ふるさとの生活 (講談社学術文庫)

  • 講談社 (1986年11月5日発売)
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Amazon.co.jp ・本 (238ページ) / ISBN・EAN: 9784061587618

作品紹介・あらすじ

著者は若き日の小学教師の経験を通し、ふるさとに関する知識や理解を深めることが子どもの人間形成にとっていかに大切であるかを生涯にわたって主張した。本書は日本人の生活の歴史を子どもたちに伝えるため、戦中戦後の約10年間、日本各地を歩きながら村の成り立ちや暮らし、古い習俗や子どもを中心とした年中行事等を丹念に掘りおこして、これを詳細にまとめた貴重な記録である。民俗調査のありかたを教示して話題を呼んだ好著。

みんなの感想まとめ

ふるさとの生活は、失われつつある日本の田舎の生活や古い習俗を、平易な言葉で深く掘り下げた貴重な記録です。著者は、戦中戦後の日本各地を歩きながら、村の成り立ちや年中行事を詳細にまとめ、子どもたちに伝える...

感想・レビュー・書評

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  • この本が書かれた昭和二十五年くらいには、すでに失われつつあった日本の田舎の生活について、子供たちにもわかりやすいように平易な言葉で書かれている。
    「田舎では助け合わないと生活が立ち行かなかった。貨幣経済が浸透してきて、人を雇えるようになって以来、助け合い自体が減ってきた」と繰り返し書かれている。
    今日本で、日頃の近所づきあいが減ってきたこと、助け合いが少なくなってきた原因を、モラルの低下や人間関係の希薄化に求める傾向があるが、実は「その必要がなくなったから」だという視点をこの本は提供してくれる。
    日頃濃密な近所づきあいがない地域でも、大きな災害が起こった時には助け合いが行われるという。実際、東北地方太平洋沖地震の時も「絆」という言葉が再確認されたり、人々が助け合う姿が諸外国から賞賛されたりした。
    日本人は我々自身が思っているほど変わっていないのではないかと思う。

  • (01)
    のっけからののけぞるような驚きがある.柳田国男の美しい序文に続き,第一章は「ほろびた村」からはじまる.いわば村の失敗事例から筆をはじめ(*02),村の成立から発展で筆を措いている.それは世界の創造を物語るような叙事詩でもあり,その意味では神話の構造を本書は有している.
    文庫版の解説(1986年,山崎禅雄)にあるように「子どものよみ物として書かれた」ことは本当に「明らか」だろうか.柳田の序文の意図や,宮本の本文が「平易な語り口調の文章」であるからといって,本当に子ども向けなのかどうか,疑うつもりで本書に接してみるのもよいだろう.柳田も宮本もこれが子どもに向けて書いたことを直接には言及していない.
    本書が編まれた1950年当時の国民の情況に配慮して読んでみるのは有効だろう.戦中に教育をスポイルされ,村もふるさとも次代の担い手を失いかけた(失った?)当時の国民が本書から浮かび上がる.ところどころで著者は村における神社のあり方に言及している.そこには戦前の思想の支柱にもなりえた近代神道に対する著者のスタンスをも示している.
    以上の事情をふまえると創世記としての「ふるさとの生活」の側面が見えてくるかもしれない.

    (02)
    ほろんだ村が失敗であったのかどうかという問題も留保されてよいだろう.動的な人間の活動を描いた本書において,村はトライのプロセスであって,そのうちのいくつかのエラーは必然でもある.著者は,古い伝統的な村を支点とした静的なパースペクティブはまったくというぐらい拒否している.そこにある移動や交易や挑戦を村の種子や栄養として肯定的にとらえている.また,ハレの行事として類型化される民俗を,「休みの日」というカテゴリーで捉えなおしたのは卓見であり,旅をし,動き続けた著者が,休みをどのように考えたかの端緒をうかがいしることができる.

  • 宮本常一さんの撮られた
    「写真」に各地方での「洗濯物」が
    けっこうある

    その土地の人が
    どんなものを着ておられるのか
    その家族がどんな構成なのか
    どんな暮らしをしておられるのかが
    見えてくる
    と おっしゃっている

    何気ない日常の中にある
    衣・食・住を
    ていねいに「歩いて見る」ことによって
    わたしたち日本人がよりどころとしてきた
    わたしたちのアイデンティティーを
    考えさせてもらえる
    一冊です

    本書は また
    この国の 若い人たちにへ
    という 常一さんの意識もあり
    易しい言葉で綴られているのも
    うれしい

  • 今となっては遠い昔の話の記録。大半の日本人はこうやってつつましく生きていたんですね。

  • 1986年(底本1973年)刊行。村(ムラ)の形成と衰亡(飢饉、山崩れ、津波)、そこで暮らす人々の営み、例えば、休日(信仰上の意味)、人の移動、食生活といった一般庶民の生活史を叙述。

