鏡の中の物理学 (講談社学術文庫)

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  • Amazon.co.jp ・本 (129ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784061580312

感想・レビュー・書評

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  • 『外界の中になにか奇妙だと感じることを見出して、その印象に対して子どものような無邪気な気持で疑問を抱く。ただ、子どもじゃあないですから、その印象にただ心ひかれるだけでなく、それをもう少し深く掘り下げる必要があるので、その掘り下げをおこなう。そういうところに科学の一つの意味があるのじゃあないかと、私は思うわけです』―『鏡のなかの物理学』

    奇妙なふるまいを示す量子力学的粒子の性質を平易な言葉で説明する名著、として知られる本書だが、語られている内容をこの本だけで理解しようとするのは容易ではない。量子力学の一般向け解説書のようなものを数冊読んだことがあれば、一つ一つの説明がどこへ向かっていくのかの見通しもつけられるだろうけれど、奇妙な現象を少し風変りに説明されて得心できる人がどれ程いるのだろうかと思う。にも関わらず知の巨人たる朝永振一郎の語りたいことは案外と明確で、伊藤大介が解説で指摘している「何故科学をやろうとするのか」という問いに対する答えこそが本書の主題であろうと思う。

    その問いに対する直接の答えが本書に書かれている訳ではいないが、一見見過ごしがちな些細な現象の中にある「何故?」を人間の理解できる形に変換していくこと、それが問いに答える原動力であることは強調されている。たとえそれが人間の直観に背くような一般的(古典力学的)な理解の枠を超えた量子力学の世界であっても同じことだと。その根底にあるのはギリシア哲学風に言えば「真」と「美」の関係性であるように思える。朝永振一郎はどこかプラトン的イデアを追い求めているように見える。

    しかし一方で多くの人々は「真」への道程に「美」ではなく「善」を価値基準として採用しがちだ。そのことを「何かの役に立つ」という言い方に置き換えることも可能であろう。暗に朝永が否定している問いに対する答えを、浮世を生きる多くのものはレゾンデートルとして持たされていることをただ否定することは、象牙の塔に依拠する知性としていかがなものか。その点、解説者の伊藤の答えは少し射程の長いものだが、未知のものを解明することの意味に対する問いにうまく答えているように思う。

    『ガリレイが実験によってアリストテレスの自然観をやっつけて以来、妥協を許さぬ自然に、その時代の自然観をぶっつけては壊し、新しく作ってまたぶっつけるうちに、馬鹿な事は考えないという意味で人類は利口になってきたのだと思います』―『解説』

    是非、解説まできちんと読んでもらいたい一冊。

  • 「くりこみ理論」などでノーベル物理学賞を受けた著者が、量子論の一般的に奇妙と思われる本質的部分について平易に解説した入門書。

  • 第1刷は1976年・・・40年以上前の科学本。
    なのに未だに読まれているというのがスゴイ。

    波動性と粒子性に関して、平易な表現で説明。
    量子論をしっくり理解できる人は稀だと思う。
    「何となく、わかったような・・・」
    くらいの感覚を持てれば十分なんだと思う。
    そのくらいの感覚を持つ、と考えれば、
    本書は読みやすくわかりやすく面白い。

    門をM、壁をKとした説明にクスリときた。

  • 鏡を使って対称性についての説明。光子の振る舞いの不思議を裁判風に解説。素粒子の入門。ノーベル賞受賞者の故朝永振一郎先生の著作。

  • 最近の若い世代の人にとって、朝永振一郎という名前にはあまり馴染みがないと思う。自分もつい最近まで知らなかったし、今でも具体的に何をしたのか問われると答えに窮するだろう。朝永はノーベル物理学賞を受賞した理論物理学者で、かの有名な原爆の父オッペンハイマーも評価していたそうだ。どちらかというと、海外の方で評価が高そうである。

    本書はその朝永が書いた入門書である。言い回しがいかにも昭和的で回りくどかったりして、その点はあまり好きではないが、素粒子の説明は大変分かりやすく、さらに最後の「光子の裁判」は秀逸だと思う。物理学に詳しくなくとも、理論物理学者が日々どのように思考をめぐらせて新たなる理論を打ち立てていくのかが分かる。朝永のような科学者は、日々脳内で一人裁判を展開して議論を戦わせていたに違いない。

    読んでない人は、光子の裁判だけでも読んでみると面白いと思う。

  • 科学の本質について考えさせてくれるのと、イメージのつきづらい量子力学についてイメージを持たせてくれる。科学の接し方として、役に立つかどうか以外の方向性がある。それぞれの法則に共通した決まりごと、自然観を追求したいということ。量子論を勉強する前に読んでおきたい。

