菜根譚 (講談社学術文庫)

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  • Amazon.co.jp ・本 (442ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784061587427

作品紹介・あらすじ

『菜根譚』は今から三百数十年前、中国明代の洪自誠が人間いかに生くべきかを、様々な角度から論じた人生指南の書である。本書は、「儒・仏・道」の三教を根幹とする『菜根譚』の真髄を体得して日常生活の指針とするため、儒・道教の専門家と仏教、特に禅学を専攻する学者の2人が、長年に亙り原典を全面的に見直し、これを究明し、その成果を新たに書き下ろしたものである。現世を生きぬく知恵と処世の極意が満載された必読の書。

感想・レビュー・書評

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  • 中国の明代(1600年代ごろ)に書かれた処世術の古典的名著。

    著者は洪自誠という科挙試験に合格し、官僚になったもののそののち在野の儒学者となる人物によって書かれた。

    その時代は彼の所属していた学派が当時の皇帝から迫害に会い、仲間も殺されてしまうなど彼にとっては生きるに非常に厳しい時代だった。そんな人の書く世渡りの術なので綺麗事でなく必死の現実味を帯びてくる。

    明時代は仏教・儒教・道教が共存していた時代であり、本書は東アジアで親しまれている以上3つの思想哲学をバランスよく取り入れている。

    ちなみに
    儒教・・リーダーや為政者のための哲学・処世術
    道教・・民衆の生き方指針
    仏教・・苦しみからの解放

    と各々に特色があるため、3つを組み合わせることでいつの時代でも応用が利くものになっている。

    また、本書は日本語訳がとても平易でわかりやすい。
    パッと見分厚いが、大半が原文のため、日本語訳だけ追いかければそんなに労せず読める。
    また、普段使う日本語の一部が菜根譚が元になっているのも見つけられて面白い。

