- Amazon.co.jp ・本 (214ページ)
- / ISBN・EAN: 9784061580510
作品紹介・あらすじ
日本人とは何か。われわれは一体何を望み、何でありたいのか。長い西欧体験にみがきぬかれた知性が、鋭い洞察力を駆使して日本人のありように迫り、将来のあるべき方向を模索した日本人論八編を収録。十数年前に書かれたこれら諸論文は、その歳月を忘れさせる先見の明に貫ぬかれていて、今日の私たちが直面している諸問題をあざやかに浮彫りにしており、日本人と日本文化について思索するすべての人に知的興奮を与えずにはおかない。
感想・レビュー・書評
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ざっくりまとめ:
西洋での民主主義は、個人主義を前提として成立。個人主義=人間は事実的には平等でない。神との関係において、人間は平等であるという以外に平等の根拠がない。(超越的、普遍的な思想)
⇔
日本:仏教以前の神道的世界には、まったく超越的な構造がなかった。「西洋での神の役割を、日本の二千年の歴史の中で演じてきたのは、感覚的な自然である。その結果、形而上学ではなく独特の芸術が栄え、思想的な文化ではなく、感覚的な文化が洗練された。」(経験主義的、実際的な思想)
→この感覚的、実際的な心理的傾向は儒教がその綿密な論理によってすべてのものの相対性を理論化したときに、日本の意識の根底となった。
-実践的な倫理や政治思想
-技術に結びついた美学
-今でも、日本人の生活を美化する文化に継承されている
感想
納得感があった。全然主題と関係ないけど、外資系企業が異文化での経営が上手いのは植民地化の経験を経ているからだけではなく、(人類に共通する)普遍的な思想から語りかけることに文化的に長けているから?と思った。詳細をみるコメント0件をすべて表示 -
本書は小論8編が収録されたもので、まず「日本人とは何か」という短い小論(1958年)からはじまります。断片的な理解になりますが、著者が主張せんとしていることは、(多くの)日本人は超越的・普遍的な価値観ではなく、経験的・実践的な感覚に大きく依存することです。そして仏教、キリスト教、さらに古代ギリシャから西欧近代の思想・哲学など普遍的な思想は外来種として日本に来ますが、これらは日本人に根付いたとは考えられない(もちろん一部の例外はあるものの)、という主張です。しかし、本居宣長のような国学こそが日本だ、という主張も間違っていることになります。外来思想が混じってこその日本文化であるからです。
本書ではこの視点を様々な切り口から論じますが、特に興味深かったのは日本の「知識人」(特に戦時下の)を通じてこれを分析している点でした。日本の知識人と言いますと、基本的には西欧からの思想を取り込んでそれを日本国内で喧伝している人々ですが、加藤氏に言わせれば、大半の知識人は普遍的な外来思想を血肉として自分に宿してはおらず、それらの「思想」は戦争時には吹き飛んでしまう。そして自分が日々体験している現実が圧倒的に勝ってしまうのです。つまり日本人は自分たちの経験を通じて血肉とした思想がない、それこそが日本人であるということで、ではその先にどんな可能性があるのか、まで議論してもらえるとうれしかったのですが、そこまではあまり踏み込んでいませんでした。本書のどこかに「精神面での開国」が起こるだろうというような記述がありましたが具体的には?というところです。 -
著者の日本人にかんする論考を収録しています。日本の近代化についての議論であると同時に、知識人論でもあり天皇論でもあるといってよいようにに思います。
明治以来、日本は西洋の近代文明を受容してきました。しかし著者は、それらが伝統的な文化との対決をくぐり抜けることのないままに受容されたにすぎないと述べて、知識人と生活者が分裂してしまっていると指摘します。
著者は『雑種文化―日本の小さな希望』(講談社文庫)において、こうした現代の日本のありようを前提としたうえでそれを生かす道をさぐろうとしていましたが、本書に収録されている論考では、どちらかというとその病状を冷静に分析することに著者の努力が傾けられているように感じられます。 -
著者:加藤周一
カバーデザイン:志賀紀子
【目次】
目次 [003-004]
I
日本人とは何か 008
[『現代倫理講座』筑摩書房 1958]
日本的なもの 023
現代と中世
日本的なものの概念について
[『知性』1957年18月号]
日本の芸術的風土 040
I
古い日本・新しい日本
三人の画家の場合
日本人の人間概念
II
パリで見た二つの日本人像
わかっていること
伝統はよみがえる
[『朝日ジャーナル』1959年5月31日号]
外から見た日本――その国際的孤立について 051
(1) 孤立は遠くなったか 051
自虐的な誇張
孤立は変わらない
二つの変化
フランスは近かった
(2) “孤立の事実”と“孤立の恐怖” 060
三つの型
アジアの孤立
(3) この国に住むことの難しさ 064
あきれ賛嘆し
“文化の世代”が終われば
古都とドンキホーテ
私の断片的な提案
[『エコノミスト』1964年10月27日号]
近代日本の文明史的位置 073
1 073
2 078
3 081
4 088
[『中央公論』1957年3月号]
II
天皇制について 104
[『知性』1957年2月号]
III
知識人について 138
[『総合』1957年4月号]
戦争と知識人 167
1 十五年戦争 167
2 『敗戦日記』をめぐって 173
3 日本浪漫派と京都哲学 188
4 「ブリッジ」と「七月十四日」 197
5 「神ながらの道」について 208
注 210
追記 214
[『近代日本思想史講座』1959年] -
[ 内容 ]
日本人とは何か。
われわれは一体何を望み、何でありたいのか。
長い西欧体験にみがきぬかれた知性が、鋭い洞察力を駆使して日本人のありように迫り、将来のあるべき方向を模索した日本人論八編を収録。
十数年前に書かれたこれら諸論文は、その歳月を忘れさせる先見の明に貫ぬかれていて、今日の私たちが直面している諸問題をあざやかに浮彫りにしており、日本人と日本文化について思索するすべての人に知的興奮を与えずにはおかない。
[ 目次 ]
[ 問題提起 ]
[ 結論 ]
[ コメント ]
[ 読了した日 ] -
戦前、戦中、戦後と生き、また国内外で教育を受け、生活をしてきた著者の考察であり参考にすべきことを多々見い出すことができる。
1976年出版なので幾つかの考察は時代にマッチしていない感もあるが、その中でも普遍的な事柄に気づきがある。
類まれなる歴史を持ちながらも文化国家としては一流になれない。日本人として何を欲するのか明白ではない、という著者の問題意識は今も変わらないのだろう。
以下引用~
・他国民と比較してみるときに、日本人の特徴は、花鳥風月に事をよせてはその感覚的世界、殊に造型的な面が、鋭敏で洗礼されたものであった。
・芸術は進歩ではなくて、変化、変化を可能にする持続である。
「断絶」という考え方は、思想・文学・芸術の創造的営みにとっては、全く致命的であり、生み出すに値するものを生みだすためには、どうしても文化の持続の観念が必要である。 -
「知識人と戦争」から読むと、理解しやすい。日本人の知識人は、なぜ戦争反対を貫けなかったか。それは、日本人にとって、思想が超越的なものではなかったためでもある。また、知識人にとっても、思想がエリートサークル内の人間関係や、「生活」の論理を超えることができなかった。
鎌倉仏教を考えると、日本人にとって超越的な思想がなかったとは言い過ぎだと思うが、著者の指摘は戦争を知らない私にとっても非常に重い。
著者プロフィール
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