社会主義 (講談社学術文庫)

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  • Amazon.co.jp ・本 (124ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784061585119

作品紹介・あらすじ

マルクスは、所有理論に基づいて資本主義を批判し社会主義への展望を打ち出したが、それは「支配の社会学」を閑却していた。本書は、歴史は合理化の過程であるという観点から、社会主義のもつ歴史的宿命、すなわち、官僚制の強大化を指摘したウェーバーの講演の全訳・解説である。ウェーバーの洞察は、現代社会主義の抱える諸問題を鋭くつき、われわれを驚嘆せしめる。社会主義に対決するウェーバーの姿勢を知るうえの格好の書である。

感想・レビュー・書評

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  • ブルジョアの代表と黙されるマックス・ウェーバーが社会主義をどう考えているかを吐露した講演。ロシア革命後、その影響が強く及んでいたドイツ・オーストリアにおいて、独ソ講和条約を結んだことで懐疑的になっているオーストリア将校に対して行った講演である。

    非常に興味深い。
    ウェーバーはマルクスの指摘を傾聴に値すると言っていて、生涯に渡りかなり意識していたようだ。一方で、マルクスの指摘は資本主義に対する予言(衰退するという予言)に過ぎないとし、革命思想やそれに従事する現実の共産主義者自身の矛盾について、かなり見事に論破している。思想としては認めつつも、現実の共産主義者を否定し、資本主義にその思想や計画性を取り入れる方向を目指している。
    実際に、今の政局における資本主義陣営と社会主義陣営は、各々の振れ幅の中で、ほとんど類似した状況となっていて、単なるトーンやイメージの違いに過ぎなくなってきている。

    ウェーバーの主張の骨子は、いずれの制度を選択した場合においても官僚制を採択することになるので、共産主義においても人による人の支配はなくならないということであり、共産主義の名において独裁が成立することは、歴史が証明している。
    すなわち、社会主義政党という政治の専門職となった時点で、「人による人の支配がない世界」は自己矛盾を起こしている。
    また、実際にこれらの政党の活動を観察してみると、掲げる理想の過激さに対して支持を集めるために穏健で堅実な政策を打ち出さざるを得ないため、意味をなしておらず、過激な革命思想家は単なるロマン主義に終わっていて危険である。ということであり、ウェーバーは、穏健派社会主義者とは交流したが、革命思想家の活動については、徹底的に批判したようである。
    一方で、労使が対等の立場に立つことを重視しており、特に労働者が市民としての自覚を持って意見を持つことが重要であると主張している。

    民主主義の立場から見ると、いずれの制度においても、権威や権力に盲従する民衆がいる限り、公や国の名のもとに、良い意味でも悪い意味でも為政者の力量に応じた独裁が成立しうるということだろう。

  • 社会主義者が唱える近代の命運が資本主義社会の自滅であるとするならば、ウェーバーの唱える近代の命運は組織の官僚化である。
    ウェーバーの業績については官僚制論を主として挙げられることが多いが、その官僚制論は社会主義が抱く理想との対立において、よりその重要性が際立つものであることを理解できた。
    講演内容からだけでは読み取りづらいウェーバーの持つ理想(国民国家や、自由な市民と企業家による社会構築)について解説の項目で述べられている。
    カントとヘーゲルの嫡子たる存在であることを思う。

  • マルクスは、所有理論に基づいて資本主義を批判し社会主義への展望を打ち出したが、それは「支配の社会学」を閑却していた。本書は、歴史は合理化の過程であるという観点から、社会主義のもつ歴史的宿命、すなわち、官僚制の強大化を指摘したウェーバーの講演の全訳・解説である。ウェーバーの洞察は、現代社会主義の抱える諸問題を鋭くつき、われわれを驚嘆せしめる。社会主義に対決するウェーバーの姿勢を知るうえの格好の書である。

  • 原書名:Der Sozialismus

    著者:マックス・ウェーバー(Weber, Max, 1864-1920、ドイツ、政治学)
    訳者:浜島朗(1926-、東京、社会学)

  • 官僚制を鍵にし社会を読み解く、まさに先見の明と称えるしかない講演。
    ウェーバーは当時からも巨人だったはずだが、主流ではなかったのか?
    社会主義(というか共産主義)、そして現在の資本主義社会に共通する側面をまさに抉り出す。
    知的な冷静さの凄みを感じさせてくれる。

