鏡の中の物理学 (講談社学術文庫)

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  • 講談社
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  • Amazon.co.jp ・本 (129ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784061580312

作品紹介・あらすじ

ノーベル物理学賞に輝く著者がユーモアをまじえながら平明な文章で説く、科学入門の名篇「鏡のなかの物理学」「素粒子は粒子であるか」「光子の裁判」を収録。“鏡のなかの世界と現実の世界との関係”という日常的な現象をとおして、最も基本的な自然法則や科学することの意義が語られる。また量子的粒子「波乃(なみの)光子」を被告とした裁判劇は、わかりやすく量子力学の本質を解き明したノン・フィクションの傑作として、読者に深い感銘を与える。

感想・レビュー・書評

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  • 高野文子さんの『ドミトリーともきんす』で紹介されていた科学者の本を読もう企画第2弾(第1弾は雪の結晶を研究している中谷宇吉郎先生)。1965年にノーベル物理学賞を受賞した物理学者、朝永振一郎先生による物理学の入門書である。

    物理学、中でも量子力学の分野は、目で観察できないものや事柄を理論的に説明するものなので、正直言って一番苦手な分野である。『ドミトリーともきんす』を読んでいなければ絶対手に取っていなかったと思うが、思い切って読んでみたら、わかりやすい語り口で意外にも面白く読むことができた。

    本書は、現実世界で起こる現象を鏡に映しだした時、鏡に映っているのと同じ現象がどんな現象であっても現実世界に起こりうるのか、ということを例に挙げながら、物理法則の基本的な性格を説明する『鏡の中の物理学』、物質を構成する「素粒子」の概念を、米粒などの「粒子」の性質と比較しながら説明する『素粒子は粒子であるか』、裁判という舞台を使って素粒子の一つ「光子」の特徴を説明する『光子の裁判』の3編からなる。

    鏡に映っている世界が別の世界なのではないか、ということは、ファンタジーの観点で考えたことはあっても、現象を一つ一つ検証しようなどと考えたこともなかったので、そんなことを考える人がいるのか、というところにまず衝撃を受けた。しかしこのような純粋な疑問に一つ一つ答えを見つけていくものが科学というものなのだろう。
    「素粒子」というのも曲者だ。私たちが目で見て理解できる自然の法則とは全く別の法則で動いているものらしい。正直理解は追い付いていないが、そういうものがこの世界を作り上げているのだ、ということを、驚きをもって知ることができた。

    120頁という薄さでもあるので、自分の視野を広げたい人はぜひ読んでみてほしい。

  • 光子の性質をわかりやすい言葉で説明した科学の名著。

    粒子でもあり波でもある光子は直感的に理解するのは難しいけど、ここでは朝永先生はこれを簡易な言葉で小説にして教えてくれる。

    しかし、やはり肝心なところは最後にちょこっと触れている程度。これ以上興味ある人は専門書へという形。

  • 鏡の中の物理学
    著:朝永 振一郎
    講談社学術文庫

    ノーベル物理学者である著者の物理学講義である

    ■鏡のなかの物理学

    鏡の中の物理学という右と左とで異なる性質を持っている者があるとの話から入る

    物理学者には、やはり、興味を持つ人が非常に多いようで、鏡の向うの世界と現実との間の関係が物理学者の興味の対象となるのです。
    この世の中には、鏡にうつったものが存在しないという、そういうような例がいくらもあるわけです。

    下等生物のなかには、まったく左右のちがいのないものもあるように見えますが、DNAのらせん構造までゆくと必ず右巻きしかないようです。

    物の運動、つまり力学の現象というのは、直接目で見ることができるわけですけれども、物理学の中には、直接目で見ることができない、いろいろなことがあるわけです。
    たとえば、ここでプラスの電気がおこっているという場合に、それが鏡にうつったときも、その電気、それはマイナスなのか、プラスなのか、というような議論は目で見たんではわからないのです。
    力学の場合より、ちょっと複雑になりますけれども、電磁気現象は、やはり、鏡の向うがわの現象とこちらがわの現象とは同じ法則に従う。ことは、を換えると、力学で電磁気学に関するかぎり、鏡の向うの物理学と、こちらの世界の物理学とは、同一だといえるのです。

