生物と無生物のあいだ (講談社現代新書)

著者 :
  • 講談社
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本棚登録 : 12004
感想 : 1381
  • Amazon.co.jp ・本 (286ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784061498914

作品紹介・あらすじ

生きているとはどういうことか-謎を解くカギはジグソーパズルにある!?分子生物学がたどりついた地平を平易に明かし、目に映る景色をガラリと変える。

感想・レビュー・書評

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  • 20世紀の科学は、生物と無生物を分けているものは何か?という問いへの答えの一つとして「自己複製を行うシステムである」というものを与えた。この定義の下では、ウイルスも生命と分類される。しかしながら、ウイルスは一切の代謝を行わず、たくさん集めれば結晶化することさえできる。これは一般の細胞とは明らかに異なる特徴である。ならば、生物と無生物を分ける定義は、他にどのようなものがあるだろうか?

    この問いに対して、DNAの二重らせん構造の発見とその後の生命現象へのさらなる理解の経緯、はたまた著者の経験したアカデミックな世界の裏話などを交えながら考察していくという内容だった。もっとお堅い内容かと思っていたが、とても読みやすかった。

    著者の通っていたロックフェラー大学には野口英世のブロンズ像があるが、米国での彼の評価は伝記や教科書に載っているような偉人的なものとは異なる(このあたりを詳しく書いてあるという『遠き落日』も読んでみたい)ということや、研究室の技術員とバンドの二足の草鞋を履く同僚の話、最近話題のPCR法の原理や、それを発明した化学者のエピソードなどの小話が非常に読んでいて面白かった。「死んだ鳥症候群」のくだりはアカデミックな世界だけに留まらず共感する人も多いのではなかろうか。

    専門的な内容もかみ砕いて説明してくれており、この手の話に詳しくない人でも楽しんで読むことができると思うので、「自己複製するもの」という定義以外に生物と無生物を分けるものは何かという表題への答えは、是非読んで確かめていただきたい。

  • 遺伝子の歴史

  • 「生命とは何かーそれは自己複製を行うシステムである」

    著者は、これが20世紀の生命科学が到達した一つの答えだと紹介しつつ、現在のコロナ禍においてもまさに人類の宿敵であるウィルスについて、本書で次のように述べている。

    もし生命を「自己複製するもの」と定義するなら、ウィルスはまぎれもなく生命体である。ウィルスが細胞に取りついてそのシステムを乗っ取り、自らを増やす様相は、さながら寄生虫とまったくかわるところがない。しかし、ウィルス粒子単体を眺めれば、それは無機的で、硬質の機械的オブジェにすぎず、そこに生命の律動はない。

    こういうところから、本書のタイトルがウィルス研究に焦点を当てているということが分かる。

    そういう現在の状況下に関わるテーマを扱った書籍として興味深いということもあるが、それ以前に本書は、最先端の生物学者であり、作家としても並外れた資質を兼ね備えた著者による読み物として始めから終わりまで100%堪能できること疑いなしである。

    とにかく面白い。

    分子生物学というものがいかなるものかを専門的な視点から素人の読者にもイメージできるように、わかりやすいモデルなどを例示して知的好奇心を満足させてくれる。

    ある研究がどのような流れで進められていくのか、その研究現場における研究者の葛藤やジレンマ、また悪魔のささやき的な誘惑、激烈な競争の実態、実験の成果に対する落胆や失望、あるいは物事が成就したときの喜びなど、まさにスリルとサスペンスの物語のようでもある。

    研究の世界は地味で地道で、忍耐×努力×執念の世界であると思った。

    生物試料にはどのような場合であっても、常に微量の混入物が付きまとう(コンタミネーション)。研究者にとって最も厄介な陥穽だという。これを克服して純度を維持するための研究者の努力や工夫は、並大抵ではなかった。

    あるいは、仮説と実験データとの間に齟齬が生じたとき、仮説は正しいが実験が正しくないのか、そもそも仮説が正しくないのか、こういうときが、研究者の膂力が問われる局面だという。

    また、あるデータを見て見ぬふりをすれば自身の仮説の精度が高まるというような場面に出くわすことがある。その時に「なかったことにしよう」という悪魔のささやき的誘惑に打ち勝つことができるのか。

    一つのテーマは、世界では複数のチームが同時に研究を進めていることがある。そういった場合に、第一発見者のみが歴史に名を残せるのであって、二位、三位は何の意味ももたないという。そういう熾烈な戦いの現実もある。