    以下、いいなと思った考え。

    ・長生の道は一歩譲るところから

    ・義侠心・純心をもって生きる

    ・欲望には溺れず、道理にはしり込みするな
    ・ほんの僅かばかりの違いが、千里のように違うように見える

    ・他人にしたことは忘れて、された恩義は覚えておかねばならない。怨みも忘れ去らねばいけない。

    ・人間の身上には満足もあれば不満足もある。どうして自分だけいつも満足な状態にあれようか

    ・本当に清廉潔白な人には、清いという評判は立たないものである

    ・善い事をしてもそれを他人が知ってくれるようにと焦る人は、善を成してもそれが悪の根源になる

    ・ただ喜び楽しむ心を育てるのみが幸福を招く根本になる。災禍は殺気立った心の働きを取り去ることでしか遠ざけられない

    ・楽しんだり苦しんだり、磨き合った結果が最高に達して幸福は成就する。そういう幸福しか継続しない。

    ・それが過ぎてしまえば、それに従って心は無になる

    ・苦しい環境の中にあっても、心が楽しむことが出来れば、それでやっと本来の心の真実を知ることができる

    ・せっかく生まれたのだから、生まれてきたという楽しみをぜひ知らなければならないし、せっかくの人生を無意義に過ごしてしまうという心配も持たねばならない

    ・表面に現れる悪事の禍は小さく、隠れた悪事は禍が大きい。表面に現れる善事は大したことなく、隠れた善事は良い結果も大きい

    ・人徳を高くするには心を広くせよ。そのためには考え方を向上させよ。

    ・反省は己を養い、叱責は己を傷つける

    ・毀誉褒貶はその人の立場・見た目にすぎず、その人自身は関係ない

    ・客観的判断と主体的行動

    ・富貴の時には貧乏人の苦痛を知り、壮健な若者は年老いた人のつらさを忘れないようにすべき

    ・思い通りにならないからといって心痛めてもいけないし、思い通りになったからといって喜んでもいけない

    ・思い通りにいく事を楽しみとすれば、かえって楽しみの心にひきづられ苦しみに追い込まれる。反して思い通りにいかない事でも楽しみにできれば、苦難も楽しみにできる

    ・色細やかで若々しく美しいのは、あっさりとしていつまでも続くものに及ばない。早く成長するものはじっくり成就するものに及ばない

    ・今すぐ休止しようと思えば、いつでも休止できる。だが適時を求めれば適時はいつまでもこない

    ・色欲は病気になった時を思えばすぐに冷め、名誉や利益も死を思えば儚さに気づく

    ・老人になった気持ちで若い人を見ると功名心を消せる。

    ・去るも留まるも自由自在

    ・それはいずれも大したことではない

    ・自分が主体となり、外物を自由に使いこなし、外物に自分が使われないようにする

    ・仏法の「縁起」と儒教の「素位(分相応に力を尽くす事)」は人生を生きる上で大切なものである。
    完全であることを求めれば、あらゆる欲望の糸口が起きる。

  • 格言に近いものは覚えたくなるものですが、そう気負わず。その時その時に読んで感じたことを、線を引いておくなり書き込みをするなりして、また気が向いた時にページを繰る。本書はそういう類の一生楽しめる本です。

  • ”洪自誠の記した清言集。対比した2つの心構えを示し「偏らず中庸で行け」と主張するものが多いように感じた。ほぼ全編について、さもありなんと思う。

    そんななかでも、今までの自分にない考え方や「ほほー、そうきたか」と感じたものに限定して、以下に抜書きをした。

    あと、巻末の「初句索引」は便利に使えそう。

    (参考:各言の題は、訳者 中村氏・石川氏がつけたもので原文にはないそうだ。別のことわざ等でまるっと言い換えているものがあり、ちょっと違和感を感じたので以下の抜書きには題を含めず、原文の初句を記述した)


    <読書メモ>
    ・洪自誠(応明)の生きた明末は、王朝も衰退し、社会不安も起こったが、役人になるためには儒教を学ぶことが必要であり、彼自身も「吾が儒」と言って儒教の徒としながらも、彼のよりどころであった東林学派もセイジ弾圧を受け隠遁を余儀なくされ、心は老荘(道教)や仏教(禅)の思想に向かっていった。そこで、彼の言葉には儒仏道三教が混然としており、その思想を正しく理解するためには、この儒教・仏教・道教の十分な知識が必要となってくる。(p.4)

    ◆菜根譚前集
    ・権勢や利益、粉飾や華美というものは、これに近づかない者を潔白な人とし、これに近づいても、その弊風に染まらない者を、最も潔白な人とする。
     また、世俗の権謀術策というものは、これを知らないものを高尚な人ととし、これを知っていても、自分では用いない者を、最も高尚な人とする。(p.33 4 勢利粉華は…)
     #「最も高尚な人」でありたい。

    ★人から寵愛や利益を受ける時には、他人を押しのけてまで取ろうとしてはいけないが、世のため人のためになる道徳や事業を行う時には、人に率先して行い、人のあとからするようなことはしてはいけない。
     人から物を受け取る時には、一定の限度を越えてはならないが、自分が修行する時には、与えられたことを行うだけではなく、それ以上につとめなくてはいけない。(p.46 16 寵利は人の前に居ること毋れ…)
     #1文目の後段、意識すべし。

    ・心がさっぱりして無欲であることは、それは高尚な心であるが、しかし限度を越えて枯淡になりすぎると、世の人を救ったり役に立ったりすることができなくなる。(p.61 29 澹泊は是れ高風なるも…)

    ・福(さいわい)は事少きより福なるはなく、禍(わざわい)は心多きより禍なるはなし。唯、事に苦しむ者のみ、方(はじ)めて事少なきの福為るを知り、唯、心を平らかにする者のみ、始めて心多きの禍為るを知る。(p.85 50)

    ★ほんとうに清廉潔白な人には、清いというような評判は立たないものである。清いという評判が立つのは、実はまだ欲望の心が残っている証拠である。
     ほんとうに巧妙な術を体得した人は、巧妙な術を見せるようなことはないものである。巧妙な術を見せるというのは、実はそれがまだ未熟な証拠である。(p.99-100 63 真廉は廉名無し…)
     #これはそうなんだろうなと思う。いい人とか言われるのは全然いい人ではないのだ。

