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Amazon.co.jp ・本 / ISBN・EAN: 9784061585928
感想・レビュー・書評
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アラブの歴史 下
著:フィリップ・ハリ・ヒッティ
著:岩永博
出版社:講談社
講談社学術文庫 592
ISBN:9784061585928
判型:文庫
ページ数:805ページ
定価:1850円(本体)
1983年01月10日 第1刷発行
2001年10月10日 第12刷発行
アラブとはなにか、アラビア語を話す人とある
そして、政治的には、アラブ連盟に加入する国である
本書の本流は、以下である
①予言者ムハンマドが現れる前のアラブ世界
②ムハンマドと4名の大カリフ、アル=ラーシドゥン(正統者)の時代
③ウマイヤ朝の時代
④アッバース朝の時代 ここまでが上巻
⑤分裂するイスラム帝国 ここからが下巻
⑥キリスト世界との衝突
⑦中世イスラム帝国と欧州との激突
⑧オスマン帝国
⑨現代のアラブ世界+周辺のイスラム世界
アラブ世界の共同体は、血でつながっている。遊牧民は、1つの天幕が家族を構成する。宿営地は複数の天幕からなり、ハイイ(天幕団)と呼ばれる。ハイイの集団が、氏族をなし、氏族の集合が部族となる。
こうして、アラブ社会は、血と血でつながった社会を構成している。
争いがおきると、近親復讐というルールが適用される。身内が殺されたら、その近親者が仇を撃たなければならない。それが血の掟である。部族間での争いは、殺した人数の差を、1人100頭のラクダで精算することで手を打つこともある。
血の掟は、そのまま、系譜となっていく。そのため、家系図はもっとも尊いものとなる。このため、各家には、その正統性を証明するための家系が語られる。アラブでもっとも尊い家系は、ムハンマドの血族であり、曾祖父の血を引き継ぐハーシム家の末裔がヨルダン国王である。アッバース家もハーシム家の分家である。
あと、シーア派につながる、アリー家もハーシムの分家である。
本書も、いたるところで、王朝に正統性と継承をあらわす系図が提示されている。
イスラムの特徴とは、ムハンマド以来、政教一致である。カリフとは、教祖であり、王である。そのために、その二つの領域にともに秀でたものでなければ、内外をまとめることはできない。カリフとしてイスラム世界を統合するとともに、キリスト世界と、軍事外交の最高司令官として対峙しなければならなかった。
また、アラブ世界では、科学が発達した。地球が丸いことも、歳差があることすら、アラビア人は知っていた。
インドから0を輸入して、アラビア数字を作成して、記数法に革命を起こした。ユークリッド幾何学を踏襲し、天文学と航海学へ応用した。コーラン、ハーディスなどの複雑な原典より、法学を発展させた。錬金術や医学をつかって、今日の化学の基礎を築いた。今日、西洋において、科学と言われる体系は、もともとアラビア人を用意したものだった。純文学もしかりだ。
そして、それらを生み出すに十分な繁栄を、ウマイヤ朝、アッバース朝は享受した。
アッバース朝が成立した直後、ウマイヤ朝の後継者が、イベリア半島に逃れて、後ウマイヤ朝を建国した。
正統カリフ時代から、イスラム勢力はヨーロッパ世界へと進出しようとしていたが、中東からは、ビサンチンと神聖ローマ帝国に阻まれ、イベリア半島では、フランク帝国に阻止され、オスマン・トルコは、オーストリアで、西進は阻まれた。
一方、11世紀に始まった十字軍は、結局、13世紀に失敗、パレスチナの拠点を失った。
結局、イスラム教徒とキリスト教徒との闘いは地中海を介して、行われてきた。
イベリア半島は奪還されたが、対岸のアフリカ北岸はまもった。
分裂を繰り返しながらも、イスラム世界は、アジアとヨーロッパ、アフリカの拠点である、エジプト・シナイ半島を中心としたエリアを、近世まで守り切った。
現在も中東は、地政学的な要地であることに、加えて、イスラエル、や、スンニ、シーアの争い、石油という戦略物資の通り道であることから、係争の中心地であり続けている。
目次
<上巻>
訳者序文
著者序文(第10版~第1版)
凡例
第1篇 イスラム前のアラビア
1章 セム人としてのアラビア人――セム人種の揺籠だったアラビア
2章 アラビア半島
3章 ベドウィーンの生活
4章 古代の国際関係
5章 南アラビアのサバエ国とその他の国々
6章 ナバタエ王国と北方・中央アラビアの小王国
7章 イスラム発生前夜のアル-ヒジャーズ
