ゲーム的リアリズムの誕生~動物化するポストモダン2 (講談社現代新書)

著者 :
  • 講談社
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本棚登録 : 1460
レビュー : 110
  • Amazon.co.jp ・本 (352ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784061498839

作品紹介・あらすじ

前著より5年半! 物語の行方がここにある!!

話題を呼んだ前作『動物化するポストモダン』より5年半の待望の続編です。本書では、前作の問題意識(オタクの消費行動を分析することで現代社会を読み解く)を引き継ぎつつ、さらに「涼宮ハルヒ」シリーズなどのライトノベル、「ひぐらしのなく頃に」などのゲーム、舞城王太郎の小説などを読解することを通じて、日本の物語(文学)の行方について解いていきます。明治以降の「自然主義的リアリズム」、大塚英志の「まんが・アニメ的リアリズム」に対して「ゲーム的リアリズム」とは何か? まさに文芸批評の枠を超えた快著です。

感想・レビュー・書評

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  • オタク論でありポストモダン論であり文学論。
    ラノベにも美少女ゲームにも触れたことのない人にとっては理解しにくいかもしれない。そういう人でも理解しやすいように本文中で詳しく説明されているが、やっぱり実感としてわかるかどうかは大きな違いだろう。

    本書は2007年に出版されたが、2016年現在、ここで予言されていた新たな文学のあり方が当時よりも顕在化、加速化している気がする。メタ物語的な想像力に支えられた物語、読者を物語の中に参加させる手法は今や定番でありふれたものだし、当時よりもずっと、物語外の世界の権力は物語そのものを押しのけて肥大している。
    物語外の世界(読者/消費者/プレイヤー)に重心を置き物語外の物語を膨らませる手法すら、今はデータベース化されている気がする。さらにいえば物語外の物語すらデータベース化されている。
    というのは、まず物語は重要ではなく主役はコミュニケーション、あるいは手軽に自分の欲しい感情(泣く/ときめき/きゅんきゅん/義憤/切なさ)であり、物語はそのために偶然に選択された使い捨ての道具であるように思える。そしてコミュニケーションや感情の内容に意味はなく、コミュニケーションをすること自体、感情を発生させること自体に意味があるように思える。だから簡潔に手っ取り早く記号的なコミュニケーションと感情を手にするために、物語外の物語すらシンプルであることが好まれデータベース化された、と考えるからだ。

    昨今の氾濫する物語群とその環境を見て、元オタクの元少年の私はそう考える。
    でもたぶん、思春期時代の自分がこの文章を見たら憤慨するだろうなと思う。今の私にはもうわからないが、外から見るよりもずっと繊細な時代ではあるから。

    でも外から見ると、物語もそれに対する読者の反応も、反応の仕方や文面まで含めて驚くほど画一的なんだもの……。某web漫画アプリとか見ていると、次のきゅんきゅん、その次のきゅんきゅん、また次の使い捨てきゅんきゅんを求めてあくなき徘徊を繰り返す肉食獣みたいに見えて。そして同時にその無限のきゅんきゅんを共有する仲間とのコミュニケーションが至上の喜びに見える。

    あと美少女ゲームをやってるオタクが「純愛」と「浮気」の矛盾した欲望をどちらも満たせるっていうのは面白いと思った。確かに個別ストーリーは純愛なのに、プレイヤーはいろんなキャラシナリオ楽しめるから浮気心も満たせるよね。

  • やろうやろうと思っていたEver17のネタバレは心が痛いが、やってなかったのが悪いから仕方ない。本の中で記されている「ライトノベルの可能性」というものが今や認められず、萌え記号データベースの消費として閉塞してしまっている現状はなんとなく残念。2007年に読んでおきたかった本。

  • 本書に限らないことだけれど、本書を読んで改めて感じたのは、批評ってのは結局「後追い」でしかないのかなぁ、ってことで、いろいろ啓蒙ぶった言説を開陳していらっしゃるけれどそのほとんどが既に感覚として共有され尽くしていることで、本書はその共有感覚を明文化して追認する意味しか認められない気がする。もっともそれを認めた上で頭の中を整理する分には有用だけれど、批評家がそうやって一生懸命現状を明文化して見せている間にも舞城王太郎のような器用な書き手は次の新しい一手を繰り出しているのだろう。

  • この人の文学観は一体どうなってるんだろう? 自然主義的手法で書かれた小説イコール文学、という括りにはちょっとついていけない。小説のメタ性を崇拝視しすぎだし、「文学とかアニメとかゲームの垣根を取っ払った広い視野で批評を!」なんて言ってる割には、この人の視野が決定的に狭い。前著はまあまあだったのに。

  • で?

  • ライトノベルを読んだこともなければ、キャラクター小説も未経験、とどめは美少女ゲームもやったことないあたしには、本書の内容はチンプンカンプンでした。

    もう少し実社会との接点とか、現実社会の抱える病理、青少年の行動などとの絡みを期待していたんですけど、そういうところは皆無というか、あたしにはさっぱり読み取れませんでした。

    現在の文芸界の潮流を鋭くえぐった評論と言われるのかもしれませんけど、ここまで深読みしなくてもいいんじゃない、本はもっと気楽に楽しむためにあるものでしょ、とも思います。

  • P68の図がわかりやすかった。ジャンルに関係なく「文学的」と呼ぶ理由。
    近代文学を「自然主義的リアリズム」でくくるのはちょっと大雑把かなと思う。「透明」「不透明」の定義もちょっと曖昧な感じがした。参照されている本を読めんだほうが理解が深まるだろうけど、ちょっと手が伸びないかな。。

  • オタクの世界には興味ないが、論理が、明快で、読んでいて、面白い。

  • ゲーム的リアリズムの誕生~動物化するポストモダン2 (講談社現代新書)

  • 「物語は何処に行ったのか?」

    ライトノベルや美少女ゲームを通じてオタクとこの社会との関係性を見ていく。

    大きな物語が力を失うなかで、文学の一つの可能性としてのライトノベル。コミュニケーションの効率化としてのキャラクターを使った伝達。

    第一章は 理論 第二章は 作品論

    ライトノベル→キャラクター小説

    ライトノベルというものが市場の中でも大きなインパクトを持ち出してきている昨今、文学というものを考える上でも無視できない。また普通の文学小説とライトノベルの境界にあるような小説も最近では見られる。

    そういったものを考えていくうえで一つ参考になる論考であろう。

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著者プロフィール

東浩紀(あずま ひろき)
1971年東京生まれ。批評家・作家。ゲンロン代表。東京大学大学院総合文化研究科博士課程修了(学術博士)。専門は哲学、表象文化論、情報社会論。
著書に『存在論的、郵便的』(サントリー学芸賞思想・歴史部門)、『動物化するポストモダン』、『クォンタム・ファミリーズ』(第23回三島由紀夫賞受賞作)、『一般意志2.0』、『弱いつながり』(紀伊國屋じんぶん大賞2015受賞作)ほか多数。『ゲンロン0 観光客の哲学』は第5回ブクログ大賞人文書部門、第71回毎日出版文化賞受賞作。

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