  • ブルジョワ資本主義の弊害を告発しつつ、社会主義革命の結果をやはり一部の産業統制主体による独占的支配と予測するウェーバーの立場を明確に示す書物。

  • 社会的な問題を語るときに必要と感じるのは、自分がどのようにつらい体験をしているかということだ。そもそも、問題の立脚点というのは、ほとんどの場合、自分の内側の問題が占めていると思う。例えば、なぜ自分は、この問題に興味を持ち、そして憤りを感じているのかということ。そして、その自分の苦しみをどのように、周りに理解してもらうのか、という順序が、一つにある。しかし、その個人の苦しみが、外部に発散されず、内側にため込むことによって、問題そのものを抽象化してしまう。すると、今まで自身の問題であったはずが、いつの間にか勝手に社会化され、自分の元の感情と切り離されてしまう。それは、自我がそのストレスから自信を護るための防衛反応だと思う。社会問題を訴えるときにまず大切なのは、それは、他人を助けようとする「援助」の関係か、それか、自分の苦境を訴えようとする「欲求」なのか、その区別が大切なのではないだろうか。自分の問題意識を、うまく発散できずに、内側で抽象化する。そして、軸を失った抽象は、様々な社会問題の憤懣の雰囲気によって暴発する。それは、ごく一部の社会運動家に見られるヒステリックなほどの糾弾行動にも見られるものだ。そしてそれは、社会主義運動にも見られた失敗に如実に顕れているように思える。抽象化された理念は、結果として、それが一段を形成するときには、全体主義に荒廃してしまい、ロシアのように、それに背く人民をせん滅させるという事態になることになる。みやすけが大切だと思うのは、社会問題を取り扱う時には、まず、自分の感情を内観するということ。それは、「援助」なのか「欲求」なのかという線引きを行い、そして、それを「軸」に行動すること、それが大切な事なんだと、この本を読んで感じました。

  • 第1次大戦中に、マックス・ウェーバーがオーストリアの将校たちに向け行った講演を収めた小さな本で、本文は90ページほどしかない。
    「社会主義に対するかれの態度・見方をまとまった形で表明した唯一の文献」(訳者)とのことだが、正直言うと、これだけでは短すぎて、「まとまった形で」ウェーバーの考えを把握することはできなかった。
    当時のドイツをはじめ、ヨーロッパにおける政治状況をイメージするのは我々にはたいへん難しく、多義的なスタンスでバランスを探っていたかのようなウェーバーのポジションを限定するのは困難だ。
    マルクス主義に関しては、マルクス/エンゲルスの『共産党宣言』ただ1冊のみを批評しているにすぎないが、そこで標榜されている予言的なヴィジョンに対して、ウェーバーはおおむね否定的なようだ。
    「官僚制の強大化」という、現在の日本にとっても重大な問題については、社会主義だけに限らず、資本主義、民主主義においても大きな問題としてウェーバーは語っているが、その解決については、優れたリーダーシップをもつ政治家の出現に期待するようなことを言っていても、何か釈然としない。
    つまりこの本だけ読んでも、ウェーバーの思想を理解することはできないのである。当時の状況のややこしさだけが印象に残るといったかっこうだ。
    ところでこの訳書、やたらと漢字にルビがふってあって、中学生でも読めそうな漢字にまでいちいち読み仮名をつけている。ここまでされるとうざったいだけだが、小学生にでも読ませようと思ったのだろうか? 謎である。

  • 市民層を擁護するナショナリストたるウェーバーが行った、社会主義批判の講演の記録。社会主義の実践がもたらす帰結を、理論的かつ経験的に批判するその内容は、ソ連崩壊後もいまだにくすぶる社会主義・共産主義の夢に対し、社会の合理化という逃れがたい冷徹な現実を突きつけている。

  • 社会主義について、マックス・ウェーバーが唯一まとまって行った講演をまとめたもの。社会主義が官僚制によって実現に至らないこと、そして独裁を招くことを的確に指摘。見通す力が半端ない。

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著者プロフィール

1864-1920年。西洋近代について考察したドイツの法学者・経済学者・社会学者。代表作は、本書に収められた講演(1919年公刊)のほか、『プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神』(1920年)など。

「2018年 『仕事としての学問 仕事としての政治』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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