    ・幸福はことさらに求めようとしても求め得られるものではない。ただ楽しみ喜ぶ心を養い育てることが、幸福を招き寄せる根本の条件になるだけである。
     災難は人の思うように避けようとしても避けられるものではない。殺気立った心のはたらきを取り去ることが、災禍を遠ざける唯一の方法となるだけである。(p.108 71 福は徼(もと)むべからず…)

    ★清廉潔白であるが、一方では包容力もあり、いつくしみ深いが、一方では決断力にもすぐれている。また、賢明ではあるが、人の考えを批判したりせず、正直ではあるが、他人の行為をとやかく言い過ぎない。
     このような人物を、蜜菓子であって甘すぎず、海産物でも塩からすぎない人というのである。それでこそ美徳をそなえた人と言えるのである。(p.121-122 84 清なるも能く容るる有り…)
     #かくありたいもの。

    ・自分の信念を曲げて人を喜ばせるのは、自分の行いを正しくして人に嫌われるのには及ばない。
     よいことをしてもいないのに人にほめられるのは、悪いこともしないのに人にそしられるのには及ばない。大事なことは、自分自身の行いを正して、悪いことをしないことである。(p.152 113 意を曲げて人をして喜ばしむるは…)

    ・他人が自分をだましていることを知ったとしても、言葉に出さず、また、他人が自分をばかにしているような場合でも、顔色を変えたりしない。このような態度の中に、言い尽くせない意味があり、また、計り知れないはたらきがある。(p.167;)
     (p.167 127 人の詐りを覚るも、言に形(あら)わさず…)

    ・また、めぐみをひそかに人に与える時には、当然こまかなことに注意を払うべきであり、恩沢を人に施す時には、できるだけ恩返しができないような人に施しなさい。(p.198 155 事を謝するは、当に正盛の時に…)

    ★他人を信用する人は、他人は必ずしもすべてに誠があるとは限らないが、少なくとも自分だけは誠があることになる。これに対し、他人を疑う人は、他人は必ずしもすべてに偽りがあるとは限らないが、少なくとも自分はまず欺いていることになる。(p.202-203 160 人を信ずる者は、人未だ必ずしも尽くは誠ならざるも…)

    ・(略)君子の心がけは、悪いことには近寄らず、またよい評判もことさら立たないようにして、ただ円満で温和な気持ちを守っているだけである。それではじめて、最高の道に身をおくということができる。(p.220 176 節義を標する者は、…)

    ・俗世間の人間は、心に満足することをもって楽しみとしているが、かえって楽しみの心に引きずられて苦しい場所においこまれる。
     道に達したりっぱな人は、世人が満足するものと反対なことを楽しみとしているから、結局は苦しみの心を楽しみの心に交換してしまうことができる。(p.245 202 世人は、心に肯う処を…。達士は、心に払る処を以て楽しみと為し…)
     #後半の一文がよいなぁ。

    ★ほんとうに書物を読もうとする人は、喜びのあまり手で舞い足で踏んだりして小踊りするまで読み極める必要があり、そうしてはじめて、魚や兎を捉える道具のような、おちいりやすい弊害におちいらないで、ほんとうの意味がつかめる。
     (p.258 215 善く書を読む者は、手舞い足踏むの処に読み到るを要して…)
     #ふむ。この本もそうだな。まだ読みが足りん。小踊りするまで…。


    ◆菜根譚後集
    ・世の人は、文字を用いて書いてある書物を読むことは知っているが、文字を用いていない書物を読むことは知らない。また、弦が張ってある琴を弾くことは知っているが、弦が張っていない琴を弾くことは知らない。
     文字や弦という具体的なものがあればそれを信ずるが、心というような抽象的なものは信じられないなら、どうして琴や書がほんとうに語ろうとする心が理解できよう。(p.276 8 人は有事の書を読むを解するも、無字の書を…)
     #これ、かなり深いことを言っている。

