人間模索 (講談社学術文庫 65)

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  • Amazon.co.jp ・本 (168ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784061580657

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  • 渡辺一夫『人間模索』 190810

    人間というものは、おそらく、獣と植物と機械と神様との合いの子ではないでしょうか。 14

    人間は、色々な軸の間を揺れ動く存在であり、それと同時に自らが揺れ動くことを知っている存在のようにも思われます。
    あらゆる人間が、自らのこうしたか弱い醜い姿を反省しながら社会を作ることによってのみ、曲がりなりにもまあまあ生きられる人間社会ができるのかもしれません。 
    ゆらゆら動くこと、それを自覚し、それに耐えてゆけるようになること、これが人間の精神の最も平常な形であるべきだということを、先ず第一に記したいと思います 15

    お互いに、自分が獣や機械や植物やがりがりの利己主義者や誇大妄想的な他愛主義者になりやすいが、しかしそれを反省できるということをも認め合いつつ生きようとしてこそ、真の人間的な愛も信頼も生まれるのではありますまいか? 16

    しかし、いかに無力のように見えても、寛容派(エラスムス、モンテーニュ等)が存在したということが、大いな意義を持つのであり、一時代の健康が全く絶望的ではなかったことを示すのであり、これらの人々によって、「危険な動物である人間への反省」が守られ通していたことは、何よりも大きな意義を持つと言わねばならないのです。 27

    (文明の利器に)いつの間にか、逆に我々が使われていることになったら大変だから注意しましょうというだけです。 37

    この団体内の人々(マス・メディア)は、我々と同様に、認識にも限度があり、とかく牽強付会我田引水をしたがり、また、「己こそは真実を知っている」と思いたがる人間なのです。 38

    ジョージ・オーウェルの『一九八四年』という小説は、単にソ連だけへの批判ではなくて、近代文明社会の避くべき末路をも批判しているように思われてなりません。 40

    生きるということは、死を最後のものとする無数の「不幸」を許容することに外ならぬのです。
    人生とは無限の不幸の可能性の集積だということを悟り、考える軸を変えられるだけの修業 88

    我々が生きるということは、こうした不幸回避のいとなみ以外にはないのかもしれません。
    我々が幸福と思うのは、不幸が回避されている間のはかない感情に外なりません。 90

    一人一人の市民が大きな勢力や制度のために金しばりになっているのが常ですが、一人一人が自分を金しばりにしたものの正体への反省を行うことは、あたかも生きている人間が己の死を反省するのと同様に、必要なことと思います。 91

    不幸に襲われても、平然とし、それのみか、不幸の感じを緩和できるような自在な精神を持つことも必要かもしれません。 92

    昔から大悟達識の人の生涯を見るとき、人生を虚妄と感じて、一切の苦患を無視するやり方と、彼岸の理想郷を考えて、一切の苦患を試煉として受諾するやり方と、二つがあるように思います 93

    大人のエゴイズムが、隣人を社会を国家を人類を苦しめる場合もあり得ます、
    幸福感とは、畢竟するに、個人のエゴイズムが個人よりも大きなもの、高次なものへ没入し、その進行と歩調を合わせようと努力する志があればこそ、徐々に高められ、いわば浄化されるはずであります。 98

    こうした幸福(軍需成金や闇屋)は、「いざという時」には大きなものの手で取りあげられてしまうこともあり、またそれを薄々感ずればこそ、多くの人々は、そのはかない幸福の護持に躍起となり、こうした躍起となった行為そのものに人生の意義を無理やりに認めようとします。 99

    低賤な快楽を放棄することによって、一段と高い幸福感に達するということを、「品位」獲得という言葉を用いて、ジャン・ゲェーノは次のように記しています
    (ゲェーノは幸福本能をぺてんとし、人はそれを悟るゆえに獲得した品位にも絶望すると述べる)
    しかし、ゲェーノの指示する幸福本能のぺてんには潔くかからねばならず、このペテン(幸福本能)に進んでかかることによって、人間は「品位」を獲得せねばならないのです。「品位」を獲得した人間は、快楽や幸福を特に求めないかもしれません。「品位」それ自体が快楽であり幸福であるからです。
    快楽を、さらに高い快楽を、幸福を、さらに浄化された幸福を求めること、これが文明の道でしょう。 101

    「教養がある」ということは、「他人を困らせないこと、窮地に陥れないこと」「思いやりがあること」ではなかろうか、というような気がしてきました。 102

    豚になるかもしれないから、豚にならぬように気をつけて天使にあこがれ、己の「狂気」を常に監視して生きねばならぬ、という結論は出てきてもよいと思います。 108

    主義主張が人間にもてあそばれている間に、ふしぎなことが起こってくるのです。ふしぎでありながら必然的なことが起こっていくるのです。それは、人間が自分の『思いこみ」を反省できないばかりか、自分の主義主張の機械になり、いつの間にか、がらがらまわり出すことです。112

    半分機械になりかけた人間は、可憐にも精神的なスローガンを作り出して。自分の不安を立ちどころに解決し、またたく間に立派な機械になってしまうことが実に多いのです。機械になるぐらい楽なことはないということを、人間の良心はよく心得ているのでしょう。 113

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著者プロフィール

フランス文学者。1901年、東京生まれ。1925年、東京帝国大学文学部仏文科卒業。東京高等学校(旧制)教授を経て、48年、東京大学教授、62年、同大学名誉教授。文学博士。1975年、逝去。主な著作に『フランソワ・ラブレー研究序説』『フランス・ユマニスムの成立』『フランス・ルネサンスの人々』『戦国明暗二人妃』『世間噺・戦国の公妃』『世間噺・後宮異聞』など、おもな翻訳書にエラスムス『痴愚神礼讃』、ラブレー『ガルガンチュワとパンタグリュエル物語』など。



「2019年 『ヒューマニズム考 人間であること』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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