    ある現象を映画に撮って、そしてそのフィルムを、今度は逆に回して映してみるのです。そうすると、こちらがわでひとつの現象が先に起こりもうひとつの現象があとに起こった、というのがすっかり逆になります。
    鏡、つまりいまの時間の鏡にうつして、時間の前後を逆にしたときに、そういう現象がこちらでもやはり起こりうるというものと、そういうのはこちらでは起こらないという、そういう二種類の現象があるということがわかります。

    上から下へ物が落ちるという現象が実際起こるとともに、これを下から上へ投げてやる、投げますと、ずうっと上げって、だんだんおそくなって、どこかでとまるという現象も実際起こりうるからです。
    ところが、現象の中には、フィルムを逆に回すと、見ていてとても奇妙に見える、そういう現象が少なからずあるんです。コップが下へ落ちて、粉々に割れて飛び散るというような、そこまでうつしますと、それを逆にまわすとどういうことになるかといいますと、こなごなのかけらがだんだん集まって、うまくコップの形にまとまって、そうして、それが上へすうっと上がっていく。で、こなごなのものが集まってコップになるということは、どう考えてもこちらがわでは起こりっこない

    時間を逆にしたときに見える現象はこちらがわでは起こらない―そういう現象がたくさんある。
    人間とかぎらずあらゆる生物は、生まれたとき、ちっちゃなからだがだんだん生長して大きくなる。そのうちに年をとって死にます。

    結論から申しますと、熱の現象が時間の逆方向に進行しないという事実と、力学の現象は逆方向に進行できるという事実とは矛盾しない。なぜなら、分子の運動をコントロールするバッティング・マシンをうまく作れば、力学の法則に従って分子運動の逆行ができるけれども、バッティング・マシン自身はまた分子からできてるから、そうであるかぎり議論は循環して、結局そういうことはありえない、ということになるんです。

    物理学の法則には、ミクロな法則と、マクロな法則の2種類があります。
    ミクロな法則とは、原子や分子1つ1つを支配する法則
    マクロな法則とは、原子や分子の巨大な集団である物質の性質を支配する法則 です

    科学が本当にわれわれの生活を豊かにしているだろうかという、そういう考え方もあるわけです。
    実際、科学がかえってわれわれの生活を悪くしているのではないか、そういう見方もありうるわけです。

    ■素粒子は粒子であるか

    量子論へいざない、粒子でもあり、波でもあるということ、光子の子というのは、光の小さな粒、小さな物という意味で、波動でもあり、粒子でもあるという話

    素粒子は、ある点では通常の粒子ににているが、他の点では全く似ていない
    まず、素粒子は、1つ2つと数えることができるという点で、通常の粒子と似ている

    素粒子はその1つ1つが、自己同一性をもっていないという点で粒子と異なっている
    自己同一性とは、1つ1つの粒子を区別することができるということである
    素粒子とは電光ニュースの上に現れる光点のように場に起こる状態の変化として現れるものである
    ひとつの素粒子について、その位置がこれこれであり、かつ運動柳雄がこれこれであるということはできない。
    簡単にいえば、素粒子とは位置と運動量を同時にもつことのできないしろ物である

    場の考えと、状態ベクトルの考えとを、うまく合わせて素粒子の理論を作り上げる、それが現在の粒子論である。

    目次
    鏡のなかの物理学
    素粒子は粒子であるか
    光子の裁判 ――ある日の夢――
    解説 伊藤大介

    ISBN:9784061580312
    出版社:講談社
    判型:文庫
    ページ数:129ページ
    定価:720円(本体)
    発行年月日:1976年06月30日第1刷
    発行年月日:1991年08月05日第21刷

  • 科学道100冊 2022 テーマ「光をおいかけて」

    【所在】図・3F開架
    【請求記号】420.4||TO
    【OPACへのリンク】
     https://opac.lib.tut.ac.jp/opac/volume/20165

  • #科学道100冊2022

    毎年恒例の企画展示「科学道100冊」に、今年新たに加わった本。

    金沢大学附属図書館所在情報
    ▼▼▼▼▼
    https://www1.lib.kanazawa-u.ac.jp/recordID/catalog.bib/BN04084595

