自警録 (講談社学術文庫)

著者 :
  • 講談社
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感想 : 13
  • Amazon.co.jp ・本 (339ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784061585676

作品紹介・あらすじ

日本を代表する教育者であり国際人であった新渡戸稲造が、若い読者に人生の要諦を語りかける。人生の妙味はどこにあるか、広く世を渡る心がけは何か、全力主義は正しいのかなど、処世の指針を与える。

感想・レビュー・書評

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  • 新渡戸稲造『自警録』 190810

    (文明の進歩によって強力が)減退するのではなく、強さの形、力の現れ方が変化するのである。
    いわゆる強さの形が変化するというのは、克の字のついて前の「説文」にいえるがごとく、重荷を荷うて堪えること、すなわち辛苦艱難に堪える、耐忍に力あることをもってその強さが計られる。他人より侮辱をうけ、カッとなりてこれに手向かいするは、一見極めて勇ましく思われ、第三者より見てにぎやかにおもしろく、見物としては誂え向きである。これに反して打たれても蹴られてもジッとこれに堪えるのは、はなはだ陰気で卑屈のごとく、普通の人にはちょっとその強さを見ることが出来ぬ。韓信が市井の間に股をくぐったことは、非凡の人でなければ、張飛が長板橋上に一人で百万の敵を退けたに比し、その勇気あるを喜ぶものはなかろう。進歩したる人にあらねば真の強さは忍耐にあることを会得し得ぬ。 56

    栗のいがも強さを助くるものではあろうが、これが力であると思うのは大間違いである。力は内にある確信と、この確信を実行するためにあらゆる障害に堪える意志である、しかしてかくして得たる力が真に強き力である。 61

    世にはびこるものは憎まれる、はびこらずに謙遜に柔順なるこそ真に世に処する妙法である。かつこれが持久の基と思う。聖書に、「柔和なる者はこの世を嗣ぐべし」とある。この世を承けて引き継ぐ者は柔和なる者なりとは、柔順なる人は永久にこの世の継続者である。 72

    物質的利益に超脱し、名誉、地位、得喪の上に優游するを得ば、世間に行わるる勝敗は児戯に等しきものとなる。真の勝利者は第一己れなる者を全然破り、己れに克ち、古人の言う私心なきことこそ必勝の条件なれ。この点に意を留めたなら世間でかれこれいう勝敗などのために心を動かすことなく、勝っても笑わず、負けても泣かず、勝利のために誇らず、敗北のために歎かず、心つねに平々坦々として、定めし幸福なることであろう。 155

    意識的善行は潜在的善智を結び、潜在的善智は無意識的善夢を結ぶという順序ではあるまいか。しからば夢はまた吾人の平素識らず識らずに思う心の鏡と称してもよかろう。かく考えると、睡眠を利用して修養の用に供することができそうである。 330

  •  真の成功なるものは、己れの本心に背かず、己れの義務と思うことをまっとうするの一点に存するのであって、失敗なるものは、己れの本心に背き、己れの任務を怠るにある。(p.140)

     古人の言に、「燕雀安んぞ鴻鵠の志を知らんや」(『十八史略』)
     とて、小人が英雄の心事を解し得ぬに譬えたが、この句は独り人物の大小の差を示すのみにあらで、小人と小人との間にも、大人と大人との間にも当たる言である。(p.143)

     思慮のない熱心ほど己れを害し人を害するものはない。ややもすると世の中ではほとんど目的もなく騒ぎ散らすをもって、熱心があるとか、気象がさかんだとか、あるいは勇敢だとか、痛快だなと称する。しかし熱心勇敢の気象などというものは、いわば馬みたいなもので、御する人があればこそその方向に進んでいくが、御する者なければその向く処を知らない、狂人と同然である。発狂人の多くは勇気あり熱心あり気象の旺であるのであるが、惜しいかな心を守り、気を抑える力がないのである。古人の曰く、
    「この心を敬守すれば則ち心定まる、その気を斂抑すれば則ち気平かなり」と。(p.194)

     彼の眠られぬ時はともに起き、彼の眠っている際もなお眼ざまし、彼の起きぬ間にとく起きて、彼の準備を助け、彼の眼や耳にさらに触るることなく、彼の身辺を擁護する母の情愛があって、始めて無難な試験を経たものと、迷信かは知らんが僕は信ずる。(p.230)

     大ざっぱの教訓も、すなわち忠義でも、孝行でも、信義でも、いずれも抽象的で、いかなる国民にも、いかなる境遇の者にも応用できるだけに、これは俺のことだと私の意味に取ることは薄くなる。それゆえに先に述べたように、こういう文字は人を責むる道具に用いるほうがむしろ多いかと思う。彼は不忠者である、彼は不孝者であるという言葉はしばしば聞くが、俺は不忠である俺は不孝であると感ずることは少ない。またたまたま己れの非を自覚しても、すぐに俺はまだ某々ほどに堕落せぬとか、あるいは俺の場合は特別であると自ら義せんとしたがる。(p.247)

