- Amazon.co.jp ・本 (408ページ)
- / ISBN・EAN: 9784061587304
作品紹介・あらすじ
1973年、シューマッハーが本書で警告した石油危機はたちまち現実のものとなり、本書は一躍世界のベストセラーに、そして彼は"現代の予言者"となった。現代文明の根底にある物質至上主義と科学技術の巨大信仰を痛撃しながら、体制を越えた産業社会の病根を抉ったその内容から、いまや「スモール・イズ・ビューティフル」は真に新しい人間社会への道を探る人びとの合い言葉になっている。現代の知的革新の名著、待望の新訳成る!
感想・レビュー・書評
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天然資源を浪費する経済成長には、限りがある。富を追い求める「唯物主義」に支配され、資源を食いつぶし続ける現代社会に警鐘を鳴らした35年以上前の書籍。
科学技術の発達に夢中になった現代人は、資源を使い捨て、自然を壊す生産体制を作りあげた。そして生産を増やし、富を手に入れることを最高の目標に掲げた。こうした唯物主義の思想が、今日、様々な問題を生みだしている。
現代人は、人間を自然の一部とは見なさず、化石燃料などの「自然という資本」を驚くべき勢いで使い捨てている。だが、この資本を使いつくせば、文明の存続が危うくなり、人間の生命そのものも危機に瀕する。
今日、「繁栄を行きわたらせること」が平和を実現するという意見が大勢を占めている。この意見は、自己抑制や自己犠牲といった倫理上の問題をいっさい考慮していない。
繁栄を行きわたらせることで、平和の礎を築くことはできない。繁栄を達成するためには、貪欲や嫉妬心といった衝動をかきたてざるを得ないからだ。それらが社会に蔓延すると、人々は挫折感、疎外感、不安感などに襲われるようになる。
今日では「規模の経済」が重視され、産業や企業は巨大化する傾向がある。だが一方で、小企業の数も増えている。規模に関しては、目的によって、小規模なもの、大規模なものなど様々な組織、構造が必要になる。
物事を建設的に成し遂げるためには、常にある種のバランスを取り戻すことが必要である。今日、ほとんどの人々は巨大信仰という病にかかっているため、必要に応じて、小さいことのすばらしさを強調しなければならない。 -
1973年に出版されベストセラーとなった有名な本だが、初めて読んだ。
やがては枯渇するエネルギーの問題や、経済的発展を主要な目的として繰り広げられる社会の活動は、人間の幸福と一致しないといった論旨に対し、最初私はこういったステレオタイプな理論には批判的なスタンスで読んでいったが、読んでいく内に共感を抱くようになっていった。
確かに、経済の発展は決して人間たちの幸福に結びついているわけではなく、ごく一部の経済的「成功者」以外はむしろ不幸になっていくのではないかという点については、私もつねづね感じていた。
自由主義・資本主義経済における利益の追求は、突き詰めていくと、経済現象に結びつかない個人のあらゆる心的現象を捨象してしまうし、老人・子ども・障害者・病人といった弱者は切り捨てざるを得なくなってしまう。
だから、ふつう自由主義・資本主義をかかげるどの国においても、ある程度は社会主義的な思考を取り入れ、政府や行政は弱者を支援する手立てを講じている。問題はそうした社会主義と資本主義とのあいだのバランスだ。
現在の安倍自民政権は完全に資本主義オンリーの、強者に利する政策しか進めようとしていない(選挙対策でいいことだけは言ったりもするが、かなりの頻度で嘘をつく)。
つまり現在の日本政府はバランスを完全に失っており、国民の格差ははげしく増大していくことだろう。
ピケティを持ち出すまでもなく、本書を読んでみても、すべての自由主義・資本主義国は、経済発展とテクノロジーの高度化があいまって、地方はすたれ、大都市ばかりが過密化していくという問題を抱えている。発展途上国も、先進国が援助しはじめたとたん、こうした都市と地方の格差が深まっていくという。
シューマッハーは、だから途上国を援助する場合は都市の大企業ではなく、地方の貧しい人々をこそ支援しなければならない、と説く。
対案として示されるシューマッハーの経済策が、どの程度ただしいのか私には判断できないが、文明の(死に至る)病を指摘し、考え方の根底からの転換をさそう本書は、アベノミクスとやらのまやかしにいつまでも踊らされている、いまの日本人にも、是非読ませたいと思った。 -
1970年代の本とは思えない。現代に通じる凄い本だが、50年間何も変わっていないと思うと暗い気持ちにもなる。
なぜ政治は経済のことしか語らないのか。金銭的に豊かであることしか幸福たりえないと考えているのはなぜだろう。こんなにお金以外の幸せを語る物語が多いのに。
技術を使って効率化するのではなく、時間をかけて楽しんで創造的に物を作る。そういう技術の使い方、製造業のカタチがあってよい。中間技術か。
経済の問題は形而上学的な問題、つまり人生の意味と目的についての基本的な考え方の上に立っている という指摘に唸らされる。貪欲と嫉妬心、そして退屈、こうしたものをどう解消するかが問われている。
私的所有の対立概念が国有ではない、ということも書かれていた。コモンズ、社会共通資本。私有の必要性も問わないといけない。
仏教経済学についてもっと知りたい。
高い目標を掲げもしないで社会を良くすることができると考えるのは、自己矛盾であり、およそ非現実的である。良い言葉。 -
『「人新世」の資本論』を思い出す記述が随所にあった。つまり1970年には現代の経済を予感し憂いていたということだが、シューマッハの忠告を社会は無視して今に至るということだろう。だが昨今「脱資本主義」の言説が増えてきているので、悲観しすぎず自分に何ができるかから考えていきたい。
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副題:人間中心の経済学