    ・迷いの世界を抜け出す方法は、とりもなおさずこの俗世間を渡る生活そのもの中にあるのであって、必ずしも世の人びとと縁を絶って山中に隠棲する必要はない。また、悟りを開くための工夫は、とりもなおさず自己の本来の心を見極めることの中にあるのであって、必ずしも人間的欲望を絶って心を暖かみのない死灰のようにする必要はない。(p.313 40 出世の道は、即ち世を渉るの中に在りて、必ずしも人を絶ちて…)
     #出世は、世間を出る=悟る の意味。

    ・古えの名僧は、「竹の影が階段に映り、そこを掃き払うようにしても、階段の塵は少しも動かず、月の光が池の水をつき破っているように映っているが、水に月の痕跡を残すことはない」と言っている。また、わが儒者は、「水の流れは激しいが、その激しい水の流れにまかせきっていれば、その境地はいつも静かであり、また、花がしきりに落ちて万物は変化してやまないけれども、その自然の様子を見ている心は、おのずとゆったりしている」と言っている。
     人はいつも、このような気持ちをもって物事に当たったり人に接したりしていれば、なんと身も心も自由自在であることか。(p.336 62 古徳云う、「竹影、…)

    ★近ごろの人達は、無念になることを一生懸命求めている。だけれども、念というものは結局なくしてしまうことはできない。また、過去の思いを留めておかずに流し去り、未来の思いをこちらからあえて迎え求めようとせず、ただ現在、因縁にしたがって起こっていることを、そのまま留めておかずに送り出してしまうことができたなら、おのずからだんだんに、無の境地にはいることだろう。(p.359 81 今の人は、専ら念(おも)い無きを求む。…)
     #んー、それが難しいのだろうけれど、目的と手段を間違えるな、ということか。

    ・そよぐ風や咲く花がさっぱりとしてきれいな様子や、積もる雪や明るく照らす月がすがすがしいさまは、ただ静かな心の持ち主だけが、その風情を楽しむ主人公となることができる。
     また、水の流れや草木のすがたに見える変化のおもむきや、竹や石のたたずまいに見える四季の移り変わりの妙は、ただゆとりのある心の持ち主だけが、その風情を楽しむ権利を得ることができる。(p.381 100 風化の瀟洒(しょうしゃ)、雪月の空清は…)
     #後集には、こういう「無の境地」的な言葉がならぶなぁ。

    ★つるべの縄によって久しいあいだ、井げたがこすられていると、のこぎりのように木も切られるし、水のしたたりによって、石も穴をあけられる。このように道を学ぶ人は、その道を求め続けるようにしなければならない。
     また、水が流れてくれば自然にみぞができ、うりも熟すると自然にへたまでも落ちてしまう。このように道を得ようとする人は、ひたすら天の自然なはたらきに任せておればよい。(p.391 109 縄鋸(じょうきょ)に木も断たれ、水滴に石も…)

    ・世間の人々は、名誉や利益を求める心に束縛されて、ともするとこの世をけがれた世の中であるとか苦労の多い世界であるとか言いがちである。そのような人達は、雲は白く山は青く映え、川には清らかな水が流れ、岩はそそり立ち、野に花は咲き迎え、鳥は歌いかけ、谷にはこだまが聞こえ、きこりはのどかに歌うという、すばらしい自然の姿があるのを知らない。
     この世自体は別にけがれてはいなく、また苦労の多い世界でもないのに、世間の人々は自分からその心をけがれや苦しみの世界としているのである。(p.403 121 世人は、栄利に纏縛せられて…)
     #2段落目、そのとおり。心のありようしだい。自分を苦しめているのは自分なのだ。