    世界中がコロナ禍にあって、このワクチンの開発競争の現場においても、恐らく壮絶な戦いが展開されてきたのだと想像できる。

    それにしても、本書を読んで、そもそも我々人間を含む生物の存在そのものの不思議を感じざるを得ない。人間の細胞に備わっている遺伝子や、細胞の機能、その仕組み自体が不思議であり、その不思議を一つひとつ科学が解明しつつあるようにも思える。自然に人類の知恵が挑んでいるというようなイメージだ。

    そしてその人類の知恵にもまた感動を覚えてしまうのである。

  • 生物とそうでないものの差は、やり直しが効くかどうかということである。最初は欠陥があったとしても大丈夫だが,時間が進むにつれその欠陥が表面化するというところがとても面白いと思った。

  • 2007年の大ベストセラーで、新書大賞、サントリー学芸賞を受賞。
    長年、私の本棚に積読状態にあったが、かつての名著を読んでおこうと思いたち、読み始めたら、無性に面白く、分子生物学という特殊な分野にしては、比較的分かり易く書かれています。

    「生物と無生物のあいだ」というタイトルは内容について誤解を招くかも知れません。タイトルからは、無生物に近いウイルスの話と勘違いされそうだが、本の内容は「生命とはなにか?」ということを、著者のアメリカでの研究生活と、遺伝子を含めた分子生物学の歴史の変遷を交えながら説明したものです。

    著者がアメリカでの研究のスタートを切ったニューヨークにあるロックフェラー大学を知る人は少ない。設立当初はロックフェラー医学研究所と呼ばれており、世界各地から人材を集め、基礎医学と生物学に特化し、次々と新発見を打ち出し、ヨーロッパ中心だったこの分野をアメリカに引き寄せた。野口英世もかつてはここで研究をした。

    話は脱線するが、野口英世について。
    日本人なら誰でも知っている偉人伝ストーリーの人物だが、アメリカでの評価は全然違い、今では誰も知る人はいない。
    彼の業績、つまり梅毒スピロヘーターの純粋培養、ポリオ病原体特定、狂犬病病原体特定、黄熱病の研究成果等々は、発表当時は評価を受けたが、多くの結果は、病原体がウイルスであったりして、今日では否定されて、全く顧みられることもない。むしろヘビードリンカーであり、結婚詐欺まがいの行為を繰り返したりする生活破綻者に近いと評価されている。(「遠き落日」のモデル。著者:渡辺淳一)
    パスツールやコッホの業績は時の試練に耐えたが、野口の仕事はそうはならなかった。野口の研究は単なる錯誤か、故意によるデータ捏造なのか、はたまた自己欺瞞により、何が本当なのか見極められなくなったのか、今となっては確かめるすべがないと、著者は述べている。
    これを読んで、2014年の理化学研究所の小保方晴子の「STAP細胞」の論文事件を思い出す。

    話を本題に戻します。
    「生命とは何か?」それは「自己複製を行うシステム」であるというのが、20世紀の生命科学が到達したひとつの答えだった。
    1953年、科学専門誌「ネイチャー」にたった2ページの小論文が掲載された。ジェームズ・ワトソンとフランシス・クリックによる、20世紀最大の発見と言われるDNAの分子構造「二重らせん」の発見がそれだった。

    ただこの発見には、ロザリンド・フランクリン(英国の女性研究者)の研究成果を盗み見たという「暗い陰」というか、「20世紀最大の発見にまつわる疑惑」がある。彼女はワトソン達がノーベル賞を受賞したことも、そして自身のデータが彼らの発見に決定的な役割を果たしたことさえ知ることもなく、彼らのノーベル賞受賞の4年前に37歳の若さでこの世を去った。
    この例だけに限らず、大発見の裏側には、数知れないアンサング・ヒーロー(an unsung hero≒縁の下の力持ち)がいる。