経済学とはなにか、経済学者とはどういう立場でなければいけないか。
テレビや雑誌にコメンテーターとしてよくでてくる経済学者。彼らは本当の意味での経済というものを理解しているのか。そんな疑問も吹き飛ばしてくれそうな一冊。
70年代の高度成長期。この当時から、原発の最終的な問題、物資にあふれた世界での人間の行く末などを的確に評した内容であり、公害問題に悩んでいるあの時代の日本でもベストセラーになったらしいが、理解できる。
日本の戦後、高度成長と共にもたらしたものは、日本人の物質の豊かさ=幸せという意識と共に、その豊かさの代償としてもたらしたものの一つに公害問題がある。その公害問題、そして日本人が再認識せざるを得ない状況になった原発問題に言及している内容で、今読んでも、ハッとする反面、教訓としてきちんと心に刻まねばならない内容となっている。
さらっと読むのではなく、じっくり腰をすえ、自分の今の認識と照らし合わせながら読むと良いのではないのかと思う。 -
著者シューマッハ、ドイツ生まれイギリスに帰化。本書は1973年出版。
思想の根底に宗教・哲学をおく経済理論家、実践家。
エネルギーと経済の問題に関わり続ける一方、有機農業、神秘主義にも関わる。ビルマ経済顧問として仏教にも触れる。
三十年以上も前の著作だが、現代に当てはまり、示唆に富む。
キーワード:意識改革・教育・土地の保全利用・大量生産ではなく大衆による生産体制-中間技術など。
●富を求める生活態度は自己抑制の原理を欠いているので、有限な環境とはうまく折り合えない。
●経済の観点からすると英知の中心概念は永続性。精神や道徳上の真理の問題が出てくる。
●新たな技術革新の要点:安くて誰でも手に入れられる。小さな規模で応用できる。人間の想像力を発揮させる。
●様々な行為の善悪規準「経済的か不経済か」。そこには人間が自然界に依存している事実の無視がある。
●現代経済学と仏教経済学で、前提となっている価値の違い。
現代経済学:適正規模の生産努力で消費を極大化。
仏教経済学:適正規模の消費で人間としての満足を極大化。
人間としての満足とは「仕事を通じた人間性の純化。人格の向上」など。
●自然界には均衡、調節、浄化の力が働く。技術はみずから制御する原理を認めない。
●どんな制度も機構も学説も必ず形而上学的な土台(人生の意味と目的についての考え方)の上に立っている。 -
ラミスさんの本で紹介されていたのでずっと読みたいなと思っていた本。
これ読んで思ったんは…ラミスさんこの人にかなり影響受けてるなってこと。シューマッハーは経済学者でラミスさんは政治学者なので、より政治にフォーカスしたとこと、日本で教えていたことから日本について語ったことが違うかな。
基本的な問題意識はラミスさんと一緒。
現代社会の消費主義が環境を破壊していてこの先長くないだろうこと、もうひとつは現代人は唯物的快楽主義に走っていて、ものを消費することで幸せになっていると感じているけれども実はそれが貪欲と嫉妬心を生み出して人間が互いに争い合うことになっているということ。
この意識をベースに各章で色々な問題を取り扱っている。
例えば今は仕事は「生きる為」の手段であるが、本来は楽しむためのものでもあるということ。今は仕事を楽しむことができないから高い給料や余暇を得ようと必死になっているということ。
近代学問が科学に傾倒しすぎているという点についても述べていて、確かに論理的科学的に様々なことを解明することも重要だけど、それだけではなくて形而上学、哲学もきちんと学ばなければいけない。例えば、物理を習うならば何故物理を学ぶのかということも考えることが必要ということ。こういう視点は文系科目でさえももはやあまり持っていない。
それと、第三世界の問題。開発の際には農村部・最底辺の人々の発展を心がけなければ結局都市部の発展もないということ。(これは前に先進国の問題としても同じことが書かれていて、農村部、農業の発展に力を入れないと人は都市部に流れ込んできて安定がおかされる)
最後の第四部では組織と所有権ということが書かれていて、会社内部の運営方法とかが書かれていた。組織でもなんでも効率化をはかって大きくすればいいというもんではない。これはとても納得する。
ということで、とても面白い一冊でした。
私がシューマッハー、シューマッハーから影響を受けたラミスさん、そしてラミスさんから影響を受けた私。
共通するのは、3人ともガンジーを通ってきているということ。
原点はガンジーなのか。
後、この本が世界でベストセラーになったという話はかなりショックだった。
ベストセラーになったのだ。
たくさんの人がこの本を読んだのだ。
それでも世界は変わらないのか。
伝えるだけではやっぱりだめなのか。
情報が錯綜する現代では、トマス・ペインの「コモン・センス」が世の中を変えたようにはいかないのか。
それとも、私が知らないところで何か変わりはじめているのか?
「…このグループの人たちは、人類が誤った技術進歩の道に踏み込んでしまったので、方向転換が必要だと確信している。いうまでもなく、「ふるさと派」という呼び名には宗教的な含みがある。というのは、時代の流行に「断固として反対し」、必ずや全世界を制すると見えた物質文明の前提そのものを疑うには、大きな勇気が要るわけで、その勇気は深い信念からしか生まれてこないからである。将来への不安だけで反対しているのであれば、それはいざというときには消えてしまうだろう。」
私にとって深い信念。何やろうそれは。
「常識」に疑問を呈すことは本当に難しい。くじけそうになる。だから信念を強くすると同時に、同じ想いを持っている人たちと合流したい。 -
適正技術とは?
1980年代に描かれた開発論。
仏教経済についても言及。
かなりの良書
小島慶三の作品






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