  • 素粒子の特性を、一般人にも馴染みのある喩えを使い、非常に明晰にわかりやすく説明した文章が3つ。本当に頭のいい人は複雑な物事を噛み砕いて説明することができるという例の、まさに最高の見本で、特に「光子の裁判」は見事というほかはない。実際、理論の組み立て方は裁判のやり取りと似ているのだと思う。仮説が被告で、検証作業が弁護士と検察のやり取りに当たる。弁護士が勝てば新しい理論は認められたということに。

  • 物理学という言葉に惹かれ、文系の分際で自分でも理解できる本を探していたところ、学校の図書館で司書さんに勧められ借りてみた。

    有名な名前に一抹の不安を覚えたものの、読んでみたら面白くて一気に読んでしまった。

    ファンタジーの様な視点が新鮮でよかった。

    私たちには「当たり前じゃん」って思うようなことも、理系の手にかかれば数式や法則を導き出してしまえる。なんてかっこいいのだろう。

    またその数式が、どんな値を代入しても成り立つのが不思議。
    世の中は数多くの数式でできている、というのはあながち間違ってはいないのかもしれない。


    薄い本だったが、もっと厚くてもよかった。
    それと、物理学をしっかり学んだ人には物足りないかもしれない。

  • 内容は朝永振一郎によるエッセイ風の量子力学入門。高校の物理の教科書に書いてある二重スリットの実験を裁判風に描いた「光子の裁判」は確かに分かりやすく、「考え方」を知るには入門書として最適。だけど、いやしくも化学の端くれを飯の種にしようって人間がこれで満足しちゃあいけないな。この前出だしを読んで心を折られたばかりだけど、次は「スピンはめぐる」でも読んでみるか。

    それにしても、日常感覚が役に立たない世界では、こうも思いこみを排して無味乾燥にかつ馬鹿正直に観測結果と論理を積み上げていかなければならないとは。いかに普段考えていることに論理の飛躍があるかを思い知らされる気がする。世界誕生五分前仮説とか、多世界解釈とか「ふーん、SFとしてなら面白いよね」ということを大真面目に主張できてしまい、その実誰も明確に反論できないとは、これは果たして悲劇か喜劇か。

  • (2013.11.22読了)(2003.10.31購入)
    著者は、1965年のノーベル物理学賞受賞者です。
    いつか読まねば、と思いつつ積読していたのですが、やっと読めました。
    物理学、量子力学の入門的作品が三編収録されています。
    「鏡の中の物理学」は、鏡の世界と現実の世界で共通して起こりうることとそうでないことの説明と、通常に流れる時間の中で起こる現象と時間を逆転させた時の現象の説明です。
    力学的現象は、鏡の中と現実の世界で違いはない。時間を逆転させた場合も違和感のないものもある。
    熱現象に関しては、時間を逆転させた場合には、違和感が生ずる。例えば、お湯を入れた器を氷の上に置いた場合、氷が解けて器が沈んでゆく。時間を逆転させると器がどんどん浮いてくることになるので、違和感が生じる。
    「素粒子は粒子であるか」と「光子の裁判 ―ある日の夢―」の二編は、量子力学の話です。両方読んでやっと説明したいことがおぼろに見えてきます。
    光は、粒子であり波であることは、高校の物理で習ったように思うのですが。素粒子も同様の性質をもつようです。
    それだけではなく、A地点とB地点とのあいだに遮蔽物があり二か所に通り道があった場合に、普通に考えれば、A地点からB地点へ移動した場合には、通り道のどちらか一方を通ったとみなすべきであるが、素粒子の場合は、両方を通ったと考えざるを得ない、という話です。何とも不思議な話です。

    【目次】
    鏡の中の物理学
    素粒子は粒子であるか
    光子の裁判 ―ある日の夢―
    解説  伊藤大介

    著者 朝永振一郎
    1906年東京生まれ
    1929年京都帝国大学理学部卒業
    京都帝国大学助手、理化学研究所を経て、
    1941年東京教育大学(文理大)教授
    1952年文化勲章受章
    1956~62年東京教育大学学長
    1963年日本学術会議議長
    1965年「超多時間理論」「くりこみ理論」によりノーベル物理学賞を受賞
    1979年没
    (2013年11月25日・記)
    内容紹介(amazon)
    ノーベル物理学賞に輝く著者がユーモアをまじえながら平明な文章で説く、科学入門の名篇「鏡のなかの物理学」「素粒子は粒子であるか」「光子の裁判」を収録。“鏡のなかの世界と現実の世界との関係”という日常的な現象をとおして、最も基本的な自然法則や科学することの意義が語られる。また量子的粒子「波乃(なみの)光子」を被告とした裁判劇は、わかりやすく量子力学の本質を解き明したノン・フィクションの傑作として、読者に深い感銘を与える。

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