- Amazon.co.jp ・本 (378ページ)
- / ISBN・EAN: 9784061588486
作品紹介・あらすじ
荘子は、孔子に遅れること百余年、紀元前四世紀に活躍した中国古代の大思想家である。孔孟の教えが五倫五常を重んじ秩序・身分を固定化するのに対して、荘子の哲学は自由・無差別・無為自然を基本とする。二千三百年後の今日なお、社会の各分野で荘子が益々注目される所以がそこにある。変幻龍のごとしと称されるその天下の奇文を、昭和の大儒諸橋博士が縦横に説いて余すところがない。
感想・レビュー・書評
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ぼくは逃避隠棲志向型なので、老荘思想は昔から好きだった。「老子」は短くてすぐ読めるけれど、「荘子」は長大で岩波文庫版をもってはいるけれど通読したことはない。どこでどう見つけたのか忘れたけれど、諸橋轍次「荘子物語」が講談社学術文庫から出ているのを目にして、手にとった。
大漢和辞典の諸橋轍次博士が他界してもう30年近くがたつ。この原著は1964年刊だからもう45年も前だけれど、もともとの底本は大古典だから古くてどうというものではない。著者晩年の説明文はなかなかに滋味豊かで味わい深い。荘子の特徴である豊富な寓話を自由自在に解き明かし、難解な内容も簡明に書き下してあるので、とても読みやすい。
単に「荘子」の内容にとどまらず、関連する「老子」を引いたり、「論語」や「史記」に話が飛んだりしているし、もとより著者の考え方や感想がはいりこんで引きずられている部分があったりして、中立な学術的解説書とはいいがたいが、読み物としてみればおもしろい、なるほどこれは物語なわけだ。
巻末に引用部分の原文がすべて収載されているのもありがたいが、これだけまとめられるとまた読もうという気にはならないので、それぞれの本文の箇所に挿入してあったほうがよかったと思う。せっかくの物語が断片化されてしまうけれど。
有名な「井蛙海を語るべからず」ももちろん出てくる。「井の中の蛙、大海を知らず」ということわざとなって人口に膾炙しているが、この後に「されど、空の深さを知る」と付け加えたのは日本人の創意だそうだ。できすぎという感もあるが、荘子が聞いたらなんと返すだろうか。詳細をみるコメント0件をすべて表示 -
老荘思想を講話風のわかりやすい文章で解説した一冊。寓話が達者で極論を好む荘子は、思想的にその多くを老子に負っていることもあって、単なる詭弁家とも思われがちだが、それでも彼の文章の巧みさは今なお人々の惹きつけてやまない。彼の主張は極論や矛盾だと切って捨てるのは容易だが、そのような荘子独特の物言いによって何を言わんとしているのか解釈を試みるのは楽しく、そのためには良質の手引きが必要だ。読みやすく書かれているが、入門書としてさらっと読み流すよりもじっくり味わって読みたい一冊。
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荘子物語とありますが、老子への記述も多く、読みやすい本でした。
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荘子を理解出来るような頭脳が欲しい。
まったく理解できなかったが☆五つ -
(2015.10.06読了)(2013.12.17購入)
古代中国の思想家・荘周の書いた「荘子」を紹介している本です。
題名は、荘子の伝記なのかと思わせるものですが、違いました。
「老子」は、比較的薄い本なのですが、「荘子」は、内編、外編、雑編、とあって結構読み応えのある本のようなので、紹介本は助かります。
「荘子」の内容を紹介するにあたり、必要に応じて、孔子、老子、法家、などの考えと比較しながら述べています。
孔子の『論語』が秩序を求める思想とすれば、『荘子』は、無為自然を説く思想ということでしょう。善悪とか生死とかいってもそんな大した違いはない、とでも言っているようです。
そのたとえ話の面白さを楽しめればいいのかもしれません。
【目次】
はしがき
夢多き人
荘周の生涯
百家争鳴
孔子を哂い聖人を誹る
尭舜を誹る
老子の無
無用の用
大小一概―無差別の世界(1)
可不可一貫―無差別の世界(2)
議論は雛の鳴き声か
善悪の詭弁
死生は一条―無差別の世界(3)
孔老、死にさまよう
死の世界
混沌の世