     教訓も忠告も、その百分の一も功の無きはこれを受ける人の真情に当たらぬのと、これを受ける人に対する同情の薄きによると思う。約言すればとかくわれわれの忠告なるものには誠心誠意が欠けがちで、軽々しくするがゆえに、先方を動かさぬは当然のことである。人に忠告せんと思う者は口に言を発するに先立って深く心に念ずることこそ順序であろう。また人より忠告を受くるものは先方の誠意を疑ってはならぬ。彼の言は長く心中に念じたる結果、やむなく口外に出でたるものと思えば、これ実に天の声である。(p.254)

     偉大なる凡人となることは平凡なる豪傑となるよりも、はるかに上乗であると思う。米国に行きてことに感ずることは、この国には偉大なる凡人の大きことは、ほとんど日本において平凡なる豪傑の多きがごとくである。凡人をして偉大ならしむるのはそれ思想か。思想ほど恐ろしき力はない。人の動くのはみな思想の力によるのである。すなわち世の細事大業も機械に譬うれば思想なる原動力の発現にほかならない。(p.300)

     人が真に教育家なら笑っても教育になる。寝ているのも教育になる。一挙手、一投足、すべて社会教育とならぬものはない。われわれの目的および理想が教育であるなら、全身その理想に充ち満ち、することなすことがことごとく教育でなくてはならぬ。(p.314)

    • よっしいさん
      教育者のくだり、私も共感しました。誰もが教え育てるものになり得る。よい促しです。
      教育者のくだり、私も共感しました。誰もが教え育てるものになり得る。よい促しです。
      2021/03/28
  • 私的には最高峰だと思う。シンプルな言葉であれだけ皮肉れるのもすごい。というか一番感動したのはあの単純な英文をあそこまで情緒的かつ格式的に和訳できる力。この時代の倭人はみんなそうだったのかもしれんけど非常に胸にどどんときた。

  • 疲れた。しかし説教臭さを感じなくて良かった。

  • 我々の最も意を注ぐべき心掛は平常毎日の言行。国際的知識人であった新渡戸稲造が、豊かな知見を基に、日々の心の持ち方を平易に説いた書籍。
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    人の世は、多くの人と乗り合う渡船のようなものだ。おだやかに意気地ばらずに、人に譲ることが、世渡りの秘訣である。

    「譲って世を渡れ」とは言うものの、大切な事柄については一歩もまげるべきではない。譲ることのできないところは、あくまで固守することである。

    真の成功とは、己れの本心に背かず、己れの義務をまっとうすること、その一点にある。そして失敗とは、己れの本心に背き、己れの任務を怠ることである。

    世間の人の考えを標準として、成功と失敗を測るべきではない。自己の心の据えどころこそ、成敗を測る尺度である。これはしまったと思うことでも、自己の心に顧みて悪意がないことを悟れば、失敗は恥ずかしいことではなくなる。

    勝敗を定める標準は、高いところに置くべきである。不正不義の手段によって得た勝利は、己れの本心に背いている。己れに克ち、私心がないことこそ必勝の条件である。

    西洋では、私の交際とビジネスは別として考える。一方、日本の実業家は、事業に感情をはさむ欠点がある。失敗すると、他人を怨んだり、感情に訴えて申し訳をしたりする。

    何事に従事するにも、常に幾分のゆとりが必要だ。10貫目の力があるなら、その八分九分だけを用いて、残部は貯える。そして、これを資本として12貫になった時に10貫出す。常に余裕を貯え、これを種として進むべきである。

  • 大正時代に書かれたとは思えない砕けた表現。それでいて、東西の偉人、賢人を引用した自分自身の考察がまとまっていて、読みやすく、考えさせられます。

    私が好きなのは
    『怖じ気は自己の心を離れる時に起きる』
    というところ。新戸部が自分の講演会での怖じ気心を赤裸々に語るところが好感がもてました。
    外山滋比古の本のような親しみやすさ、坂口安吾のようなロックな言い切り。何度も読んでしまいます。

  • 新書文庫

  • 新渡戸稲造氏の先見性に驚く。一方で、それほどの考え方を持ちながらも、やはり時代の影響を受けずにはいられないのか、という面白さもある。

    釈迦やガンジー、セネカが述べるいつの時代にも通じる真理とはまた違い、より世俗に近く、真理と処世術の丁度間といった感の書。

    格の高いビジネス書というのが正しいかもしれない。
    しかし、それは何かを貶めるものではなく、
    新渡戸氏が哲学者よりも、教育者であるということを示すものなのだと思う。

  • 武士道より面白い!

  • 5000円札の肖像だった新渡戸稲造という人物のことを知りたくて読んでみた。彼が晩年に入ってから、「実業之日本」に出稿した原稿をまとめたもの。当時の平均的な日本人像を念頭に置き、戒め、教訓、訓え、のオンパレードだが押し付けがましくはない。著者のメッセージのオーディエンスである日本人像を想像することで、当時の世相や気質が見えてくる。

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著者プロフィール

1862年南部藩士の子として生まれる。札幌農学校(現在の北海道大学)に学び、その後、アメリカ、ドイツで農政学等を研究。1899年、アメリカで静養中に本書を執筆。帰国後、第一高等学校校長などを歴任。1920年から26年まで国際連盟事務局次長を務め、国際平和に尽力した。辞任後は貴族院議員などを務め、33年逝去。

「2017年 『1分間武士道』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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