    「二重らせん」の発見で定義づけられた「生命とは自己複製を行うシステム」という提議から、筆者の理論はそこからさらに展開する。

    海辺で貝殻をみたとき、そこに石には無い生命の息づきを感得できるのは、「複製」とはまた違った何かであり、その貝殻の模様は動的な生命のみが生み出せる秩序で、その動的な秩序にこそ生物の本質がある、という論旨だ。
    すべての物理的プロセスは、物質の均一を目指しランダムに拡散するようにエントロピー最大の方向へはたらき、それに達して終わる。これをエントロピー最大の法則と呼ぶ。
    それでは、生命体におけるエントロピー最大の状態とは、すなわち生命というシステムの死を意味する。
    それでもなお生命がエントロピー最大の状態に入り込むことはなく成長し、自己を複製し、長く生命活動を行えるということは、その自身の持つ秩序を維持する能力と、秩序ある現象を新たに生み出す能力を持っているということが言える。その死への法則に抗う唯一の方法とは、生命というシステム自体を流れの中に置き、その内に発生するエントロピーを排出することだ。やがては崩壊する構成成分をあえて先回りして分解し、再構築を行うことで、その秩序を保つのである。そのような動的な活動を通して我々生物の生体システムは常に流れの中にあり、秩序を維持できている。

    このような観点から筆者は「生物とはなにか」を次のように再定義する。
    「生命とは動的平衡(dynamic equilibrium)にある流れである」

    最後の部分は私なりに咀嚼できていないので、分かりづらいと思います。
    それは私の説明能力の不足なので、詳細はやはり本書を読んでいただくしかないと思います。

  • ウイルスは生物なのか?

    筆者の主張…生物ではない。生命とは自己複製するシステムである、との定義は間違いである。

    であるならば、生命とはいったいなんなのか?

    【純化のジレンマ】
    実験材料を99.9%純化したとしても、残りの0.1%に病気を引き起こす重大な物質が、誤って混入しているかもしれない。化学実験では、この0.1%を取り除いて100%状態にすることは不可能である。

    【DNA】
    DNAが運んでいるのはあくまで情報であり、実際に作用をもたらすのはタンパク質である。このDNAの上に、いろいろなタンパク質由来の物質を作り出すための設計図が書き込まれている。その設計図は4種の文字で出来ているシンプルな構造であるため、外部からの紫外線や放射線で文字のコードが少し変われば、タンパク質の作用に大きな変化をもたらす。

    DNAは単なる文字列ではなく、必ず対構造をとって存在している。AとT、CとGが対になって日本の鎖を形成しているため、AとTの数、CとGの数は同じである。

    重要なのは、DNAがペアリング構造になって存在しているという事実である。これは情報の安定につながるのだ。
    対構造ということは、一方の文字列が決まれば他方も同時に決まるため、どちらか一方が部分的に失われても、他方をもとに容易に修復することができる。
    細胞分裂による自己複製システムが可能なのはこれが理由だ。
    ここに、「生命とは、自己複製を行うシステムである」との定義が生まれる。

    【原子はなぜこんなに小さい?】
    これはつまり、「なぜ我々の身体は、原子と比べてこんなに大きいのか?」という問である。
    原子の集合は一様に拡散をするものの、中には平均から外れたふるまいをする原子が(もとの原子の√数分)必ず存在する。
    100個程度の原子が少ない生物であれば、例外分子は10個であり、原子が勝手な振る舞いをする確率は10%となり、致命的な誤差が生まれる。
    しかし、何億個もの原子からなる生物であれば、√100億個の分子が勝手な振る舞いをするものの、分母が大きいため、誤差率が下がり高度な秩序が保たれる。

    しかしながら、生物は拡散が完全に止まった「平衡」状態=死を遅らせるすべを有しているように見える。生命には、「現に存在する秩序が、その秩序自身を維持していく能力と秩序ある現象を新たに生み出す能力」を持っている。

    私達は自分の皮膚や爪が絶えず新生しつつ、古いものと置き換わっていることを実感できる。しかし、置き換わっているのは表層だけでなく、骨や歯、分子でさえも、いっときも安定することなく絶えず入れ替わっている。
    つまり、これらをよりマクロな目線で見れば、「生命とは要素が集合してできた構成物ではなく、要素の流れがもたらすところの効果である。」のだ。この分子の高速な入れ代わりこそが、生命という「現象」なのである。

    「生命とは動的平衡にある流れである。」

    こうした破壊と再生を繰り返しながら平衡を保つことがなぜ可能なのかは、タンパク質の形には相補性(あるピースの形は、それと隣接するピースの形によって一通りに決定される)があるから、言い換えれば、次々と作られるピースが収まるべき位置をあらかじめ決められながら、天文学的な数の補完を行っているから。