無為の治
世運の衰退
真人の姿
老子の道徳論
老子道徳の象徴
壺子の九変
学を絶てば憂なし
儒服する者一人のみ
腹を為して目を為さず
虚静の修養
吉祥は止に止まる
養生は天に事うるの道
養生の道
引用原文(読み下し)
●利欲(28頁)
すべて世の中のものは目前の利欲のために、自分の真なるものを忘れている。
●法家(47頁)
法というものは事のでき上がった後の後始末であります。
●荘子の書(49頁)
今日、荘子の書は三十三篇ございます。それを分けまして、内篇が七、外篇が十五、雑篇が十一、計三十三篇となっております。
●寓言、重言、卮言(50頁)
文章を作る上に寓言と重言と卮言とを用いるといっています。そうして寓言は荘子の書いた文章のうち九分通りはそれだ、重言は文章の中、十分の七くらいはそれだ。卮言はこれはもう毎日毎日の文が皆それだと説いています。
その寓言とはどんなことかといいますと、ひっきょう自分の言わんとすることを、他人に託していわしむる方法を指すのであります。そのほうが効果が多い。
つぎに重言とはいかなる方法かといいますと、自分にかわっていう人を、なるべく昔の偉い人に託していわしめるのであります。
そのつぎに卮言を用いるといっています。臨機応変の調子のよい言葉を用いるというのであります。
●一、二、三(79頁)
「道は一を生ず、一は二を生ず、二は三を生ず、三は万物を生ず」(老子)
この言葉の中の一は勿論神であり、仏であり、あるいは儒教のいわゆる太極であります。二はもちろん男女であり、陰陽であり、儒教のいわゆる両儀であります。三とは、男女の交わる力、あるいは陰陽の交わる力をかりに三としているのであります。男女・陰陽があっても、交わる力がなければ子供が生まれてこない。かくのごとくにして三が万物を生ずると説くのであります。
●白馬非馬(117頁)
彼(墨子)は白馬は馬であるという。何ゆえかといえば、白い馬に乗るということは馬に乗ることだ、白い馬を買うということは馬を買うということだ。だから白馬は馬であるというのであります。
●大小一概、可不可一貫(132頁)
大小一概だから、大きいことも小さいことも一つのものである。それを進めていけば、多少も精粗も貴賤も皆一つになってくる。また可不可一貫だから、その考えを広めていけば、善悪も一つであり、正邪も一つであり、美醜も一つということになるのであります。
●死(153頁)
人間も生きている間は、死にたくない、死にたくないと、いっていますが、いざ死んでみると、案外楽天地なので、これならばもっと早く死んでくればよかったと。後悔せぬと誰が保証いたしましょう。
●死生を超越(159頁)
荘子は、過去を追わず、将来を考えず、その時々に準拠していることが、死生を超越する工夫だと考えているものらしいのであります。
●読書(247頁)
学問をして本を読んでおる人間は多いかもしれないが、これを実行するものは少ない。
●無欲(258頁)
「無欲にして以て静かなれば、天下将におのずから正しからんとす」(老子)
われわれが欲をなくして心を静かにすれば、天下はおのずから定まってくる
☆関連図書(既読)
「孔子『論語』」佐久協著、NHK出版、2011.05.01
「論語」貝塚茂樹著、講談社現代新書、1964.08.16
「論語の読み方」山本七平著、祥伝社、1981.11.30
「老子」蜂屋邦夫著、NHK出版、2013.05.01
「老子」小川環樹訳、中公文庫、1997.03.18
「タオ 老子」加島祥造著、筑摩書房、2000.03.25
「孫子」湯浅邦弘著、NHK出版、2014.03.01
「兵法・孫子」大橋武夫著、マネジメント社、1980.10.25
「洪自誠『菜根譚』」湯浅邦弘著、NHK出版、2014.11.01
「菜根譚」洪自誠著・今井宇三郎訳、ワイド版岩波文庫、1991.01.24
「『荘子』」玄侑宗久著、NHK出版、2015.04.25
(2015年10月20日・記)
(「BOOK」データベースより)amazon
荘子は、孔子に遅れること百余年、紀元前四世紀に活躍した中国古代の大思想家である。孔孟の教えが五倫五常を重んじ秩序・身分を固定化するのに対して、荘子の哲学は自由・無差別・無為自然を基本とする。二千三百年後の今日なお、社会の各分野で荘子が益々注目される所以がそこにある。変幻龍のごとしと称されるその天下の奇文を、昭和の大儒諸橋博士が縦横に説いて余すところがない。 -
