦。確かに面白い。著者二人、それぞれの立場からの解釈の提示が明快。
    「親は安心を買うが、安心を買うほどに不安が増す」
    「外国では社会問題になっていることを、日本は教育問題として引き受けている」

  • フィンランドの教育への注目度が高まる中で、では実際にどこがどう優れているかということや、また日本と比較したときにどこに差があるかは、単に教育の側面だけをその社会や文化という全体的な文脈から切り取って論じるのでは無理があるし危険であり、不十分であると納得した。また「絶対評価」といっても、日本の教育における絶対評価は、共通の絶対的な基準に基づいてそれぞれを個別に評価するのでなく、個別評価という体系に往々としてすり替えられているため(その分すべての子供がonly oneになれる?)、何を測ろうとしているか曖昧になり、また、能力の向上には必ずしも繋がらないのでは、という指摘にも納得。
    (本書)社会で求められる「個性」には限りがある。選択肢の幅広さは、無限の可能性と共に、確実な選択をせねばならない、という不安を煽る。→(私)結局現代はステレオタイプの種類が膨大になっただけで、その「型」は個性ではない。本物の個性は、考える力、引き出しの選び方と変形のさせ方を覚えていかないと身につかない。
    (本書)教えている教養に意味があるか、を子供から問われる必要のない、教養の背景にある歴史への自信や、学問への尊敬が、日本には根付いていない。→(私)学ぶことそのものの面白さを感じるくらいでないと、勉強はできない。勉強嫌いをなおすために、方法・補助道具を面白くすることはときに逃げでしかない。学んでいる内容そのものが、面白いと生徒に思わせるような、教え方、伝え方の上手さが必要。

著者プロフィール

オックスフォード大学教授

「2023年 『新・教育の社会学』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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