第2篇 イスラムの勃興とカリフの国家
8章 ムハンマド、アッラーの予言者
9章 アッラーの書「コーラン」
10章 イスラム、アッラーの意志に服従する宗教
11章 征服、膨張、移住の時代――632-61年
12章 シリア征服
13章 アル-イラークとペルシアの征服
14章 エジプト、トリポリ、バルカの獲得
15章 新領土の経営
16章 アリとムアーウィヤのカリフ権争奪戦
第3篇 ウマイヤ朝・アッバース朝帝国
17章 ウマイヤ朝カリフ政権、ムアーウィヤの王朝建設
18章 ビザンツ人との敵対関係
19章 ウマイヤ朝勢力の絶頂期
20章 ウマイヤ朝治下の政治行政と社会状態
21章 ウマイヤ朝治下の知的諸相
22章 ウマイヤ朝の衰退と崩壊
23章 アッバース朝の樹立
24章 アッバース朝の黄金時代
25章 アッバース朝政府
26章 アッバース朝社会
<下巻>
第3篇 ウマイヤ朝・アッバース朝帝国(つづき)
27章 科学と学問の進歩
28章 教育
29章 美術の発達
30章 イスラムの宗派
31章 解体されたカリフ領――西方の小王国
32章 東方の諸王朝
33章 アッバース朝カリフ国の壊滅
第4篇 ヨーロッパのアラブ人――スペインとシシリー
34章 スペイン征服
35章 スペインのウマイヤ家アミール領
36章 内乱
37章 コルドヴァのウマイヤ朝カリフ権
38章 政治・経済・教育制度
39章 諸小国、グラナダ没落
40章 知的貢献
41章 美術および建築
42章 シシリー島で
第5篇 最後のイスラム国家
43章 エジプトのシーア派カリフ朝――ファーティマ朝
44章 ファーティマ朝エジプトの生活
45章 東西の軍事的接触――十字軍
46章 文化的接触
47章 マムルーク朝――アラブ世界の最後の中世王朝
48章 知的・芸術的活動
49章 マムルーク支配の終わり
第6篇 オスマンの支配と独立
50章 トルコの属州としてのアラブ地域
51章 エジプトとアラブ三日月地帯
52章 新しい幕開け――西洋の影響
年表
解説
570-632 ムハンマド (609-632 宗教指導)
622 ヒジュラ元年 マッカからマディーナへ移住した年を基準とする
632-661 正統カリフ時代
632-634 アブー・バクル
634-644 ウマル
644-656 ウスマーン
656-661 アリー
661-750 ウマイヤ朝
750-1258 アッバース朝
756-1031 後ウマイヤ朝(イベリア半島)
788-985 イドリース朝 マグレブ(モロッコ)
800-909 アグラブ朝チュニジア
868-905 トゥールーン朝(シリア、エジプト)
890-1004 ハムダーン朝(イラク)
935-969 イフシード朝(エジプト)
821-873 ターヒル朝(イラン、アフガニスタン、タジキスタン、ウズベキスタン、トルクメニスタン)
861-1003 サッファール朝(イラン、アフガニスタン)
873-999 サーマーン朝(イラン系)
909-1171 ファティーマ朝(北アフリカ・エジプト)シーア派
932-1062 ブワイフ朝(イラン)
955-1187 ガズナ朝 アフガニスタン
1038-1194 セルジューク朝イラン、イラク、トルクメニスタン)
1104-1154 ブーリ朝ダマスカス
タイファ諸王朝
アフタス朝(バダホス王国) 1022年 - 1094年
ズンヌーン朝 (トレド王国) 1018年 - 1085年
アーミル朝 (バレンシア王国) 1021年 - 1066年
アッバード朝(セビリア王国) 1023年? - 1091年
トゥジービー朝 (サラゴサ王国) 1018年 - 1039年(→フード朝の支配下に)
フード朝 (サラゴサ王国) 1039年 - 1110年
ズィーリー朝 بنو زيري(グラナダ王国) 1012年 - 1090年
ジュフール朝 (コルドバ王国) 1031年 - 1069年
1127-1222 ザンギー朝(イラク、シリア)
1130-1269 ムワッヒド朝(北アフリカ、イベリア半島9
1250-1517 マムルーク朝
1382-1517 ブルジ朝(エジプト)
1370-1507 ティムール朝(中央アジア・イラン・イラク)
1501-1736 サファヴィー朝(イラン)
1299-1922 オスマントルコ
スンニとシーアは第4代カリフ アリーの暗殺からその袂を分かつ
スンニ ウマイヤ家から
シーア 指導者をイマームという
十二イマーム派詳細をみるコメント0件をすべて表示 -
2017.03―読了
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