  • う〜〜ん・・・なんて思いながら読んでいたら、どうやら子供向けに書かれた本だそうです。
    なので、総論的で深堀りはあまりありません。
    民俗学への入門としては良いのでしょうが、大人には少し物足りないかも。

  • [ 内容 ]
    著者は若き日の小学教師の経験を通し、ふるさとに関する知識や理解を深めることが、子どもの人間形成にとっていかに大切であるかを生涯にわたって主張した。
    本書は日本人の生活の歴史を子どもたちに伝えるため、戦中戦後の約10年間、日本各地歩きながら村の成り立ちや暮よし、古い習俗や子どもを中心とした年中行事等を丹念に掘りおこして、これを詳細にまとめた貴重な記録である。
    民俗調査のありかたを教示して話題を呼んだ好著。

    [ 目次 ]
    1 ほろびた村
    2 人々の移動
    3 今の村のおこり
    4 村のなりたち
    5 暮らしのたて方
    6 休みの日
    7 ひらけゆく村

    [ 問題提起 ]


    [ 結論 ]


    [ コメント ]


    [ 読了した日 ]

  • 自給自足的な生活を成立させるための、自然に獲得された生活の知恵

  • 土地に歴史あり。想像がふくらむ。
    個人の幸不幸を越えた、人々の営みを感じる。

  • 執筆当時は新進の民俗学者であった宮本が主に小学生を対象としてふるさとの生活史とくらしの成り立ち方を描いた読み物。子供向けということもありひらがなが多く、現代の大人には少し読みづらいところもあるが、書かれていることは正に「(当時の)生活のための教科書」といっていいのではないだろうか。
    なぜ同じ島の中でも集落によって漁のやり方が異なるのか?なぜ祭りはいつも月の半ばに行うことになっているのか?身近な疑問点から出発してそれらの背後にある「理由」を子供にもわかりやすく解説し、民俗学という学問が「科学」の所産であることを印象付ける一冊。

  • 子供向けに書かれた本で、表現は極めて平易、漢字も少ない。しかし内容は実に豊富であり、宮本民俗学の「ムラ」世界を一望できる多彩さを持っている。
    柳田国男が序文で「話の数を並べすぎたかもしれないが・・・」と書いたとおり、膨大な知見が繰り広げられていて、じっくり読めば、大人が読んでも凄く楽しめる。
    しかし当時まだ残っていたこれらの「民俗」は、北海道はアイヌ文化を除けば後発であり、後で各地からの移民が入り乱れたために、あまりストレートには伝わっていない。本州でも、東京はおろか、ちょっとした地方都市でさえ、現在残っている民俗の名残は極めてかすかになっているだろう。けれどもその「かすかな徴」が不意にあらわれてくるのを見るのはとても嬉しくなる。
    そのようなスタンス、昔の風習の痕跡を発見し、それを追ってみようという気持ちを子供に(あるいは大人にも)持たせることに成功している本だ。

  • この本は、冒頭に柳田国男さんの短い文章が載っており、
    これから読みすすめる期待を高めてくれる、
    素敵な序文となっています。

    宮本常一さんの文章はあたたかくて心に滲み入ります。
    この本はとくに、小・中学生に向けて書かれたとのことで、
    やわらかい語り口となって、親近感がわきます。
    しかし、まなざしは穏やかですが、
    全く手を抜かない探究心を感じます。

    一章三節に「津波」という項目があり、
    岩手県の三陸海岸が取り上げられていました。
    昔から津波の多かった土地だということを知りました。

    三章四節の中の「郷士と開拓」では、
    関が原後、土佐に山内氏がやってきましたが、
    もと長宗我部の家来だったものは、いうことをきかなかったので、
    山内家の家来野中兼山が土地の開墾をすれば、
    武士にしてやるとふれを出したということが書いてあります。

    開墾して武士になったものを郷士といい、
    郷士はどこにもたくさんいて、鹿児島県、山口県、京都府の南部、
    山形県の米沢付近にはたくさんの郷士がいたそうです。
    そしてたくさんりっぱな人材が出たとありました。

    この本の中で、「世の中が平和になり戦争がなくなってくると」
    という表現が何度か用いられていますが、
    これが世界大戦後のことを指すのではなく、戦国時代が終わり、
    徳川の治世になったことを指しているのが面白いです。
    とおくの時代から地続きなんだということを感じます。

    この本の締めくくりの言葉は
    「村を、今日のようにするためにかたむけた先祖の努力は、たいへんなものであったと思います。その努力のなかにこそ、のこる歴史があったのでした。私たちは、いつでもその人たちの全身しつづけた足おとがきけるような耳と、その姿の見えるような目を持ちたいものです。」
    というもので、宮本常一さんの物事に対する姿勢が、
    よくあらわれています。