2015.8.31老荘思想の片方、荘子の思想を、著者による解釈を織り交ぜながら解説した本。論語物語的なものを想像していたが、全然違った。ストーリー的な物語というより、著者が荘子を語るという意味での物語であり、故に著者の思想や価値観も大分入っているように思われる。胡蝶の夢で有名だというのは恥ずかしながら知らなかった。思想的特徴は老子とほとんど変わらないようだが、孔子と孟子がそうであるように、老子に比べ荘子は雄弁家だったようである。世の中のあらゆる二元的価値観は相対的であるという無差別主義、五感による欲望をなくし心の静寂を求める仏教にも近い禁欲主義、人為的なものを排し、ただただ自然のあるがままに任せるという無為自然の教え、芸道や武道にも通じる、あらゆる雑念邪念をなくした、虚心の教え、など。儒教が人間としての生き方を説いたなら、老荘はヒトとしての生き方を説いているのだろう。老荘思想は仏教と同じで、幸せになるための思想というより、苦しまないための思想であるように思われる。人為に囚われず、世俗の価値観に囚われない生き方、確かにそこには苦しみはないかもしれないが、逆に喜びもないだろうし、そんな人生味気なさすぎるんじゃないかな、なんて思ったりするのは私が愚民だからだろうか。無論、利己心や所有欲、名や位を求める虚栄心などは抑えるべきだとも思う。でも感じてもいい欲望や喜びもまたあるのではないかとも思う。仏教と老荘思想、世界の法則を捉えた上で、それを根拠に人間のあり方を問う形はそっくりだが、私は仏教の方が論理的で好きである。老荘思想は、いやそれは何か違うだろみたいなツッコミを入れられる隙間が多すぎて説得力に欠ける。自然から学ぶという、自然世界を基準にした視点は好きだけど。また、老荘思想と仏教の先に、禅の思想がある。ぜひとも学んでみたいと思う。荘子について、孔子や老子など豊富な引用を用いて解説してくれる本。
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自説のためとはいえ孔子をこき下ろす荘子のことも明快に解説。
諸橋先生の知識が広範なので他の諸氏百家のこともかじれる仕様。
それより特筆すべきは後ろの帯文。編者か売り手か分からんが相当な諸橋先生ファンなのかクールにかつ熱く推薦してくれてつい読みたくなります。 -
荘子という人にやや焦点をしぼっている。
なべて老荘の思想は空漠としていて、実践的でない。かつ論理的でない、ともすれば詭弁的な神秘思想である。
原始仏教に通ずる考え方もある。しかし、実践的かつ理論的という意味で仏教思想のほうがすぐれていると感じる。 -
「大漢和辞典」編者の諸橋轍次先生による荘子を巡る物語。いわゆる荘子著とされる一連の書についての一般向け解説書であるが、「はしがき」に曰く「外篇・雑篇には勿論後人の筆も多かろうが、いずれは荘子にあやかっている一群の人々だ。時代も既に遠い昔の事だから、これら一群の人々をも、今は併せて一人の荘子としてこの物語を纏めた。」とある。
荘子の思想を解説するに当たって、老子の思想をも紹介しており、単に荘子に関する書にとどまらない。興味深いのは決して荘子礼賛ではなく、適宜諸橋先生による批評が入っているところである。荘子について、「多弁家であり、能弁家でありますから、時には心にもないことをまで、口から走り出るままにしゃべるのであります。」(P248)「ここまで極端な議論になりますと、荘子も一介の詭弁家になり下がった感があります。」(P249)と評する。これには賛否あるかもしれないが、漢籍に詳しくないものが「昔の偉い人」の言う事に盲従しないためにもなかなかに良い取り組みではないかと思うのである。
また、荘子が「昔の偉い人」である孔子の思想をも利用していることを看破し、「この辺の文章は例の巧みな荘子の詭弁で、漸次孔子の教えを自分流に降参させようとしているのであります。なかなか油断はなりません。」(P147)と警告を鳴らす。漢籍を縦横に読みつくした先生ならではの謂にうならざるを得ない。
滔々たる大海である漢籍の世界を、隅々まで知り尽くした老師の背に乗って遊び歩くような書である。漢籍を読んでみたいがどこから手をつけて良いかわからない、という人に進めてみたい一冊だ。
諸橋轍次の作品






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