    ★人間が生きていく時に、余分なことを少しでも減らそうとすれば、その分だけ世俗の悩みから抜け出ることができる。もし、友人とのつき合いを少しでも減らせば、その分だけきまずいいざこざから逃れることができるし、発言を少しでも減らせば、その分だけ過失も少なくなり、思案するのを少しでも減らせば、その分だけ精神はすりへらされることもないし、かしこさを少しでも減らせば、その分だけ人間の本来の心を全うすることができる。
     人間が、日ごとに余分なものを減らすようにつとめないで、逆に日ごとに増やすようにつとめているのは、まったく、自分で自分の一生を、手かせ足かせで束縛しているようなものだなあ。(p.414 131 人生は、一分を減省せば、便ち一分を超脱す。…)
     #むむむ…。減らしているか。物(特に本)を中心に増やしてばかりだぞ。減らさなきゃなぁ…。


    <きっかけ>
     人間塾 2012年11月課題本として。”

  • ざっくり言ってしまえば人生訓をまとめた本、といったところ。『菜根譚』そのものは明の時代に生きた洪自誠という学者が儒教、道教、仏教の要素を取り入れながら著したものらしく、この本は儒教、道教、仏教の考え方をきちんと理解できている二人の訳者が翻訳したものです。なので、恐らく内容の理解に齟齬はないのであろうと思います。

    さらっと読んでしまうとあっというまに読了してしまうので、この手のものはじっくりゆっくり読み込むか、あるいは人生の時々においてたまに読み直す、というのが付き合い方としては正解。ちなみに300近くの人生訓が載ってますが、今の自分に響いたのは3つぐらい(笑)

    構成はひとつの人生訓ごとに「漢文の書き下し文⇒原文⇒注釈⇒現代語訳」となっているので、古文漢文が好きな人なら素直に最初から最後まで、その辺が苦手という人なら最後の現代語訳だけ読んでもOKという親切な作りになってます。

  • 本書の「目録」はいわば目次になると思いますが、これを見ると、「前集」と「後集」に分かれていて、前(ぜん)の方は今で言う自己啓発の概念や実践的な内容で、後は主に実践的な内容が書かれていると思います。
    そう思ったのは、目録を読んだからですが(ということはこのレビューは実は精読せずに書いています(^^;))これはまるで名言集のようで、あるものはここを読んだだけでおおよその事が想像できます。
    解説を読むと、本場中国ではあまり知られていないようなのですが、ところどころに聞いたことのある文言がみられ、日本人の思想に大きな影響を与えた書物のひとつなのが分かります。
    本書のキーワードは「調和」だと思います。人は生きるのにバランスが大事だと、ところどころに書かれています。それをさらに、自然や宇宙から学べと説かれています。

  • ネットでは、松下幸之助や田中角栄や野村克也が読んでいたような話が出てきます。が、若い頃から読んでいたからビッグになれたなんてことでは多分なくて、行くところまで行った人のデトックス的な効果があったんじゃないかというような気がします。
    私のような人生半分過ぎてしまった並の人間は、学んで人生に活かすとか大層なことは考えずに、ときどき心に感じる、気に入った句を見つけるのがよさそう。

  • 自己啓発用に読んでみました。
    穏やかな生活を送るための処世術がいろいろもの難しく書かれている。

    参考になる箇所も随所に見られるけど、ビジネスマン向けではないことは確か。

  • 2022年9月号

  • 格言集なのでストーリーなし。枯れたおっさんの価値観という印象だが、中には響くものもあり。

  • 人生訓がまとめられている。ストーリーがあるわけではないので、ダイナミックな起承転結があるわけではなく、あまり心には響かなかった。心の状態により、感じ方が変わる本だとも思ったので、人生の転期で読むと吉、という感じである。

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著者プロフィール

1926年~2015 年。 元、 駒澤大学名誉教授。 東京文理科大学漢文学専攻卒。 京都大学・大阪大学講師、 中国、 復旦大学客員教授など歴任。 文学博士。
〔著書〕 『重修緯書集成』 『五行大義』 『食経』 『食物本草』 『周易本義』 『風俗通義』 (明徳出版社)、 『菜根譚』 (講談社、 講談社学術文庫)、 『菜根譚』 (東方書店) 等

「1988年 『重修 緯書集成 4上 春秋 上』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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