  • 未来社から出ている宮本常一の著作集は、今も刊行が続いている(未来社のサイトを見たら、最新刊は第50巻「渋沢敬三」、別集の私の日本地図は「瀬戸内海II 芸予の海」が今年になって出ている)。著作集をむかし図書館で借りてみたこともあるが、あまりに膨大なのでとても読めず、私がもってるのはほとんどが文庫本や新書、ライブラリー版など小さいサイズで出たもの。

    こないだ久しぶりに本棚から出してきて、『日本の村・海をひらいた人々』、『ふるさとの生活』、そして『民俗学の旅』を読んだ。なんど読んでも、読みふける。前に読んだときには知らなかった土地の名を、再び読んで(ああ、こんなところにあそこの地名が)と思ったり、(あの人が住んでるところやなあ)と郵便の宛先で知っている地名を思ったりする。

    道のないようなところまで、日本の各地をくまなく歩いたといわれる宮本常一。旅にでた先を歩き、風景と人の暮らしをよく見つめ、人の話を聞いてきたものを記録にとどめ、あるいは心にとめて、また別の地で出会ったものと照らしあわせたり、書きのこされたものと比べたりしながら、それぞれの土地で、そこを住みよいものにしようとしてきた先祖の人たちの暮らしや働きを考えている。

    ▼ひとり歩いていて、まったく人手のくわわっていない風景に出あうことがあります。海岸に波のうちあっている所とか、山の中の木のしげっている所とか、または川のほとりなどですが、そういう風景は何となく心をさびしくさせます。しかし、人手のくわわっている風景は、どんなにわずかにくわわっていても、心をあたたかくするものです。海岸の松原、街道のなみ木みちをはじめ、植林された山もまた、なつかしい美しさをもっています。そうした所に見出す一本のみちも、こころをあたためてくれるものです。(『日本の村・海をひらいた人々』、pp.11-12)

    宮本が小学校教員をしていたときに、子どもたちによく話したというこの言葉も、なんど読んでも心にのこる。
    ▼「小さいときに美しい思い出をたくさんつくっておくことだ。それが生きる力になる。学校を出てどこかへ務めるようになると、もうこんなに歩いたりあそんだりできなくなる。いそがしく働いて一いき入れるとき、ふっと、青い空や夕日のあたった山が心にうかんでくると、それが元気を出させるもとになる」(『民俗学の旅』、pp.75-76)

    戦後、大蔵大臣をしていた渋沢敬三から、幣原首相が大変なことを考えておられる、これから戦争を一切しないために軍備を放棄することを提唱しようとしておられると聞いた宮本は、渋沢とこんな問答をしている。

    ▼「軍備を持たないで国家は成り立つものでしょうか」とおたずねすると「成り立つか成り立たないかではなく、全く新しい試みであり行き方であり、軍備を持たないでどのように国家を成立させていくかをみんなで考え、工夫し、努力することで新しい道が拓けてくるのではないだろうか。一見児戯に等しい考え方のようだが、それを国民一人一人が課題として取り組んでみることだ。その中から新しい世界が生まれてくるのではなかろうか」と言われた。(『民俗学の旅』、pp.146-147)

    「原子力による発電をなくしていくこと」は、電気がタリナイ、原発はアンゼンという人たちからは、「児戯に等しい」と思われているのだろう、と思う。「成り立つものでしょうか」と思う人もたくさんいると思う。「原発をもたない」ことは、全く新しい試みではなく、原発をもたないでいた経験がある。経験があるから、そういう行き方は容易かというとそんなことはないと思うが、パチンコ屋の表の看板が暗いぐらいでちょうどいいのではないかと、やや薄暗くなっている駅前を見て思う。

  • 旅人の世界。
    土着の世界。

    これは下手に語れません。

    深くゆっくり読んで、「ふるさとの世界」を感じてください。

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著者プロフィール

1907年(明治40)~1981年(昭和56)。山口県周防大島に生まれる。柳田國男の「旅と伝説」を手にしたことがきっかけとなり、柳田國男、澁澤敬三という生涯の師に出会い、民俗学者への道を歩み始める。1939年(昭和14)、澁澤の主宰するアチック・ミューゼアムの所員となり、五七歳で武蔵野美術大学に奉職するまで、在野の民俗学者として日本の津々浦々を歩き、離島や地方の農山漁村の生活を記録に残すと共に村々の生活向上に尽力した。1953年(昭和28)、全国離島振興協議会結成とともに無給事務局長に就任して以降、1981年1月に73歳で没するまで、全国の離島振興運動の指導者として運動の先頭に立ちつづけた。また、1966年(昭和41)に日本観光文化研究所を設立、後進の育成にも努めた。「忘れられた日本人」(岩波文庫)、「宮本常一著作集」(未來社)、「宮本常一離島論集」(みずのわ出版)他、多数の著作を遺した。宮本の遺品、著作・蔵書、写真類は遺族から山口県東和町(現周防大島町)に寄贈され、宮本常一記念館(周防大島文化交流センター)が所蔵している。

「2022年 『ふるさとを憶う 宮本常一ふるさと選書』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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