- Amazon.co.jp ・本 (256ページ)
- / ISBN・EAN: 9784061498662
感想・レビュー・書評
-
フィンランドはテストによる競争をやめて学力世界一になった、という議論を最近聞かないなあと思っていたら、こういう事実に基づく本が出ていたのだ。小中学校ではアクティブラーニングで遊ばせ、その中でも学力を維持できる者のみ、高校に進学させ、絶対評価の進級テストで選別していく。こうした冷徹な教育文化が学力世界一を支えている。しかし、フィンランド信仰は文科省に残り、日本では「高等学校基礎学力テスト」というフィンランド的な教育政策が始まる。合格出来ない高校生が続出した時、やさしい日本の学校文化はどう対応するのだろう。
詳細をみるコメント0件をすべて表示 -
対談になっているので、とても読みやすい。
小学校での英語教育批判にはなるほどなーと思った。
既に小学校に英語教育は導入されているが、これ以上増えたら…。
日本の教育はポジティブリスト主義(やりたいことをすべてリストアップする)になってきている。たとえば小学校で英語を必修化した場合、時間やエネルギーの制約もあるため、他のことができなくなってしまう、いろんな制約がある中で、リストにどんどん足したって、必ず何かはみ出る。必ずはみ出すものがあるのに、はみ出すものを何にするかという議論をしないまま、英語を入れたほうがいいと言う議論には反対だ。意識調査をするときに「英語を入れるかわりに国語の時間が減りますが、それでも英語を入れることに賛成ですか?」と聞けば過半数が賛成をするかはわからないだろう(pp.44-48)。
時間があるときにゆっくり読みたい。
(まっちー) -
多分ほかのレビューを書かれている方とは少し違う目線で。
私がこの本を読むに至ったきっかけは、大学受験で教育関連の小論文を書くことになったことでした。異なる形で教育に携わる二人の違った視点からの意見など、考えさせられるものが多かったです。
苅谷さんの本は教育系小論文を課されている方なら一度は読んだことがあるかもしれませんが、他の本に比べてこの本は苅谷さんと増田さんの対談形式で書かれているので、中身自体もとてもわかりやすいです。日本の教育問題に幅広く触れているので、教育学部・教員養成課程などを志望している方には良い参考書のひとつになるのではないでしょうか。 -
「ゆとり教育」より、教育に「ゆとり」を。
「子どもの無限の可能性」が生む親の不安。
時間は有限だから、何か(英語)を入れれば、何か(国語)がはみ出す。
理想を追求するには高度な技術を要し、その準備のために費用と時間がかかることを認識すべき。
★教育という「魔法の杖」、教育改革という「魔法のランプ」、教育論という「魔法の呪文」。(苅谷「教育改革を語る前に」079頁以下)
日本は社会全体で担うべき様々な負担を学校に背負わせ過ぎている~フィンランドの教育との比較から観えてくるもの。
学習資本主義社会。過去に習得した知識や技術よりも、学習能力が人的資本形成の中核になる。生涯にわたって学び続けることが求められ、学び方を知っている人、学ぶ喜びを感じられる人が、これからの「知識社会」を生き抜くことができる。(苅谷233,239頁) -
[ 内容 ]
「教育改革」を語る前にフィンランドの教育を解剖してみると「格差」など日本の問題点が見えてくる。
[ 目次 ]
第1部 東京で教育の問題点を探る(親の不安はどこから来るのか;完璧な子育てはない;日本は学校に依存することで近代社会をつくってきた)
第2部 オックスフォードで分かり合えたこと(フィンランド型の教育を日本で実践できるか;なぜ日本人は右往左往するのか;絶対評価と相対評価)
[ POP ]
[ おすすめ度 ]
☆☆☆☆☆☆☆ おすすめ度
☆☆☆☆☆☆☆ 文章
☆☆☆☆☆☆☆ ストーリー
☆☆☆☆☆☆☆ メッセージ性
☆☆☆☆☆☆☆ 冒険性
☆☆☆☆☆☆☆ 読後の個人的な満足度
共感度(空振り三振・一部・参った!)
読書の速度(時間がかかった・普通・一気に読んだ)
[ 関連図書 ]
[ 参考となる書評 ] -
教師の負担をもっと減らすべき。
-
父推薦。確かに面白い。著者二人、それぞれの立場からの解釈の提示が明快。
「親は安心を買うが、安心を買うほどに不安が増す」
「外国では社会問題になっていることを、日本は教育問題として引き受けている」 -
フィンランドの教育への注目度が高まる中で、では実際にどこがどう優れているかということや、また日本と比較したときにどこに差があるかは、単に教育の側面だけをその社会や文化という全体的な文脈から切り取って論じるのでは無理があるし危険であり、不十分であると納得した。また「絶対評価」といっても、日本の教育における絶対評価は、共通の絶対的な基準に基づいてそれぞれを個別に評価するのでなく、個別評価という体系に往々としてすり替えられているため(その分すべての子供がonly oneになれる?)、何を測ろうとしているか曖昧になり、また、能力の向上には必ずしも繋がらないのでは、という指摘にも納得。
(本書)社会で求められる「個性」には限りがある。選択肢の幅広さは、無限の可能性と共に、確実な選択をせねばならない、という不安を煽る。→(私)結局現代はステレオタイプの種類が膨大になっただけで、その「型」は個性ではない。本物の個性は、考える力、引き出しの選び方と変形のさせ方を覚えていかないと身につかない。
(本書)教えている教養に意味があるか、を子供から問われる必要のない、教養の背景にある歴史への自信や、学問への尊敬が、日本には根付いていない。→(私)学ぶことそのものの面白さを感じるくらいでないと、勉強はできない。勉強嫌いをなおすために、方法・補助道具を面白くすることはときに逃げでしかない。学んでいる内容そのものが、面白いと生徒に思わせるような、教え方、伝え方の上手さが必要。