    形の相補性に基づいた相互作用が、常に離合と集散を繰り返しつつネットワークを広げ、動的な平衡状態を導き出す。
    ここである遺伝子を生物の受精卵時点から完全に排除しても、動的な平衡がその途上でピースの欠落を補完しつつ、新たな平衡を生み出すことができる。
    しかし、平衡系は偶発的なピースの欠落に対しては柔らかくリアクションできるが、人為的に欠落させたものに対しては、空隙を埋められないまま組織化が進行し、歪みをネットワーク全体にひろげてしまう。
    分子の部分的な欠落や改変のほうが、「分子全体」の欠落よりも害を与えうるのだ。
    機械と生物が違うのは、時間の有無である。
    作り出されるはずのピースが存在せずに生物の時間が流れると、形の相補性が成立しないことに気づかずに、全体の形を不安定にしながら完成されていく。
    それは、一度折り目をつけてしまった折り紙のように、不可逆的な構造として編まれていく。
    機械には時間の概念がなく、完成したあとからでも部品を抜き取ったり、交換することができる。

    生物には時間がある。その内部には常に不可逆的な時間の流れがあり、その流れに沿って折りたたまれ、一度折りたたんだら二度と解くことはできない。

  • 細菌とウィルス、DNAの二重らせん構造、そして福岡先生の動的平衡。これら生物学での発見についてのストーリーを、学会の構造や大学での生活などのエピソードも交えつつ語った作品。2007年と少し前の作品だが、当時のベストセラー。生物のしくみのなんと巧妙なことか。それを語る、研究者とは思えない福岡先生の見事な文章にも惹かれる。

    コロナウィルスに挑む今、巷にあふれる様々な情報に流されないために、本書に書かれている基本的な生物学の知識は役に立つ。

  • これは一つの命題に対する「界面の物語」、なのでしょうか。
    普通に店頭で見かけても、スルーしていただろうなぁ、、との一冊。

    エビカツ読書会でご紹介いただき、縁あってお譲りいただいて、拝読いたしました。
    完全な理系の世界のお話しなのですが、とてもわかりやすく読めました、多謝。

     ”それは自己複製を行うシステムである。”

    「生命とは何か?」、冒頭で既に出ている答えの一つは、
    自己複製を行うシステムであるとのこと、、ですが、続きがあります。

    もう一つのファクターについて、著者の過去を含めて、
    その思考経路をたどりながら、追い求めていく事になります。

     ”生命とは動的平衡(ダイナミック・イクイリブリアム)にある流れである”

    ん、以前、ドラマか何かの恋愛ネタで「DNAレベルから引き合っている」、
    なんてフレーズを見た覚えがありますが、なんとなく実感したりも。

     ”生物には時間がある。”

    ラスト、なんとも哲学的なフレーズに行きついた上で、解きほぐされていきます。
    時間という概念と、その不可逆性が指し示す「生命」とは、、さて。

    どこかミステリーのようでいて、でも、システマチックなガイア理論をも喚起させたりと、
    時間という絶対者から、生命として生まれた時に付与されたその「絶対の概念」の行きつく先は、、

    生命とは何か?、ある種の哀切さが残る読後感でした、だからこそ美しいのでしょうけども。

  • DNAの研究をめぐる歴史を著者の経験を織り交ぜながら少し詩的な文章で書き上げた科学読み物。

    難解な内容が出来るだけわかりやすく書かれていて読みやすい。科学史に関する内容も興味深く、著者の想いもふんだんに盛り込まれていて、読んでいて新鮮な驚きと半分は小説的な物語の面白さもあり、読者を飽きさせない良書だった。

  • take out:
    生命の定義は、自己複製するシステム、動的な秩序(エネルギー的要求とは無関係に、生命は食事によって体内の分子の入れ替わりを行っている。生命とは代謝の持続的変化である)

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著者プロフィール

福岡伸一(ふくおかしんいち)/生物学者。1959年東京生まれ。京都大学卒。青山学院大学教授・米国ロックフェラー大学客員研究者。『生物と無生物のあいだ』、『動的平衡』シリーズなど、“生命とは何か”を動的平衡論から問い直した著作を数多く発表。大のフェルメールファンとしても知られ、『フェルメール 光の王国』を上梓。近著に、『迷走生活の方法』『生命海流 GALAPAGOS』。朝日新聞に冒険小説「新ドリトル先生物語」を連載中。

「2022年 『ユージーン・スタジオ 新しい海』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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