ゲーム的リアリズムの誕生~動物化するポストモダン2 (講談社現代新書)

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  • 講談社
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レビュー : 110
  • Amazon.co.jp ・本 (352ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784061498839

感想・レビュー・書評

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  • 思想的背景からサブカルチャーを理解する手がかりとしてお勧めだと思います。

  • 和図書 361.5/A99
    資料ID 2012200318

  • 上大岡駅ビル内の大型書店で購入する。著者は、「動物化するポストモダン―オタクから見た日本社会」等の著書で著名な東工大の先生です。テーマは、ライトノベルです。期待して購入したのですが、失望しました。失望した原因は、二つあります。第1の原因は、僕が、ライトノベルをほとんど読んだことがないことに由来します。著者は、ライトノベルを読んだことのない読者にも、十分考慮しています。しかし、ライトノベルの読者であれば、より理解が深まるという気がしました。第2の原因は、「動物化するポストモダン―オタクから見た日本社会」の繰り返しだからです。「動物化するポストモダン―オタクから見た日本社会」と同様に、キーワードとして、「大きな物語の喪失」、「キャラの自律化」を使用しています。新たな概念は追加されていません。興味を持った点を整理すると、以下のようになります。第1に、「自然主義文学」と「ライトノベル」の関係です。日本の小説は、「自然主義文学」を頂点として、現実を抉り出すことを目的としてきました。著者は、この傾向は、ミステリー、SFも同様だと指摘している。SFは、不自然な仮定を置いた現実を描写するという点で、「自然主義文学」と同じ地平に立っている。それに対して、「ライトノベル」は、現実を描写することを目的としていない。「ライトノベル」は、アニメ等の世界を描写することを目的としている。どうも、よくわかりません。第2に、「キャラの自律化」です。ライトノベルの最大の特徴は、「物語」のために存在するのではなく、「キャラ」を生かすために存在することです。従来の小説では、「物語」に奉仕するために、登場人物は存在します。そのため、「物語」の設定を離れて、登場人物が活躍することは不可能です。それに対して、「ライトノベル」の「キャラ」は、容易に、小説世界を超えて、全く世界観に共通性のないゲーム、アニメへと進出します。これは、「ライトノベル」の「キャラ」は、従来の小説と異なり、「物語」に依存する存在ではないことに由来します。ただし、これは、「ライトノベル」特有の現象なのでしょうか。たとえば、織田信長は、どんな小説にも、軽々と越境することができます。特に、説明せずとも、彼の「キャラ」は、世間の了解事項です。吉本新喜劇は、どうでしょう。舞台設定は毎回変わりますが、登場人物の「キャラ」は、毎回同じです。

  • 最近のアニメは時間ループものが多いなぁと思っていたら、この本で詳しくそのことが解説されていた。

    ゲームだけでなく、n次創作の文化にすっかり馴染んでしまった私達にはその世界にリアリティーを見出すのもなるほどなー、と思いました。

  • コポォ

  • 一章読んでから結構時間が空いてしまってから二章以降を読んだけれど、面白かった。
    とはいっても、本文中にあるような、オタクの中心が美少女ゲームからライトノベルへ移行、からさらにいまは深夜アニメへ、になっているのかな、と思った。そういう所も含めて、2012年になってしまって結構変化してきた事態もあるとおもうので、動ポモ3を期待したいのだけれど、最近はもはや筆者にコンテンツ批評に興味が無いようなので、寂しい限り。。。

  • ライトノベル→キャラクター小説

    自然主義的リアリズム→透明
    まんが・アニメ的リアリズム→不透明
    ゲーム的リアリズム→半透明

    自然主義的読解→物語的主題
    環境分析的読解→構造的主題

    >日本文学は、一〇〇年前に自然主義を輸入し、六〇年前にそれをマンガに輸出し、三〇年前にその理想をあらためてマンガから逆輸入することで、キャラクター小説を生み出したまんが・アニメ的リアリズムには、その理想が屈折して畳みこまれている。その屈折は、キャラクター小説に、いままでの自然主義的な写生とは異なる、「不透明な」表現を可能にする。つまりは、キャラクター小説には、その歴史的な経緯から、近代文学とは異質な文体の可能性がある。

    >私たちは、一回かぎりの生を、それが一回かぎりではなかったかもしれない、という反実仮想を挟みこむことで、はじめて一回かぎりだと認識することができる。

    キリヤの状況=「ポストモダン化の進行の中、選択肢の多さに圧倒され、特定の価値を選ぶことがますます難しくなっている、私たち自身の生の条件の隠喩」

    『ひぐらしのなく頃に』のご都合主義的な物語の下には、物語外の現実とつながった感情操作のメカニズムがあり、そこに作家の現実感や世界観、あるいは「哲学」を読み取ることができる。/「もっともっと、私たちは幸せになれるから」「望んだ数だけ、幸せになれるから」という言葉に対して、物語のご都合主義とは全く別の水準で、あまりにも非現実的で多幸症的だという疑義を呈する。複眼性を持つ批評。

    批評的=臨界的(critical)。特定のジャンルにおいて、その可能性を臨界まで引き出そうと試みたがゆえに、逆にジャンルの条件や限界を無意識のうちに顕在化させてしまう、そのようなアクロバティックな創造的行為一般を指す形容詞。

  • 取り上げられる作品は新しくなったがベースの理論は変わらないか。
    ビジュアルノベル、清涼院までは買えるが、どうしても舞城をそこまで評価できない(単に、描写が不快だからなのだが)。
    本作から4年たった今、筆者の目はもうこの分野には無いのかもしれない。

  • 後半はまるで僕の精神の分析でもされているかの如くだった。この中だと『九十九十九』くらいしか読んでないが、たしかにこの時代精神に影響を受けているのだろう。

  • 前作よりも刺戟的。
    なるほどキャラクター小説の読み方とはこうか、とひざを打つことしばし。
    もちろん作品の選定に偏りはあるとはいえ。
    さすがあずまん。

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著者プロフィール

東浩紀(あずま ひろき)
1971年東京生まれ。批評家・作家。ゲンロン代表。東京大学大学院総合文化研究科博士課程修了(学術博士)。専門は哲学、表象文化論、情報社会論。
著書に『存在論的、郵便的』(サントリー学芸賞思想・歴史部門)、『動物化するポストモダン』、『クォンタム・ファミリーズ』(第23回三島由紀夫賞受賞作)、『一般意志2.0』、『弱いつながり』(紀伊國屋じんぶん大賞2015受賞作)ほか多数。『ゲンロン0 観光客の哲学』は第5回ブクログ大賞人文書部門、第71回毎日出版文化賞受賞作。

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