ゲーム的リアリズムの誕生~動物化するポストモダン2 (講談社現代新書)

著者 :
  • 講談社
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本棚登録 : 1783
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  • Amazon.co.jp ・本 (352ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784061498839

作品紹介・あらすじ

前著より5年半! 物語の行方がここにある!!

話題を呼んだ前作『動物化するポストモダン』より5年半の待望の続編です。本書では、前作の問題意識(オタクの消費行動を分析することで現代社会を読み解く)を引き継ぎつつ、さらに「涼宮ハルヒ」シリーズなどのライトノベル、「ひぐらしのなく頃に」などのゲーム、舞城王太郎の小説などを読解することを通じて、日本の物語(文学)の行方について解いていきます。明治以降の「自然主義的リアリズム」、大塚英志の「まんが・アニメ的リアリズム」に対して「ゲーム的リアリズム」とは何か? まさに文芸批評の枠を超えた快著です。

感想・レビュー・書評

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  •  表面的には幼稚でありきたりなストーリーに見えるライトノベル、美少女ゲームも読み方によってはとてつもなく奥深いものを秘めているのだということが理解できた。ライトノベル、美少女ゲームを文学たらしめているものは「選択」の残酷さなのではと思った。

  • オタク論でありポストモダン論であり文学論。
    ラノベにも美少女ゲームにも触れたことのない人にとっては理解しにくいかもしれない。そういう人でも理解しやすいように本文中で詳しく説明されているが、やっぱり実感としてわかるかどうかは大きな違いだろう。

    本書は2007年に出版されたが、2016年現在、ここで予言されていた新たな文学のあり方が当時よりも顕在化、加速化している気がする。メタ物語的な想像力に支えられた物語、読者を物語の中に参加させる手法は今や定番でありふれたものだし、当時よりもずっと、物語外の世界の権力は物語そのものを押しのけて肥大している。
    物語外の世界(読者/消費者/プレイヤー)に重心を置き物語外の物語を膨らませる手法すら、今はデータベース化されている気がする。さらにいえば物語外の物語すらデータベース化されている。
    というのは、まず物語は重要ではなく主役はコミュニケーション、あるいは手軽に自分の欲しい感情(泣く/ときめき/きゅんきゅん/義憤/切なさ)であり、物語はそのために偶然に選択された使い捨ての道具であるように思える。そしてコミュニケーションや感情の内容に意味はなく、コミュニケーションをすること自体、感情を発生させること自体に意味があるように思える。だから簡潔に手っ取り早く記号的なコミュニケーションと感情を手にするために、物語外の物語すらシンプルであることが好まれデータベース化された、と考えるからだ。

    昨今の氾濫する物語群とその環境を見て、元オタクの元少年の私はそう考える。
    でもたぶん、思春期時代の自分がこの文章を見たら憤慨するだろうなと思う。今の私にはもうわからないが、外から見るよりもずっと繊細な時代ではあるから。

    でも外から見ると、物語もそれに対する読者の反応も、反応の仕方や文面まで含めて驚くほど画一的なんだもの……。某web漫画アプリとか見ていると、次のきゅんきゅん、その次のきゅんきゅん、また次の使い捨てきゅんきゅんを求めてあくなき徘徊を繰り返す肉食獣みたいに見えて。そして同時にその無限のきゅんきゅんを共有する仲間とのコミュニケーションが至上の喜びに見える。

    あと美少女ゲームをやってるオタクが「純愛」と「浮気」の矛盾した欲望をどちらも満たせるっていうのは面白いと思った。確かに個別ストーリーは純愛なのに、プレイヤーはいろんなキャラシナリオ楽しめるから浮気心も満たせるよね。

  • やろうやろうと思っていたEver17のネタバレは心が痛いが、やってなかったのが悪いから仕方ない。本の中で記されている「ライトノベルの可能性」というものが今や認められず、萌え記号データベースの消費として閉塞してしまっている現状はなんとなく残念。2007年に読んでおきたかった本。

  • 本書に限らないことだけれど、本書を読んで改めて感じたのは、批評ってのは結局「後追い」でしかないのかなぁ、ってことで、いろいろ啓蒙ぶった言説を開陳していらっしゃるけれどそのほとんどが既に感覚として共有され尽くしていることで、本書はその共有感覚を明文化して追認する意味しか認められない気がする。もっともそれを認めた上で頭の中を整理する分には有用だけれど、批評家がそうやって一生懸命現状を明文化して見せている間にも舞城王太郎のような器用な書き手は次の新しい一手を繰り出しているのだろう。

  • この人の文学観は一体どうなってるんだろう? 自然主義的手法で書かれた小説イコール文学、という括りにはちょっとついていけない。小説のメタ性を崇拝視しすぎだし、「文学とかアニメとかゲームの垣根を取っ払った広い視野で批評を!」なんて言ってる割には、この人の視野が決定的に狭い。前著はまあまあだったのに。

  • で?