  • ノーベル物理学賞を受賞した朝永振一郎氏の著作。第一刷は1976年発行。
    鏡のなかの物理学、素粒子は粒子であるか、光子の裁判、の3遍からなる。約130ページの薄めの本で、かなり平易に、数式を使わずに書かれた素粒子論入門、とのこと。目に見えない粒子と、古典力学に沿わない事象をイメージするのが難しくさらっとは読めなかった。1週間ほどかけて読み、なんとなくわかったような気にはなれたので、同分野の他の入門本や、同著者の他の作品も読んでみたいと思った。言葉遣いはそれなりに古いが、文章が読みやすかった。 

  • 熱力学の時間不可逆性のこと、また素粒子が自己同一性を持たない存在であること、そして位置と運動量の両方を同時には持つことができない、運動の道筋を持たない特別な異なる人間の理解を超えた存在であることを物語風に語るユニークな本。量子力学の入り口を分かり易く説明したものと言える。特に後半の「光子の裁判」は光子や素粒子のふしぎな存在であることを裁判の形をとって弁護人に説明させるという奇想天外な展開。実はそれが夢であったというオチが凄い!参ったという感じ。しかし、やはり少し難しかった。

  • 『外界の中になにか奇妙だと感じることを見出して、その印象に対して子どものような無邪気な気持で疑問を抱く。ただ、子どもじゃあないですから、その印象にただ心ひかれるだけでなく、それをもう少し深く掘り下げる必要があるので、その掘り下げをおこなう。そういうところに科学の一つの意味があるのじゃあないかと、私は思うわけです』―『鏡のなかの物理学』

    奇妙なふるまいを示す量子力学的粒子の性質を平易な言葉で説明する名著、として知られる本書だが、語られている内容をこの本だけで理解しようとするのは容易ではない。量子力学の一般向け解説書のようなものを数冊読んだことがあれば、一つ一つの説明がどこへ向かっていくのかの見通しもつけられるだろうけれど、奇妙な現象を少し風変りに説明されて得心できる人がどれ程いるのだろうかと思う。にも関わらず知の巨人たる朝永振一郎の語りたいことは案外と明確で、伊藤大介が解説で指摘している「何故科学をやろうとするのか」という問いに対する答えこそが本書の主題であろうと思う。

    その問いに対する直接の答えが本書に書かれている訳ではいないが、一見見過ごしがちな些細な現象の中にある「何故?」を人間の理解できる形に変換していくこと、それが問いに答える原動力であることは強調されている。たとえそれが人間の直観に背くような一般的(古典力学的)な理解の枠を超えた量子力学の世界であっても同じことだと。その根底にあるのはギリシア哲学風に言えば「真」と「美」の関係性であるように思える。朝永振一郎はどこかプラトン的イデアを追い求めているように見える。

    しかし一方で多くの人々は「真」への道程に「美」ではなく「善」を価値基準として採用しがちだ。そのことを「何かの役に立つ」という言い方に置き換えることも可能であろう。暗に朝永が否定している問いに対する答えを、浮世を生きる多くのものはレゾンデートルとして持たされていることをただ否定することは、象牙の塔に依拠する知性としていかがなものか。その点、解説者の伊藤の答えは少し射程の長いものだが、未知のものを解明することの意味に対する問いにうまく答えているように思う。

    『ガリレイが実験によってアリストテレスの自然観をやっつけて以来、妥協を許さぬ自然に、その時代の自然観をぶっつけては壊し、新しく作ってまたぶっつけるうちに、馬鹿な事は考えないという意味で人類は利口になってきたのだと思います』―『解説』

    是非、解説まできちんと読んでもらいたい一冊。

  • 量子力学は難しい本を読んでなんとなくわかった気になったりしてみるものだけど、こうして丁寧に噛み砕かれると、ちょっとした齟齬とかに気付く

    知らない話は出てこないけど、それをやたら難しく書かずこんなにサラッと話されると、あ、そういうことだっけか、と、色々と考え直すこと多々

    ctp対称性とか、相対性理論とか、量子力学とかの楽しい話がとてもわかりやすく直感的

    めちゃ薄いし。

  • 光子の裁判
    波野光子による二つの窓のある建物への侵入事件裁判。
    文章の言い回しが古いので少し読みにくいが、光の二重性を面白い物語にしている。
    最後に明らかになった弁護人はディラック。

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