南方熊楠 地球志向の比較学 (講談社学術文庫)

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  • 講談社
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  • Amazon.co.jp ・本 (318ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784061585287

作品紹介・あらすじ

南方熊楠は、柳田国男とともに、日本の民俗学の草創者である。この二人は、その学問の方法においても、その思想的出自と経歴においても、いたく対照的なのである。日本の学問のこれからの創造可能性を考えるために、この二つの巨峰を、わたしたちはおのれの力倆において、登り比べてみることは役に立つであろう。そうした意味で、微力ながら、これはわたしの南方登攀記の発端である。(著者まえがきより)〈昭和54年度毎日出版文化賞受賞作〉

感想・レビュー・書評

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  • 粘菌学者なんて小さいカテゴリーではくくれない熊楠のスケールの大きさが良く分かる

  • カテゴリ的には人類学、民俗学、哲学、生物学などが渾然一体となっている。

  • 生物学の研究と民族学の研究は、彼の好奇心が動かした。権威や名声は求めない、純粋な好奇心が欧米、アジアの国々へ足を運ばせ、言語の壁をもろともせず、世界に向けて寄稿した。そして、その好奇心が彼と関わる地域住民や各国の著名なリーダーや研究者を惹きつけたのだろう。そして、往年の生物学への研究はエコロジーの考えに基づいたはず。”全ての事象は、他の全ての事象と関わりがある”。科学的因果関係、仏教的輪廻因果、南方曼荼羅もそれを踏まえている。神仏合祀の反対意見書、壮大であり、明確であり、自身の経験や知見を存分に書き連ねた。地域には地域特有の歴史背景や自然環境をもち、そこで生活する人たちの文化や心身に少なからず影響し、けっして地域を語る上で無視できない。という考えは、生物学と民俗学を生涯にかけて研究した彼だからこそだろう。彼の著しを知った私は、彼に尊敬を表すと共に今後の人生において彼の知見を心に留めておきたい。そして、彼の気伝を研究した著者にも感謝を表する。

  • 巨人、南方熊楠を紐解く❗

    柳田国男研究者であった著者だからこその論法がキラリと光った作品だと個人的には感じられた。

    共に日本の民俗学の創始者でありながら、決定的に異なる柳田と熊楠との比較然り、熊楠自身の比較研究法然り…

    そしてやはり面白いのは『南方曼陀羅』だ。

    一途で、誰よりもピュアで、感受性がズバ抜けて豊か。もちろん探求心が強く、研究熱心でいて、義理人情に厚い。先を見越した広い視野で「幸福とは何か」を追求した巨人。

    決して平坦な人生ではなかったが、己を貫いた巨人の側面を的確に指摘した、とても読みやすい作品だった。

    巨人、熊楠に惹かれるものを感じる方は一読の価値ありだと思う。

  • 古書

  • 南方熊楠の功績を知れた。次は著書を読んでみたい。

  • 私の南方の知識は、神坂次郎の小説1冊だけでしたので、こうした学術的考察を読むと、改めてとんでもない人物だったと再認識できます。
    彼の残した原稿やノートが未だ全てが日の目を見ていないというほどの量であることからてっきり思索型の人間かと思いきや、負けず劣らず行動の人(本業の粘菌集めのフィールドワーク、神社合併反対運動で投獄されたり、人種差別した外人を殴るなど)でもあったわけです。

    そして、この本ですが、南方研究にのめりこめば人生の大半を費やさざるを得ないという現実だけは理解できました。

  • 「南方は、植物学者として、森林の濫伐が珍奇な植物を滅亡させることを憂えた。民俗学者として、庶民の信仰を衰えさせることを心配した。また森の寄り合いの場である神社をとりこわすことによって、自村内自治を阻むことを恐れた。森林を消滅させることによって、そこに棲息する鳥類を絶滅させるために、害虫が殖え、農産物に害を与えて農民を苦しめるこもを心配した。海浜の樹木を伐採することにより、木陰がなくなり、魚が海辺によりつかず、漁民が困窮する有様を嘆いた。産土社を奪われた住民の宗教心が衰え、連帯感がうすらぐことを悲しんだ。そして、連帯感がうすらぐことによって、道徳心が衰えることを憂えた」

  • 南方熊楠について、その人柄や略歴、仕事についてまとめたもの。

  • 東大京大教授が薦めるリスト100選抜

    No.22

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著者プロフィール

●鶴見和子(つるみ・かずこ) 1918年生まれ。上智大学名誉教授。専攻・比較社会学。1939年津田英学塾卒業後、41年ヴァッサー大学哲学修士号取得。66年プリンストン大学社会学博士号を取得。論文名Social Change and the Individual:Japan before and after Defeat in World War II(Princeton Univ.Press,1970)。69年より上智大学外国語学部教授、同大学国際関係研究所員(82-84年、同所長)。95年南方熊楠賞受賞。99年度朝日賞受賞。15歳より佐佐木信綱門下で短歌を学び、花柳徳太郎のもとで踊りを習う(20歳で花柳徳和子を名取り)。1995年12月24日、自宅にて脳出血に倒れ、左片麻痺となる。2006年7月歿。

「2015年 『地域からつくる 内発的発展論と東北学』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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