  • ライトノベルを読んだこともなければ、キャラクター小説も未経験、とどめは美少女ゲームもやったことないあたしには、本書の内容はチンプンカンプンでした。

    もう少し実社会との接点とか、現実社会の抱える病理、青少年の行動などとの絡みを期待していたんですけど、そういうところは皆無というか、あたしにはさっぱり読み取れませんでした。

    現在の文芸界の潮流を鋭くえぐった評論と言われるのかもしれませんけど、ここまで深読みしなくてもいいんじゃない、本はもっと気楽に楽しむためにあるものでしょ、とも思います。

  • 『All You』は読んだことあったけど、こういう見方もあるんだなぁ。それもまた面白い。

  • 2022/2/10読了。
    短期集中独学講座「ライトノベル概論」の七冊目として読んだ。たぶん初版当時以来の再読。オタクデータベース消費型ポストモダン文学としてのライトノベル/美少女エロゲーの「環境分析的読解」というのは今読んでも面白かった。
    ただ、分析されている対象のコンテンツにはあまり魅力を感じなかった。環境分析的な読み方を批評家がするのを横から見てる分には面白いけれど、まずは普通に自然主義的な読解のレベルでエンタメ読書を楽しませてくれないと、僕などは困ってしまう。『All You Need Is Kill』はともかく(あれは実際読んでなかなか楽しめた)、他の美少女エロゲーにはまったく楽しめそうな期待が持てない。なぜだろう。
    むろん、僕がそのデータベースを共有していないから、そこにアクセスできないからに決まっている。
    要するに僕がオタクじゃないからだ。あるいは半端なオタクだったからだ。これでもライトノベルのゆりかごとなった80年代90年代のオタクカルチャーのいくつかや、スニーカー文庫ならぬソノラマ文庫のような小説や、ゲームのような小説ならぬゲームブックなんかに関しては割とアーリー・アダプターなつもりだったんだが、美少女エロゲーをまったくカバーしていなかったのが致命的だったんだろう。絵よりも生身の女の子と仲良くなることにばかり興味関心性欲を向けていたのが、ポストモダン下ではきっと致命的に不健全な思春期の過ごし方だったに違いない。
    僕がライトノベルを読むときに感じるあの生理的な不快感とは、この「オタクデータベースからの疎外感」によるものなのだろうか? 違うだろうなあ、という気がするのだ(この短期集中独学講座を始める前からそういう気はしていた。あとエロゲー的だったりBL的だったりといった自分と異なるセクシャリティを持つものに対する抵抗感だとか、オタク嫌悪だとかいった陳腐で単純な答えでないことも前から知ってる。そこは区別して考えている)。
    著者の言う大きな物語に取って代わったデータベースが小さな物語を量産する状況がさらに進んで、小さな物語から生まれた要素が元のデータベースに還元されずに別の小さなデータベースを量産するような、データベースと物語が互いを細かく切り刻みながら縮小再生産を続ける負の循環、データベース規格の乱立・分断・島宇宙みたいな状況に陥っているとすると、僕はもうデータベースにアクセスできないどころか個々のデータベースの存在すら知らない。それどころかデータベース規格をいくつも切り替えながらでないと生きていけないことすら知らないような、そんな旧世代なやつにライトノベルを読む資格はないし、ライトノベルのDNAが広く拡散してしまった現代のエンタメ小説を読むときにも、多かれ少なかれその困難を我慢しなければならない。ということはあり得る。
    でもそういう状況で知らないデータベースを背景に持つコンテンツに対して僕が示すのは、せいぜい「無関心」「何が面白いのか分からない」「放置」の態度であって、フィジカルな反応を伴う生理的な不快感ではないはずだ。僕は短期集中独学講座を始める程度にはライトノベルに関心を持っている。僕だってライトノベルの面白さが分かるといいなと思っているのだ。ライトノベル的な臭いのするエンタメ小説を臭いを気にせず読むためにもこれを放置しておくわけにはいかないのだ。
    猫が好きなのに猫アレルギーみたいな、なんだこれ。大塚英志に聞いても東浩紀に聞いても教えてくれないなら、誰に聞いたら分かるんだろう。

  • 面白く読めました。環境分析的な読解とは、どういったものか?読むと分かります。
    あと、最後の参考文献は、結構読んでいたけど、それを使ってこんな風に本が書けるとは!
    自分には、本を書くのは、難しいのかな?とも思いました。

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著者プロフィール

1971年東京生まれ。批評家・作家。東京大学大学院博士課程修了。博士(学術)。株式会社ゲンロン創業者。著書に『存在論的、郵便的』(第21回サントリー学芸賞)、『動物化するポストモダン』、『クォンタム・ファミリーズ』(第23回三島由紀夫賞)、『一般意志2.0』、『弱いつながり』(紀伊國屋じんぶん大賞2015)、『観光客の哲学』(第71回毎日出版文化賞)、『ゲンロン戦記』、『訂正可能性の哲学』など。

「2023年 『ゲンロン15』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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